1-11. 賢者となったユリア
日も暮れて、昨日より少しやせた月が昇ってくるのをユリアがボーっと見ていると、ジェイドが料理と食器をプレートに入れて持ってきた。
「今日は照り焼きにしてみた」
そう言ってニコッと笑う。
「うわぁ! 美味しそう!」
ユリアは目を輝かせて湯気の上がる大きな肉の塊を見つめた。
ジェイドは皿に肉を盛ってユリアに渡す。
「どうぞ」
「ふふっ! ありがと!」
ユリアは受け取るとフォークで口に運ぶ。
そして、目を大きく見開くと、
「美味し~!」
と、言って、目をギュッと閉じて首をフルフルと振った。
気を良くしたユリアはリンゴ酒を何杯かおかわりしながら、上機嫌で魔法の魅力を語り、肉料理をモリモリと食べる。
そんなユリアを、ジェイドは微笑みながらうんうんとうなずいて聞いていた。
絶好調に盛り上がり、すっかり満足したユリアは、
「うーん、お腹いっぱ~い!」
と、言ってベッドにダイブする。
「歯を磨かないとダメだぞ」
そんなユリアに声をかけるジェイド。
「だいじょぶ、だいじょぶ、それ~! 生活浄化!」
ユリアはそう叫んで手を上にあげた。
すると、ユリアは光に包まれていく。
そして、光が消えた後にはツヤツヤでさっぱりとしたユリアが満足げに横たわっていた。
「さすが大聖女……」
ジェイドは感心しつつも釈然としない様子で、だらしなく転がる幸せそうなユリアを眺めていた。
◇
「今夜も添い寝でいいな?」
パジャマを着たジェイドが部屋に戻って来て聞く。
「え? 今夜……も?」
うつらうつらしていたユリアは驚いて目を見開く。
もちろん、ジェイドはドラゴン、自分をどうこうしようとする意図なんてないだろう。しかし、自分は十六歳の純潔の乙女なのだ。一緒に寝てるなんてことを誰かに知られたら……。
「どうした?」
ジェイドは悩んでるユリアに聞いた。
「一緒に寝てること……、誰かに知られたらまずいかな……って……」
モジモジしながらユリアが答えると、
「じゃあ、二人の秘密にしよう」
そう言ってニコッと笑う。
「ひ、秘密って……。そ、そうじゃなくて!」
秘密にしたらすべて解決……な訳ではない。
若い男女は一緒に寝ちゃいけないことをどう説明したらいいのか?
「大丈夫、誰にも言わない」
ジェイドはまっすぐな目でユリアを見る。
「あー! もぅ! 間違いがあったらどうするのよ!」
ユリアはイライラして叫んだ。
「間違いって?」
ジェイドはキョトンとする。
「ま、間違いっていうのは……そのぅ……」
ユリアは説明しようとして固まってしまった。
そして、みるみるうちに真っ赤になり、頭から湯気が上がる。
ユリアは目をつぶってブンブンと首を振り、大きく息をついた。
よく考えればジェイドから迫られることはないだろう。彼のユリアを見る目はまるで妹を見るような優しい目で、異性に向けるようなまなざしではないのだ。
で、あれば、ユリアから迫らない限り間違いなど起こりようがない。
なんだ、大丈夫。そう思いかけた時、ふと、ジェイドの厚い胸板の感触がよみがえり、顔がボッと真っ赤に染まった。
うそ……。
一体自分は何を考えているのか?
