59 王国調査行①
まさか、王国を懐かしく思う日がこようとは。
帰って来たのだと、そう感じる。
無理もないことだが、帝国を自国とは、未だに思えてはいないらしい。
「あーなんだ、久しぶりだな。元気してたか?」
「ん」
「そうか」
箱馬車の中。
銀髪の少女と2年ぶりに言葉を交わす。
「ほう、これは驚きじゃわい」
「あ? 何がだよ?」
「嬢と普通に会話が成立しておることがじゃ。以前した警告を無視はしておらんじゃろうな?」
「勘ぐるなよ。4年も訓練に付き合ってもらってたから、多少はな」
「嬢や。何ぞ、妙な真似はされておらんじゃろうな?」
「命令?」
「むう。我輩とは、未だこの遣り取りなんじゃな」
勝手に落ち込み始めた。
取り敢えずは放っておく。
「今は国境警備に就いてるんだったよな。俺も次はそっちらしい」
「そう」
「仕事は大変か?」
「別に」
「そうか」
果たして、黒竜との訓練によって、本当に成体を斃せるようになっているのだろうか。
思索していた魔術を試してもみたい。
怪物の出現まで、後2年を切った。
後どれだけ準備を整えられるのか。
今回の調査では、王国を西、北、東、中央、南の順で巡り、エルフ領にも赴く予定らしい。
可能であれば、局長たちと連絡が取りたいところではあるのだが。
もしも叶うのであれば、マザーにも会いたい。
しかし今回、何よりも優先すべきは、エルフたちの協力を得ること。
以前に思い付いた念話を試す絶好の機会。
これを逃す手は無い。
王国の戦士団と魔術師、帝国の騎士、そしてエルフ。
これだけの戦力が揃ったならば。
怪物を斃し切るまでの間、魔獣の侵攻を阻めもするはず。
色々と因縁浅からぬ西区。
何と言っても、繰り返しの起点である。
川岸での騒動、人身売買を行っていた商会、チビ助の実家。
特に最後については、訪れたのはもう随分と前のこと。
結局、両親への礼も言えず仕舞い。
返せぬ借りと悔いがある。
怪物を斃し、チビ助を無事帰してやることで報いたい。
特に因縁深い北区。
仲間を喪った後悔の場所。
怪物との決戦の地。
また、一部の戦士団が獣人を魔族に引き渡すなどという禁忌を犯してもいた。
この繰り返しの最中では関わってこなかったが、きちんと対処されていると良いのだが。
魔獣の脅威が去ったなら、この地にも獣人たちが暮らせるようになるだろうか。
獣人への偏見が、未だ多く残る地。
そうなるには、長い時間が必要なのかもしれない。
懐かしき故郷たる東区。
恩人たちの住まう地。
かつて仲間と暮らした場所。
廃墟を前に、馬車の列が止まる。
「何という有様じゃ」
「ドクター、この先は馬車で進むのは無理かと」
「ううむ、致し方あるまい。馬車と共に騎士2名は待機しておれ。もし我輩たちが予定を超過しても戻らんようなら、本国へ連絡せい。他の者は荷物を持って先へと進むぞい」
どうにも妙な感じだ。
以前は、あれほど恐れを抱いていた場所だったのに。
少女や騎士が同道しているからか。
それとも、身の程知らずな自信でもついたのか。
都度調査をしつつ、奥へと進む。
近付いてゆく。
「聞きしに勝るとは、まさにこのことじゃな。人がおらんようになるだけで、こうも荒れ果てるもんかのう」
「ドクター、ご注意ください。近くに気配が」
「魔獣か?」
「いえ、どうやら違うようです。ですが、相手方に気付かれました」
「この辺りに戦士団が住み着いてるらしいから、その連中かもな」
「邪魔立てせんなら放っておいて構わん」
「ハイ」
「そうそう、言い忘れてたんだが」
「何じゃ」
「あの呼び方は、此処では控えてくれ。東区の住人は皆、あの言葉に敏感になってるんでね」
「迂遠な物言いじゃな。ハッキリ言わんか」
「魔獣って呼び方だよ。この言葉を使うのは、本当に現れたときだけなんだ。つまり、聞いたら逃げろってことだ。普段はヤツと呼んでる」
「ふん、くだらぬ慣習じゃな。町中ならば配慮の余地もあろうが、この廃墟で何に遠慮する必要がある」
「さっきも言ったろ? 戦士団の連中だって居るんだ。精々気を付けてくれ」
「正式に王国の許可を得ておるんじゃぞ。手出しなどしてこようものなら、其奴らにこそ非があるというものじゃ」
「無茶言うなよ。他の連中が、そんなこと知るわけないだろ」
「其方は余計なことは考えず、調査にしゅ──」
俺を含め、爺さん以外全員の足が止まった。
遅れて、爺さんの足も止まる。
「──何じゃ急に」
「どうやら接近し過ぎたようです。威圧されています」
「魔獣ではないんじゃな?」
「はい」
「おい爺さん。さっき注意したばっかりだぞ」
「何でも構わん。もし手を出してくるようであれば排除せい」
「ハイ」
つーか、この方向。
もしかして、養護院に先生が来てるのか?
