1 死を越えて
本日1/16より連載を開始いたしました。
完結保証の毎日投稿となります。
お楽しみいただければ幸いです。
全戦士団が招集された理由はアレか。
風景を遮って余りある巨大な北壁。
日食以降、晴れることの無い黒雲。
そこに、異形が現れていた。
皆の視線もまた、壁の更に上へと注がれている。
「まさかとは思うけど、アレも魔獣なわけ⁉ 冗談じゃないわよ!」
「ま、まるで山みたいですぅ」
「あれほどの異形……ただの魔獣などではあり得ません。母様から聞かされた伝承にある、災禍の獣かもしれません」
「さいか なに?」
「簡単に表現すると、悪いこと、になるのでしょうか」
「わるもの!」
「はい、そうですね」
「呑気に話してる場合⁉ あんなの、アタシらにどうしろってのよ⁉」
「……だな。俺らじゃ、幼生体相手ですら荷が勝ち過ぎる。アレ相手に何ができるはずもない。北壁が無事な今の内に避難するぞ」
「本気で言っているのですか⁉ この場に集った他の者たちを見捨てて、ワタシたちだけが、戦いもせず逃げ出すと⁉」
「アンタねぇ、状況が分かってないわけ⁉ 壁上の大弓を食らい続けてビクともしてない相手よ。敵わないどころか、戦いにすらならないっての」
「異論は認めない。皆、生き残ることを最優先しろ。南下して王都に──いや、西の帝国領に向かうぞ」
俺たちの参戦如何など、戦況に僅かの影響も与えまい。
アレも魔獣と仮定すれば、狙うはより多くの魔術師が集う場所。
王都へと向かう公算が大きい。
帝国ならば、まだ抗し得る可能性はある……と、今は信じよう。
「余り猶予は無い。」
他の連中に構わず、北壁を右手に置き駆け出す。
日食から続く、晴れることのない黒雲が。
巨大過ぎて距離感が掴み辛い。
が、アレは既に、北壁の寸前まで迫りつつあるのだろう。
壁上の連中が、逃げ出し始めている様子からも、状況が差し迫っているのが窺い知れる。
次の瞬間にも、パニックが起こっても何ら不思議ではない。
「──ッ⁉ バカ、止まりなさい!」
と、いきなり襟を掴まれた。
直後、轟音を伴い、眼前を物凄い速度で何かが通過する。
右から左に。
──くそッ⁉ 何だ⁉
何かが顔に掛かって視界を遮る。
「そんな⁉ 壁が⁉」
目にまで入ったそれを、急ぎ拭い取る。
視線を右に向けると、壁の一部が消え失せていた。
どうやら、先程通過していった物がそうだったらしい。
視線を左に転じれば、誰かだった赤いモノが。
……あの恰好、以前何処かで見覚えがあるような?
いや、こんなことしてる場合じゃない!
「全力で走れ! 魔獣が侵入してくるぞ!」
思考を無理矢理中断し、叫びながら駆け出す。
既に耳が、無数の悲鳴を拾っている。
この声が聞こえなくなった時こそ、俺たちの終わりに違いない。
「おい! いつまで首を掴んで──」
──は?
足が止まる。
振り返った先にあったのは、顔よりも大きい歯の群れ。
じゃあ、この腕はいったい?
状況に理解が及ばず、上手く思考が働かない。
腕の先にあるはずの体が、どこにも無い。
視界のどこにも、仲間の姿は見当たらない。
バリボリグチャリと、不快な音が眼前から生じている。
家程の大きさもある、魔獣の成体。
まさか……腕しか残ってないのか……?
まさか、まさかまさかまさかまさかまさか。
一瞬で仲間が喰われた。
それが現実。
「──ッ⁉」
巨大な歯の群れの隙間、見覚えのある髪紐が。
「くそがあぁぁぁぁぁーーー!」
死の恐怖よりも怒りの衝動が勝った。
ありったけの力で殴り掛かる。
「──ギッ⁉」
魔獣が物凄い勢いで遠ざかる。
いや、俺のほうが離れて行ってるのか。
無造作に振るわれた足。
軽く触れただけのソレに、吹っ飛ばされたらしい。
地面の上を何度も転がる。
「ゴボォッ、ゲホッ、ゲフッ」
突っ伏した口から、大量の血が吐き出されてゆく。
内蔵でも潰されたか。
起き上がろうとしたが、腕があり得ない方向へと曲がっていた。
失血の影響か、体が不自然に痙攣している。
──どうでもいい。
痛みなぞ無視だ。
あの魔獣は何処行きやがった?
アイツらの仇……逃がさねぇぞ!