ユリアは自分に自信が持てなくなってしまう。
スゥ――――、……、フゥ――――。
スゥ――――、……、フゥ――――。
ユリアは深呼吸を繰り返した。
やがて眼がトロンとしてきて、雑念は消え去っていく。
「どうした? 大丈夫か?」
ジェイドは心配になって声をかける。
「大丈夫、一緒に寝ましょう」
賢者となったユリアはうつろな目でほほ笑んだ。
1-12. 蠢く悪意
それから数週間、ユリアはオンテークの森で暮らした。人の手の入っていない鬱蒼とした森には、巨木が茂り、リスやタヌキがちょろちょろと動き回っている。オオカミやクマなどはジェイドの匂いに警戒して近寄ってこないので小動物にとっては楽園だった。
そんな森の中でユリアは散歩をしたり、リスに餌付けをしたり、ジェイドから飛行魔法を教わったりしながらゆっくりと心の傷を癒していく。
しばらくゆったりとした時間を過ごすユリアだったが、元気を取り戻してくるとだんだん物足りなくなってくる。王宮でのピリピリとした暮らしはウンザリではあるが、いろいろな人と接することが生活に張りを出すためには必要だと気づいたのだ。
「ねぇ、街に行きたいわ」
ユリアは上目づかいにジェイドにねだる。
「街? 危ないぞ」
ジェイドは渋い顔をする。
「大丈夫、変装してたらバレないわよ! ねぇ……、お願い……」
ユリアはウルウルとした目でジェイドを見つめる。
「うーん。仕方ないな……。では、我から離れないように」
「わーい! ありがと!」
ユリアはジェイドにハグし、ジェイドは少し苦笑いしながら優しく髪をなでた。
◇
傾きかけた日差しの中をドラゴンの背に乗ってスウワの街へと飛ぶ。ユリアは金髪碧眼に変身して、パッと見大聖女とは気づかれないようにしている。
山をいくつか越え、遠くに大きな湖が見えてくる。スウワの街はその湖のほとりにあるのだ。
ジェイドは街の近くで速度を落とし、
「そろそろ人に戻るぞ」
と、重低音の声を響かせる。
そして、ユリアを空中に浮かび上がらせると、ボン! と煙を上げて人化してユリアをお姫様抱っこする。
「わぁ!?」
驚くユリア。
「舌を噛まないようにしてて」
ジェイドはそう言うと一気に速度を上げ、隠ぺい魔法を展開して街の中心部へと降下して行く。
高い城壁に囲まれたスウワの街は、湖の水を生かし、水路が整備されている水の街である。
「うわー、綺麗……」
金髪をなびかせながらユリアは、小舟が行きかう美しく整備された街を眺めた。
ジェイドは人気のない裏通りにスーッと着地して、ユリアを下ろす。
「ありがとう!」
ユリアにとっては久しぶりの街である。目をつぶってしばらく人々の生活の匂い、響いてくる生活音を感じながらうれしそうに笑った。
ジェイドはアイテムバックから金貨をひとつかみ出し、ユリアのポーチにジャラジャラと注いで言った。
「今日のご予算はこのくらいで」
「えっ!? そんな、悪いわ」
驚くユリア。
「龍はお金には困ってないんだ」
ジェイドはそう言ってニコッと笑う。
「うーん、じゃ、いつか返すから使わせてね」
ユリアはうれしそうに笑った。
◇
服や調味料、小物などを買って、ちょっと高級なレストランに来た二人。
「久しぶりの街に、乾杯」
「カンパーイ!」
二人はグラスを合わせてリンゴ酒を口に含んだ。
爽やかな香りとシュワシュワした炭酸が身体に沁みる。
「美味しいわ……」
ユリアはトロンとした目で、心地よい疲れが癒されていくのを感じる。
森でゆったりと暮らし、街で遊ぶ、新たな人生が楽しみになってきていた。
その時だった――――。
「ねぇ、聞いた? スタンピードですって!」
隣のテーブルのおばさんがキナ臭いことを言っている。
ユリアは思わず眉をひそめてジェイドを見た。
ジェイドも険しい表情で聞き耳を立てる。
話を総合すると、数日前に王都にスタンピードが襲ってきたらしい。幸い撃退はできたようではあったが多くの死傷者が出たという話だった。
ユリアはがっくりと肩を落としてため息をつく。自分が張っていた結界が健在であれば死傷者など出なかったはずなのだ。ゲーザだか公爵派だか知らないが、彼らの陰謀が引き起こした被害に腹が立って……、それでもどうしようもない自分に打ちひしがれていた。
食べ物がのどを通らなくなってしまったユリアを、ジェイドは心配そうに見つめる。
二人は早々にレストランを引き上げ、オンテークの家に帰った。
◇
ベッドの上で月明かりを浴びながら、泣きそうな顔でユリアは言った。
「ねぇ……、私、どうしたらいいのかしら……」
「どう……って?」
ジェイドが少し困惑したように返す。
「手を尽くして、また大聖女に復帰できるように頑張った方がいいんじゃないかって……」
「でも、ユリアは罪人とされてしまってるから、公爵派の陰謀を暴いて名誉の回復をしないとならないんだろ? できるのか?」
「そう……、そうなんだけど……」
ユリアは沈む。どう考えてもそんな事不可能に思えたのだ。