Epilogue 魔術局帝国支部
どうにも此処は、息が詰まって仕方がない。
他の者たちは、そう感じたりはしないのだろうか。
1日中屋内に、地下に居続けるなどと。
今日も今日とて、外の空気を吸いに階段を上ってゆく。
あの決戦を終えるまでは、覚悟に微塵の揺らぎもありはしなかった。
だが、今はどうだ。
こんな環境がずっと続くなど堪らない。
耐えられる気がしない。
ならば、選択を間違えてしまったのか。
学友と共に闘うことではなく、世界を見て回ろうとしていたなら。
少なくとも、こんな気持ちを抱くことにはならなかったはず。
「……ハァッ」
最近、溜息が癖付いてしまっている。
良くないなと自分でも思ってはいるのだが。
ああ、故郷の南区が、あの自然が恋しい。
「んんんーーー!」
肺いっぱいに空気を吸い込み、鬱屈した気分諸共に吐き出してゆく。
外にすら出ることが叶わなかったなら、きっと数日も居続けられはしなかったに違いあるまい。
本当に息が詰まる場所だ。
「や、やっぱり、今日もいらしたんですね」
「ええ。そういうアナタこそ」
馴染み深い顔が出迎えてくれた。
この者との付き合いも、もう随分と長くなる。
エルフの耳や獣人の毛など、自身に無いモノに対して、尋常ならざる執着をみせている、少々変わったところもあるが。
それでも、良き友人には違いない。
そう、この場には居ない彼女も含めて、かけがえのない友人たちだ。
「え、えへへ。ど、どうにもまだ慣れなくて」
「学院の延長線上かと思っていましたが、こうも環境がガラリと変わってしまうとは。思ってもみませんでした」
「そ、そうですね」
「こうしてみると、彼女が羨ましくも思えてしまいますね」
「え、ええっと?」
「魔術の資質さえ無ければ、このような場所に身を置くことも無かったはず」
「あ、ああ、そういう意味でしたか」
「ご実家に帰れなくて、残念でしたね」
「え、ええまあ。で、でも、皆さんも同じなわけですし」
「こんな未来を望んでなどはいなかった」
「え、エルフさん……」
「……すみません。不要な発言でしたね」
「あ、あの、あんまり思いつめないでくださいね。う、ウチで良ければ、いつでもお話をお聞きしますので」
「ええ、ありがとう。ワタシは良き友人に恵まれました」
「そ、そう言われると、照れちゃいますけど」
来る日も来る日も、知識を叩き込まれる。
読み書きができない分、誰かから口頭や実践で教わるしかないため、自分のペースで行えもしない。
疲れてゆく。
淀んでゆく。
沈んでゆく。
こんな日を迎えるべく、今まで生きてきたのか。
こんな日々を続けることが、自分の人生なのか。
苦しい。
息が詰まる。
誰か、誰でもいい。
どうかワタシを、此処から救い出してください。
「──また随分と暗い表情をしていますね」
眼鏡をかけた、仄かに青みがかった短髪の女性。
確か、この組織で二番目に偉い人ではなかったか。
直接の上長でもないのに、どうして。
「ワタシのことは、どうかお構いなく。それよりも、本題に移ってください」
「分かりました。お2人をお呼びだてしたのは──」
不自然な間が空く。
長い、長過ぎる。
「し、したのは?」
「一緒に帝国に行きませんか?」
「は?」
「ふぇ?」
「──なんて、いきなり言われても戸惑ってしまいますよね。順を追って説明しましょうか」
「……お願いします」
「つい先頃、皇帝が交代なされたのはご存じでしょうか?」
「う、噂には聞いてます」
「新しい皇帝は、とても開明的でおられまして、この度、魔術局の支部を帝国に、という計画が進行中なのです」
「す、凄いこと……なんですよね」
「それはもう! 帝国は、魔術に対して懐疑的な立場を崩すことはありませんでしたからね。これには、先の大戦の影響も少なくはないのでしょう」
「では、ワタシたち2人をその支部に、と?」
「そのとおりです」
一瞬、ほんの一瞬だけ期待してしまった。
外に出られるのではないか、と。
でも違っていた。
また違う檻に移し替えられるだけのこと。
「何故、ワタシたちなのですか? 直接の面識は無いと記憶していますが。加えて、人族以外は入国すらもできないと聞き及んでいます」
「もちろん理由ならありますよ。片や、王国有数且つ帝国との交易も盛んな商家出身。そしてアナタはエルフ、先の大戦で多大な功績を残した、ね」
「それはエルフ領の者たちのことでしょう。ワタシではありません」
「ええ、知っていますとも。ですが、知らぬ者も多い。単にエルフの協力があった、という事実のみが広がっているでしょうね」
