3 竜と魔女
ガタゴトと馬車に揺られる。
まさか入学したてで、学外へ出ることになろうとは思わなかった。
着慣れぬ制服に、見慣れぬ同級生。
集団の比率は、圧倒的に貴族の子女が多い。
同じ制服に身を包もうとも、平民出とはやはり違うものだ。
養護院の連中と比べてやれば、より判別もし易い。
肉付きや血色がまるで違う。
碌に苦労も知らず、衣食住も満ち足りているのだ。
忌々しい、とは思うまい。
生きているだけで儲けもの。
人なんぞ、いつ何時死ぬとも限らないのだ。
そう、不運な両親のように。
一度だけ街道の宿に泊まったものの、翌日には目的地とやらに到着した。
西区、帝国領との国境。
両国を分ける幅広の川が流れている。
川向こうの壁が、もう帝国か。
北壁とどちらが頑強なのだろう。
考えるまでもないか。
そりゃあもちろん、帝国に決まってるよな。
王国とじゃ年季が違い過ぎる。
是非とも参考にさせてもらいたいもんだぜ。
……んで結局のとこ、コレを見させて何をさせたいんだ?
「余り川岸には近づかないように。川を挟んだ西側がもう帝国領となります」
橋が架かっているのは、もっと南側だよな。
別段、帝国領まで見に行くつもりは無いようだ。
「当学院では、帝国との交換留学生を募ってもいます。興味がある者は学院に戻った後、教師に申し出るように」
……はあぁ?
入学したてで留学とか、意味が分からないんだが。
貴族は王国内に居ればこその権威なわけだし、平民出の魔術師なら、普通はそのまま魔術局入りをすることだろう。
留学するとはつまり、将来を棒に振るに等しい。
もし名乗りを上げる奴がいるとするなら、余程のバカだろう。
「帝国は皇帝の専制君主制をとっています。我が国とは違い貴族は居ません。主だった戦力としては──」
この流れ、まさかとは思うが、青空教室でも始めるつもりか?
こちとら栄養が足りてねぇから、立ってるのもシンドイんだが。
付き合ってらんねぇ。
その辺の椅子にでも座って休憩しとくに限る。
ぼんやりと川面を眺めつつ、物思いに耽る。
態々出向いてまで、することだったのかねぇ。
さっさと魔術の一つでも覚えたかったとこだ。
しっかしまぁ、東区とは違って、西区は平和だねぇ。
町並みも随分と異なる。
廃墟や瓦礫なんざ、見当たらねぇし。
此処までの様子からして、商業が盛んらしいな。
帝国の恩恵が大きいのだろう。
どうせなら、東区に行けば良かったのだ。
平和ボケした貴族共の目に、あの惨状を焼き付けてやれば──。
「キャアアアアアァーーー!」
突然響き渡った悲鳴に、反射的に長椅子の陰に隠れる。
東区じゃあ、いつ魔獣が襲って来ないとも限らない。
その習慣が染みついてる。
もっとも、椅子程度じゃ壁代わりにもならないだろうが。
「ま、ま、魔獣だぁーーー!」
──って、ホントに魔獣なのかよ!
此処は西区なんだぞ⁉
しっかし、叫ぶとか命知らずなことだ。
逃げる者、騒ぐ者をこそ、魔獣は優先して狙う。
犠牲になってもらってる間に、さっさと逃げるに限る。
「魔獣との遭遇時、騒いだり逃げたりするのは誤った行動です。平静を失った者から命を落とすことになります」
悲鳴は止み、落ち着いた声だけが聞こえてきた。
椅子の陰から様子を窺う。
生徒が注視する先は……川か。
「──な」
川が凍り付いていた。
氷の中、魔獣らしき姿がある。
す、すげぇ……これが魔術かよ。
大きさからして幼生体だろうけど、にしたって単独で斃すとか、戦士団要らねぇじゃん。
引率の教師、こんなに強かったのか。
「皆、川岸から離れて。念の為、ワタシのそばに集まるように」
今、一番安全な場所は、あの教師のそばに違いない。
逆らわず、椅子から離れ移動する。
「しかし妙ですね。上流には帝国の水門がある。魔獣が侵入できるはずが……」
そんな独り言が漏れ聞こえてきた。
これだけ大きな川だ。
両国にとって、貴重な水源だろう。
当然、魔獣が侵入しないようにされてはいるはず。
「ね、ねぇ、アレってまさか……」
「影……か? かなり大きいぞ」
「また魔獣⁉ もう嫌ぁーッ! 早く帰りたい!」
またぞろ騒ぎ始めた。
見れば、上流から黒い影が近付いて来ている。
「先程も言ったはずです。騒げば騒ぐだけ、魔獣はこちらへと向かってきます」
……アレは確かにヤバそうだ。
さっきのとは明らかに大きさが違う。
幼生体と成体は別物だ。
成体相手じゃ、単独で勝てるはずがない。
分かっているのかいないのか。
教師は避難を促すでもなく、川面を眺めているだけ。
「こうも魔獣が現れるなど異常過ぎる。上流で何かあったのは確かなようですね」
「せ、先生。逃げようよ」
「そ、そうだよ。早く逃げないと殺されちゃうだろ」
声量こそ抑えているが、それも限界だろう。
魔獣が姿を現わせば、すぐにも叫びながら逃げ出すに違いあるまい。
安全地帯のはずが、すぐにも危険地帯になりかねない。
少しでも町側に移動しておくべきだ。
が、判断が遅過ぎた。
視線を向けられた。
たったそれだけのことで、身体が動きを止めた。
息すらもできない。
「やはり成体ですか。昨日今日で成長できるはずもない。ましてや、国境警備を預かる者が見逃すことなどあり得ない」
イカれてんのか、この女⁉
この状況でまだ喋るとか、あり得ねぇだろ⁉
氷を砕き、魔獣が遂に姿を現わした。
デカい。
川底の深さがどれだけかは知らないが、見える限りで既に家なんかよりも大きい。
「いいですか? 決して動かないように。騒ぐのも厳禁です」
んなこと言ってる場合か⁉
「GWAAAAAAAAーーーーー!」
全身が震える。
いや、空気そのものが震えてやがる。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。
もういつ襲われても不思議じゃない。
誰かが叫んだ瞬間に終わる。
くそがッ!
