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49 R.I.P


 お腹一杯とは言ったけど。


 短期間で肉体をあれほど急成長させたからな。その上で連戦に継ぐ連戦。そんな無茶をやらかした反動なのだろう。俺は物凄い空腹に襲われた。


「──く、血が足りねぇ」


 いや血は足りてる。だってあんだけ大量の餓鬼レバー食ってるし。


 でも『瀕死後(※実際は死んだ)に飯をかっ食らう』ってシチュエーションを前にしたらつい、言いたくなってしまった。


「バカ野郎っ、そんな慌てて食うなよぉ、胃が受け付けねぇぞー?」


 お。さすが才蔵は分かってるな。なら、


「うるへ~!12時間もありゃジェット機だって直らぁっ!」


 ガツガツガツ!ムギュモギュぎゅウウ!


「…うごもが、ぐ──」


「ほぅら言わんこっちゃねぇ洗面器か、ああっ?なにぃっ?んあっ?」


 うぐもぐぐ──ばた、


「──食ったから、寝るって。」


 言われた大家さんと才子は


「「ええ?」」


 ってなってるけど──ガバっ


「いや寝てないじゃないっ」


 という才子の突っ込みは無視。起き上がった俺は再びおかずをかっ込むのであるガツガツガツ。


「ハァ…確かにあのアニメは名作だったけど。折角作ってあげたんだからおふざけなしで食べて欲しいもんだわ…ねッ」


 ──ドン!と大盛炒飯をちゃぶ台に置いてくれた才子に目配せで礼を言いつつ、新たに追加されたその皿をひっ掴む。そしてまたかっ込んだ。ガツガツガツ。そして、


 ──ドン!と空になった皿を置いて下を見れば、胡座をかいた俺の股の間にポスっと嵌まるようにしてチョコンと座り、唐揚げを両手で掴んでハムハムしているあの幼女がいる。


 そのおかっぱ頭にはご飯粒が幾つかくっついておる。わんぱく者め。


「って俺のせいか!すまんすまん…っ」


 ひょひょいぱくっとそれら米粒をつまんで食べてやると幼女は嬉しそうな顔して、食べかけの唐揚げを差し出して来た。


 ん、食べろって事かな?食べさしを?いやいいけどさ。


「お、おお、いいのか?じゃぁ…はむっ、むぐむぐごくん。うん旨い。ありがとな。」


 そう言ってやると、にぱぁあ…と。素朴なんだけどこれまた可愛らしい顔して笑うんだよ。


 『ポッケに入れて連れ帰りたい』って表現をたまに聞くけど、その気持ち今なら分かるわー。とか思ったところへ。


「むー。とんでもないもの盗まれてる──それは、均次くんの心デス。」


 おお、大家さんまで乗ってくれた♪


「あ──それ私が言いたかったやつ」


「残念だったな才子。でもこの旨い飯だけでもう既にGJだから──」


「ふ…ふん!ご飯食べたらすぐお風呂入ってよね!均兄ぃが気絶してる間にお兄ちゃんと義介さんが一応洗ってくれてたみたいだけど、それでもまだ匂ってるんだからっ!」


 えええ。

 俺、今、誉めたよ?

 なのにまたそれ言うの?


 よし…今度暇な時にこんこんと教えてやろう。年頃の女子に臭い言われる男心が、どれほど深い傷を負うのかを。


「それはともかく大家さん、サスオヤです」


「ふっすーっ♪」


 お。大家さんから『1ふんす』入りましたー!よし…これに返すならあの台詞──




「──なんて気持ちのいい連携だろう」




 ぬおっ、先に言われたっ!しかも『連中』の部分を『連携』に変えるトンチまで利かせてすこしニクいな才蔵め!


 …って、才蔵じゃなかったか。俺と同じく悔しそうな顔して…じゃぁ誰が?