「ワタシに代わりを演じろと?」
「そうではありません。今のは、相手が勝手にそう捉えるかも、というだけのお話に過ぎません」
「では、真意は?」
「人族以外の者が帝国に入る。それは、アナタが想像する以上に、大変意義深いことなのです。何せ、前例など一度とてありませんから」
「相応しいエルフなら、他にもいるでしょう」
「何を以て相応しいとするかにもよりますね。ワタシがお誘いしているのは、他の誰でもない、アナタです」
「あ、あのぅ、ウチからも質問していいですか?」
「ええ、構いませんよ」
「そ、その支部というのは、もう建物はできあがっているのでしょうか?」
「いいえ。現在、帝都にて大規模な改修作業が行われているそうでして。ならばついでにと、支部も建設していただこうかと」
「じゃ、じゃあ、完成するまで、帝国には向かわないのでしょうか?」
「建物の利便性を考えるならば、建設時に立ち会うのが理想的でしょうね。聞くのと見るのとでは、やはり違いますし」
「つ、つまり、建物ができあがるまでの間は、外で生活できるってことでしょうか?」
「そうなりますね」
「──ッ⁉」
外に出られる⁉
この友人が聞き出したかった情報はこれだったのか。
「分かりました。お引き受けします」
「う、ウチも」
「ありがとうございます! フフ、きっと彼も驚くことでしょうね」
「彼?」
「ダメですよ? 独り言は、たとえ聞こえてしまっても、尋ねたりしてはいけません」
「そういうものなんですか」
「そういうものなんです」
何か良からぬ企みが?
いいや、今は構うまい。
外に出られる。
それだけで十分過ぎる。
ああ、やはり素晴らしい。
馬車に乗ることにすら、感動を覚えてしまう。
撫でつけてゆくのは、淀みのない外の空気。
土の、植物の、動物の、人の、雑多な匂いが鼻孔を刺激する。
「随分と嬉しそうですね」
「ええ、とても。誘っていただき、感謝します」
「どういたしまして。もっとも、感謝されるには早過ぎるとは思いますけどね」
「み、耳がピクピク動いてるので、かなりの上機嫌だと思います」
「まだ帝国にすら着いてはいないのです。今からはしゃいでいては、すぐに疲れてしまいますよ」
ずっとこうしていられたなら、どれほど素晴らしいことか。
帝国になど、着かなければいいのに。
「──え? アンタたち、何で此処に居るわけ?」
「アナタこそ、どうして此処に?」
幾日もかけて到着したのは、立派な館だった。
この近くに、例の建設現場とやらがあるらしい。
のだが、思いがけぬ人物との再会を果たしていた。
「あら、どうやら局長に先を越されてしまったようですね」
「……これはいったい、何のつもりですか?」
「魔術局の支部に、将来有望な人材をスカウトしたまでのことです」
「嘘ですよね」
「こんな嘘吐きませんってば」
副局長と話している男性。
彼には見覚えがある。
教導の時と決戦の時に会った人物に相違あるまい。
これは偶然?
それとも、何か意味があってのことなのか?
「──ってわけでね。此処でお世話になってるのよ。で、アンタたちこそ、どうしたのよ?」
「う、ウチたちは、魔術局の支部が新設されるそうなので、その人員として来たんですよ」
「魔術局って、お母様の? お母様もいらしてるの?」
「い、いえ、同行しているのは、副局長さんです」
「そう。残念だわ。久々にお会いできるかと思ったんだけど」
「そ、そんなに長く此処に居るんですか?」
「そうね……かれこれ一ヵ月ほどかしら」
「な、なら、ちょっと大げさじゃないですかね」
「お母様とこんなに長くお会いしてないのは、初めてのことだもの」
「う、ウチなんかずっと、ずーっと会えてませんよぅ!」
「ちょ、そんな顔しないでよね。悪かったってば」
「──フフ」
卒業してきりだったが、こうして揃えば、もうすっかり昔のままだ。
「その様子じゃあ、まだアレは見てないみたいね」
「な、何のことですか? も、もしかして怖い系の話だったりしますか?」
「最初は怖いかもしれないわね。慣れればどうってことなくなるけど」
「こ、怖いなら見たくないですぅ」
「まあまあそう言わずに。大丈夫、噛んだり引っ掻いたりなんかしないから」
「な、何が待ち構えているんですか⁉」
「あまり怖がらせないであげてください。意地悪が過ぎますよ」
「同じ気持ちを共有したいってだけよ。悪意はこれっぽっちも無いんだから」
良かった。
彼女に変わりはないようだ。
卒業前は、将来について思い悩んでいた風に見えたのだが。
「きっと驚くこと間違いなしよ。精々覚悟を決めておきなさい」
