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第1章 追放大聖女

コンテスト応募用に過去作をリメイクしたものになります。

挿絵(By みてみん)

1-1. ワナに堕ちた大聖女


「大聖女! 貴様は追放だ――――!」

 きらびやかな王宮、その大広間の壇上で国王が大聖女ユリアを指さし、真っ赤な顔で()えた。

 列席の正装をした王侯貴族たちは静まり返り、お互いの顔を見合わせながら困惑の表情を浮かべている。


 今日は王国の大切な儀式『蒼天の儀』の日。それは国内外から多くの賓客(ひんきゃく)を招き、神に祝福された大聖女がそのけた外れな神聖力で街を聖結界で覆い、魔を(はら)う神聖な儀式だった。

 ところが、ユリアは国宝『蒼天の杖』を無くし、壇上に手ぶらで現れたかと思うと、神聖力を全く出せないまま、結界を張るポーズを無様に繰り返すばかり。


 王家の威信をかけた儀式を潰された国王の怒りはすさまじく、静まり返った大広間には緊張が走っていた。


「お、お待ちください! これは何かの間違い……」

 金の刺繍が施された純白の法衣をまとった十六歳の少女ユリアは、真っ青になって国王に近づこうとする。アッシュ系の黒髪に健康的な艶やかな肌、そして整った目鼻立ちの美しい少女は眉をひそめ、目に涙を浮かべながら、とりなそうと必死だった。

 さっきまで蒼天の杖は持っていたし、神聖力も普通にあった。それが控室でお茶を飲んだ直後、強烈な眠気に襲われ、気がついたら壇上に引っ張り出されていてこんな事になってしまっていたのだ。杖無しでも結界は十分張れるはずだったが、神聖力まで奪われていたとは想像もしていなかった。

 騎士たちが一斉にユリアを囲み、捕縛(ほばく)する。

「引ったてろ!」

 国王はアゴで出口を指し、騎士たちはユリアの両手をガッシリとつかんだまま引きずっていく。

「い、いやぁ! やめてぇ!」

 ユリアは悲痛な叫びを上げるが、出席者たちはただ冷たい視線を投げかけるだけで、引きずられていくユリアを傍観していた。

 ユリアは、離れたところで伏し目がちに見ている、幼なじみで男性従者のティモを見つける。

「ティモ! 助けて! ティモ――――!」

 しかし、ティモはくるりと背を向けると、何も言わずに逃げ出してしまった。

「えっ! な、なんで……」

 唖然とするユリア。

 物心ついた時から一緒だったティモ、自分の事を一番分かってくれているはずのティモに逃げられてしまったことにユリアは愕然(がくぜん)とし、口を開けたまま言葉を失った。

「お前たち、待て!」

 豪奢な純白のジャケットを着た金髪の少年が飛び出し、両手を広げ、ユリアを引きずる騎士の行く手を阻む。透き通るような白い肌に凛とした鼻筋、そして王家の血筋を示すエンペラーグリーンに輝く瞳……、少年は第二王子だった。

「大聖女さまは何かの間違いだとおっしゃっている。まず調査が先だろう!」

 少年は毅然(きぜん)と言い放つ。

 ユリアは泣きそうな顔でこの美しい少年を見つめた。

 すると、同じく純白のジャケットを着た男がニヤニヤしながら少年に近づいた。

「なんだ? お前、コイツに()れてんのか?」

「ほ、惚れてるとかどうかじゃなく、一度の失敗で追放なんて……」

 少年はちょっと頬を赤らめながら言い返す。

「国宝を無くし、大切な儀式をぶち壊し、神聖力も失った小娘を大聖女になど、もはや誰も認めんよ」

 男は汚らわしいものを見るかのようにユリアを一瞥してそう言うと、少年をにらんだ。男は少年の兄、第一王子だった。

「いや、でも……」

 口ごもる少年。

「俺はこんな黒髪の田舎娘が大聖女だなんておかしいと思ってたんだ。父上の命令は絶対だ。文句は許さん……。いいからどけ!」

 男は少年を突き飛ばした。

 ぐはぁ!

 少年は無様に転がり……、細い腕で身を起こしながらその美しい顔を歪める。

 男はフンッと鼻で笑うと、アゴでユリアの連行を指示した。


「い、いやぁぁぁ!」

 大広間にユリアの悲痛な声が響き、そして連れ出されていく……。

 ザワザワとする大広間、その中で一人ニヤけている女がいた。聖女ゲーザだった。ゲーザは美しい銀髪を編み込んでオフホワイトの法衣をまとい、整った目鼻立ちに白い肌、そしてイチゴのようなプックリとした紅い唇……、しかし、その(あお)い瞳の奥にはほのかに(くら)い情念が揺れている。

 ゲーザはでっぷりと太った教皇の隣で、ユリアの連行を眺めながらその美貌(びぼう)に似合わぬいやらしい笑みを浮かべていた。





1-2. 色仕掛けの聖女


 地下の牢獄で、錆びた鉄格子の扉がキキィーと嫌な音できしみながら開かれ、ユリアは冷たい石の床に転がされた。


 いやぁ!


 ユリアは冷たい床石にひざをしたたかに打ってしまい、その痛さに鼻の奥がツーンとしてくる。


 ガチャンという、まるでギロチンが落ちた時のような無慈悲で重い音が牢獄に響き、扉は閉められた。

 今朝までは宮殿の最上階の部屋で最上級の待遇を受けていた王国のシンボル、ユリア。それが今、地下牢でこんな扱いを受けるまでに転落してしまったのだ。

「なぜ……、こんなことに……」

 ユリアは頬を涙で濡らしながら控室の事を思い返す。


 昼食後、控室に通されてティモが運んできたお茶を飲んで、その時になぜか急に眠くなって、気がつくと杖は消えていたのだった。思えばこの時に神聖力も奪われていたのだ。

 誰が杖を盗んだのだろうか? こんな事ができるのはティモくらいだが……。

「まさか……」

 ユリアは頭を抱えた。

 ティモがやったとは考えたくない。しかし……、彼が犯人としか考えられなかった。睡眠薬を盛られ、好きにやられたのだろう。

 その認めたくない現実がユリアの首を真綿のように締め上げ、耐えきれなくなったユリアは冷たい床石にゴンと額をぶつけた。


 ひとしきり涙を流すとユリアはゆっくりと起き上がる。何とか活路を見出さねばならなかった。試しに手のひらを向かい合わせて神聖力を出してみる。しかし、極わずかの神聖力しか現れなかった。さっきまでだったら無限とも思える神聖力が現れ、まぶしく手の中で光り輝いていたのに、今ではほのかな光がぼんやりと見えるだけになってしまっている。


