69 皇帝襲撃未遂
全騎士が動員されるとあって、その準備には相応の時間を要していた。
赤竜に手紙を託した後、爺さんに接触すべく城内を捜し回る。
少数精鋭というならまだしも、千人規模からなる大軍勢。
日帰りなどでは当然なく、何日掛かるかも分からない。
死傷者がいったいどれだけ出ることか。
治癒魔術師だって居やしないのだ。
すぐに助けられるはずもない。
せめて、王国との協力態勢を敷くべきだろう。
できれば、夜営の場所を北壁の内側。
少なくとも、北壁付近にすることで、夜間の被害を抑えられもするはず。
何せ、地上のみならず、地中からも襲われる危険性を孕んでいる。
そんな場所で、おちおち寝てもいられまい。
それこそ、二度とは目覚められない。
「そのような戯言を聞かせるために、この忙しい最中、呼び止めおったのか」
「あ? 戯言だと?」
「そうであろう」
「どこがだよ」
「分かっておらんのか。どうにも頭の回りが悪いようじゃな」
「いいから説明しろ」
「いったい何様のつもりじゃ。まあ、幾度も絡まれても面倒か。仕方がないのう」
これ見よがしに溜息をついてみせる。
「よく考えてもみよ。王国から魔族領の端まで、如何程の距離があると思うておる」
「それが何だってんだ」
「察しの悪い奴じゃのう。1日で往復できるはずもなかろうが。いちいちそんな真似をしておったら、未来永劫辿り着けんわい」
そうか、そういうことか。
どうしたって、王国から離れた場所で夜営せざるを得ないわけか。
「ようやっと理解が及んだか?」
「……ああ」
「都度、陣営を構築しておきたくもあるがのう。ともあれ、場所が場所じゃ。戦力を分けるのは愚策じゃろうしな」
「色々と考えてはいるわけか」
「当前じゃろうが。一兵たりとも無駄死になどさせられんわい」
「城に居る連中も連れていくんだよな」
「もちろんじゃ」
「戦力にならないのにか」
「随分な物言いじゃのう。よもや、嬢たちと並び立っておるなどと、勘違いをしとりゃあせんか?」
「碌に魔獣と戦えないなら、居るだけ邪魔だろ」
「全員が卒業試験を合格した者たちなんじゃぞ。戦えぬというわけではあるまい」
「それは幼生体が相手の場合だろ。成体じゃあ結果はひとつきりだ」
「なるほど、世辞にも戦闘向きとは言えんのう。であれば、輜重隊とするまでじゃて」
「しちょう……食料なんかを運ばせるってことか」
「適材適所。他の者は存分に戦えよう。これならば文句はあるまい」
どうしても連れていく気か。
ここで爺さんを操ってみせたとしても、まだ皇帝が残っている。
その皇帝を操ろうにも、黒竜が邪魔過ぎる。
出発さえしてしまえば、護衛も手薄になるだろうが、俺も行く側だしな。
謁見の間ではなく、寝所を狙うか?
何も、黒竜が常に貼り付いてるわけじゃあるまい。
「もう話は済んだな? 我輩はもう行くぞ」
「ん、ああ、忙しいとこ呼び止めてすまなかったな」
「随分と他人事じゃのう。其方も行くんじゃぞ? 余計な世話を焼いとらんで、準備を済ませておかんか」
もう爺さんに構わず、上階を目指す。
目的の階へと至る階段の前。
一番遭遇したくない相手が立ちはだかっていた。
「この先は陛下の居室があるのみ。戻れ」
何だって此処に居るんだよ。
「どうあっても通してはもらえないのか?」
「無論。会うも会わぬも、陛下のみがお決めになる」
黒竜を無力化せずに通れるわけもない。
「城の騎士を魔族領に突っ込ませるなんて無謀過ぎる。そのくらいのこと、アンタだって分かるだろ」
「陛下がお決めになったことだ。是も非も無い。ただ遂行するのみ」
また随分と聞き分けのいいことで。
出発してしまえば、犠牲は免れない。
守れる保証はない。
行かせないこと。
ただそれだけが、唯一確実な方法だ。
「皇帝に用があるんだ」
「陛下が抜けている」
「通してもらうぜ!」
≪セット Ω《オメガ》≫
≪指人形≫
精神魔術の中級。
十指全てを向け、拘束する。
「何かしたか?」
指は全て光っている。
なのに喋れるってことは、コイツも白竜と同じってわけか。
やはり上級を用意しないと通用しないらしい。
「御子としての命を受けたはず。己が役目にのみ注力しろ」
「そこをどけ!」
声に出して命令してみるが、従う様子はない。
「騒ぐな。陛下のご不快を買う」
離れた位置から拳が揮われたのを、咄嗟に躱す。
至近の空気が爆ぜる。
完全では無いものの、一応の拘束力は有している。
でなければ、回避は間に合うまい。
それでも、腕を容易く動かされてしまった。
白竜の時よりも拘束力が幾分弱い。
「動きが鈍いか? その妙な真似は、行動阻害というわけか」
本来はそうではない。
10人を意のままに操る術なのだ。
全てを使ってなお、意思はおろか、体の自由すらも健在。
これがつまり、魔術への耐性が高いってことなのか。
「ったく。アンタらの相手は、いちいち疲れるんだよ」
「これは訓練ではない」
「そうだな」
「つまり、加減はせん」
纏う気配が一変する。
成体なんかの比じゃない。
今まで遭った何よりも。
