39 決戦
無情にも時間は過ぎていった。
そうして迎えた日食。
遂に、怪物と相まみえる。
集結するのは、戦士団の討伐組と魔術局の魔術師たち。
場所は北壁の最西端に位置する第一門。
いざという時には、怪物を帝国へと擦り付ける算段。
壁上の内側に足場を設けて魔術師を配し、壁外の魔獣を掃討。
戦士団は開放した門の内側に展開し、討ち漏らした魔獣の討滅。
後方には、治癒魔術師や攻撃系の魔術適性の無い魔術師たち、そして一般組の戦士団が救護班兼支援役として控える。
余裕があれば魔石を回収し、怪物対策へと運用。
一番後方に対怪物用の魔石部隊。
もし万が一、魔獣に到達された際は、止む無く魔石の消滅現象により迎撃する手筈となっている。
局長たちと共に、俺も此処で待機していた。
これより後ろには、もう住民は居ない。
全て他区へと避難済みだ。
「現実にあのようなモノが存在しようとは……こうして目視してなお、俄かには信じられません」
「明らかに他の魔獣とは形態が異なります。そもそも、アレは本当に魔獣なのでしょうか?」
「例え長命なエルフと言えども、知る由も無いでしょう。あの呼び名といい、誰がどうやって伝えたのか」
2人の会話を聞き流しつつ、怪物を見据える。
万全とまでは言えぬものの、準備は整えた。
もう、ただ殺されるだけではない。
今度こそ、今回こそ、斃してみせる。
「想定よりも大きいでしょうか。目算で全長300メル以上ありそうですね。もう少し後退しておきましょう」
「分かりました。伝達します」
結局、念話の道具化は叶わなかった。
よって、各部隊に配された精神魔術師が、情報のやり取りを担っている。
成果らしい成果と言えば、魔石を収納する箱か。
数年前の事故を踏まえ、開発された品。
あの時、臨界点を超過した原因は、触れている魔術師の魔力を、魔石が勝手に吸収する分を考慮していなかったことにあった。
それを踏まえて、精神魔術を遮断する兜の技術を応用し、魔力を遮断する箱が用意されたわけだ。
箱に収納したことで、持ち運ぶのもかなり楽になった。
後用意できたのは、魔石を投射するための、巨大な投石機。
これを用いて、怪物の足元を狙う。
壁の辺りが騒がしくなってきた。
魔術師に反応したのか、それとも魔術に反応したのか。
魔獣が襲来し始めたようだ。
「精神魔術による高揚付与を」
「ハイ」
念話とは別に、精神魔術師が担うのは、魔獣への恐怖対策。
何せ、見られるだけで、息すらできなくなってしまうのだ。
俺を含め、多くの者が戦う前に動けなくなってしまう。
「魔術による掃討は、壁から離れた位置に限定するよう徹底させなさい。死骸が積み上がると、壁を乗り越えられます」
「ハイ」
総指揮を預かっている局長が次々と指示を出してゆく。
これもひとえに、念話があればこそ。
何かにつけて大事だと言い続けられた意味が、ようやく実感を伴ってくる。
「怪物と同じく、魔獣の誘導にも成功している模様。他の地点では、敵影を確認できないとのことです」
「結構。ではこれより作戦を第二段階へ移行します。総員の奮励努力を期待します」
「ハイ」
第一段階の魔獣の誘導は成功したらしい。
いよいよ第二段階、魔獣の掃討が開始される。
先生……どうか無事でいてくれ。
数百メルも離れている此処にまで、前線の音と振動が届く。
治癒魔術師の存在など、所詮は気休めに過ぎない。
何せ、一撃を喰らって生き延びるほうが稀なのだ。
大抵は即死する。
戦闘開始から数時間。
未だ前線は持ち堪えているようだった。
「まだ怪物は到達しないのですか?」
「目標地点への到達は、もうしばらく掛かると思われます」
「前線の魔術師の状態は?」
「少々お待ちを…………魔力切れの組と随時交代中。残り二組。怪物の到達まで、とても持ちそうにありません」
「魔獣の残数は?」
「…………最初の勢いこそありませんが、未だ全滅はしていない模様。後方より、なおも増加中」
「想定以上の数ですね。こちらのほうが先に息切れを起こすとは」
「如何いたしましょう」