「て、義介さんかよ。」


 才蔵がそう言った瞬間、



 ──プイッ。



 と、みんなそっぽを向いてしまった。ありゃ?トーク的にいい流れだったのに。



「ぬう!わしだけ仲間外れ…ッ!」



 うん、哀しい気持ちは分からんでもないし、あのアニメをちゃんとチェックしてたのはポイント高いし、そもそもこの飯の食材も厄介になってるこの家も全部、義介さん持ちなんだけど。


 殺意を向けられた身としてはな。うん。フォローしてやる義理ないな。なので放置した放置。


『にゃにをひよっておるんじゃ…。我が子孫にゃがらにゃさけにゃいやつ…』


「…くっ、『にゃ』多いな!耳に障るっ!」


 という俺の憎まれ口なら獣の聴覚で聞き取っていたはずだが、こちらを一瞥するとコイツまで


 ──プイッ。


 そっぽを向いてしまった。というか、何となく気まずそう?にしている。それは俺の胡座に収まってる密呼ちゃんに対し、感じているように見える。


(うーん…)


 …こんな幼い女の子がなぁ。無垢朗太だけでなく、あの雷獣とどんな因縁があるっていうんだろう…。


「要チェックだな…」と、俺は心に留める事にした。


 てな感じでヌエのやつまでいたりする。ヤツ曰く『殺る気が失せた』らしいが、俺にやったような事を密呼ちゃんにまでしようとするならもう義介さんのご先祖だろうが関係ない。今度こそ容赦せず──


(…なんて心配はいらなそうだな)


 その証拠に今はもうモンチ猫形態に戻っており、キヌさんに『愛り愛り♥️』されて悶えてやがる。


(……一体どっちが情けないんだか)


 つまりはまぁ、色々と有耶無耶になって休戦してる状態な訳なんだが。それはやっぱり、この密呼ちゃんのお陰だろう。真に『GJ』と讃えるべきはこの子だった。


「ああもうやだこの沈黙──てな訳で才子!作ってくれあれをっ!ミートボールスパゲティ超大盛りっ!」


 む、確かに飯時の沈黙はいただけない。なのでお前もGJ才蔵。それに、


「うん。あれは確かにうまそうだったな!よし、俺も食ってみたいぞ才子!」


 奪い合うつもりなら絶対負けんからな才蔵。あのガンマンのくるくる妙技も今の俺なら再現可能。そう思ってたんだが、


「いやよっ、どうせあの名シーンを再現したいだけなんだから。お汁飛んだら後始末大変だし、絶っっ対作らないからねッ」

 

 それは確かに。そして残念。つか相変わらず鋭いな才子のやつ。




(…にしても…ハァ…この居心地…安心する…)



 何気ない言葉しかないこの空間が、やたらと沁みて感じる。『ありふれた』で溢れてて、それがなんとも馴染んで休まる。あの凄惨な戦いがまるで嘘だったみたいに感じさせてくれる。


(こんな場所をほっぼっていなくなろうとするヤツはバカだな馬鹿。…まぁ俺の事なんだけど)


『ふむ…前世を知るオヌシでも選択を誤る事はこれからもあろう。これを肝に銘じる機会とするも良し……それが何であれ、失ったものを取り戻すに………人の生は短かすぎるゆえ』


 ………えらく実感こもってんな。


(…それって、密呼ちゃんの事言ってんのか?差し支えないなら教えて欲しいもんだな。この子とお前がどういう関係だったのか…とか。)


 我ながら相当な変わりモンだと思う。だってあんな狂おしい戦いを繰り広げた相手をもっと知りたいとか……だというのに無垢朗太の返事ときたら、こう。


『教える必要はない。』


(ああん?なんだその言いぐさ!居候のくせに随分な──)


『…何故なら今や互いに魂を分かつ身だ。気になるなら勝手に覗いて見れば良いだけの事…』


(…え?そんなん出来るの?…あ。あー、なるほどな。それでか…)


 夢の中、義介さんや大家さんどころか、『前世の才蔵と才子』まで忠実に再現出来てたのは、それが理由だったのか。



 ならばと俺は早速、触れる事に──





 ──ぱタん…





「…ぉぃ…こら…均次?おい、おい!もしかして()()()()───…って、まったく…食うだけ食って()()()()()()()寝やがった。…しょうがねぇ、寝室まで運んでやるか…」