絶望的なまでに、
──な、んだ、と⁉
指も口も、瞼でさえも動かせない。
威圧。
たったそれだけのことで、こちらの動きが封じられた。
「これで気絶しないとは、相変わらずのタフさだな」
呼吸もできていない。
焦点が定まらず、視界がぼやけ始める。
「ドクターの忠告どおり、気絶させておくに限るか」
気が付くと、既に荒地の只中にあった。
「……マジかよ」
もう出発してしまった。
無力感がどっと押し寄せてくる。
「ようやっと目覚めおったのか。ほれ、起きたのならば、すぐ調査を済ませるぞい」
「爺さん? 何で此処に」
「其方に調査を任せきりになど、できるはずもなかろうが」
今は休憩中なのだろうか。
ある者は腰を下ろし、ある者は周囲を警戒している。
やたらと物が多い。
例の輜重隊と一緒に行動でもしてるのか。
「今、どんな状況なんだ?」
「戯け。まずは己が役目を果たさんか。他は全て後回しじゃ」
爺さんに頭を小突かれ、いつもの耳栓と鼻栓を渡される。
こんな物騒な場所で、ちんたらやってもいられない。
さっさと済ませてしまうに限る。
部隊は大別して3つ。
前方を赤竜を中心とする戦闘部隊。
後方を白竜を中心とする、こちらも戦闘部隊。
そして中央。
黒竜を中心とする輜重隊。
俺や爺さんも此処。
馬が荷物を引いてこそいるが、全員徒歩。
行軍速度は控え目だ。
「第一門から出立し、現在は北上を続けておる」
「第一門? それって北壁のってことだよな?」
「左様。北端まで到達次第反転、今度は第二門を目指す。その次は第三門から出立し北上、反転して第四門へ、第四門から北上、反転して第五門、という具合じゃな」
「はあ? どういうことだよ?」
「広大な魔族領を一度の行軍で踏破なぞできまいて。都度、王国で補給を済ませる」
「じゃあ、王国と協力態勢を取ったってことか?」
「補給するには、こうする他あるまい。負傷者を治療する必要も出てこよう」
「爺さん……アンタ……」
「何じゃいったい、気色悪い声を出しおって」
あれこれ焦らなくても、王国へ話は伝わってたってわけかよ。
何だ、そうだったのか。
「それで、何日掛かる想定なんだ?」
「片道でざっと、7日前後じゃろうな」
なら、往復で倍掛かるわけか。
結構な日数だな。
こんな場所で一晩明かすってだけでも、正気を疑う行為だ。
「結局のところ、怪物を見付けたらどうするんだ?」
「怪物? 何の話をしておるんじゃ?」
「あ? 怪物の討伐が目的じゃないのかよ?」
「災禍の獣のことか? 紛らわしい言い方をしおってからに」
「いいだろ別に。これに慣れてるんだ」
「訳の分からんことを」
いかん、気が緩み過ぎた。
余計なことは言わないに限る。
「で、どうするんだ?」
「問うまでもなかろう。陛下より命は下されておる。変更なぞ無いわい」
休眠中とやらの怪物に、あの3人が敵うだろうか。
魔石の消滅現象であれば、怪物の体に対して有効なのは確認済み。
肝心の魔石は魔術局に保管されているわけで。
俺一人の魔力程度じゃあ、精々が幼生体の魔石ぐらいしか使えやしない。
かと言って、魔石に関してペラペラと勝手に喋るわけにもいかない。
説得できるだけのモノが足りてないな。
「勝てなかったら?」
「無意味な問いじゃな」
「竜や精霊が勝てなかった怪物だぞ。そんな相手に敵うと、本気で考えてるのか?」
「勝たねば滅ぶ。ならば、やることはひとつきりじゃろうが」
……ああ、そうだな。
こんな状況でさえなければ、大いに共感もできたんだがね。
もっと早くに。
こうなる前に、俺の記憶を見せておくべきだったのか。
「其方は騎士の実力を過小評価しておるようじゃな」
「どうだかね」
「魔族領を占領せんかった理由は、単に陛下よりご命令が下されなかったからに過ぎん。可能とするだけの戦力なぞ、とうの昔に帝国は有しておるわい」
竜の因子。
竜の骸を母体に食わせることで、その胎児を強化するという、おぞましい所業。
そうやって、常に戦力を維持していたわけだろうが。
チッ、嫌なことを思い出させやがって。
「これを機に一掃してしまえば、帝国の歴史にまた新たな偉業が刻まれることじゃろう」
「本当にそう思うのか?」
「何じゃと?」
「今の今まで、同じような考えを、誰も持たなかったと思うのか? 試さなかったと思ってるのかよ?」
「そのような記述、何処にも残されてはおらん」
「それはつまり、失敗したか、実現が困難だと気付いたからじゃあないのか?」
「なるほどのう。確かに、千年もの間、ただ手を拱いていたとは考え辛い」
「だろ」
「じゃからどうした」
「あ?」
「残されておらぬ情報になぞ、何の価値も無いわい」
両の腕を振り上げ、声高らかに言い放つ。
「昔と今とでは、比べるべくもない。我輩の騎士の力、精々その目に焼き付けるがよいわ。ヒョホ、ヒョホホ、ヒョホホホホ」
「ドクター、そう騒がれては困ります」
「ぐ、むう」
ハッ、ざまあみろ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




