Epilogue 東区に於ける変事
「何だと? 今、何と言った?」
「だからね、引っ越すことになったのよ」
「だが、肝心の金はどうするつもりだ? まさか、ワシに払えというつもりではあるまいな」
「何かね、寄付があったそうなのよ」
「寄付だと? 随分と胡散臭い話だな。かと言って、騙したところで誰が得するとも思えんが」
「騙すだなんて、ご領主様からのお達しなのよ。あり得ないでしょう」
「お人好しめが、そうそう都合の良い話があるものか。何か裏があるに違いあるまい」
「けど」
「まあ待て。少し調べてみよう」
「もう、話をちゃんと聞いて頂戴」
「何だ、まだ何かあるのか?」
「いえだから、引っ越せるようになったんじゃなくて、引っ越すことになったのよ」
「まさか、もう了承したのか? そんな怪しさしか漂っておらん話をか?」
「だって」
「……ハァ、呆れた奴だな。もう良い。領主を締め上げれば、魂胆も見えてこよう」
「乱暴しちゃダメよ」
「それは相手の態度次第だ。何人か残しておく。もしもの場合は頼れ」
「心配し過ぎだと思うのだけれど」
「オマエが安易に信用し過ぎなだけだ。もう行く」
「あんまり人様にご迷惑をかけてはダメよ」
「……やれやれ。他人の心配ではなく、自分たちの心配をしておけ」
妙な話は、何も彼奴に限ったことではない。
この東区全体が、どうにもおかしい。
人、物、そして金と、今までになく動きがあり過ぎる。
いったい何が起きている?
いや、何であろうと、身内に手を出す輩に容赦など不要。
そう、誰が相手であろうと、だ。
どういうことだ?
ますます訳が分からん。
どうしてここで、帝国が絡んでくる?
領主めを問い詰めてみれば、寄付は帝国からだとか。
帝国といえば、最近噂を聞いたな。
何でも、皇帝が代わったんだとか。
これまた妙な話だ。
まだ随分と年若かったはず。
病気か事故か、それとも謀殺でもされたのか。
皇帝に関する噂ならば、以前こんなものもあった。
皇帝は城から出ることが無いのだと。
所詮、噂は噂。
この目で見ない限りは、真偽のほどなど、確かめようもない。
帝国絡みで、それよりも以前の出来事となると、あの決戦か、もしくは小僧どもが調査とやらで来ておったぐらいなものだが。
この東区に関係がありそうなことと言えば、その調査とやらが怪しい。
何かを見つけておった?
狙いはこの土地そのものか?
ううむ、もっと早くに気が付いてさえいれば、小僧を問い詰めもできたのだが。
他に事情を知っていそうな者は……。
待てよ。
確か、王国側に小僧の協力者がいたはず。
その者ならばあるいは、何かを知っているかもしれんな。
「それで、どうだったの?」
「まだ子細は分からん」
「そうなの?」
「どうやら、帝国が絡んでいるらしい」
「あらあら。それじゃあ、寄付は帝国から?」
「そうらしい」
「まあまあ、それじゃあ、誰にお礼を言えばいいのかしら」
「……ハァ、呑気なものだな。何に巻き込まれているのやら、知れたものではないんだぞ」
「親切心に理由は必要かしら?」
「無償であればな。今回は金が動いている。ならば、誰かしらに利益が生じているはずだ」
「どうしてそんな風に育っちゃったのかしら。あの人はもっと大らかだったはずだけれど」
「先代は強かったからこそ、そのような振る舞いができたのだ。ワシは違う」
「そんなことは無いわ。自分に自信を持って」
「もう子供ではない。ワシの世話など焼こうとするな」
「そんな悲しいこと言わないで。ワタシにとっても、アナタは可愛い子供よ」
「むず痒くなるようなことを言うな。また来る」
「あ、姉御ー!」
「何か用か?」
「姉御に客ッス」
「誰だ?」
「えっと、ガクイン? がどうとかって言ってたッス」
「その程度のこと、忘れずに覚えて……いや待て、今、学院と言ったか?」
「多分、そんなこと言ってたはずッス」
「当てにならん奴めが。それで、客は何処だ」
「組合で待っててもらってるッス」
「分かった」
すぐさま戦士団組合に向かうと、見覚えのある人物が席についていた。
周囲の者は護衛と言ったところか。
「客とはアナタのことだったか。待たせて失礼した」
「いいえ。約束も無しに押しかけたのはこちらですから。どうか、お気になさらず」
「ワシに用向きがあるとか。此処で話せる内容か?」
「ええ、問題ありません」
「そうか」
ならばと、向かいの席に座る。
会ったのは、あの決戦の時以来になるか。
「壮健そうで何よりだ」
「ありがとうございます。アナタも、お変わりは無いようで」
「まあな。それで話とは? 態々出向くなど、よっぽどのことに思えるが」
「気構えは不要に願います。今回、ワタシの立場は学院の教師としてのものに過ぎませんので」
「ふむ?」
「実は近々、学院の制度を改定しようという動きがありまして。現在は貴族と魔術の資質を有する者に限定しているところを、もっと広く人材を募ろうという試みです」
「ワシに話を通すということは、獣人絡みか?」
「はい。種族の別無く、生徒を募るつもりです」
「獣人に物を教えると? 随分と酔狂なことだな」
「獣人は戦うためだけに存在するわけではない、とは知人の言葉ですが、ワタシも思いを同じくするところです」
「……人族と不用意に接する機会が増えるのは、あまり好ましくはないな」
「混血を危惧してのことですね」
「そうだ。が、よく分かったな」
「知人もまた、そこを危惧しておりましたから」
「ほう、随分と獣人に理解のある者のようだな」
「そうですね。随分と精力的に動いてもいるようです」
「……其奴、まさか帝国の者だったりはすまいな?」
「どうしてそう思われるのでしょうか?」
「最近、帝国が東区にちょっかいをかけているようだからな。獣人を懐柔するつもりか、もしくはこの場所から遠ざける魂胆か」
「フフッ、彼にそのようなつもりは無いでしょう。アナタもよく知る人物のはずです。お分かりになりませんか?」
「まさか──」
小僧、なのか?