「どうしちゃったの……? 私……」


 ユリアはガックリとうなだれ、ポトポトと流れ落ちる涙をふきもせず、ただ底の見えない漆黒の絶望に囚われていた。


      ◇


 カツカツカツ……。


 ユリアが冷たい岩の床に横たわって動けずにいると、足音が聞こえてきた。

 やがて足音はユリアの牢の前で止まる。


「いい気味だわ」

 若い女の声がして、ユリアはそっと目を開く。牢を照らすほのかな魔法ランプの明かりに浮かび上がったのはゲーザだった。

 ユリアは何も言えず、ぼーっとゲーザの顔を見ていた。

「みんな清々してたわ。黒髪の田舎者が大聖女だなんて、あってはならないことなのよ」

「あなたがやったの!?」

 ユリアはバッと身を起こすと、鉄格子を握って叫んだ。

「ふふっ、ティモをね、ちょっと誘ってみたの。そしたらあの子相当欲求不満だったわよ。犬みたいに必死に腰振って……、私の上で何度も果ててたわ」

 うれしそうに報告するゲーザ。

「う、嘘よ! ティモに限ってそんな!」

「バカね。若い男の性欲をなめてるからよ。それが田舎娘の限界だわ」

「せ、性欲って……」

 ユリアは赤くなってうつむく。

「これ、なーんだ?」

 そう言ってゲーザは『蒼天の杖』を出した。

「あっ! 私の杖!」

 ユリアは鉄格子のすき間から手を伸ばして奪おうとしたが、ゲーザはギリギリ届かない位置で杖を揺らし、見せびらかす。

「この杖は見た目を作り変えて私の杖になるのよ。大聖女の私にピッタリの杖にね」

「だ、大聖女?」

「そう、次期大聖女は私って教皇は約束してくれてるの」

 いやらしい顔で笑うゲーザ。

「ま、まさか……、教皇様にも色仕掛けを……」

「男なんてね、股を開けば何でも言うこと聞いてくれるのよ。あいつらの頭の中にはセックスしかないんだから」

 そう言ってケラケラと笑った。

「な、なんてことを……。でもあなたに大聖女なんて無理よ。街を守る結界なんてあなたには張れないわ!」

「そんなの作らなくていいのよ。見た目が結界っぽかったら誰も気づかないわ」

「何を言ってるの!? 魔物が街を襲ってきたらどうするつもり!?」

「そんなの軍隊の仕事よ。私はこの杖でそれっぽい事だけしてればいいの。後は教皇が何とかしてくれるわ」

 ゲーザは杖をなでながらニヤニヤする。

「ダメ! 大聖女の仕事はそんなんじゃないのよ! 大聖女なめないで!」

 必死に叫ぶユリア。

「はっはっは。何と叫ぼうがあなたには何もできないわ」

 クッ……。

 うなだれるユリア。

「ふふっ、ティモにはこれからごほうびを上げる約束になってるのよ」

 ゲーザはいやらしい顔で笑った。

「ティモに……何を?」

「あいつが今一番欲しいもの……、コレよ」

 ゲーザはそう言って法衣の上から自分の股間を触り、いやらしい目をしながらくちびるをゆっくりとなめた。

「ウソよ!」

 ユリアはそう言うと、目をつぶって首を振り、そのままがっくりと肩を落とした。

 ティモは生まれてからずっと一緒だった幼なじみ。大聖女になった時に従者として王都にまで一緒についてきてもらうくらい信頼してたし、話の合わない宮殿の人たちの中で、唯一本音で話せる仲間だったのだ。でも、そう思っていたのは自分だけだったらしい。ティモの中に芽生えていた心の闇になぜ自分は気づかなかったのか。

 ユリアはあまりのことに気が遠くなり、がくっとひざから崩れ、冷たい床にペタリと座りこんだ。


「でもあいつ下手くそなのよね……、ま、しょうがないけどっ」

 ゲーザは勝ち誇ったようにそう言うと、うなだれるユリアを見てしゃがみこむ。

 そして、いやらしい目をして小声で言った。

「あんた、他人のことより自分のこと心配しなさいよ。追放先は極北の強制収容所をお願いしておいたわ」

「えっ!? 強制収容所!? そんなの死んじゃうわ!」

 目に涙をためながら叫ぶユリア。

 ゲーザはそんなユリアを満足そうにニヤニヤしながら見て、

 はーはっはっは!

