102 戦狂のスキルカンニバル。
『大切な人を人質にとられる』というのは、創作物ではジャンルを問わず使い古されたシチュエーションだ。香澄自身、画面の向こう側で繰り広げられるそれを何の気もなく眺めたものだった。でも、
まさか、自分がされる側になろうとは。
今更になって『その苦悩や焦燥や絶望がどれほどのものであったか』と架空存在である彼や彼女に感情移入する香澄なのである。
何故そんな今更をするかと言えば、自分が同じ体験をした事で必要以上に理解出来てしまったから…
というのもあるが、均次が何者かに救出されて『ほっとした』、というのが大きい。それは彼女の心に大きな隙を作ってしまった。だから、突け込まれたのだ。
──噴怒という激情に。
こんな目にあわせた蜘蛛への憎しみ。その憎しみすら訳が分からなくしてしまいそうな、この怒り。濃密過ぎる怒り。
初めての経験だった。
これほど急激に感情が振りきれたのは。
それは認識が追い付かないほどで、遅れて発露したのはそのためだった。そのさらに遅れて追加されたのが、『どうしようもないという絶望、あれをもたらしたのもこの蜘蛛だった』という……
これが決定打となった。
大き過ぎる振り幅と、ぶり返しまで合算された激情は、関を切って濁流となり、彼女の中を目茶苦茶にかき混ぜていった。
その濁流は彼女が知らない彼女のどこかを含む隅々まで流れ込み、彼女が知らなかった彼女の何もかもを巻き込んでいき──その濁流に溺れる寸前、何とか理性の岸に縋り付いた彼女だったが…こう思っていた。
『自分は一体、どうなってしまうのか』
そう、蜘蛛だけではない。怒り心頭に見えた彼女も本当は、慄いていた。それも、文字通りに心の底から。
密呼と融合した事で魂が補完され、それを切っ掛けに覚えた感情は、未だ馴染んでない自覚があった。だから戦闘中にそれが発露する事を無意識に恐れ、自重していた。「 …それ なの に…ッ 」こうなるとさすがに、もう、
もう「あ、あ、くっ、」無理だ。
制御「ゆる、ゆるさ、」出来ない!
もう「な、ぃぅぐぅ…ッ」溢れ…、、
「る──ぅああぁぁあぁああああ!」
とても無理をしていた。それでも何とか制御していた。
そのはずの魔力とそれを循環させる魔力回路と呼べるもの。
それらが強く、激しく、不規則に脈打ってもはや痛いまであるのは…どうやら、
『攻』『防』『知』『精』『速』『技』『運』…
器礎魔力のそれぞれが交ざり合った事が原因。どの器礎魔力がどのように作用しているのか、全く分からなくなっている。
( …これは、、)
もしや、相乗効果の出力を無理に上げた事が原因となったか。
いや、あるいは自分の実力不足で扱えていないだけで、この状態も相乗効果の一種なのかもしれない。
どちらにせよ、どんな効果か全く分からず扱えないなら、結局の暴走だ。だからこれは、一刻も早く鎮めなければ──ビきッ──
「…え」今、身体が勝手に動こうとした。
もちろん、『どうしようもない』と諦める自分の代わりに、身体が勝手に動いてくれた、あの時の現象とは全くの別物だ。
ただ暴走する魔力に突き動かされただけのこれは、つまり、肉体が魔力に乗っ取られようと──いや、それも違う。
何となくだか、幼少の頃より魔力に親しんではいないが、慣れてきた香澄には分かった。
魔力が暴走している事は間違いないのだろうが、自分の身体を乗っ取ろうとしている訳ではない。これはただ、魔力の動きに、自分の感覚が追い付かなくなっただけなのだと。
だから自ら制御したいと思うなら無理矢理にでも動かせばいい。そう思って実際にやってみれば…やはりだ。出来なくはない。
だが、戦闘中に『自分の身体を無理矢理に動かさなければならない』というこの状態は香澄の持ち味を完全に殺してしまう事になる。
何故ならこんな状態では精密な身体操作など、望むべくもないからだ──いや、それどころの話ではない。
これは体内で乱発生する経験した事のない魔力的アクシデントを、やった事のないアドリブ的魔力操作で全対処するという行為であり、例えるなら暴風に煽られる綱の上を、跳ね回る事でやっと渡っているようなもの。
つまりはかなりの重症なのであり、それを動かせるだけでもありえない事だった。
一方の蜘蛛はと言えば。
こちらも魔力を暴走させていた。しかもその狂った魔力を制御しようとすらしていなかった。
その結果、見境なしに振るわれる攻撃は規則性を失ってしまった。
そして、蜘蛛との戦いに慣れ始めていた香澄にとって、さらに対処し難いものとなってしまった。
こんなものに対抗するなら、精密な動きがさらにと求められる。しかし今の状態の香澄ではそれが出来ない事は先程述べた通りだ。ではどうするか。
無理矢理動かしている身体を、さらに鞭打つという無理矢理で制御するしかない。
つまりは不可能。出来たとして悪循環にしかならないだろう。泥沼とはこんな状況を言うのだろうか。その沼色はきっと黒に寄った赤で──それは、血の色。
そう、狂乱の蜘蛛に対し、狂乱の魔力を無理矢理御しながら挑んだ香澄の身体は、既に傷だらけとなっている。
獰猛な速度で振るわれる蜘蛛脚にビッシリと生える硬質の毛、あれは魔攻スキルを纏わせた部位で受けなければ簡単にシールドを貫通する。そこからコンマミリ以下の深さでもかすれば確実な痛手となる。
そんなものを備えた巨大質量と緻密な思考と精密な動きを失くしたままぶつかれば、こうなるのも当然だった。
しかし、
こんなヒドい状況も見方を変えれば?
