99 均次の境地。
絶体絶命にありながら、蜘蛛が異常と評するほどの抵抗を続ける大家香澄。均次を失う事を恐れるだけの彼女はもういない。
先程までの絶望は無駄ではなかった。この短期間で成長した彼女は、
(均次くんは一体、どんな想いで…)
均次が辿ってきた苦節を想えるようになっており、自分を恥ずかしく思っていた。
昨夜、彼がどのようにして戦ってきたか聞きはしたが、あれは問い質す事が目的で、端から理解しようと思ってなかった──それを反省する彼女に向け、
まただ。来る。
容赦なく振るわれる。轟と唸り上がる蜘蛛の巨脚。一撃で終わらない。これには『攻』魔力塊が追随する。もはやお馴染みとなりつつあるこの【連撃魔攻】を見据える彼女の瞳はもう、絶望していない。
──確かに。
蜘蛛の脚は恐しく太く、小太刀では断ち切れない。
びっしりと生えた毛の一本一本までが異常に太く硬い。
地に当たれば当たり前のように削る強度と威力がある。かすっただけでも致命傷。シールドもろとも、肉も、骨まで削がれてしまうだろう。
だから完全に避ける必要があった。
それも糸を警戒しながらだ。大きく動けば糸に捕らえられる危険がある。
故に、
完全回避、だけでは足らない。紙一重で避ける必要まで加わる。
さらには小太刀で捌く事も許されない。硬く尖った毛に引っ掛かり、持っていかれるからだ。
こうした『完全かつスレスレの回避のみを要求され続ける』という状況は、香澄の精神を削りに削った。避けたところで何の成果も上がらず、現状維持しか許されないのだから、削れて当然であった。
そう、『どうしようもない』と諦めて当然。そんな状況でさらに小太刀まで失った。この巨蜘蛛に対して徒手空拳。それは絶望以上の絶望。
…そう、なるはずだった。
しかし、そうならなかった。
いやむしろ、小太刀を手放して良かった。
何故ならそれ専用の身体操作から解放されたのだから。
自分の両手はもっと自由に、いや、両足も。自在に動かせるものだという事にやっと、気付けた。
息もつかせぬ連撃を紙一重で回避し続けなければならず、なのに礫は避け切れず、小太刀や防具だけで防ぎ切れなかった礫は【MPシールド】で受け止めるしかなく、それ以外、何もかもが許されない。
それはまさに、『キロメートル単位上空で、ミリの太さしかない線上で、前にも後ろにも行けず、ただただ佇む、それしか許されていない、そんな状況』であった。それなのに──
それほどの負荷に恵まれながら…ッ、
何という、体たらく。
…そうだ。ゴブリンエリートダンジョンでは口酸っぱく忠告されたではないか。ジェネラル級やキング級という格上を相手にした時などは、叱られまでしたではないか。
それを思い出した香澄は蜘蛛の脚を避けながら…いや、避けられるのに、あえて積極的に捌きにいく。自らの手足を差し出して。
これは、無謀にして無駄な動き──本当に、そうだろうか。
香澄の【MPシールド】は均次ほどで分厚くはない。しかしそれを構成する『防』魔力と『精』魔力の数値は均次よりも遥かに高い。
そう、鋼の肉体を誇る均次よりも、小さく細い身体しか持たない香澄の方が『MPが枯渇しないまでは』と条件付くが遥かに頑丈であるのだ。
その頑丈な四肢に魔攻スキルを纏えば?
それも、武器を小太刀をから手刀へ変えた事により、【斬撃魔攻】と【衝撃魔攻】に【打撃魔攻】まで加わった三つ載せが可能となった。
それは、鋼を遥かに越えた強度となる。
つまり今の香澄は、その手足をもってして蜘蛛脚を逆に削るつもりで──踏み込んだっ!
迷いはない。
さきほどまでの自分を振り切るような前のめり。紙一重、視近ギリギリ、通過してゆく蜘蛛の脚、凶悪なそれに手刀を添える。これは回避の補助でなく、このまま…っ、
振りっ、抜くッ!──バリバリバリバリバリバリッッ!