 『呆れた』という内容を、心底疲れ果てた口調でため息と共にやっと吐き出す。


 造屋才蔵。さっきまでの彼はどうやら、親友の前で無理をしていたらしい。


 それは…どんな無理を自らに強いても親友が飲み込みやり遂げたおそらくの無茶を考えたら、些細な事と分かっていたから。


「…まったく…お風呂に入ってから寝てよね。お布団が臭くなっちゃうじゃない。……よっぽど疲れてたのね…」


 良く言えば親しみの裏返し。その実態は憎まれ口でしか素直になれない自分をいつももどかしく思っている造屋才子も、兄と同じような内容を、同じような口調かつ同じようにため息と共に吐き出した。


「…お布団なら私が干す。言わないだけできっと、大変な一日だったはず、だから…」


 大家香澄はこれ以上ない慈愛を込め、それとは正反対の怒りを噛みしめるという、複雑な声音で己を律していた。その我慢も限界であるように見える。


「ええ…きっとそうなんでしょうね。なんて言っても…()()()帰ってきたんだもの…」


「あぁきっとそうだ。コイツはまた、、人のために……あーっ!くそっ…たく、心配ばかりかけやがってっ!」


 みんな無理をしていた。自分達に黙って危険に身を投じたであろう平均次を叱りつけてやりたかった。


 だがそれが憚れるほど彼は傷付き、衰弱しきって──いや。


 死んでいた。


 そうだと一目で分かるズタボロの肉体は鼓動と脈を揃えて止めていた。傷口から流れるはずの血も止まっていた。肌の白さも体温も人のそれではなくなっていた。その状態は数時間に及んだ。


 まさに悪夢のような時間だった。香澄は全ての色を失くし、造屋兄妹はどう涙を止めればいいのか分からなくなっていた。


 その危機をどのようにして乗り越えたのかは分からないが何故か息を吹き返し、さっきも元気に食事をして…こんな現象は不思議で仕方がないが、おそらくはスキルの力…と結論付けるしかなく。


 それでも安心は出来ない。だって死んだのだから。だからまた死んでは困ると、


『今はすこしでも安らぎを』


 という大家香澄の提案に則り、皆が皆、平均次の調子に合わせていたが。


 実のところこの状況をどう思っていいのか分かっている者はまだいない…。

 

 鬼怒守義介もその一人だったが、自分以外の三人が、今も声と眼差しを震わすのを見て、


「……そうか…均次とはそういう男──であるのに。ワシは──」


 おのれの不明に気付きつつあったが、それはこの三人にとって、、、



 …遅すぎた。



「……義介さん。」



 たまらずと凄む声。荒事からなるべく距離を置いて生きてきた男のそれとは、思えない声だった。


「んむ…、」


 人知れず人外相手に修羅場の数々を経験してきた義介ですら、いずまいを正さずにいられなかった。


「…コイツはな…確かに間違ってばかりの大馬鹿だけど。」


 そんな語り口から始まったそれは、


「それでも、間違いなく、いい男だって……俺は思ってる。誰が何て言おうとこれからもずっとそうだ。世間に背を向けて生きた俺が言う言葉に、なんの含蓄もねぇって分かって、それでも言い続ける。

 だからまあ、これだけ言ってどう思うかもあんたらの勝手……でもな。」


 ただ捲し立てるだけだったが、 




「…てめぇらッッ、このやろう…ッッ、」




 それでも圧倒される。


「均次は、死んだ。そんで生き返った…なのになんも言わねぇ。言わねぇならって黙ってる俺もクソなのは分かってる。

 でも、じゃないときっと、何の力もない俺なんてゴミのように死ぬだけだって事も分かってたし、俺達がそうならないためにあいつが死んだって事も、分かってたからっ!くそ!」


 言葉を選んでいる様子はないが、それでも、


「…そうだよ…てめぇも…分かってたんだろう?」


 義介の急所を、的確に突いてきた。


「馬鹿なあいつは、あんなグズグズの身体になってまでこの村と俺達を守ろうとした。そんなんまったく言わないけどあいつはきっと、それをしたんだ。」


 その舌鋒はあのヌエさえも黙らせてしまう程だった。


「あんたらそれ、分かってたよな?なのに、なんで剣を向けた?なにしれっと会話に混ざろうなんてしてる?

