62 秘郷
行く手を遮るようにして、1人のエルフが音も無く姿を現わした。
かつての仲間と瓜二つ。
いや、エルフと言う種自体が、ほぼ似た姿なのだ。
「これより郷へとご案内いたします。長がお会いになるとのことです」
念話が功を奏したのか。
それとも、本格的に排除しに来たのか。
こうして眼前に存在していてなお、気配が感じられない。
他の騎士たちも同様の感覚なのか、慌てた様子で動き出す。
こんな相手を、姿を見ることなく感じ取っていたとは。
白竜の感知能力の高さが、如何に優れているかという証左か。
「亜人めが、ようやっと姿を現わしおったか。して、口封じでもするつもりじゃろうが、そうはゆかぬわい」
「こちらがそのつもりであれば、森に侵入した時点で始末しています」
「ハッ、言いおるわい。どうせ姿を現わさんだけで、周囲にも潜んでおるんじゃろうが」
「もちろん」
「……ようもまあぬけぬけと。嬢や──」
「おい爺さん」
「何じゃ、また邪魔立てするつもりか」
「足元を見てみろよ」
「む? 足元がどうしたと……矢、じゃと? こんな物、いつからあったんじゃ?」
爺さんだけではない。
俺や騎士たちも同様だ。
各々の足の間を、正確に射抜いている。
「お連れの方が尋常ならざる存在だというのは分かっております。ですが、地の利はこちらに。一度敵対したならば、必ず掃討してみせましょう」
爺さんも爺さんだが、エルフもエルフだな。
相当に好戦的らしい。
「抜かせ」
「では、目印は全て回収済み、と言ったらどうされますか?」
「あれらには毒を塗布してあるでな。死にたくなくば、腕ごと斬り落とすことじゃて」
「不用心に素手で触れたりはしません。そもそも、毒は塗布されていないことも確認済みではありますがね」
このままじゃ埒が明かないな。
『話を聞かせてくれるんだよな?』
「そう仰っておいでです」
「……何じゃと?」
『おっと悪い』
「いえ、何でもありません」
これで念話が通じていたことは確認できた。
行かない手は無い。
「なあ爺さん、エルフの口伝を聞ける絶好の機会なんだぜ。それをみすみす見逃すってのか?」
「亜人の戯言なぞ、聞くに値せんわい」
「ならこの森の中、ずっと狙われ続けるつもりなのかよ。その矢を全て避けて、一度も眠らずに森を抜け出せそうか?」
「──くッ」
「同行していただけますね?」
「罠と判じ次第、すぐにも蹴散らしてくれるわい。その時は、絶滅を覚悟することじゃな」
「フフッ」
うお、アレはかなり怒ってるぞ。
エルフってのは、怒りが一定の値を超えると、ああやって笑うんだよな。
懐かしい記憶。
随分と酷い目に遭わされたもんだが。
帰るころには機嫌が直っていると有難いね。
歩けど歩けど、風景は変わらない。
エルフの総人口がどれほどなのか知らないが、未だに集落の一つも見つからないというのもおかしなもの。
いったい、何処で暮らしているというのか。
もしかして、地下だったりするんだろうか。
「フン、お粗末なもんじゃわい」
「何か?」
「千年近くも引き籠っておったというに、まるで未開の地ではないか。人族と違って、進歩がまるで見受けられん」
「生憎と外の事情には疎いもので。言うほどに発展しているのですか」
「当然じゃ。偉大な祖たる竜とは違って、精霊は何の恩恵も授けんかったようじゃな」
「なるほど。竜や精霊に関して、ある程度はご存じなのですね」
「ある程度じゃと? 全てじゃ。竜からは全ての知識を与えられておるわい」
「虚勢は結構。この地が未開などという妄言が出てくるのですから、知らぬのは自明の理」
「虚勢だの妄言だのと、亜人風情が何様のつもりじゃ!」
「竜の子孫は多様化が進み過ぎたようですね。質に随分な格差が生じているように見受けられます。その点に於いても、ワタシたちとは違いますね」
エルフは容姿がほぼ同じなのに対して、人族や獣人は多種多様、千差万別なわけだが。
今のは、そういう意味ってだけじゃあないのか?
「森全体に対して幻視の魔術が施されています。実際、アナタ方が森に入った時点から、それほど進んですらいませんよ」
「バカを申すでない! 目印を立て進んでおったんじゃぞ」
「近くの物が遠くに見える。それもまた幻視の効果です。アナタ方は、同じ場所をグルグルと回っていたに過ぎません」
「戯言じゃ」
「そろそろいいでしょう。では、郷の姿をお見せいたしましょう」
軽く手を叩いてみせた。
たったそれだけ。
それだけのことを契機にして、周囲の景色が一変した。
常闇が晴れる。
鬱蒼とした森が消失する。
緑の代わりに溢れ返ったのは、白と青。
そこかしこにあるのは木々などでは無く、白を基調とした、整然と並ぶ建造物ばかり。
何となく魔術局を彷彿とさせる形状の高層建築物。
道や建物の間には、水路が張り巡らされている。
また足裏の感触も変わっていた。
今の今まで、根や石や葉で凹凸だらけ。
そのはずが、いつの間にか、精緻に組み合わさった、滑らかな石床が敷き詰められていた。
里なんて規模感じゃあない。
一見して分かる。
文明の格差。
王国よりも帝国よりも、余程に優れている。
「な、な、な──」
爺さんだけでなく、騎士たちも周囲の変化に動揺を隠せていない。
平然としているのは白竜ぐらいなものだ。
「……彼女にだけは、幻視の効果が無かったのかもしれませんね」
ボソリと、そんな声が聞こえた。
一際背の高い建物へと案内された。
帝国の謁見の間よりも高く広い空間。
塵や埃が無いと一目で分かるほどの清潔さを保つそこを、中央にある円形の模様へ向け進み行く。
円形の床で立ち止まったかと思うと、ゆっくりと上昇し始めた。
これは……魔術局にあった昇降機と似た仕掛けか?