「今の均衡は魔術の迎撃があればこそ。仕方ありません、魔石の一部使用を許可します」
「ですが!」
「使用した分は回収すれば済む話です。惜しんでいては、突破されかねません」
「……分かりました。すぐに伝達します」
「予備の戦士団に魔獣の死骸の撤去を急がせなさい。後方部隊の前面に配し、防壁代わりとするように。魔石の摘出は後回しで構いません」
「ハイ」
何とも歯痒い。
どうして俺には、戦えるだけの力が備わっていないのか。
あの時も、今も、戦いでは役に立てやしない。
精神魔術なんかじゃなく、四大の何れかだったなら。
前線に立って、魔獣を斃すこともできただろうに。
どれだけ歯噛みしようが、手の平の皮膚が破け血が滲もうが、現実は変わってなどくれない。
「──ッ⁉ 前線が突破されました! 成体1、こちらに向かって来ます!」
「見えています。問題ありません」
「「な」」
一瞬の出来事だった。
あの川岸で、局長の魔術を目の当たりにしてはいた。
だが、氷漬けになっていたのは幼生体。
速さも大きさも、正しく桁が違う。
それを一瞬で、しかも正確に、頭部のみを消し飛ばして見せた。
地響きを伴って、残された胴体が地面へと倒れ、動かなくなった。
「さ、流石は局長!」
「世辞は結構。そろそろ戦士団の体力も尽きてきたようですね。帝国側の動きはどうです?」
「……依然として、川向うに集結しているのみです。こちらへ援軍を向かわせる様子は見受けられないとのことです」
「まだ動きませんか……またこの地を犠牲にして、歴史を繰り返すつもりなのですか……ッ」
「局長……」
「魔力切れを起こした者の移送を。水門を渡り、帝国領へと向かわせなさい」
「で、ですが、越境の許可が」
「構いません。精々が拘留される程度のことです。もし武力で以て拒むようならば、後方部隊を全て移動させましょう」
「しかし、川では北壁の代わりは務まりません! すぐにも踏破され接敵を許すことに」
「帝国領側に一歩踏み込めば、それはもう帝国にとっての敵に他なりません。如何な帝国とて、魔獣を見過ごしはしないでしょう。指示を急ぎなさい」
「わ、分かりました」
もう前線が持ち堪えられそうにないのか。
作戦開始が早過ぎた?
だが、事前に魔獣の数を減らしておかなければ、怪物に壁を壊された時点で、あの日の再現が起きてしまう。
万全とはいかなくとも、十全に戦力が整ってさえいれば。
怪物の到達までは、持ち堪えてみせたのではなかろうか。
帝国を動かせるだけの力が、足りていなかったことが悔やまれる。
散発的に魔獣が前線を突破し始めた。
止む無く、魔石による迎撃が開始される。
「後方部隊を急ぎ下がらせなさい!」
「ハイ!」
消滅を掻い潜って来た個体を、局長が適宜斃してゆく。
「──ッ⁉ 局長! 怪物が目標地点へと間も無く到達します!」
「ようやくですか。急ぎ閉門! 作戦を第三段階へと移行! 壁内の魔獣を掃討次第、速やかに壁に居る全ての者の退避を開始させなさい!」
「ハイ!」
第三段階。
ようやく怪物退治の始まりだ。
これまで魔獣を斃し続けたのも、この時間、壁で耐え凌ぐため。
壁内の魔獣を掃討、人員の退避が完了次第、投石機による魔石の爆撃が開始される。
狙うは怪物の足元。
事前に穴を掘る案は却下され、壁越しに爆撃する運びとなった。
当然、あの巨体が倒れてくれば、壁も潰されてしまう。
だが、それは群がっている魔獣も同じこと。
倒れた怪物の頭部を破壊し、残る魔獣を撃退できれば、作戦は完遂となる。
懸念としては、魔石の残量と、魔獣がどれだけ残存しているかだが。
やっと作戦に加われる。
魔石への魔力の注入作業に従事する。
黒雲に覆われた空を、白く発光する魔石群が、次から次へと止むこと無く流れてゆく。
「部隊の状況は?」
「戦えない者は帝国領へと避難を継続中。治癒を終えた戦士団が防衛線を構築中です」
「怪物は?」
「攻撃は命中している模様ですが、依然として姿勢に変化は見受けられません」
「投石機が小さ過ぎましたか……攻撃の手を緩めないように。何としても、壁が破られる前に転倒させるのです」
「ハイ」