それならば、養護院の件は腑に落ちもするが。
どうしてこんな、まどろっこしい真似をする?
「ええ。今は訳あって、帝国を離れることは難しいですが、こうして、王国のためにと動いてくれています」
「小僧に何が起こっている」
「お話することはできません」
「──何だと?」
「今はまだ。いずれ然るべき時が来れば、お分かりにもなりましょう」
「命の危険は?」
「ありません。その点に関しては、ご安心いただいて構わないでしょう」
「しかし帝国か……厄介だな。ワシらは入れんしな」
「それもいずれ、変わるかもしれません」
「……小僧はいったい、何に関わっているのだ」
「話を戻しましょう。学院への獣人の入学に関して、御一考願います」
「難しいな」
「具体的には、どういった点にご懸念があるのでしょうか?」
「ワシらは群れで行動する。しかし、子供だけの群れなど、作らんし作らせはせん」
「なるほど。種族の性質に対する配慮は必要不可欠でしょうね。であれば、教員に獣人を招くとしたらどうでしょうか?」
「無茶を言うな。ワシらに何を教えろと?」
「獣人としての全てを。学院とは何も、人族の考えばかりを押し付ける場ではありません。エルフにも獣人にも、理解を深め合うには最適の環境と考えます」
「その結果、混血が増えそうにも思えるがな」
「かもしれません」
「おい!」
「推奨するつもりはありませんが、過剰な干渉もまた、すべきでは無いでしょう」
「混血による弊害は、既に表面化しておる」
「育児の放棄ですね」
「む? それも知っているのか」
「多少ですが、関わったことがありました」
「ならば分かるだろう!」
「誰しも、いきなり人の親足り得ません。親は親として、在り方を学ぶ場が必要ではないでしょうか」
「親としての学びとやらが、その実、親になることそのものだとでも? バカを言うな」
「それは極端に過ぎますが、そういった方面の教育についても施すべきかと。想像と現実は異なります。いざなってからでは、やり直しなど効かないのですから」
「獣人の成長速度は、他の種族とは異なる」
「存じております」
「徒に性への衝動を誘発するだけではないのか?」
「もちろん配慮はすべきでしょう。自制心を学ぶこともまた重要なことかと」
「言うは易し、だな」
「全ての問題を事前に防ぐ術はありません。問題とは起こるべくして起こるもの。その都度、最適な対処法を模索していく必要があります」
「確かにな。此処でウダウダとのたまったところで、何が解決するでもないか」
獣人は頭が悪い。
物を知らな過ぎる。
容易く騙される者が多いのは確かだ。
その要因のひとつには、心と体の成長速度の違いもあるのだろう。
如何に見た目が大人びていようとも、中身は子供のままというのは、別段珍しいことでもない。
群れの中にいればこそ、抑止することはできる。
だが、外に出るならば、人と関わるならば、そうはいくまい。
今のままでは、問題は問題のまま残ってしまう。
より良い環境を、関係を望むのであれば、変わる必要がある。
「この話、一度持ち帰らせてくれ。先代の意見を伺いたい」
「もちろん構いません。熟考の上、お返事いただければ幸いです」
「相分かった。返事はどうすればいい?」
「しばらく、領主の所に滞在するつもりです。間に合わないようであれば、お手数をお掛けしますが、王都の学院をお訪ねください」
「それについても承知した」
「大変有意義なお話ができました。また、こうした機会を設けられることを願っております」
「ワシはどっと疲れたがな。こうしたことには向かん」
「ご謙遜を。実に賢明なお答えを幾つも頂戴できました。目の覚める思いです」
「皮肉にしか聞こえん」
「本心です。他意は含んでおりません」
席を立ち、腰を折って頭を下げる。
「小僧のこと、よろしく頼む」
「そのような真似をなさらずとも」
「ワシの家族なのだ。どうか、小僧の力となってやってほしい」
「彼によって、世界共々救ってもらいました。できる限りの協力をお約束いたします」
小僧の言っていた王国側の協力者とは。
「そうか、アナタだったのか」
「お2人の再会が1日でも早く訪れるよう、願っております」
「姉御? どうかしたんスか?」
「何がだ」
「何となく、機嫌良さそうに見えるッス」
「気の所為だろう。ほれ、付いて来い。人手が要る」
「え、何スか⁉ 何させられるんスか⁉」
「引越しの手伝いだ」
「それって、姉御が胡散臭がってたヤツッスよね? もういいんスか?」
「ああ、問題は無かった。何もな」
「そうッスか。それなら良かったッスね」
「そうだな」
「それでご機嫌だったんスか」
「どうだかな。無駄口は終いだ。走るぞ」
「ういッス」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