「なあ、もしかしたら知り合いかもしれない。少し話してきてもいいか?」
「戯け。余計な真似はせず、調査に集中せい」
「本当に俺の知り合いだった場合、誰かが攻撃したら、これ以上の協力はしない」
「どうにも立場を弁えておらんようじゃな」
「そうか? 少なくとも、中断して困るのは俺じゃあない」
しばらく無言で牽制し合う。
「ドクター」
「今度は何じゃ」
「気配が複数出現。後方以外を塞がれたようです」
「つまり戻れと言うわけか。まったく、邪魔な連中じゃわい」
「この近くに俺が世話になった養護院があるんだ。多分、そこに近づけないようしてるんだと思う」
「このような場所に未だ民間人が暮らしておると? 何故退去しておらんのじゃ」
「金が無いんだよ」
「王国は何をしておるんじゃ。帝国であれば到底考えられんわい」
長い長い溜息が続く。
「無用な戦闘は避けるに越したことはあるまい。しばし休憩を取る。その間ならば好きにせい」
「助かる」
「ただし、嬢を付ける。命令じゃ、護衛を務めよ」
「了解」
軽く頭を下げてから、養護院を目指して駆け出した。
ようやく養護院が見えた。
「そこで止まれ」
姿は見えない。
だが分かる。
聞き間違えるはずがない。
懐かしい声。
だがそこに、親しみは込められてはいなかった。
大人しく指示に従う。
「先生」
「……まさか小僧か?」
「ああ」
「何があった? その尋常ならざる気配は何だ? いったい何を連れて来た」
声に動揺が混じる。
あの大胆不敵な先生が、明らかに狼狽えていた。
しかし威圧感は変わらない。
近付くなと、そう言外に告げている。
「あーまあ、色々あったんだよ」
「詳しく話せ。でなくは近づくことは許さん」
「悪いんだが、そうもいかないんだよ。長居はできないんだ」
「ならば引き返せ」
「ただ通過したいだけで、養護院に何かするつもりは無いんだ。王国からの許可も貰ってるって話で」
「どうしても通過したければ、他の道を行け」
「……分かったよ。なあ、マザーは元気にしてるか?」
「ああ、変わりない」
「そうか、ならいいんだ。邪魔したな」
結局、一度も姿を現わしてはくれなかったな。
踵を返し、爺さんたちの元へと戻る。
が、数歩進んで足を止めた。
「なあ先生」
「何だ」
「今後何が起こっても、絶対に生き延びてくれよな」
「……どういう意味だ?」
「頼むよ、先生」
「訳が分からん。が、小僧に心配されるワシではない」
「……ホント頼むぜ」
歩みを再開する。
もう止まることは無かった。
「迂回しろとさ」
「何じゃと? 交渉に失敗しおったのか?」
「まあそんなとこだ」
「休憩は終いじゃ。このまま進むぞい」
「おい待て、待ってくれよ」
「聞かん。機会ならば十分に与えたわい」
「頼む。恩人なんだ。ただあの場所を守りたいだけなんだよ」
腰を折り曲げ、深く頭を下げる。
「……もうよいわ。包囲を迂回して移動じゃ、早う支度せい」
「「ハイ」」
廃墟で一泊した後、さらに奥、瓦礫が広がる地へと足を踏み入れた。
背の高い建物は姿を消し、僅かな残骸のみが、町の名残りを感じさせる。
「このほうが余程に歩き易いわい。ほれ、さっさと進まんか」
「ドクター、お静かに願います。この場所の雰囲気は、魔族領と同じモノです」
「それがどうしたと言うんじゃ」
「居る」
少女が短く告げた。
流石に、何が、とは誰も尋ねはしなかった。
視界内には影も形も無い。
まだ俺には気配も感じられはしないのだが。
少女の気配が強まる。
体が圧し潰されそうだ。
息がし辛い。
胸や背が酷く寒い。
視界から色味が失せてゆく。
音が、消えた。
「──終わった」
声と共に、全ての感覚が元へと戻ってゆく。
魔獣の姿は終始見えなかった。
だが今、確実に魔獣が斃されたに違いあるまい。
「流石は嬢じゃな。他の者も見習うがよい」
誰も応えられやしない。
強い。
強過ぎる。
以前よりも遥かに。
先生が狼狽えていたのは、これを予期してのことだったのか。
届かぬ高み。
魔獣を容易く圧倒してみせる力。
新たに竜の名を冠した騎士。
白竜。
赤竜や黒竜に比肩してみせる、若き騎士。
この3人の力があれば。
今度こそ、今回こそは。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




