60 王国調査行②
黒竜との訓練の成果は発揮されることは無かった。
理由は単純明快。
その機会さえ訪れなかったからに他ならない。
銀髪の少女、いや、白竜が感知次第、退治してしまうというのもある。
が、それだけではない。
戦士団によるものか、はたまた、国境に集落を形成しているという獣人たちによるものなのか。
魔獣自体、ほぼ現れることがないからだ。
多くても日に1度。
大抵は何事もなく1日が過ぎ去ってゆく。
とはいえ、流石に野宿では気が休まりはしないのだが。
ほぼ予定どおりに調査は進み、とうとう国境付近にまで到達した。
「我らの領分と知っての所業か」
「キサマら、いったい何を連れている」
「全員、外に出て姿を現わせ」
「妙な真似をすればどうなるか、分かっていような?」
空が白み始めたころ。
いきなり生じた気配に飛び起きてみれば、獣人たちにすっかり囲まれていた。
「朝っぱらから騒がしいのう。何が起こっておる」
「それが……いつの間にか包囲されておりまして」
「気付かなんだのか」
「申し訳ございません」
「嬢はどうしておる? 何もせんかったのか?」
「白竜様は未だご就寝中です。恐らくですが、魔獣ではなかったため、捨て置かれたものと思われます」
「相変わらずか。嬢にも困ったものじゃな」
「どのように対処いたしましょうか」
「おいそこ、聞こえているぞ。警告は既に済ませた」
「我輩たちは王国より正式な許可を貰って行動しておる。万が一にも、害するような真似をすれば、王国のみならず帝国をも敵に回すと知れ」
「どちらも我らには関りの無いこと。脅しになど値しない」
「亜人風情が。ならば致し方あるまいて。嬢や、連中を──」
「待て待て。落ち着けっての」
一触即発どころか、一瞬で死体が量産される寸前で止めに入る。
「ええい、邪魔をするでない」
「獣人たちは東区にとって、いや、王国にとってかけがえのない存在なんだ。此処は帝国じゃあないんだぞ」
「だから何じゃ。何処であろうと、何が相手であろうと、すべきことは変わらん」
「彼らに何かあれば、東区だけじゃなく、他の地区にまでヤツらの侵攻を許すことにもなりかねない。そんな許可まで貰ってるってのか?」
「騒ぐな。大人しくしていろ」
これでも俺は庇ってる側なんだがね。
「おやおや~? もしかして姉御のとこにいた子じゃないッスか?」
「アンタは確か……先生の戦士団の」
「やっぱりッス。しばらく見かけないと思ったら、随分とまあ変わっちゃったんスねぇ」
「──何だと? まさか首領の身内か?」
「あー、まー、そうっちゃそうッスかねぇ。姉御は首領の娘さんなわけでスし」
「そうとは知らず失礼しました。ですが、我々獣人の集落は他種族の侵入を認めてはおりません。申し訳ありませんが退去願えませんでしょうか」
さっきまでとはガラリと態度が変わった。
これも先生の、いや、先生の母親の威光というわけか。
「俺たちは集落に用があるわけじゃあないんだ。この辺りで調べ物があるだけで……えっと爺さん、後何日あれば終わる?」
「……2日ほどじゃな。もっとも、余計な邪魔が入らねば、じゃがのう」
「後2日、この辺りを調べたら、すぐ立ち去るよ。それまでは見逃してもらえないか?」
「……申し訳ありませんが、そのような権限を有してはいません。首領の御裁可をいただかねば、何とも」
「なら、その人に尋ねてみてくれないか?」
「もちろんそうするつもりではありますが……その……何といいますか……」
どうしたんだ?
急に歯切れが悪くなったんだが。
「とても厳格な御方ですから、まず間違いなく詳しい事情の説明を求められます。まずは我々に説明を。その調査の内容如何によっては、残念ですが……」
「だそうだ。どうするよ爺さん」
「誰であろうと、話すことはまかりならん。当然、調査は続ける。邪魔立てするならば、排除するまでのことじゃ」
「おい」
「嬢や、もう起きとるな」
「ん」
「命令じゃ、排除せい」
「了解」
くそッ、結局こうなっちまったか!
一度動き出した彼女を、止められようはずもない。
だから、動き出す前に止めるしかない。
≪セット Ω《オメガ》≫
≪指人形≫
精神魔術の中級。
予め天幕へと向けておいた10本の指全てが光りを宿す。
「んん?」
ま、マジかよ⁉
10人を操れる力を、たった1人に対して使ってるんだぞ⁉
だっていうのに、操るどころか、動きを封じられてすらいない。
剣を携えた白竜が、天幕からゆっくりと姿を現わした。
「頼む、やめてくれ!」
白竜から発せられる威圧感がどんどんと増してゆく。
対する獣人たちが、一斉に身構える。
声は届いているはず。
なのに止まる気配は無い。
もしかして、一度命令を受けると、他の奴からの命令は受け付けないのか?