 と、高笑いしながら靴音を高く響かせ、去って行った。


 ユリアはティモのことも自分のこともぐちゃぐちゃになって、不安と絶望のあまり崩れ落ち、硬く冷たい床にゴロンと転がった。


 どこかでピチョン、ピチョンと水滴が落ちる音が、いつまでも響き続けていた。






1-3. 公爵派の陰謀


 コツコツコツ……。


 夜半、ユリアが牢の寒さに震えていると誰かが入ってくる。

 そっと目を開けると、金髪の少年、第二王子のアルシェだった。


「ア、アルシェ……。こんな所に、いけません!」

 ユリアは飛び上がり、鉄格子をつかんで叫ぶ。

「ユリア……。こんな所に……」

 アルシェは暗く冷たい牢獄の中を見回し、ユリアの手にそっと手を重ね、涙で潤む目でユリアを見つめた。


 アルシェの手の温かさが心に()みたユリアは、湧き上がってくる悲しみをこらえきれずポロポロと涙をこぼす。

 そんなユリアの手を優しくさすりながら、アルシェは悲しそうな目でユリアを静かに見つめた。


「うっうっ……ゲーザたちに……はめられました……。蒼天の杖も……彼女が持ってます」

「ゲ、ゲーザ!? ……。そうか……、そういうことか……」

 アルシェはそう言って眉をひそめ、思索に沈む。

「私を強制収容所送りにするって……、うわぁぁぁ!」

 ユリアは激しく泣き始める。

「大丈夫、そんなことさせないから!」

 アルシェはユリアの手をギュッとにぎって、力強く言った。

 牢屋にはしばらくユリアの泣き声が響きわたり、アルシェはやさしく手をさする。


「公爵派の陰謀だろう」

 ユリアが落ち着くのを待って、アルシェが言った。

 ヒック、ヒックとしゃくりあげながら、ユリアは涙でぐちゃぐちゃになった顔でアルシェを見つめる。

「こ、公爵派……?」

「そう、王国は多くの王侯貴族の連合体。王家でも絶対権力者じゃないんだ。そして、最近公爵派が攻勢を強めている。『蒼天の儀』を失敗させれば王家の威信は揺らぐから、公爵派にとっては都合がいいだろう」

「ゲーザが……公爵派?」

「実は少し前にゲーザが魔法の勉強会に誘ってきたんだ。でも、出席者を調べたら明らかに公爵派だったので断ったんだ」

「危なかったですね……。何とか……ゲーザを捕まえられないかしら?」

「うーん、証拠があれば……。ある?」

 ユリアは必死に考えるが、物証など思いつかなかった。

「証拠は……むずかしいわ……」

 ユリアは肩を落とす。

「そうだよね……。分かった。僕ができること考えてみるよ。これは差し入れ」

 そう言ってアルシェは食べ物と毛布を鉄格子の間から差し出した。

「ありがとう……」

 ユリアは受け取って、アルシェの手を握る。

 二人はしばらく見つめ合った。二人を隔てるのは数本の鉄の棒。でも、この鉄の棒で仕切られた二つの世界には絶望的な断絶があった。

「こんな事しかできずにゴメン……」

「ううん、ありがとう……」

 ユリアは涙を浮かべてギュッとアルシェの手を握りなおす。

 王子が夜中に差し入れを用意し、身の危険を冒して秘かに牢屋までやってくる、それは簡単なことではない。ユリアはアルシェの気持ちの温かさに救われる思いがして、またポトリと涙をこぼした。


        ◇


 その頃、東京の田町にある高級マンションの最上階、メゾネットタイプの広いリビングで、美しい女性が物憂げに画面を見ていた。画面には各星から上がってくるニュースが流れ、女性はつらつらとスクロールしていく。

 すると、ユリアが涙をポロポロ流している映像が出てきて、スクロールを止めた。


「ん? これ、どうなってんの?」

 チェストナットブラウンの髪をゆらしながら目を細めて画面に近づき、しばらく眺めると画面をパシパシと叩く。そして、ずらずらと出てくる関連情報に見入った。

「ルドヴィカ……、あいつか……」

 そう言うと大きく息をつく。

 女性はしばらく何かを考えると、おもむろに初老の男性のアイコンを押した。

「陛下、お呼びですか?」

 画面から誠実そうな声が響く。

「キナ臭い奴見つけたわ。ルドヴィカ。ちょっと洗ってくれる? それからそこの大聖女もチェックしといて」

「かしこまりました」

 男性はうやうやしく答える。

「じゃ、ヨロシクー」

 そう言って通話を切った女性は、腕時計をチラッと見て焦った。

「ヤバいヤバい、遅れちゃう!」

 彼女はクローゼットからブラウンのジャケットを取り出してはおり、バッグを持ってベランダに出る。

 そして、

「それっ!」

 と、掛け声をかけながら軽く地面を蹴って跳びあがり、ツーっとそのまま上空へと飛んで行った。

 赤くライトアップされた綺麗な東京タワーの脇を、どんどんと高度を上げて行く女性。さっき上がったばかりの雨は東京の夜を艶やかにいつもより輝かせ虎ノ門から新橋、汐留に続く高層ビル群はいつもよりきらびやかに見える。女性は楽しそうにくるりと回りながら髪の毛をなびかせ、さらに速度を上げていった。


       ◇


 翌朝、憲兵たちがドヤドヤと牢屋に入ってきて、ユリアを後ろ手に縛り、粗末な馬車に手荒く乗せた。

 馬車が動き始め、王宮の門を抜けると、待っていた群衆が険しい顔をして馬車を取り囲む。

「詐欺師ユリアを許すな!」「ユリアを出せ!」

 なんと、ユリアをリンチにかけたい怒りに燃えた群衆だったのだ。


 ガンガン! と馬車を叩く音が響く。


 ユリアは真っ青になってかがみながら両手で耳を押さえた。街の人のために今まで大聖女として二年間、言いつけ通りに日々祈りをささげ、結界を維持してきたというのに、なぜこんな仕打ちを受けるのか? ユリアは胃がキリキリと痛み、絶望で吐き気を催した。


「お前ら離れろ!」「妨害するなら斬るぞ!」

 騎士たちが群衆に向かって剣を抜き、凄む。

 馬にムチが入り、馬車は強引に動き出した。

 しかし、今度は投石が馬車を襲う。馬車にガン! ガン! と次々と当たり、そのうちの一つが窓ガラスを破り、破片が車内に飛び散った。その一つが、かがんでいたユリアの頬を切る。

 タラリと垂れてくる鮮血。

「えっ!?」

 ユリアは手の甲にポトリと落ちた真紅のしずくに、思わず息を飲む。慌てて治癒魔法を使おうとしたが、神聖力は湧き起こらず、傷はいやせなかった。

 はぁぁ……。

 ユリアは声にならないうめきを漏らすと、そのままバタリと床に崩れ落ちてしまった。







1-4. 破られたブラウス


 その日は馬を替えながら一日中走り続けた。ユリアはガラスのなくなった車窓から、夕方の黄色に染まっていく風景を暗い顔でボーっと眺める。

 すると、見慣れた小さな山が見えてきた。

 その山は小さいころティモと一緒によく遊んだ遊び場だった。確か犬くらいの大きさの傷ついたトカゲの幼生をティモが見つけて、ユリアが治癒魔法で治してあげたりしたのもあの山だった。今思えば、小さな羽が生えていたのでワイバーンの幼生だったのかもしれない。あの頃は毎日朝から晩までティモと一緒に野山を駆け回って、毎日が楽しい冒険だった。


