SS 過去
普段どおりに朝を迎え。
日中はお母さんに甘えて。
お父さんが仕事から帰ると、遊ぶようせがむ。
いつもと変わらぬ日常。
何の変哲もない夕食。
両親と向かい合って座っていた。
その日が最期になるとも知らずに。
最初は異音だったか。
それとも、振動だったのか。
会話が一瞬途切れ、次の瞬間には、正面から家の一部と共に両親が消え失せていた。
外が見えた。
見覚えの無い景色が。
地面も建物も、不自然に抉り取られて、鋭利な断面を覗かせていた。
支えを失った机が、思い出したかのように向こう側へと倒れてゆく。
音が振動が、遅れて戻ってくる。
様々なモノを引き連れて。
それは破壊であり、悲哀であり、慟哭であり、怨嗟であり、憤怒であり、恐怖であり、死であった。
次々と生まれは消えてゆく。
動けない、動かない。
泣くことも叫ぶこともできやしない。
此処にもう日常は無い。
あった物は失われて。
あるべきはずの者は喪われて。
見知らぬ世界が広がっていた。
受け入れ難い現実が。
頭が心が、理解を拒む。
拒絶する。
何で、何が、どうして、何で、何が、どうして、何で、何が、どうして。
グルグルグルグル。
理解には及ばない、理解には届かない。
受け入れない。
許容できない。
姿も、温もりも、声も、変わらず覚えているのに。
どうして居ないの?
酷く寒い。
震える、震えている。
自分だけじゃなく世界も。
座っていることもできなくなり、床に倒れ込む。
傾ぐ世界。
ああ、きっと壊れてしまったんだ。
自分か、世界か、両方共か。
けれど、そんなことがあるわけない。
これは夢だ。
ちゃんと戻れる。
目が覚めれば、元に戻ってる。
何て不快な夢なんだろう。
こんな世界、妄想にしたって酷過ぎる。
だから早く、目覚めてくれ。
「おい小僧! まだ生きてるのか⁉」
あらゆる音を遮り、声が響いた。
虚ろだった視界に、誰かが映り込む。
「ぅ……ぁ……?」
「よく耐えたな。すぐに助け出してやる」
何かに圧し潰されてでもいるのか、身動ぎ一つできない。
全身の感覚が無い。
が、その圧力がフッと消え去る。
「……此処は小僧だけか? 他には誰も居ないのか?」
血液が巡り出す。
ジンジンと痛み始める。
何で、何で何で何で何で何で。
夢が覚めない。
家族が、日常が、戻って来ない。
「ぁ……ぁぁ……」
「体が痛むのか? 待っていろ、すぐに治癒魔術師の元へと連れて行く」
視界が歪む。
壊れた世界が、グシャグシャになってゆく。
「ぁぁぁ……ぁぁぁぁぁ……」
ダメだ。
まだ離れるわけには。
お父さんとお母さんを捜さないと。
喉が正しく機能してない。
声が上手く出せない。
放せ! 放せよ!
「小僧、暴れるな! 大人しくしていろ」
あの日の惨劇は、魔獣によるものだった。
国境の戦士団が突破され、中央にまで侵入を許してしまったらしい。
数は3体。
その内の1体が、不運にも家を抉って行ったのだ。
バカだった。
戦士団なんかを信頼なんてしていなければ。
他人なんかを頼りにしなければ。
今もきっと。
……いや、まだだ。
もしかしたら、あの崩れた家の先に、お父さんとお母さんがいるかもしれないじゃないか。
行かないと。
行って助けないと。
「──まて小僧。何処に行くつもりだ」
「俺に構うな」
「救った命に責任を持てと、頭に言いつけられている。何をするにも、まずワシの許可を取れ」
「うるせえ」
「ワシは小僧の命の恩人だ。取るべき態度というものがあるだろう」
「頼んでねぇ」
「……やれやれ。どんな育て方をされたのやら」
「んだと⁉ 今、何つった⁉」
「癇に障ったか? 小僧の態度は、そのまま親への評価に繋がる。これでは、死んだ者も浮かばれん」
「死んでねぇ! まだ生きてるに決まってる! だから助けに行くんだ!」
「ワシが見落としたと? 獣人の五感を侮るなよ。それに、あの場には頭の戦士団が出張っていたのだ。まだ息のあった者は、全員助け出している」
「勝手に言ってろ。俺はもう誰も信じねぇ」
「あれから何日経ったと思ってる。行けば心を痛めるだけだ」
それ以上問答には付き合わず、天幕をとび出す。
廃墟の中をひた走る。
町は様変わりしていた。
元がどんな姿だったのか、思い出すのも難しいほどに。
それでも、微かな面影を頼りに脚を動かす。
仮設の天幕が減るにつれ、建物は形を崩してゆく。
異臭が漂ってる。
赤黒い染み。
潰された何か。
「──ウプッ、オエッ」
込み上げてくるモノを堪えきれず、道端に蹲り吐き出す。
異臭が増す。
涙が滲む。
お父さんとお母さんは大丈夫。
きっと、絶対に。
腕で顔を拭い、再び走り出す。
しばらく進むと道が、いや町が途切れた。
地面や建物が抉られている。
真っ直ぐに続く破壊の痕。
そこだけ瓦礫も無く、妙に綺麗だ。
意を決して、底へ下りる。
前後に吹き抜けた空間は、酷く奇妙な光景。
此処を進めば、家も見つかるだろうか。
走ることはせず、左右を確かめつつゆっくりと歩く。
並ぶのは縦に切断された建物の断面たち。
静かだ。
自分の足音と風の音しか聞こえてこない。
天幕周辺は、ずっと声が止まずにうるさい。
いい迷惑だ。
連中は考えが足りてない。
魔獣が誘き寄せられでもしたら、どうしてくれる。
苛々する。
他人が鬱陶しくて堪らない。
あの獣人もそうだ。
ずっと付き纏いやがって。
そもそも、アイツら戦士団の所為で、町がこんなことになったんだ。
偉そうに指図できる立場だと思ってんのかよ。
ムカつく。
あんな奴に頼らなくたって。
ズドーン。
足場が揺れる。
何の音だ?
