Epilogue 訪れた機会
「お母様ッ!」
「何度請われようと、ワタシの答えは変わりません」
「どうしてですか⁉ ちゃんと戦えます!」
「もう戦う必要などありません」
「まだ魔獣の脅威は残っているではありませんか!」
「アナタのすべきことではありません。引き続き、花嫁修業に勤しみなさい」
「嫌です!」
「……ふぅ。どうしてそう、聞き分けがないのですか」
「認めてくださったからこそ、あの戦場に参加させていただけたのではないのですか⁉」
「アナタがしたこととは何でしたか?」
「それは……」
「あの戦場に於いて、アナタの役目は魔獣と戦うことでしたか?」
「……いえ、違います」
「人にはそれぞれ、果たすべき役目があります。成程確かに、アナタは見事役目を果たしてみせました。それはワタシも認めるところです」
「では」
「ですが、アナタを含めた学生が担ったのは、戦闘そのものではなく、戦闘の支援だったはず。それを逸脱し、壁の外へ赴いたとも聞き及んでいます」
「あれは! あれは、人を助けるためで……」
「壁外の救助活動を指示されたのですか?」
「……いいえ」
「ならば、与えられた指示を無視し、独断行動を取ったということですか?」
「人を助けるためです! それの何がいけないと仰るのですか⁉」
「分かりませんか? アナタの役目ではないからです」
「役目って……それでは、見捨てるべきだったと仰るのですか? それが正しい行いだと?」
「役目を逸脱した結果、どうなりましたか?」
「人を助けられました」
「何の問題も起きることなく、でしたか?」
「…………」
「誰かのために動けること、それ自体は誰にでもできることではないでしょう。むしろ美徳であるとも言えます。それが本心からの行動であったのであれば」
「…………」
「アナタは先程言っていましたね。戦えると。壁の外へと出たのは、本当に人を助けるためでしたか?」
「そうです」
「己が力を誇示するためではなかったと?」
「もちろんです!」
「人助けは口実に過ぎず、魔獣と戦うべく出て行ったわけではないのですね?」
「はい!」
「……いいでしょう。アナタの言葉を信じましょう」
「であれば、お母様」
「なりません」
「う」
「今、こうして命があるのは、偶然が重なった結果に過ぎません。アナタの実力などではなく、です」
「ならばせめて、機会を与えてくださっても良いではありませんか!」
「機会とは?」
「魔獣と戦う機会です。幼生体ならば、斃してみせます」
「アナタ1人でですか?」
「はい」
「……ふぅ。いったいその自信は、どこから生じているのでしょうね」
「お母様!」
「予定とは随分異なりますが、こうなっては仕方ありませんね」
「で、では」
「帝国へ繋ぎをつけましょう。幸い、現在の皇帝ならば、多少の融通は効きます」
「……え、あ、あの、それはどういう」
「騎士とは、魔獣を斃せる者に他なりません。彼ら彼女らと剣を交えれば、自身に実力が伴っているか否かを知る、よい機会となることでしょう」
「魔獣ではなく、騎士と戦えと仰るのですか?」
「不満ですか?」
「当然です!」
「先だっての決戦に於ける王国の死傷者数は、帝国の数倍に上りました。それはつまり、戦士よりも騎士のほうが強いということでしょう」
「それはそうかもしれませんが」
「学院にて、戦士からの教えは授かったはず。であれば今度は、騎士から学んでみせなさい」
「では、騎士を打ち倒すことができたなら、お認めいただけるのですか?」
「一考はしましょう」
「お母様!」
「これ以上の譲歩はあり得ません。機会は与えました。活かすも殺すもアナタ次第です」
「……分かりました、行きます」