床の外側へ向け手を伸ばすと硬い感触が返ってきた。
見えない壁。
その壁は透けているらしく、見る見る地上が遠ざかってゆく。
股間の辺りが縮むような感覚が襲い来る。
何人かの騎士が、腰を抜かして床に這いつくばってしまった。
「安心してください。落下する危険はありません。もちろん、此処から突き落としたりなどもいたしません」
そう言われて安心できるものではあるまい。
なるべく外を見ないで済むよう、壁から離れておく。
床が停止すると、正面の大扉には向かわず、横にある部屋へと通された。
「アナタとアナタ、お二人は付いて来てください。他の方々はこの場にてお待ちを」
指定されたのは、俺と白竜。
「それと、武器はこの場に置いてください」
「だとさ。頼むから武器は置いていってくれよ」
「了解」
「待たんか! 代表者は我輩じゃ。当然、同行させてもらうぞい」
「……いいでしょう。ですが、招かれたのがアナタではないという自覚は持っていてください」
「亜人が調子づきおってからに」
「発言は控えるように。特に、長への暴言など許されません」
「それは相手次第じゃて。身の程を弁えておれば良いだけじゃ」
「それはアナタのほうでしょう」
「何じゃと!」
「おい爺さん。皇帝に謁見する際、黙ってるように言ってたよな? 俺にできて爺さんにできないってのは無しで頼むぜ」
「皇帝陛下じゃ! 何度言わせるつもりじゃ!」
「コウテイヘイカ。これでいいか?」
「まったく、どいつもこいつも……」
やれやれ、爺さんの癇癪にも困ったもんだ。
とはいえ、俺が呼ばれるのは当然として、白竜が呼ばれたのは何でだろうな。
知りたいのは怪物について。
できることなら、エルフに協力を仰ぎたいところ。
そういう意味でも、爺さんは邪魔でしかないんだが。
部屋を出ると、今度こそ正面の大扉へとやって来た。
「入室後は、通路の終端までお進みください。姿勢は自由にしていただいて構いません。長からの応答でのみ発言するようお心掛けください」
「ああ。案内有難う。助かったよ」
「いえ」
「御託はもう良いわい。さっさと扉を開けんか」
「────どうぞ、お進みください」
身長の数倍はある大扉に、突然罅が入った。
いや、罅というか、光の筋か?
何かの図形のように光がそこかしこに走り、全体へと波及する。
すると、光の筋に区切られた箇所が、中央から端に向けて、徐々に消失してゆく。
どういう仕組みなんだか。
すっかり扉の痕跡が消え失せ、代わりに通路が姿を現わした。
いやこれ、本当に通路なんだよな?
例えるならば、光の道。
材質が何なのか、想像もつきはしない。
恐る恐るつま先で突いてみる。
妙な感触、いや感覚が返る。
硬くも柔らかくも無い。
ただ、それ以上奥へと沈んではゆかないだけ。
「何をちんたらしておる。さっさと進まんか」
そう言い放つなり、背を思いきり蹴飛ばしてきた。
片足では堪えきれず、光の道へと数歩分進んでしまった。
落ちない。
やはり妙な感覚だ。
物体では無いのか。
宙にでも浮かんでいるような気さえしてくる。
「ふむ、落ちはせなんだが。そのまま先を進むがいいわい」
「おい爺さん。謝罪の一つも無しかよ」
「何を謝ることがあろうや。役に立てて良かったのう」
このくそジジイが。
改めて周囲を見渡してみる。
光源はこの道だけ。
他は何があるかも定かではない。
黒のような緑のような暗がりが、ひたすらに広がっている。
確か、端まで進めって言ってたよな。
どうにも頼りない足場を、真っ直ぐ奥へと進む。
おかしい。
幾らなんでも、終端が遠過ぎる。
周囲にはまるで変化が見受けられない。
振り返れば、大扉のあった場所はもう視認できない。
「どうにも妙じゃな」
「ああ」
「建物の規模感からして、奥行きがあり過ぎる。道理に合わん」
そう、そうなのだ。
こんなに奥まで続くはずがない。
このまま進んでも、到着する気がまるでしやしない。
「何ぞ試されておるようじゃな」
方法が間違っているのだろうか。
この光る道を進めというわけではない、とか。
道を外れて、底も知れぬ闇に飛び込んでみせろ、みたいな?
いや待て、早まるな。
先程、エルフは言っていた。
通路の終端まで進めと。
「他に通路なんかあるか?」
「……ふむ。見えているものが正しいとは限らん、か」
「どういう意味だよ」
「もう忘れおったのか? この場所へと至る際、森から一瞬にして風景が変わってみせたじゃろうが」
「ああ、アレのことか」
魔術がどうとかって言っていたような。
俺たちが同じ場所を彷徨ってる、みたいなことも言ってたか。
「確かに。森での状況と似ている気はするな」
あの時、何をして幻覚だかを解除してみせたんだったか。
確か……そう、手を叩いてみせたはず。
まさか、そんなことで?
半信半疑ながら、手を叩いてみた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