「ぎゃーーー! ま、魔獣ぅーーー!」
『うおぅ⁉ いきなりの暴言を浴びせられましたか⁉』
「これは──」
キラキラと光を反射しているのは、鮮やかな青の群れ。
決戦の折、遠目に見た存在たちと、形状がほぼ相似している。
「精霊の魔術とは、係わりは無いのですよね?」
「はい。この大地の外から来たそうです」
「未だ現存する個体が居るだなんて。こうして目の当たりにしても、俄かには信じられませんね」
「他にもたくさんいるそうですよ」
「そうなんですね。大地の外ですか。想像もつきませんね」
「ええ、全く」
あちらはあちらで、興味深い話をしているようなのだが。
まずはこちらの収拾に努めるべきだろう。
「はいはいどうどう。少しは落ち着きなさいってば」
「いーーーやーーー!」
「本当に魔獣だったら、そんなに叫んだら一瞬で食べられてるわよ」
「殺気も闘気も感じられません。敵意はありませんよ」
「い、いいい、いやいやいやいや」
『がおー!』
「ぴぎゃーーーーー!」
「アホか! 何やってんだオマエは!」
『ま、またぶちましたね⁉ パピーにもマミーにも──』
「喧しい!」
「ちょ、ちょっとキミ⁉ そんな真似をして、大丈夫なんですか⁉」
「いいんですよ、このぐらいで。口で言ったぐらいじゃあ、聞きやしませんから」
『良くないです! 全然良くないですよー! 暴力反対です! DVです! DQNです!』
実に騒がしい。
いや、この場合は、賑やかと表現すべきなのか。
此処はどうやら、息苦しさとは無縁のようだ。
場が落ち着きを取り戻したころ、意を決して声を掛けてみることにした。
「少し、お時間をいただいても構いませんか?」
「あ? 俺か?」
「はい」
「まあ、別に構わないが」
『ヒューヒュー』
「まだ懲りてないのか? あ?」
『ひいぃ』
竜。
伝承に謳われる存在。
こうして実在していたことも驚きではあるが、その超常たる存在に対し、物怖じしないこの人物も相当なものだ。
皆から少し距離を取った場所で足を止める。
「どうしても、ちゃんとお礼を述べておきたかったもので。命を助けていただいて、ありがとうございました」
「……人違いじゃないのか?」
「ワタシはエルフ。目や耳は良いのですよ」
「……だったな」
「もしかして、エルフのお知り合いが?」
「あー、まあ、そんなとこだ」
「そうでしたか。先に来ていた彼女は、もう?」
「いいや、気付いちゃいないさ。それでいいんだ。恩に着せるつもりなんて、元から無いしな」
「アナタがそう仰るなら、余計な真似は控えましょう」
「そうしてくれると助かる」
「……つかぬことをお聞きしますが、何処か調子を崩しておいでなのでしょうか?」
「あ? いや、そんなことはないが。どうしてそんなことを聞く?」
「以前とは纏う気配が違っていたもので」
「なるほどな、そういうことか。こっちが普通なんだよ。前のほうが異常だったもんでね」
「そうでしたか。不調でないなら何よりです」
「話は済んだか?」
「いえ、できれば後もうひとつだけ、伺わせていただきたいことがあります」
「何だ?」
「ワタシたちが魔獣討伐の訓練を受けていたころの話です。あの時のアナタの様子、尋常ではありませんでした」
「そうだったか?」
「はい。思い詰めているように見えました。しかし、ワタシにも彼女にも、思い当たる節がありません。それがずっと疑問だったのです」
「忘れちまえ。オマエたちには関係の無い話だ」
「嘘ですね」
「……何だと?」
「目は良いと、先程言ったはずです。アナタの目は、未だ拭えぬ後悔の色が見て取れます」
「どんな目だよ」
「ワタシの目を覗き込んでみますか?」
「……いや、遠慮しとくよ」
「誰かに打ち明けることで、楽になることもあると聞きます」
「余計な世話だ」
「そうですか。では、また明日伺います」
「あ?」
「それでダメなら翌日に。それでもダメなら──」
「待て待て待て待て。いったい、何のつもりだ」
「ワタシは命を救われました。助けていただきました。であれば、ワタシもアナタを助けたい」
「助けてほしいことなんて無いっての」
「……ふむ、今の言葉に嘘は無さそうですね」
「オマエなぁ……」
「気が向いた時で構いません。これから長い付き合いにもなるのでしょうし」
「……ったく、変わらねぇな」
「先程も言いましたが、耳も良いのです。独り言は控えるべきかと」
「やれやれだ」
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