 それでもあいつは馬鹿だから許しちまう。この馬鹿が許してるならって、クソな俺はな。また黙ったさ……でも。 」


 キヌは終始黙っていた。口を挟む事は許されていないと、よくよく理解しているようだった。


「限度ってもんが…っ、あんだろうが…っ!もう二度はねえ。次は黙らねぇ。もしコイツにまた、ひどい事しやがったら──」


 これは、造屋才蔵一世一代の覚悟を乗せた言の葉。それはそうだ。一番の親友が、生き返ったとはいえ、死んだのだから。


「──今は無理でも。俺は、必ず復讐する。何をしてでも、何を使ってでも…どんな自分になったとしても。そんなん出来っこないって思うなら好都合。やるだけだ。やれるようになるだけだ。

 …でも、そんなのはしたくねえし、なりたくもねぇ、だからっ!……なんとかっ、言えよこのヒゲっ!と、その一味!」


 今言ったどれも実現を思わす謎の説得力があった。しかし、今の自分がどう答えようと不誠実になると思う義介は、


「…すまぬ…これしか言えぬ。」


 そう、これだけしか言えない。でもそれで由とは出来ない女がいる。


「──私は……ゅ……るっ、せない!…………今だってっ、相当な…ぁっ、我慢を、ぉッ、して、い、るッッ!!!」


 ──ビュヒュッ!



 凄まじい眼力。そして鬼気。それら全てが乗り移ったかのように。彼女が抜いた小太刀が妖しく光っていた。


 殺意──彼女の小さな身体のどこにこれ程の膨大が隠されていたのか。それを見て青ざめ、懇願したのは才子だった。


「ダメ!香澄さん!分かる!私も怒ってる、哀しい!鬼怒守さんにはお世話になって、それでも許せる事じゃなくって! それでも……刀をおさめて!ずっと前から、私にはお兄ちゃんが二人いて…だから分かるの…均兄ぃは絶対苦しむ…だ、から、香澄…さん…ッ」


 三人のどの言葉も平均次という男を想っていた。そして自分がどれ程の思い違いをしていたかが際立った…そんな義介の様子を見届けたか、



「……。わかった。おさめる。でも次がないのは本当。どこまでも追って息の根を止める。私は出来ない訳じゃない。確実にそれをするし、今しないのは均次くんのため。それだけ。………ちゃんと覚えて。」


 次に間違ったら本当に死ぬだろう。何故か義介だけでなく、ヌエとキヌも納得していて、その納得に気付いてすらいなかった。


 この小さな大家香澄という女の戦闘力は自分達より下と知りながら。それでも殺されるという実感を不思議に思わなかった。それほど自然に受け止めてしまっていた。


「…うむ…肝に銘じる…本当に、すまなかった。」


 寝てしまってもう聞こえていないだろう均次には心の中、心の底から謝る義介なのであった。


 そんな中、密呼が哀しく見つめていたのは。


 大家香澄、ただ一人──



 

  ・


  ・


  ・


  ・



 そんなやりとりを聞き逃し。俺の意識は深く深く潜っていた。深層の、さらに深層へと。


 おそらくはこのまま一生ものの相棒となるだろう、かつての宿敵、


 『鬼』…改め『無垢朗太』…


 …彼の魂を、知るために──


  ・


  ・


  ・


  ・


  ・


 

 軽く吹雪く中。


 ひと仕事終えた大人達が残した焚き火の消えるまでを眺めながら、その向こう側にある海音に耳をすませる──そんな孤独こそがこの子供…『彼』の日課であり、唯一心が休まる時だった。


 しかし、火が消える頃にはすっかり身体が冷えてしまう。その冷えが『残す日課は一日を締めく繰るあの寂しさのみ』と言っているようで。それを残念に思いながら、かじかんだ手で焚き火の跡を片付け、立ちあがり、振り返れば…