「結構。期間は……そうですね、帝国の返事を待ってからとなると、月頭から一ヵ月……いえ半年、余裕をもって1年としましょうか」
「そんなに長く、ですか?」
「期限となっても、帰国するか否かはアナタの判断に委ねます。よくよく熟考し悔いの残らぬように」
「えっと、その、いくらなんでも大げさ過ぎではありませんか?」
「不満ですか?」
「……いえ。機会をお与えくださり感謝いたします、お母様」
「──できることなら、もっと準備を済ませてから逢わせてあげたかったのですが。ままなりませんね」
「あの、何か?」
「コホン、こちらの話です。足は手配しましょう。ですが、帝国では単身で行動してもらいます」
「はい、それで構いません」
「では、それまでの間は、花嫁修業に集中なさい」
「え」
「返事が聞こえませんでしたが」
「……はい」
此処が、帝都。
町並みこそ、似た印象のようだけれど。
活気、いえ、住民1人1人の気配が、王都とはまるで違うわね。
此処で1年間も1人きり。
ううん、やってやるわよ。
それにしてもお母様ったら。
出発の直前まで、何度も励むようにとばかり仰って。
あれはいったい、何だったのかしら。
「黒髪に赤毛交じりの女、見つけた」
「ひッ⁉」
突然生じた気配に、思わず身が竦み上がった。
「王国の人。合ってる?」
「え、ええ、そうだけど」
周囲の人たちとは、また違った気配を感じる。
強さの程度が測れない。
まるで空の果てを窺っているような、そんな錯覚を起こしもする。
加えて、とんでもない美人だ。
あのエルフで慣れたつもりだったけれど、彼女以上に整った顔立ちをしている。
世の中には、こんな人族も存在するのか。
何と言うか、完璧過ぎて、一緒にいるのが気恥ずかしくなってくる。
「案内、頼まれた。行く」
「あの、アタシ、此処には騎士と戦うために来てて」
「聞いた」
「もしかして、アナタも騎士なの?」
「そう」
案内があるなんて話、お母様からは聞かされてはいなかったのだが。
人攫いって雰囲気ではなさそうなんだけど。
いきなり信用して良いものかしら。
「来ない?」
まあいいか。
なるようになるでしょ。
「それじゃあ、案内よろしく」
「ん」
宿で2泊を挟み、案内された先は、小高い丘のような場所。
余程の災害にでも見舞われたのか、丘の先では、広範囲に渡って地面が深く抉られているようだった。
「連れて来た」
「おう」
そこにとんでもないモノが居た。
青い魔獣。
しかも、成体なんかよりも、何倍も大きい。
「な、ちょ、それ、魔獣!」
「違う」
「どう見ても違わないでしょ!」
「竜」
「いや、だから──」
『キターーーーーッ! どれどれ、お顔を拝見』
「ひいぃッ⁉」
巨大な頭部が、こちらを喰らわんと迫る。
『ほっほぉー、こういう子が好みと』
「黙れ駄竜」
怖い、恐ろしい。
戦うことも逃げることも、できやしない。
ただただ、その場に立ち尽くすだけ。
けれどもどうしてだか、あの戦場で味わったモノとは、種類が異なっている。
息ができぬということもない。
「……襲ってこない、の?」
「ん」
『おや、驚かせちゃいましたかね? 襲ったりなんかしませんよー』
「いったい何なのよ、コレ」
『コレ呼ばわりは酷いです! 失礼しちゃいます! マジヤバです! どこからどう見ても、歴とした竜でしょうに』
「りゅう……? ってか、え? 喋ってる?」
理解が追い付かない。
りゅう? りゅうって何だっけ?
コレ、魔獣じゃないわけ?
『エッヘン! どうです? 凄いでしょう? ビューティーでマーベラスでしょう?』
「初対面相手にがっつくな。悪いな、あんま気にしないでくれ」
「気にするなって言われても……」
案内してくれた美人の他に、目付きの悪い男が立っていた。
んんんー?