「ティモ……」

 ユリアはティモに裏切られたことを思い出し、涙をポロリとこぼした。ティモがゲーザの色仕掛けに堕ちたということは、そういうことに興味がある歳になっていたということなのだ。なのにユリアはそういうティモの成長を無視し、いつまでも子供の関係を維持し続けようとしていた。もちろん、背も高くなり、ヒゲも生えてきたティモの変化に気づかない訳ではなかったが、ユリアには大聖女の仕事のことしか頭になかったのだ。従者としていつもそばに置きながら距離を保つユリアのやり方を、生殺しだと恨んでいたのかも知れない。しかし、ティモと男女の関係になることはとても想像ができなかった。

 ユリアがどうしようもない事を延々と考えていると、ジフの街に馬車は進んでいく。石造りの大きな城門をくぐり、馬の(ひづめ)が石畳をパカパカと叩く音が街に響いた。

 やがて見えてきた大きな屋敷の前で馬車は止まる。領主の屋敷についたのだ。優美な曲線を描く鉄のフェンスに囲まれた屋敷は、手入れされた植木の庭園が広がり、ジフの街の中心部に潤いを与えていた。

 ユリアはまた縄で後ろ手に縛られ、離れの二階まで連行されていく。


 男はドアを開けるとユリアを突き飛ばし、身体をなめ回すように見ると、含みのあるいやらしい笑みをニヤッと浮かべた。そして、

「お前はこの部屋から出てはならん。外出禁止処分だ」

 と言うと、ドアを閉め、ガチャリとカギをかけて降りて行く。


 部屋には質素なベッドとほこりをかぶった古い家具がいくつか並ぶだけ。当面ここで暮らさねばらないのかと思うとユリアはゲンナリし、ベッドにそのまま倒れ込んだ。

 男は縄を解いてくれなかった。きっと誰かが解いてくれるのだろうと思ってしばらく待っていたが、誰も現れない。窓から夕焼け空の美しい茜色が見えるが、その美しい色もユリアには何の慰めにもならなかった。


 憔悴(しょうすい)しきっていると誰かが階段を上ってくる。


 ガチャリ!


 カギが開けられドアが開いた。

 現れたのは中年で小太りの男、領主のザロモだった。

 ザロモは脂ぎった顔で、几帳面に整えたひげを指先でいじりながら、ベッドのユリアを見下ろす。

「りょ、領主様……」

 ユリアはあわてて立ち上がった。

 ザロモはユリアが大聖女として選ばれた時、まるで自分のことのように喜び、いろいろと良くしてくれた男だった。ユリアはホッとしてザロモに微笑む。

 ところが、ザロモはカツカツとユリアに近づくと、手のひらでユリアのアゴを持ち上げ、じーっとユリアの顔を眺める。

「りょ、領主様?」

 ユリアは朝に切った頬の傷が痛み、顔を歪めた。

「お前、大変なことをしてくれたな……」

 ザロモはそう言うとユリアを鋭い目でにらんだ。

「えっ!? 今回の事は公爵派の陰謀です! 私は利用されたのです!」

 味方になってくれると思っていたザロモににらまれ、ユリアは焦る。

「ジフの街の代表として、お前を大々的に王都に送り込んだ俺の顔に泥を塗りやがって!」

 ザロモはそう言うとユリアをベッドに突き飛ばした。

 きゃぁ!

 後ろ手に縛られたままのユリアはなすすべもなくベッドに転がった。

「お前の身体で払ってもらうしかないな……」

 ザロモはユリアに近づき、ブラウスに手をかけると、一気にビリビリと音を立てながら引き裂いた。

「いやぁ! やめてぇ!」

 必死に逃げようとするユリアだったが、後ろ手に縛られていてうまく逃げられない。

「貧相な身体だな。揉んで育ててやろう。暴れるんじゃねーぞ」

 ザロモはいやらしい顔でスカートをたくし上げると、ショーツに手をかけた。

「や、止めてください! いやぁぁぁ!」

 ベッドの上を必死に逃げるユリア。


 パン!

 ザロモはユリアの頬を平手打ちした。

「おとなしくしてろ! お前なんてもう男を喜ばせるくらいしか使い道が無いんだ」

 ユリアはあの優しかった男の豹変(ひょうへん)に驚き、そして、自分はもう娼婦同然なのだという言葉に涙が止まらなくなる。

 堕ちるところまで堕ちてしまった……。

 ユリアはその理不尽な運命を呪った。














1-5. 不可思議な青年


 泣きぬれるユリアをいやらしい笑みで見下ろすザロモ。

 そして、彼はショーツを力任せに引っ張り、ビリビリと破きながらはぎ取った。


「いやぁ!」

 ユリアは必死に転がって逃げる。


「いい加減観念しろ!」

 ザロモはユリアの両足をつかむと引っ張り持ち上げる。

 もはや猶予はなかった。

 自分は冤罪(えんざい)なのだからアルシェがいつか迎えに来てくれるはず。こんな所で大聖女として守ってきた純潔を穢されてしまう訳にはいかないのだった。

「やめてぇ!」

 ユリアは思いっきりザロモを蹴り飛ばす。


 ぐはっ!