まだ何もできてやしねぇってのに!
こんなとこで死ぬのかよ。
「──そこ、危ないですよ~」
教師の声じゃない。
誰だ──と思う間もなく、魔獣が爆ぜた。
凄まじい衝撃と振動。
堪らず、地面に倒れ込む。
大量の水と血と肉が降り注いで──。
……あれ? 降ってこない?
何だこれ、空中で止まってる?
「おやおやぁ~? 余計な真似しちゃいましたかねぇ~?」
「アナタは──その恰好、赤竜ですね」
「そう言うアナタは、四大の魔女殿じゃありませんかぁ~? いやはや、ジブンなんかが覚えてもらえてるなんて光栄だなぁ~」
せきりゅう?
何だそれ。
肉塊の上には、いつの間にやら槍を手にした人影があった。
髪も服も真っ赤なあの兄ちゃんが、魔獣を斃したのか?
たった一人で?
「宮廷魔術師が国境にいらしているとは珍しいですね~。随分と子供を連れてもいらっしゃるようですし~」
「院外学習の引率です」
「ほほぉ~、確か魔術学院ってヤツでしたかね~」
「違います。王立学院です」
「おやおや~、これは失礼しました~」
「話を戻しましょう。帝国に名を馳せる竜が、2体もの魔獣を今の今まで見逃していたのですか?」
「これでも国境警備って大変なんですよぉ~? 端から端までなんて、とても見切れませんよぉ~」
二人は知り合いなのか?
何となく、この女教師が凄い奴だったっぽい風に聞こえたが。
「す、すっげぇー」
「なあなあ! あれってマジの魔獣だったんだろ⁉」
「一撃かよ」
堰を切ったように生徒が騒ぎ出した。
体が動く。
呼吸もできてる。
「水門は帝国の管轄。とは言え、事は両国に関わります。破壊されたにせよ、故意に開放されたにせよ、由々しき問題です」
「なるほどなるほどぉ~。こんな場所に魔獣が現れたのは、水門に異常があったのかもしれませんね~。これはもうしっかりと調査させないといけませんか~」
「──では、水門の調査には、我が国からも人員を派遣いたします。よろしいですね?」
「国境はジブンの管轄ですしねぇ~。態々陛下にお伺いを立てずとも構わないかな~。ってなわけで、入国許可はジブンが出しとくんで、お好きにどうぞ~」
槍を軽く振るうなり、隣の氷塊が砕け散った。
閉じ込められていた魔獣諸共に。
「ではでは~。自分は他の見回りがありますので~。これにて失礼しますね~」
既に姿は掻き消えて、声だけが残った。
王国の戦士団とは違い、帝国には騎士団があると聞く。
さっきのも騎士ってヤツだったのか?
にしたって、強さが異常過ぎる。
北壁にいるとされる最強の戦士団だろうと、先生の戦士団だろうと、成体を一撃でなんて、仕留められやすまい。
「──余計な真似を。折角の魔石が」
……あ? 今、何か呟かなかったか?
「院外学習は中断とし、予定を変更して辺境伯の館へ向かいます。その前に、まずは人数の確認を──」
何がどうなってんだよ。
魔獣をこうも容易く斃せる存在が、何人も居やがんのか?
ならよぉ、何でもっと斃しに行かねぇんだよ⁉
オマエらがもっとやる気を出してりゃあよぉ、死なずに済んだんじゃねぇのか?
くそがッ!
未だに他者を頼みとしようなんざ、ホントに俺はバカだよなぁ。
そうだな、連中は連中の都合でしか動かねぇのが道理。
先生に助けられただけでも、望外の奇跡ってもんか。
いいさ、分かってる。
連中に頼らずとも、自分で何とかしてやるさ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。