何となく、見覚えがあるような、ないような。
「アナタは?」
「……ま、覚えられちゃいないか」
『あらら』
「局ちょ──コホン、母親から世話を任されたってとこかな。まあ、大抵は他の連中任せになるだろうけどな」
「はあ」
「……しっかし、何だって相手まで指定してきたんだか」
「あの、何か?」
「頼まれたのは、強い騎士と戦わせてやること。間違いないか?」
「え、ええ。アナタ、お母様の知り合いなの?」
「まあな。昔、世話になったんだよ」
「ふーん」
昔、ねぇ……。
アタシと同い年ぐらいに見えるけど、どういう知り合いなのかしら。
「俺の訓練の合間にでも、相手をしてもらうといいだろうさ」
「つまり、アタシは誰と戦うことになるわけ?」
男の目線を追う……までもなく、この場に居るのは、もう一人だけ。
「その女、何なわけ? 普通じゃあないわよね」
『ウヒョーーー! 修羅場の予感、ビンビンです! ギンギンです! バッキバキです!』
「ひッ⁉」
またあのデカいのが騒ぎ出した。
反射的に身が竦む。
「うるせぇ!」
男が信じられない行動を取ってみせた。
あろうことか、巨体相手に、平手打ちをかましたのだ。
『ぶ、ぶぶぶ、ぶちましたねー⁉ パピーにもマミーにもぶたれたことないのにー!』
「こっちの手のほうが万倍も痛いわ!」
何か、気が抜けた。
強張りが解れる。
いちいち怖がっているのがバカらしくなってくる。
「色々とよく分からないことだらけだけど、相手になってくれるわけよね?」
「そう」
「これからしばらくの間、お世話になるわ」
「ん」
強いなんてものじゃない。
強過ぎる。
底が知れない。
何もかもが通用しやしない。
ただただ翻弄され圧倒される。
「終わり?」
「……いいえ、まだまだこれからよ!」
「ん」
「キャッ⁉」
一撃、一閃、一挙動。
それでお終い。
手に足に、痺れが残る。
相手が剣を狙わず、他の箇所を狙っていたのなら。
幾度、命を失ったことだろう。
「そろそろ交代にしようぜ」
「邪魔しないで。まだアタシの番よ」
「けどよ」
「うっさい。引っ込んでなさい」
「へいへい」
『またまた振られてしまいましたねー』
「妙な言い回しすんな」
外の情報は不要。
相手の情報だけを取り込む。
音と色が消える。
訪れるのは静寂。
どれだけ集中しようとも、初動すら捉え切れない。
後手に回ってはダメだ。
先制する他、手は無い。
「はあああああああ!」
気合い一閃。
彼女の体を、僅かの抵抗も無く通り過ぎる。
残像。
いったい、いつから⁉
「ぐはッ⁉」
強かに打ち据えられたのは背中。
いつの間にか背後に回られていた。
世界に情報が戻る。
『うひー、見てるだけで痛いですねー』
「お、今度こそ俺の番だろ」
『あー、いやー、そうでもなさそうですよー』
「あん?」
「──随分とご執心ですわね」
「んげ」
「そのやる気のほんの一部でも、こちらに傾けていただけたら有難いのですけれど」
また黙って出て来ていたのか。
ホント懲りないわね。
にしても彼、いったい何者なのかしら。
フラフラと暇してるかと思えば、こうして連れ戻されたりもしているし。
まあ何にしろ、女に頭が上がらない男なんて、情けない限りだけど。
「休憩だよ休憩。またすぐ戻るつもりだったんだよ」
「そう仰って戻られたことは、記憶にある限り一度もございませんのですけれど」
「そんなことは……ない、はずだ」
「──ワタクシのことがお嫌いですか?」
「そういうのはやめろ」
「コホン。ともあれ、お戻り願います」
「へいへい」
『完全に尻に敷かれてますねー』
「るせぇ」
ホント、情けない奴。
無能な主人に仕えるなんて、可哀想に思えてならないわ。
深夜。
喉の渇きを覚え、廊下に出る。
「「あ」」
と、昼間、迎えに来ていた女性とバッタリ出くわした。
「こんな夜更けに、どうかなさいましたか?」
「あ、その、ちょっと水を貰いに」
「そうでしたか。何でしたら、持って来させましょうか?」
「ううん、大丈夫よ」
「分かりました。では、これにて失礼いたします」
「あ」
「……何か、他にご用がございましたか?」
「えっと、その、アナタも大変よね」
「と、仰いますと」