 もんどり打って転がるザロモ……。

 フーフーというユリアの荒い息が静かに部屋に響いた。


 ザロモはパンパンと服のほこりを叩きながら起き上がる。

 そして、真っ赤になってユリアをにらみつけた。

「お前の両親を王族侮辱罪で投獄してもいいんだぞ?」

「えっ!?」

 ユリアは息をのんだ。

「お前の親の処遇を決めるのは俺だからな!」

 ザロモはユリアに近寄ると勝ち誇ったように見下ろした。

「パパママは関係ないわ!」

 そう叫ぶユリアだったが、領主の横暴を止める手立てがないのも分かっていた。

「よーく考えろよ?」

 ザロモはいやらしい笑みを浮かべながらズボンを下ろす。

 ユリアは奥歯をギリッと鳴らし、動けなくなった。たっぷりと愛情をこめて育ててくれたパパとママ……。親不孝など絶対できないのだ。

「痛いのは最初だけだ。そのうち欲しくなってお前の方からせがんでくるようになる」

 ザロモは再度ユリアの両足を持ち上げた。


 ユリアの嗚咽(おえつ)が部屋に響く。

「さーて、どんな声で鳴くのかな……」

 そう言いながらザロモが両足を広げた時だった。


 誰かが後ろからザロモの股間を蹴り上げる。

 ぐわっ!

 悲痛な声をあげながらザロモは床に倒れ込んだ。


「えっ!?」

 ユリアが目を開けると、そこにはグレーのシャツに黒いジャケットを羽織ったスレンダーな長身の青年が立っていた。ショートカットの黒髪に印象的な切れ長の目と高い鼻、まるで俳優のような華のあるいで立ちだった。

 ユリアは急いで足を閉じ、破けたシャツで胸を隠す。

 すると青年はジャケットを脱いでそっとユリアにかけ、

「もう……、大丈夫だよ……」

 そう言いながらじっとユリアを見つめた。アンバーの瞳の奥にはゆらりと真紅の炎が揺れる。

 そして青年はユリアの前にひざまずき、そっと手を取ると、甲に優しく口づけをした。

「えっ!?」


 カチッ


 ユリアはその瞬間、自分の中で何かのスイッチが入った音を聞く。ユリアは何かを言おうと思ったが、言葉にならず、ただ、青年の美しい瞳に吸い込まれるように見入っていた。

 真紅の炎が揺れる瞳……、ユリアは見覚えのある懐かしさを感じたが、それが何だったのかは思い出せない。


「我と一緒に……来るか……?」

 青年は優しい笑みを浮かべる。


 ユリアはどういうことか一瞬混乱したが、ここにいたらレイプされてしまう以上、彼についていく以外道はなかった。

 ユリアは困惑した表情を浮かべながら、ゆっくりとうなずく。


「ふざけんなこの野郎!」

 ザロモが木の椅子を振り上げ、そのまま青年の後頭部に打ちおろした。


 激しい音を立て、砕けながら飛び散る椅子……。普通の人間なら即死の勢いである。

 しかし、青年は全く意にも介さずに、スクッと立ちあがり、ザロモの方を向く。

 後頭部をクリーンヒットしたのに効果なし、ザロモはその想定外の出来事にゾッとして、思わず後ずさった。これはつまり、青年は人間ではない、人智の及ばない存在だということなのだ。

「殺しておくか……」

 青年はそう言うと腕に赤い光をまとわせ、振り上げた。

「ま、待って! 殺さないで!」

 ユリアは青年に抱き着いて制止する。

「なぜ止める? こいつは……あなたを傷つけようとした」

「そ、そうなんだけど、私はまだ無事だわ。殺すほどのことじゃない……ありがとう……」

 ユリアはそう言って、ギュッと青年を抱きしめた。


「そうか……」

 青年は目をつぶり、しばらく何かを思案すると、

「今後、彼女や彼女の関係者に危害を及ぼすようであれば、お前とその一族郎党皆殺しにしてこの屋敷は焼き払う……。分かったな?」

 そう言って、瞳の奥の炎をゆらりと光らせながら、ザロモに警告した。

 ザロモはうんうんとうなずくと、冷や汗をたらしながら聞く。

「お、お前は何者か?」

「我は超越者……、人間よ、調子に乗るなよ……」

 青年は不愉快そうにそう言うと、手のひらをザロモの方に向け、光を放つ。

 ぐはぁ!

 ザロモは吹き飛ばされ、壁にしたたかに叩きつけられると崩れ落ち、意識を失って転がった。


「さぁ……、いきましょう……」

 青年は振り返り、優しい笑みでユリアを見つめる。

「お、お願いします……」

 ユリアは急いで頭を下げた。










1-6. 伝説のドラゴン


 青年は窓から外に飛びだすと、ボン! と爆発を起こし、一面煙で覆われた。

 やがて、煙の中から巨大なものが姿を現してくる。

 それは厳ついウロコで覆われた巨大な恐竜のような生き物……ドラゴンだった。なんと、青年はドラゴンの化身だったのだ。

 大きな翼をゆっくりとゆらしながら、地面に降り立ち、巨大な鋭いかぎ爪に恐ろしげな牙を光らせ、ギョロリとした真紅に光る特大の瞳をユリアに向ける。


「ド、ドラゴン……」

 ユリアは口に手を当て、驚きのあまり固まった。

 ドラゴンは後頭部を窓枠に合わせると、重低音の声を響かせる。

「さあ、乗って」

 ユリアは一瞬躊躇(ちゅうちょ)したが、このままここにいる訳にもいかないのだ。意を決すると窓枠に乗り、腕を伸ばし、ドラゴンの頭に生えている長いとげをつかむと恐る恐るドラゴンの上に乗り移った。