『【斬撃耐性LV1】を取得しました』
『【斬撃耐性LV2】に上昇しました』
『【斬撃耐性LV3】に──
良い負荷には…なっている。
良い負荷はスキルを生やす種となり、
生えたスキルを肥やす養分となる。
それはこの出血までも理由にしていて、
『【強血LV1】を取得しました』
『【強血LV2】に上昇しました』
『【強血LV3】に──
こんなスキルまで生やしてまった。
しかしこれで魔力暴走が止まる訳ではない。さっきも述べたが香澄の感覚ですら間に合わない魔力の暴走だ。一筋縄ではいくはずがない。しかしそれすら、
『【暗算LV10】に上昇しました。上限到達。【真算LV1】に進化します』
『【魔力練生LV9】に上昇しました』
『【疾風LV3】に上昇しました』
『【精神耐性LV8】に上昇しました』
間に合わない感覚を補助するべく、多くのスキルがレベルを上げた。
しかしこれなら…と思ったのもつかの間、御しにくさは変わらなかった。
スキルの補助によって上限知らずに加速した感覚。今度はそれに、肉体の方が付いていけないと悲鳴を上げ始めたのだ。
しかしそれも、、
『【身大強化LV7】に上昇しました』
『【回転LV5】に上昇しました』
『【ステップLV5】に上昇しました』
『【溜めLV4】に上昇しました』
『【呼吸LV6】に上昇しました』
『【血流LV6】に上昇しました』
『【健脚LV5】に上昇しました』
『【強腕LV5】に上昇しました』
『【健体LV4】に上昇しました』
『【強幹LV6】に上昇しました』
『【柔軟LV5】に上昇しました』
『【痛覚耐性LV10】に上昇しました。上限到達。【痛覚大耐性LV1】に進化します』
『【負荷耐性LV10】に上昇しました。上限到達。【負荷大耐性LV1】に進化します』
『【疲労耐性LV10】に上昇しました。上限到達。【疲労大耐性】LV1に進化します』
ここまでくるともう、異常事態と言っていい。そしてもはや有り難いとも言い難い。
無理を補うための無理をし、それで生じた負荷が新たな負荷を生じさせる。
それを何度も何度も繰り返す中で、スキルばかりが馬鹿みたいに成長してゆく。
それも軒並みに。際限なく。それを受け止めるしかない香澄はと言えば、
「あハ、ハ…ともかくとして。良い負荷。」
なんて事を言っているが、その乾いた口調とは裏腹に闘う姿は凄まじかった。
我武者羅に向かい、何度も何度も攻撃を叩き込む。大小の傷を負いながら。
両手両足を、鉈や斧や槍や杭や何でもござれと見立てぶつけていく。血だらけになるのも厭わずに。
その際はなるべく強いイメージを強く焼き付ける。それは、そのイメージだけで負荷となるほどで──
『【剛斬魔攻LV5】に上昇します』
『【重撃魔攻LV6】に上昇します』
『【貫通魔攻LV5】に上昇します』
『【直撃魔攻LV6】に上昇します』
…これは、もはや
「あは、あははははは!!!」
笑うしかない。
こうなったのは魔力や肉体どころか、精神までも制御出来なくなったからか、ともかく。様々な無理と無茶により発生し膨れ上がった負荷は、香澄のスキルを大いに肥え太らせた。
全身を無我夢中で駆け巡るだけだった魔力もそれに気付いた。『旨そうだ』と涎を垂らし、増殖したスキルに『食い付かせろ』と騒ぎ出す。
香澄はそれを制御しようとまた四苦八苦。そしてまた余計な負荷が発生──そう、この期に及んでまだ、香澄はあのカスタムを引き摺っている。
新しく覚えたスキルも、使用するものは最低限としている。暴走する魔力をその使ってないスキルに回せば収まるかもしれないというのにだ。
こうして香澄が解禁せずにいるのは、何故か。
それは、この蜘蛛を倒せる程、自分はまだ強化されていないと香澄自身、理解しているから…なんて事では、全くない。
さらなる負荷を彼女自身が欲して止まないだけの事──いやその自覚ならちゃんとある。だからまだ狂い切ってはいない。香澄はそう思っていて──でもその理解だって辛うじて保つ意識あってのもの。だからこのまま魔力に飲まれるのはやはり不味いかもしれない。とも香澄は思っていて──ならばとさらに魔力制御に集中する香澄だが、それは当然難航して、その難航がまた、良い負荷になるんだからやめられなくて楽しくて──やはりだ。
「あははははははははははははは!!!」
彼女は、本当に狂ってしまった。
確かに、彼女は均次の境地に立った。そのつもりでいた。
しかしそれは狂地でもあった。一歩でも踏み外せば狂気に侵される、そんな境地だったのだ。
「あははははははははははははは!!!」
そんな彼女を静かに見守る世界は、何を思っているのか。何が見えているのか。きっと碌なものではない。