攻防を兼ね備えた手刀はしかし、大袈裟な擦過音を鳴らしただけ。びっしり生えた毛に阻まれ、外甲殻に傷のひとつもつけられなかった。
いや、これでかまわない。
何故なら今のひと振りで【連撃魔攻】の魔力塊を打ち落としたのだから。
蜘蛛の魔攻スキルは【連撃魔攻】一つのみ。あの巨体だ。それで十分だったのだろう。それで追随するは『攻』魔力塊…そう、エネルギーの塊だ。そう呼べば強そうだが、破壊の力を秘めるといっても所詮は実体を伴わない。
対する香澄は素手とはいえ実体に魔攻スキルを三つも載せ強化に強化を重ねた重撃。打ち落とせて当然で…
「…?」
…おかしい。
蜘蛛脚から繰り出されるコンビネーションは【連撃魔攻】により魔力塊も追随随する。
つまりは前肢による二連撃に見える四連撃。それと中脚を交互に繰り出す、計八連撃。
その一撃一撃が礫を飛ばす。故に隙がなく、反撃も出来なかった。なのに、
(? 三撃目が…こない…)
不審に思って見上げれば、蜘蛛は動きを止めている。……いや、固まっているのか。
この蜘蛛が人間の表情を読み取れないように、香澄だって蜘蛛の表情は読み取れない。それでも分かった。
この蜘蛛は驚愕しているのだ。
それも無理はなかった。脚が無傷でも【連撃魔攻】は破られたのだから。この蜘蛛にとってこのスキルは糸に並ぶ戦術の要。この動揺は当然──それを察した香澄はじろり、蜘蛛を睨み直した。
その程度で驚かれては困ると。
何故なら『スキルの無効化』だけで終わらすつもりはないからだ。そう、真の狙いは、、、
『【打撃魔攻LV10】に上昇します。上限到達。【重撃魔攻】と【連撃魔攻】の二つから進化先を選んで下さい。』
「これ…っ」を待っていた。
そう、香澄の真の狙いは『スキル育成』にこそあったのだ。
敵が繰り出す即死級の攻撃。
それに立ち向かう無謀。
あえて攻撃を重ねゆく暴挙。
そんな死中にしかない膨大な負荷。
それを利用して無理矢理にスキルを成長させる、香澄はそんな無茶苦茶を成功させたのだが…それにしても、
「……こんな に?」
均次から『進化直前のスキルはレベルの上がりが非常に悪い』と聞いていた。
なのにこうもあっさり上がるとは…これは想像以上の結果でつまり、認めざるを得ない。
自分とこの蜘蛛の間には、【鑑定】で見て知ったレベル差以上に実力差があった事を。
だから思った以上の負荷となり、だからこれ程簡単にスキルレベルが上がったのだろう。
そしてそんな相手を単騎でしかも大した戦略もなく倒そうとした自分が、どれ程の無謀者であったかも理解した。
そして…均次の無茶を偉そうに嗜めていた自分を思い出し、恥ずかしく思った。
均次が前世から抱えてきた苦悩と苦労と、それを乗り越えやっとの想いで積み上げてきた実績、本来なら称えるべきそれら全てを、自分は頭ごなしに否定していなかったか。
実際に軽々しく否定して良いものではなかった。
香澄が今回ヒントとしたのは、均次が阿修羅丸戦で試した戦法だったのだから。
そう、あの豪腕から繰り出される強力無比な攻撃をあえて避けず、魔攻スキルでもって迎撃し、その負荷を利用してスキルの成長を狙った、あの戦法であるのだから。
この話を均次の部屋で子守唄代わりに聞いてなければ?とてもではないが、こんな無茶苦茶は思い付けなかった。
というより、思い付いても試さない。それほどに危険な行為だ。今回は追い詰められたからこうして試そうとしただけで…ともかく。
こうして真似てみて分かった事が、もう一つ。それは…
(均次くん…)
彼は、こんな死闘を当たり前としていた。
ただの常識に縛られた想像力では到底理解出来ない境地に彼はいた。
だからこそ、あれほど多くのスキルを、あれほどの高レベルまで育て上げる事が出来たのだ。
聞いただけで理解出来ないのはむしろ当然の事であったかもしれない。今さらに想う…彼は一体──
「──どんな 気持ちで───」
怖かったはず。辛かったはず。何もかも投げ出して逃げ出したい、何度もそう思ったはず。
あの悲壮は当然であった。それを分かってあげられなかった。不明を恥じる。しかしこの場面、反省だけでは終われない。今は、
「倣って、習う 時──」
今こそ均次の苦節と血道を、決死の演算でトレースする。
「均次くんなら、」
こうしたのではないか──いや、それをさらに発展させてゆく。肘から先に『攻』魔力を通わせながら、さらにとイメージを深めてゆく──手刀──これを武器と見立てるなら──その刃渡りは?肘から指先まで──厚みは?できるだけ太く、でも刃の鋭さを損なわない程度に──重さは?先端へ向かうほど少しずつ重く──そこから導き出される形状は?戦場使いの鉈──うん
「これがいい」
もう一度言うが大家香澄は元々が達人だ。こうした応用が利くのもそのためで、ここまで育った理由はシンプルに類い希なる戦闘センス、これにあった。
しかし、その全貌については彼女すら自覚してない部分があって──そう、『庄』の呪縛が邪魔をしていた。本来あるべき彼女の成長を止めていた。
その呪縛から解放してくれたのも…
( 均次くん… )彼だった。
こうして、彼女の真の戦能は開花…いや、開眼しつつあるのだが…しかし。
その開いた眼が見た均次の境地、それは決して…
…甘いものではない。