 ウロコはつやつやとして綺麗で、意外にも温かかった。

「こ、ここでいいのかしら?」

 ユリアはトゲのないウロコの上にペタリと座って聞く。

「しっかりとつかまって振り落とされないように……」

 ドラゴンはそう言うと、バッサバッサと翼を大きく羽ばたかせた。

 そして太い後ろ足で一気に跳び上がると、そのまま翼で空気をつかみ、大空へと飛び立った。

「うわぁ!」

 初めて乗る伝説の存在、ドラゴンにユリアは歓喜の声をあげた。

 地平線に残る茜色から夜の群青色へと続く、美しいグラデーションの空をドラゴンは優雅に飛んだ。

 見下ろすとジフの街には明かりが灯り、美しい夜景が広がっている。

「すごい、すごーい!」

 大喜びのユリア。

 見ると、地平線の向こうからポッカリと黄色い満月が昇ってくる。いつもよりはるかに大きく見えるその満月にユリアは思わず見入った。

「落ちないでね……」

 ドラゴンはそう言うとさらに力強く翼をはばたかせ、一気に速度をあげた。

「きゃぁ!」

 ユリアは驚きながらも、(くら)く押しつぶされていた心が一気に軽くなっていくのを感じていた。

「ねぇ、あなた、お名前は?」

 ユリアは弾む心で聞いた。

「我はジェイド……、ユリアに昔助けられた龍だ」

「あ、あの時のトカゲ……じゃなかった、傷ついた生き物があなただったのね!」

「そうだ。ユリアは我の命の恩人だ」

「ふふっ、傷ついた者は誰でも助ける、それが私の仕事なの」

 ユリアはうれしそうに言った。

「でも、それだけじゃ陥れられる……。人間界は恐ろしい」

 ユリアはあまりにも正しいジェイドの言葉に、返す言葉を失う。

「我の()()でゆっくりと暮らすといい。もう誰にもユリアを傷つけさせない」

「……。ありがと……」

 ユリアは目をつぶると、温かいドラゴンのトゲに頬ずりをした。


        ◇


 巨大な火山オンテークの方へ、満月の照らす森の上をしばらく飛ぶ。力強くバッサバッサと羽ばたく翼……。ユリアは風になびくダークブラウンの髪を押さえながら、すごい速さで後ろへと流れていく景色を楽しそうに眺めていた。


 やがてジェイドは下降を始める。見るとオンテークの中腹にある断崖絶壁にポッカリと大きな穴が開いている。

「あそこがあなたの家?」

「そうだ。誰も近づけない」

 そう言いながらジェイドは翼を大きくはばたかせて減速し……、器用に洞窟内に着地をした。

「我の()()にようこそ」

 そう言いながらジェイドは首を地面にまで下ろし、ユリアはトゲをつかみながら器用に床に降りた。

 ボン!

 ジェイドは爆発をすると、煙の中から長身ですらりとした男となって出てくる。そして、

「お疲れ様……」

 そう言いながらユリアの手を取り、微笑んだ。

 ユリアは頬を赤らめてうつむいて言う。

「ありがとう……。お世話になります……」

 ジェイドはニコッと笑うと、

「こっちだ」

 と、ユリアを引っ張った。


 洞窟をしばらく歩くと、魔法の光に照らしだされた荘厳な白亜の神殿が現れる。それは優美なグレーの筋が入った純白の大理石で作られており、随所に精緻な彫刻が施されて厳かな雰囲気を漂わせていた。


「えっ、ここがお家?」

「龍の()()とはこういうものだ」

 ジェイドはそう言って階段をのぼり、巨大な大理石の広間にユリアを案内した。







1-7. 温かい指先


「うわぁ……、広い……」

 ユリアは広間を見回し、壁際のリアルな彫刻群や立派な円柱を眺める。

「龍の姿だとこれでも狭い」

 ジェイドはそう言って肩をすくめた。

「全然生活の匂いが……しないわ。家具もないの?」

「奥に倉庫と……、人用の小部屋がある。おいで……」

 ジェイドは奥の重厚な扉を開いて廊下を進み、突き当りの部屋へユリアを案内した。

 そこにはベッドやテーブルなどが配してある。

「ユリアはここを使うといい」

 部屋のランプに魔法の明かりをつけ、ニッコリと笑うジェイド。

「あ、ありがとう……」

 ユリアは窓に駆け寄り、外の景色を眺めた。見渡す限りの森が満月に照らされて静かに(たたず)んでいる。オンテークは魔の火山として人々に恐れられており、近づく者など誰もいない。確かに安全な棲み処ではあったが、昨日まで王宮で暮らしていたユリアには少し心細く感じた。


「どうした? 不満か?」

 いつの間にか隣に立っていたジェイドに聞かれ、ユリアは焦って返す。

「ふ、不満なんて無いわ。ただ……ちょっと寂しいかなって……」

 そっと目を閉じるユリア。

「我ではダメか?」

 ジェイドは少し寂しそうにユリアを見る。

「そ、そんなこと……ないわ……」

 ユリアはほほを赤くしてうつむいた。

「ん? ちょっと見せてみろ」

 ジェイドはいきなりユリアが羽織っていたジャケットのボタンを外した。

 破かれたブラウスのすき間から胸元が露わになる。

「えっ!? 何するの?」

 焦って腕で胸を隠し、後ずさるユリア。

「いいから、見せてみろ」

 ジェイドはユリアに迫る。

「えっ!? えっ!?」

 ユリアは身をかわそうとして、不覚にもスツールにつまずき、ベッドに転がってしまった。

「逃げなくていい」

 ジェイドはそう言うとベッドの上でユリアの腕を押さえた。

 美しい切れ長の目に真紅の炎が揺れる。

「ちょ、ちょっと待って、こういうのは順序が……」

 ユリアは抵抗しようとしたが、ドラゴンの力は圧倒的で身動きができない。

 ジェイドの細く長い指がスッとユリアの胸に伸びた。

 ひっ!