先に爺さんを操って止めさせるべきだったか。
いや、それだと間に合わなかった。
「に、逃げろ、逃げてくれ。アンタたちじゃ、敵うわけがない」
「む? さては、何ぞ余計な真似をしておるな。ええい、今すぐやめんか」
こっちが動けないのをいいことに、頭を小突いてくる。
僅かに集中が乱され、白竜がさらに動く。
止められない、止まらない。
一瞬でも気を抜けば、惨劇が開始されてしまう。
こんなもん、どうすりゃいいんだ。
「物騒な気配を感じて来てみれば。またしても小僧じゃったか」
橙色のボサボサ髪に褐色の筋肉。
白竜に対峙するようにして、先生が立ちはだかっていた。
「あ、姉御!」
「大声を出さない。ヤツらを呼び寄せてしまうでしょう」
先生だけじゃない。
戦士団の皆も勢揃いしている。
その顔触れの1人に、強烈な既視感を覚える。
灰色の毛。
確か、先生からは灰狼と呼ばれていた子供。
果たして、どういう巡り合わせだったのか。
例の商会は早々に摘発された。
つまりは、誘拐されることもなかったはずで。
思いがけぬ再会。
かつての仲間が今、先生の戦士団の一員として立っている。
だが、この想いは一方的なモノ。
向こうからすれば、俺は赤の他人でしかない。
けど、それでも。
……無事で居てくれて、良かった。
「小娘よ、その剣を手放せ。さもなくば、その腕ごと斬り落とす」
そう、そうなのだ。
状況は僅かも好転などしていなかった。
このままだと、先生が殺されてしまう。
「先生、皆を連れて、逃げてくれ」
「ワシらは逃げることはせん」
「頼むよ、頼むから、言うことを聞いてくれ」
「嬢や、早う片付けんか! ええい、その妙な術をさっさとやめい!」
小突くどころか、蹴り始めやがった。
集中が乱れる。
呼応するように白竜が動く。
「おい。ワシの家族を足蹴にして、無事で済むと思うなよ」
家族?
いいや、聞き間違いだ。
そんなこと、先生が口にするはずがない。
「亜人が偉そうにほざくでないわ」
「先生、少しの間だけ、しのぎ切ってくれ」
10本の指のうち、親指1本だけを解除し、爺さんへと向け直す。
遂に白竜が動き出したのか、すぐさま剣戟の音が響き始めた。
急いで魔術を発動させる。
≪セット Ι《イオタ》≫
≪指人形≫
精神魔術の中級。
指が光るのを待たず、指示を与える。
「白竜に命令してやめさせろ!」
「命令じゃ、やめい」
「了解」
「先生! もういい!」
「……どういうわけだ? 急に戦意を失ったようだが」
白竜に向け揮われた剣が、寸でのところで止められていた。
どうにか間に合ったが、危ういところだった。
爺さんを操っている1本だけを残し、他は解除する。
「先生たち、少し離れててくれ」
「ドクター? 急にどうされたのですか? キサマぁ、いったい何を──」
先生たちが離れたのを確認し、残り1本も解除してから、新たな魔術を発動させる。
≪昏睡≫
精神魔術の中級。
爺さんと騎士たちが、その場で倒れ込んだ。
相変わらず白竜に効果は及んではいないようで、平然とその場に佇んでいる。
「小僧。今度こそ事情を説明せい」
「分かったよ。そう威圧すんなって」
白竜だって聞いてるんだ。
自主的に行動することは無くとも、爺さんに聞かれれば、何があったか答えてしまうだろう。
伝えるならば念話だ。
後は、どこまでを伝えるかなんだが。
「助かった。来てくれてありがとう」
「急に何だ。様子がおかしいぞ」
≪念話≫
精神魔術の中級。
先生にだけ繋ぐ。
『声は出さないでくれ。これは一方的にしか話せないんだ。そこの少女には聞かれたくない。分かったら軽く頷いてくれ』
流石に動揺しているようだったが、黙って従ってくれた。
『長い話になる。だから、要点だけを掻い摘んで話すよ』
念話を終えてからも、先生はしばらく黙ったままだった。
「姉御? 姉御ってば。どうかしたんですか?」
「言葉を交わすでもなく、ずっと黙って見つめ合ったままなんて。おかしいですよ」
「ん、ああ、いや」
怪物のこと、繰り返しのこと、帝国で騎士になったこと、竜の死骸探しのこと、全てを話した。
信じてもらえたかまでは分からない。
「さっきも言ったが、2日後には立ち去る予定だ。集落に近づくつもりもない」
「姉御、どうします?」
「その調査とやらの結果、目的を達した場合でもか?」
「あ? いや、それは……」
そういや、見つけた場合のことを考えてなかったな。
やっぱ、掘り返して持って帰ろうとするんだろうか。
いやまあ、普通ならそうするだろうな。
「2日後に立ち去らなければ、力尽くで追い出す」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。せめて相談させてくれ」
「以降、領内を出るまでの間は監視を付けさせる。これは決定だ、嫌とは言わせん」
見付けようが見付けまいが、2日後には出てけってことかよ。
もし見付けちまった場合、面倒なことになりそうだ。
「姉御、勝手に決めてしまっていいんですか? 首領に話を通したほうがいいんじゃ」
「むろん、首領にも全てお伝えする。構わんな?」
「……ああ」
態々俺に確認を取るってことは、つまり念話の内容をってことだよな。
まあ、念話も無しに信じられることも無いんだろうが。
「それと、これは警告だ。その娘を伴うならば、これ以上集落へは接近するな。接近を感知次第、総出で以て排除する」
「分かったよ」
「徹底させろ。次はワシも剣を止めることはしない。2人、監視に残れ。残りは集落へ戻るぞ」
「「ハイ」」
挨拶もなく、先生は去って行く。
と、急に立ち止まってこちらを振り返った。
だけに留まらず、こちらに向かって来る。
「危うく忘れるところだった」
何故か向かう先は俺ではなく爺さんのほう。
すると、その頭を躊躇なく蹴り飛ばした。
今度こそ立ち止まることなく去って行く。
俺の話を聞いて、先生はどう思ったんだろうか。
ちゃんと話をしたかった。
念話という一方的な語りだったことが悔やまれる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