 いかにもな寒村の風景がそこにある。


 家々からもれる灯りは節約されてとても薄い。それでもこの文字通り寒き村を非力なりに温めようとしている…ように見えなくもない。…が。


 もしそうだとしても無駄な足掻きに見えて仕方がなかった。何故ならその灯りの中でも特に薄い灯りが我が家という…そんな皮肉まで際立って見えたから。


 その薄さを目印にトボトボと惰性で歩いて帰り、たどり着いた我が家にはなるべく音を立てずに、入ってゆく。


 そして気付く。


 きっと…一応の団欒がさっきまであったのだろうと。


親兄弟の声が突然止んだ気配で分かった。しかしこれは毎日のことだった。あからさまに歓迎されていない事なら嫌という程知らされてきた。だからその団欒だったものには加わらない。


 粗末な寝床へ直行する。そこには冷えきった椀とそれ以上に冷え切った汁ばかりの粥が置いてある。これも毎日のことで、勝手に食えという事だ。なので勝手に食って、勝手に椀を洗って、勝手に戻す。そして寝る。そこで思う事は…




 ──ああ…今日も一日、生き延びた。




 親兄弟にまでいない者とされるこんな人間が、こんな余裕のない村で優しくされるはずもなく、起きた後にはツラい日常が待っている。


 大人達にはどやされ、兄の世代には疎まれ、同年代から殴る蹴るをされ、弟はいなかったが下の世代から囃し立てられ、家ではこうして…いない者とされる日常が。


 とにかく居場所がない。


 さらに酷い話が、自分自身それを当然と思っている事だ。


 ただでさえ貧しい村で一番の貧しい家に余分に生まれたのだからと。口減らしにあの冷たい海へ放り込まれないだけマシなのだと。生きているだけ儲けものだと。


 つまり『生き延びた』と言ったのは、彼にとって何気ない言葉でしかなかったからだ。そこに、彼なりの命懸けが凝縮されている。


 そんな彼にも限界があったのだろうか。我知らずと蓄積されるものがあったかもしれない。それは日に日に大きくなって、そしていつしか見過ごせないほど──となる前に。



 それは起こった。



「ああーっ!いでぇあああっ!!」



 ──折ってしまった?それも、こんな村でも一応の有力者で通っている男の、せがれの腕を。


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。何故なら『こんな自分が?そんな大それた事を?』という思いが先行したからだ。


 無意識で暴力を振るうほど追い詰められていた…という感じでもまだなかったはず…というか、ただ触れただけだったのだ。なのに気付いた時はもう折れていて……でも。


 何となくだが、分かってもいた。


 自分がやった事で間違いないと。ただでさえ柔い子供の骨を一瞬で脆くしたのは、自分の力で間違いないと。



 『彼』はその日のうちに家から連れ出された。



 今度こそ海に──と思ったが違っていた。父は山に向かってこの枯れ腕を引いている。つまり…殺されずに済む?



 そう思ったが違った。



 谷底へ突き落とされた。



 海へ放り込むだけでは万が一だが、生き伸びるかもしれない。その可能性を徹底的に廃そうとしたのだろう父に執念さえ感じて…ただ、ひたすら悲しかった。




 しかも死ねななかった。




 死にたいと思っていたのに、この身に宿った力はそう簡単には死なせてくれないようだった。そこへ──



「不憫…まったくの、不憫。」



 捨てる親がいるなら拾う他人がいて…そんな不思議に首を傾げながら。



 彼は遂に、気を失った。



 哀しくもこれが、物心がついてより初めて経験する…安らかな眠りであった…。


  ・


  ・


  ・


  ・



 ──なんて皮肉だ…』そう思うまでが限界だった。


 俺の魂が、これ以上見ることを拒否したのだ。


 そして、このずっと後の事だが、俺は知る事になる。



 …無垢朗太を助けたこの、


       親切な誰かは…


 …こうなるのをずっと…待っていたのだと。



 

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