 ユリアは目をギュッとつぶる。

 ジェイドの温かい指づかいが優しく胸のあたりをスーッと()う。


「あっ……」

 ユリアの漏らした声が部屋に響いた。


 ペリペリペリ……。

 ジェイドはユリアの心臓の辺りに貼られていた、ごく薄いフィルム状のものをはがした。

 直後、ユリアは光に包まれる。

「えっ!?」

 ユリアは驚いた。失っていた神聖力が復活したのだ。

 身体を起こし、両手を向かい合わせにして気を込めると、以前のように激しい輝きが両手の間に戻ってきた。

「うわぁ……」

 ユリアは満面に笑みを浮かべ、その神聖な輝きに見入る。

「封印の魔法陣が貼られていた」

 ジェイドはそう言って、剥がした封印のシールに火を吹きかけた。シールは一気に燃やし尽くされ、紅く輝く火の粉がパラパラと舞う。

「これでもう安心だな」

 ジェイドは微笑んだ。

 しかし、ユリアはジェイドをジト目でにらむ。

「どうしたんだ? 嬉しくないのか?」

 ジェイドは不思議そうに聞く。

「嬉しいわよ! でも……、やり方ってものがあるわよ!」

 口をとがらせて言う。

「何がマズかった?」

「乙女の身体に勝手に触っちゃダメなの!」

「そうか……」

「そうよ!」

 ユリアは腕組みをして、キッとジェイドをにらんだ。

「……。分かった。二度と……触らないと……誓うよ」

 しょんぼりしてうつむくジェイド。

 そのしょげっぷりを見てユリアは言い過ぎたと思った。やり方はともあれ、純粋に善意で神聖力を取り戻してくれたのにお礼も言っていない。

 それにあの指先の温かさは、不思議に不快ではなかったのだ。むしろ……。

「あ、いや……絶対に触るなって……言ってる訳じゃ……ないのよ?」

 ユリアは真っ赤になって言う。

「触ってもいいのか?」

 ジェイドはキョトンとする。

「じゅ、順序っていうものを守ってってだけなの!」

「順序?」

「あー、何でもない!」

 ユリアは大きな枕に抱き着くと、真っ赤な顔を隠して転がった。

 自分は何を言っているのだろう? 男に体を触らせるなど絶対の絶対にダメなはず。それを順序だなんて……。

 ユリアはしばらく動けなかった。










1-8. ドラゴンのディナー


 グゥ――――ギュルルル。

 ジェイドが心配そうにユリアを見守っていると、静かな部屋にユリアのおなかの音が響いた。

 クスッとジェイドは笑い、

「夕飯にしよう。肉しかないんだがいいか?」

 と、優しく声をかけた。

 ユリアは恥ずかしくなってさらに真っ赤になって固まる。

 ジェイドは首をかしげ、そっとユリアの手をさすった。


 ユリアは枕をそっとずらし、心配そうに見つめるジェイドを眺める……。

 そして大きく息をつくと、バッと起き上がり、言った。

「ごめんなさい、言い過ぎたわ。夕飯、お願いします。何か手伝うことがあったら……」

「大丈夫、ちょっと待ってて」

 ジェイドは優しく微笑んでそう言うと、部屋を出ていった。


 ユリアは、ふぅと息をつき、立ち上がる。そして、窓辺から月を眺めながら、

「私……、どうしちゃったのかしら……」

 と、眉をひそめ、ため息をついた。

 満月の青い光が優しくユリアの美しく張りのある肌を照らす。

 ホーゥ、ホーゥ

 どこかで鳥が鳴くのが聞こえた。


    ◇


 しばらくして、ジェイドがプレートに、大きな肉と飲み物などを載せて部屋に戻ってきた。

「あっ、手伝うわ」

 ジェイドはニコッと微笑むと、

「大丈夫、座ってて」

 そう言ってテーブルにプレートを置き、手早く食器を整えた。

 肉は五キロくらいはあろうかと言う大きな塊で、いい焼き色がつき、表面にはローズマリーなどのハーブがついていた。

 ジェイドは人差し指の爪を鋭くナイフのように伸ばすと、シュッシュと肉をスライスしていく。そして、全部スライスし終わると斜めに倒し、切り口が並ぶようにして綺麗に盛り付けた。

「美味しそう!」

 ユリアは目を輝かせ、思わずつばを飲む。

 そんなユリアを見てうれしそうに微笑むと、ジェイドはブランデーを全体に振りかけた。そして、手のひらから魔法で豪炎を放つ……。


 ゴォォォ――――。

 炙られた肉はブランデーが燃え上がって大きな炎を噴き上げる。そして、ジュ――――というおいしそうな音を放ちながら香ばしい香りをあげていく。


「うわぁ……」

 ユリアはその見事な料理ショーに魅せられる。

 王宮でもこんな見事なディナーは見た事が無かった。


 ジェイドはユリアを席に座らせると、肉を三切れ皿に盛ってサーブする。

 そして、リンゴ酒をグラスに入れてユリアに渡した。

「どうぞ召し上がれ」

「ありがとう……」


 二人は見つめあい、シュワシュワ音を立てるグラスをカチンと合わせる。

「我の()()にようこそ」

「素敵なおもてなしに乾杯……」

 ユリアはと口の中ではじける泡の感覚を楽しみながらリンゴ酒を飲み、鼻に抜けていく華やかな香りにウットリする。

 肉も柔らかく、ジューシーで、表面はカリッと香ばしく極上の味わいだった。こんなのを自分で作ってしまえるなんてドラゴンは相当な美食家なのだ。

「これ、すんごく美味しい」

 ユリアはパアッと明るい顔をしてジェイドに微笑む。

「口に合ってよかった。ハーブと塩をまぶして低温のオーブンに入れただけなんだ」

 そう言って静かにグラスを傾けた。


 ユリアは少し酔いが回ってきたのかそんなジェイドをボーっと見つめる。凛とした切れ長の目にシュッとした高い鼻、見れば見るほど美形なのだ。そして細く長い指。あれがさっき胸を這っていた、温かな指先……。