腕の骨を支えに、無理矢理に上体を起こす。
途端、腹から溢れ出す血。
何処だ、何処行きやがった⁉
魔獣、魔獣、魔獣、魔獣、魔獣。
辺りは魔獣で溢れ返っていた。
あれだけ居たはずの戦士団が、もう両手の指で足りるほど。
喰われ、踏まれ、千切られ、吹き飛ばされて。
見る間に死体が量産されてゆく。
死が満ちる。
身を焼く熱が冷えてゆき、自身の置かれた状況がジワジワと浸透してゆく。
先生たちはどうなったんだ⁉
最強の戦士団ってのは、何やってやがんだよ⁉
皆、死んじまったのか⁉
全て、無駄だったってのかよ……ッ。
やってきたことも、やろうとしてたことも。
北壁の所為で故郷に魔獣が集まってると思ってた。
それでも、この量を考えれば被害は極僅かだったのかもな。
例え首尾よく壁を造れていたところで、アレは防ぎようがない。
遂に壁を越え、怪物がやって来た。
とはいえ、見えるのは黒天を更に覆う足裏のみ。
ただ歩くだけで、容易く世界を滅ぼせるってわけだ。
──気に入らない。
──ああ、気に入らないね。
人様の仲間も、将来の展望も、何もかもを駄目にしちまったわけだ。
伝承の怪物だか知らないが、帝国の連中に精々惨たらしく殺されてくれ。
周囲が暗さを増す。
壁を跨いだ怪物の足裏が頭上を覆っていく。
もうすぐそこまで、死が迫って来ている。
ああ畜生。
こんな所に来るべきじゃなかった。
戦士団なんぞ、結成すべきじゃなかった。
学院を退学するべきじゃなかった。
……そもそもが、皆を巻き込むべきじゃなかったんだ。
もしもやり直せたなら、きっと違う選択を。
視界が真っ黒に染まった。
『縁は結ばれた』
『呪は成った』
『我が元へ来たれ』
『我を滅せよ』
意識を失う間際、声を聞いた気がした。
……いや、おかしい。
なら何で、今こうして考えてられるんだ。
「おやおやぁ~? 余計な真似しちゃいましたかねぇ~?」
「アナタは──」
声が聞こえる。
今度は、ハッキリと。
聴覚だけではない。
何故だか他の感覚も戻っている。
黒雲が晴れている。
周囲は子供だらけ。
何処だ此処は?
あの怪物は?
大量の魔獣共は何処に行ったんだ?
「す、すっげぇー」
「なあなあ! あれってマジの魔獣だったんだろ⁉」
「一撃かよ」
子供が喧しい。
何を騒いで……あん?
デカい川の中、肉塊と氷塊があった。
氷塊の中には、魔獣の姿。
大きさからして、恐らくは幼生体。
もう一方、氷塊の数倍はあろう肉塊の上に、全身赤尽くめの男が立って居る。
妙な既視感。
いつだったか、こんな光景を見たような気が。
「──では、水門の調査には、我が国からも人員を派遣いたします。よろしいですね?」
「国境はジブンの管轄ですしねぇ~。態々陛下にお伺いを立てずとも構わないかな~。ってなわけで、入国許可はジブンが出しとくんで、お好きにどうぞ~」
国境……?
北壁じゃあない。
川向うにあるのは、いつだか見た帝国領の壁。
ならば此処は、西区に違いあるまい。
いったい、何がどうなってやがるんだ?
致命傷を受けたはず。
歩くことはおろか、這うことすら難しかった。
とてもじゃないが、国境まで辿り着けるわけない。
改めて周囲を見渡してみても、居るのは同じ格好をした子供ばかり。
唯一の大人。
この人物には見覚えがある。
「院外学習は中断とし、予定を変更して辺境伯の館へ向かいます。その前に、まずは人数の確認を──」
そう、そうだ!
思い出した!
学院に入学してすぐ行われた院外学習。
一連の光景は、あの日あの時のままだ。
自分の恰好もまた、周囲の子供と同じく学院の制服姿。
訳が分からない。
俺は確実に死んだはず。
記憶も感覚も、ありありと残っている。
決して白昼夢なんかじゃあり得ない。
「聞こえませんでしたか? 整列なさいと言っているのです」
「あ”?」
「……随分と反抗的な態度ですね。状況を理解していないのですか?」
気付けば、他の連中は整列を終えていた。
俺だけが列の外で突っ立っていたわけだ。
引率役の女教師──いや、王国最強の魔術師が冷ややかな目で見下してくる。
ついバツが悪くなり、視線を逸らしてしまう。
思えばコイツの娘は、俺が連れ出したばかりに死なせたわけだしな。
……いや待て、そうじゃないのか?
慌てて列の中に視線を這わす。
──居た!
列の中、そいつの姿を見付ける。
やっぱりそうか。
まだこの時は、死んでなどいないんだ。
「どうにも様子がおかしいですね。いえ、あんな目に遭ったばかりですし、無理もありませんか。先程の出来事で心身に支障をきたしてしまったのですね」
ああ、全く以ておかしいとも。
アンタに状況が理解できるってんなら、是非ともご説明願いたいぐらいだよ。
見た限り、俺以外にパニクってる奴は居やしない。
つまりこの現象は、俺にしか起きてないってことなんだろう。
俺がイカれたってわけじゃないなら、遠からずアレが起きることになる。
学院入学からとすれば、ざっと見積もって8年後ぐらいか?
たった8年。
それだけで何ができるってんだ。
アレが動き出す直前まで、世間では噂すら流れちゃいなかった。
誰も何も備えちゃいなかったに等しい。
とはいえ、だ。
備えていてどうにかなる類いの代物でもなかったが。
神話の怪物。
竜や精霊を滅ぼした太古の魔獣。
ハッ、誰も信じちゃくれねぇだろう。
少なくとも、初等部の歴史では習わなかった。
もしもあんな怪物を倒した逸話が残されているのなら、あるいは生き残れる希望も出てくるんだがな。
「誰か、この子に付き添ってあげてください。急いでこの場を離れましょう。またいつ魔獣が現れるとも知れませんから」
そうそう、魔獣も厄介だったな。
壁が壊されれば、魔獣の侵攻を防げない。
あの時、壁を破壊したのは、怪物の仕業だったのか?
成体ですら通しはしなかった壁を、いとも容易く。
山の如き巨躯。
足だけで壁の高さを超えていやがったし、無理もないのか。
壁に到達する前に、どうにかして怪物を斃さなければ、王国は滅ぶ。
誰も彼もが死ぬ。
この子供たちも、養護院の連中も、全て。
何もしなけりゃ、変わらないし変えられない。
何かをしたところで、変えられないし変わらない。
どちらも同じこと。
絶対の死を超える術なぞ、見つけられるはずもないのだから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。