魔石は接触している数が多いほど、消滅範囲が拡大するらしいからな。
いかに魔石に蓄えがあっても、投石機に載せられる数には限りがある。
必然的に、一発の威力は下がってしまう。
とはいえ、数が多過ぎれば、それだけ魔力の注入に時間を要するわけで。
必死に連続運用の限界を維持し続けている。
「──ッ⁉ 怪物に動きあり! さらに接近して来ます!」
「投石中止! 後退を優先します!」
「ハイ!」
壁の破壊を待たず、魔獣が壁を乗り越えて来た。
恐らくは、殺到した背に乗り上げているのだろう。
成体の三倍はあろう高さが、そうして突破されてゆく。
「きょ、局長!」
「見えています。どうにか戦士団に持ち堪えてもらうしかありません。投石機は引き続き怪物へ攻撃を集中させるように」
「わ、分かりました!」
ここまでなのかよッ!
これだけやって、斃せないってのか⁉
「局長!」
「今度は何ですか?」
「帝国騎士に動きが!」
「……ようやくですか」
「──え? それはどういう?」
「どうしました?」
「そ、それが、単独で接近してくると──」
「いや~、お久しぶりですね~。お元気でしたか~?」
「アナタは……赤竜」
いつだか見た、頭髪から服装から赤尽くめの男が、局長のすぐそばに立っていた。
「局長!」
「大丈夫、彼は帝国の騎士です」
「どうにも陛下の許可が下りなかったもので~、一足先にこうして来ちゃいました~。他の騎士も水門を越えさせてますよ~」
「では、助力を期待しても?」
「もちろんですとも~。どう見たって、アレは尋常な相手ではありませんから~。帝国にとっても脅威ですしね~」
相変わらず、間延びした喋り方をして、気持ちの悪い奴だ。
「では、壁内の魔獣への対処をお願いしたいのですが、構いませんか?」
「いいですとも~。では、早速行ってきましょうかね~」
それはまるで、赤い閃光。
描かれた軌跡には、肉片だけが残る。
「す、凄い……魔術も無しに、ああも容易く……」
「黒竜までは寄越してくれませんか……今の内に態勢を立て直します」
帝国騎士が合流し、戦況は優勢へと大きく傾く。
「どうにか持ち直しましたね」
「はい。防衛線の構築も完了。魔石の回収を急がせています」
「肝心の怪物についてはどうです?」
「破損個所は順調に拡大中。このまま推移すれば、自重を支えられなくなるはずです」
「油断しないよう、総員に通達を。転倒させてからこそが、本番なのです」
「分かりました」
確かに、周囲の雰囲気が弛緩してきている。
少し前までの焦燥感が嘘のようだ。
勝てると、誰しもが考え始めていることだろう。
そう、勝てる、勝てるのだ。
あの途轍もない怪物を相手にして。
これで、かつて巻き添えにしてしまった仲間たちに、報いることができるはず。
「怪物に変化あり! 姿勢が変わり始めました! 作戦成功です!」
「総員、全作業を即時中断! 全速力で後退!」
「ハイ!」
巨大過ぎてどうにも分かり辛いが、既に倒れ始めているらしい。
急いで、投石機の移動を手伝う。
いよいよ怪物が地面へと迫る。
が、想定外の動きをしてみせた。
大激震。
誰もが地面へと倒れ込む。
腕だ。
倒れる体に先んじて、両腕をつき、転倒を堪えてみせたのだ。
「た、高い……!」
地面より遠く離れた頭部。
遠投を目的とした投石機では、高さには対応しきれない。
「ど、どうしましょう、局長⁉」
「目標を左腕へ変更。攻撃可能な距離まで、頭部を下げさせます」
「お、お待ちください! 壁の一部が破損した模様! 魔獣が侵入して来ます!」
「後もう少しと言うところで……ッ! 急ぎ迎撃を!」
「た、大変です! 壁ではなく、怪物の体から魔獣が!」
「どういうことです⁉ 情報は正確に!」
「そ、それが、怪物の体から、魔獣が次々と出現していると! 防衛線が維持できません!」
「……怪物こそが、魔獣を生み出した元凶だった? 帝国領へと撤退します! 魔石は全て迎撃に使いなさい!」
瞬く間に事態が悪化の一途を辿ってゆく。
ここから挽回する術など、果たして残されているのだろうか。
っと、マズい!