「いっつもいっつも、あんな主人の世話ばかり焼かされてるじゃないの」
「……あんな?」
「情けない奴よね。こんな仕事、嫌になったりしないの?」
「あり得ません」
「そ、そう」
あまりの迫力に、思わずたじろいてしまう。
「陛──コホン、彼は大変素晴らしい御方です。この世に二人といらっしゃらないほどに」
「へー。あ、もしかして、好きだったりするとか。いや、それこそまさかよねー」
「もちろん。お慕いしております」
「──へ? そ、そうなんだ。さっきは悪く言ってゴメンなさい」
「……どうしてこのような方を」
「えっと」
「ワタクシからもひとつ質問を。よろしいでしょうか?」
「え、ええ、答えられることなら」
「彼とはどのようなご関係で?」
「は? 関係? いや、どのようなも何も、他で会った覚えは無いんだけど」
「本当ですか?」
「た、多分」
「……では勘違い? いえ、そんなはず」
「あー、えっと、2人の邪魔をするつもりはないから」
「……であれば、さっさと帰国してくだされば良いものを」
さっきから、聞き取れないぐらいの小声で、独り言を何度も零している。
ちょっと無神経が過ぎたかもしれない。
「──どうかしたのか?」
「「ッ⁉」」
不意の声に2人して身を震わした。
「……そんなに驚かなくたっていいだろ」
「い、いいい、いつからそこに⁉ 何をしていらしたので⁉」
「夜の散歩の帰りだよ」
「って、また無断で外出されていたのですか⁉」
「護衛なら付いてたぜ。頼んでもいないんだがな」
「もう! そういう問題ではありませんわ! いい加減、ご自分のお立場を──」
「夜中なんだ。大声は控えてくれよ」
「──ッ⁉ し、失礼致しました」
「というわけだ。もう寝ようぜ」
「……へぇ、そうやって女性を部屋に連れ込むってわけね。サイテー」
「あ?」
「じゃ、アタシはもう行くから。どうぞごゆっくり」
「いえあの、ちがッ」
足音も荒く歩み去る。
あーもう、何かムカムカする。
明日もアイツが顔を見せようものなら、訓練相手を変更してやろうかしら。
既視感、なのかしら。
以前に会ったことがある?
けど、いったい何時何処で?
あの女の人に指摘されてからというもの、妙に気に掛かる。
いつもと同じように、館を抜け出して来たらしい男。
今は、あの銀髪の美人と訓練……というか、一方的にのされている。
まあ、それに関しては、アタシも人のことは言えないけど。
「あー、クソ。やっぱ全然動けてないな」
「前より、遅い」
「だよなぁ。ま、これが実力だったってわけなんだろうが」
ホント、情けない奴。
まるで、前は強かったみたいなこと言っちゃってさ。
みっともないったらありゃしない。
「もういい加減懲りたでしょ? さっさとアタシに代わりなさいよね」
「いいや。どうせ迎えが来れば終いになるんだ。ギリギリまでは俺がやる」
幾らやっても無駄だって、気付いてないのかしら?
感覚で分かる。
あの男は、これ以上強くなれはしない。
帝都で見た住人のほうが、よっぽど強いくらいなものだし。
「諦めたら? アンタ、強くなんてなれないと思うわよ」
『うわぁー、相変わらず辛辣ですねぇー』
「強くはなれなかろうが、この弱さには慣れとかないとな。いざって時に、判断を間違えちまう」
「何よそれ。訳分かんないんだけど」
「今の俺にできることとできないことを確かめてるんだよ。後はそうだな、ずっと訓練ばっかやってたからな。やらないってのはどうにも据わりが悪い」
ふん、言い訳がましい。
何でこんな奴が気になってるんだか。
顔に見覚えは無いと思うんだけどなぁ。
背中。
そう、あの背中を見てると、妙な感覚になるのよね。
何でなのかしら。
「──ねぇ」
「あんま話し掛けんなよ! こちとら余裕無いんだっての!」
「前にどっかで会ったことある?」
「ぐぼぉッ⁉」
『あーあ、今のはまた一段と綺麗に入りましたねー』
そんなわけないわよね。
うん、そうよ。
やっぱり気の所為なんだわ。
あんな弱い奴の背中が、あの時助けてくれた人と同じだなんてあり得ないもの。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