建物が崩れたのか?
それとも、それとも。
……魔獣が来たのか?
途端に体が硬直する。
極力呼吸を抑えて、目と耳で状況を探る。
心臓がうるさい。
しばらく待ってみるが、揺れも音も続かない。
体の硬直が解ける。
再び歩き出す。
どんどんと日が落ちてきた。
一変した町並みは、その姿を余計不気味なモノへと変じさせる。
それでも歩く。
捜し続ける。
「あらあら、そんな所に居ては、危ないわよぉ~」
「ッ⁉」
久しぶりの人の声に、全身が震えて足が止まる。
「坊や、どうしたのぉ~? 誰かと一緒じゃないのぉ~?」
声の主を慌てて探す。
「あら~? もしかして喋れないのかしらぁ~? それとも聞こえてないのぉ~?」
見つけた。
沈む日の所為で、酷く眩しい。
「ちゃんと聞こえてるぅ~?」
「聞こえてる。だから声を出さないでくれ」
魔獣が寄って来たら困る。
「あらあら、ゴメンなさいねぇ~」
分かっているのかいないのか。
おっとりとした口調は変わらない。
大人の女の人なのは分かるが、容姿は影になって見えない。
「もう暗くなってしまうわぁ~。良ければ一緒に行きましょ~」
正直なところ、迷っていた。
道にではなく、これからどうするべきかを。
天幕には戻りたくない。
気分が滅入る。
けど、家にも帰れない。
帰り着けない。
もし辿り着いてしまえば、全てが決定づけられてしまう。
他の可能性が消えてしまう。
だからもう、何処にも行けない。
「大丈夫よ~。明日になったら、ちゃんと家まで送り届けてあげるわぁ~」
「……帰る場所なんて無い」
「そうなのぉ~? それは大変だわぁ~」
全然、大変そうには聞こえてこない。
聞いていると、妙に力が抜ける。
「ワタシの家にいらっしゃいな~。このすぐ近くにあるから~、ね?」
どう答えたんだったか。
もう思い出せない。
気が付けば、手を引かれていた。
「随分と遅かったな」
「ゴメンなさいね。留守番を頼んでしまって」
「構わん。が、そろそろ捜しに行ってやらねば…………ん?」
「げ」
「あらぁ?」
何故だか、案内された家の中には、見覚えのあり過ぎる獣人が居た。
「何だ小僧。ワシは拒んだ癖に、此奴にはのこのこ付いて来たのか」
「何でテメェが居るんだよ」
「もしかして、二人は知り合いだったのぉ?」
「マザー、おかえりー」
「おそいよー」
「おなかすいたー」
奥の部屋から、子供がワラワラ出て来た。
「あらあら、少し待っててねぇ~。今から用意するわぁ~」
「ふふふ、その必要はないぞ。何故なら、ワシが肉を持参してやったからな」
「……えぇっと、そのままじゃあ、食べられないわね」
「何故だ?」
「焼かないとダメよ」
「そんなはずは──」
「ダ・メ・よ」
「そ、そうなのか? まあいい、差し入れた物をどうするかは任せる。では小僧、帰るぞ」
掴まれそうになった腕を、咄嗟に払いのける。
「触んな」
「やれやれ、まだ気が済んではいないのか?」
「テメェには関係ねぇだろ」
「小僧、余り手を焼かせるなよ」
「あらああまあまあ」
睨み合う俺たちの間に、割って入ってくる。
「事情を説明してくれるかしらぁ?」
「そう……やっぱり、あの日に……」
「うむ。今はワシが面倒を見ている」
「あの人にも困ったものね」
「頭は何も悪くない。責ならばワシにある。何の責かは分からんがな」
「アナタに親代わりが務まるのかしら」
「親じゃねえ!」
「止せ小僧。こんな場所で大声を出すな」
「うるせえ! 俺の家族は父さんと母さんだけだ! テメェなんか──」
「ゴメンなさいね~、ワタシが軽率なことを言ってしまったわ~」
やさしく抱きしめられた。
大して力は込められてないはず。
なのにどうしてだか、振り解けない。
「そうよね、誰にも代わりはできないものねぇ~」
「すぐにこの調子でな。随分と手を焼いている」
「フフフ、アナタの小さいころも、随分と手を焼かされたものよ」
「……ワシのことは、今は関係ないだろう」
「どうしたらいいのかしらぁ……他に呼び方……そうね、こうしましょう」
「また何か、益体もないことでも思い付いたのか?」
「アナタはこれから先生よ」
「何だと?」
「先を生きる者として、色々と教えてあげて頂戴。いいわね? 坊やもよ、これからは先生って呼んであげてねぇ~」
「……嫌だ」
「あらあらまあまあ」
あれから色々あった。
1年ほど経って、先生の母親が戦士団を引退するとかで、俺はマザーの養護院に厄介になった。
戦士団を率いる立場になっても、時折顔を見せに来てくれた。
2人には感謝してる。
恩人だ。
家族とは呼べないけど、大事な人だ。
助けてもらったように、俺もいつかは、助けになってあげたい。
今ではそう思える。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