2人に迫る影に気付き、咄嗟に体を突き飛ばす。
次の瞬間、宙を舞った。
「がはッ⁉」
成体が下半身を掠めた。
たったそれだけのことで、人がこうも簡単に吹き飛ばされるとは。
幸いなことに、下半身はまだくっついている。
元の形を成してはいないが。
これではもう、歩くのも無理そうだ。
「ぐはッ⁉ かは、かはッ⁉」
碌に受け身も取れず、地面へと激突した。
「そ、そんな⁉ 何て無茶な真似を⁉」
「狙いをつける必要はありません! 魔石を起動させたらばら撒きなさい!」
声が遠い。
もう、部隊はまともに機能していないらしく、人と魔獣が入り乱れ、そこかしこで絶叫が上がる。
「いよいよマズいね~。魔女さんたちも逃げたほうがいいぜ~」
「ワタシは指揮を預かる身! 逃げるなど──」
「そんなこと言ってる状況かよ~。ほら、さっさと行きな~。殿は任せときなってね~」
「か、彼がまだ! 助けに行かないと!」
「ワタシもまだ戦えます!」
「やれやれ、仕方がないね~、連れてってくれ~」
「ハッ! 御武運を!」
「あいよ、ありがとうよ~」
「放して、放してください!」
2人の声が遠ざかってゆく。
「さてさて~、んじゃ、もういっちょ頑張りますかね~」
俄かには信じられない光景だった。
たった1人きり。
その彼が、何十もの魔獣を屠り続けている。
「ふぅ~、これじゃあ、キリが無いねぇ~」
無傷ではない。
赤い服装は、今や黒々と変色していた。
偶然なのか、意図してのことか。
俺のすぐそばで、ずっとずっと戦い続けている。
「悪いね~、どうにも逃がしてやれそうにないよ~」
ってことは、意図してだったのか。
「いい、さ……気に、しない、でくれ、よ……」
腕で這ったところで、失血死は免れまい。
それに、怪物が動き出していた。
巨大な手の平が迫っている。
「もう少しで斃せそうだったのにね~。無念だねぇ~」
口調は僅かも変わらない。
痛みも苦しみも怒りも悲しみも、何も滲ませはしていない。
「後は旦那に任せるしかないか~。いやはや、情けないね~」
槍はとうの昔にへし折れ、腕と脚で斃し続ける。
それももう、限界が近いようだ。
動く度に、鮮血が辺りにまき散らされている。
俺にまで幾らか掛かっているぐらいだ。
「次があるなら、斃し──」
不意に、言葉が途切れた。
一際大量の鮮血が降り注いでくる。
俺も、彼のように強かったなら……こんな結末を迎えずに済んだのだろうか……。
空が落ちてくる。
魔獣に喰われる前に、さっさと終わらせてくれ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