「えっ!?」

 なぜそんなことを思い出してしまったのか、ユリアはポッと頬を赤らめてブンブンと首を振った。


「どうした?」

 ジェイドは心配そうにユリアの顔をのぞき込む。


「な、な、な、何でもないわ!」

 ユリアは両手を振って全力で否定する。

 そして、リンゴ酒をゴクゴクと飲んだ。

 ジェイドはそんなユリアを不思議そうに眺める。


「し、神聖力、と、取り戻してくれてありがとう……」

 ユリアはちょっと伏し目がちに言った。

「あんな封印をするなんて許し難い連中だ」

 ジェイドは眉をひそめ、自分の事の様に怒る。

「ありがとう……」

「王都を焼き払うか?」

 ジェイドは恐ろしい事を平然と言う。

「あ、いや、悪いのは一部の人だけだから……」

 ユリアは驚いて否定する。

「では、そいつらに復讐するか?」

 ジェイドは瞳の奥を真紅にゆらりと光らせた。

「だ、大丈夫。誰にどう復讐したらいいのかもわからないし、復讐したからと言って元には戻らないわ……」

 ユリアはため息をつき、うつむく。

「このままでいいのか?」

「うーん、なんか疲れちゃった……。しばらくはここでゆっくりさせて欲しいの」

「そうか……。我は構わない。好きなだけここで暮らすといい」

 ジェイドは真剣なまなざしでユリアを見つめた。

「ありがとう……」

 目をつぶりしばらくユリアは何かを考える……。

「私……神聖魔法しか使えないからここでは役に立てそうにないの。それでもいい?」

「別に何もしなくていい。ただ、ユリアに使えない魔法なんて無いぞ」

「へ!? だって、私、神聖力しかないわよ?」

「それが原因だ。『使えない』と思ってるから使えないだけだ」

「え――――!? そんなことって……あるの?」

「明日、使い方を教えてあげる」

 ジェイドは優しく微笑む。

「そ、そう……」

 ユリアは半信半疑で静かにうなずいた。












1-9. 温かい安らぎ


「ユリアはベッドを使って」

 食後にジェイドが片付けながら言った。

「ダ、ダメよ! 私は床で寝るわ!」

「ふふっ、我は龍となり広間で寝るから気にするな」

 ジェイドは優しく微笑む。

「あ、そ、そうなの?」

「歯ブラシやタオルなどはそこの棚にある。好きに使っていい。パジャマは大きいが我慢して欲しい。ではまた明日……」

 そう言うと、ジェイドは食器などを一式持って出ていった。


        ◇


 ふぅ……

 静かになった室内で、ユリアはベッドに転がり今日あったことを丁寧に思い返す。

 群衆や領主に襲われ……、ドラゴンに助けてもらい……、それで、胸のシールをはがして……もらった……。

 ボッと顔が真っ赤になり、ユリアはベッドを転がり、悶えた。

 そして、毛布をかぶり、気持ちを落ち着ける。

 一体自分はどうしてしまったのか……。

 悩んでいるとすぐに意識が遠くなり……寝入っていった。牢屋でほとんど寝ていない上に長旅で疲れがたまっていたのだ。


       ◇


「い、いやぁ!」

 夜半にユリアが叫んで跳び起きる。

「あ、あれ……?」

 はぁはぁと荒い息をしながら暗い室内を見渡すユリア。


 ホーゥ、ホーゥ……。


 窓の外からは鳥の声が聞こえている。

「ゆ、夢……だったのね」

 ユリアは大きく息をつき、びっしょりと汗をかいた額を手のひらでぬぐった。

 男たちに追いかけ回され、襲われる夢。それは弱っていたユリアの心の傷をさらに(えぐ)っていた。


 うっうっう……。

 今までの人生をすべて否定され、プライドも尊厳も粉々にされたユリアの心はボロボロだった。昏い想いが胸を蝕んでいくのをどうしても止められない。一体どうしてこんな事になってしまったのか。


 うううう……。

 ユリアは流れる涙を止めることができず、綺麗な顔を歪めながら月明かりに照らされた毛布を濡らした。


 コンコン!

「どうした? 大丈夫か?」

 ドアが叩かれ、ジェイドの声がする。

「ご、ごめんなさい……、大丈夫……」

 ユリアは急いで涙を拭いた。

 ジェイドは部屋に入ってくると、涙にぬれ、憔悴(しょうすい)しきったユリアをしばらく見つめ、そして、静かに近づいてユリアの隣に座る。

 ユリアは恥ずかしくなってうつむいた。

 するとジェイドは、涙にぬれたユリアの手を取り、両手で包んで温める。


 うっうっう……。

 ユリアはその温かさに、押さえていた涙が止められなくなり、またポロポロと涙をこぼしてしまう。

「我慢……しなくていい……」

 ジェイドは優しくそう言って、ユリアの頭をそっとなでた。

 するとユリアは、ジェイドに抱き着いて、(せき)を切ったように大きな声で泣き叫ぶ。

 うわぁぁぁ……。

 ボロボロになった心が求めていた温もりを、自然とジェイドに求めるユリア。

 ジェイドは優しく抱きかかえ、何も言わず、ただゆっくりと背中をさすった。


      ◇


 しばらく泣き叫ぶとユリアは落ち着きを取り戻し、ジェイドの厚い胸板から伝わってくる温かさに癒されていた。


「添い寝してあげよう」

 ジェイドはそう言うと、優しくユリアを横たえる。

「えっ……」

 ユリアは驚いた。男の人と一緒に寝るなんて、想像もしてなかった事態だった。

「嫌か?」

 ジェイドはちょっと寂しそうにユリアを見る。

「い、嫌じゃ……ないけど……、ちょっと、そのぉ……」

 ユリアは何と言ったらいいか悩んだ。

 するとジェイドはニコッと笑い、ユリアの隣に寄り添うと、毛布を掛ける。

「えっ、えっ……」

 思わず身体を硬くしてしまうユリア。

 ジェイドはそんなユリアの頭をそっと持ち上げると腕枕をして、優しく髪をなでた。

 最初は緊張していたユリアだったが、温かいジェイドの手の動きに徐々に心がほぐれていく。

「安心して寝るといい」

 ジェイドは耳元でささやく。

 ユリアはゆっくりとうなずくと眠気に身をゆだねる。

 最後にはユリアはまるで赤ちゃんになったかのようにジェイドに抱き着き、温かい安らぎに包まれ、すうっと眠りに落ちて行った。


      ◇


 その頃、ジフの南、公爵が治める王国第二の都市ダギュラの宮殿で、公爵ホレス・ダギュラは土下座をしていた。

 静まり返った夜の宮殿の応接間、高い窓から差し込む月明かりを浴びながら少女は豪奢な椅子に深く腰掛け、すらっとした細い足を組んでキセルをくゆらせている。

 土下座されている少女はつまらなそうに、薄くなったホレスの頭を眺めながら言った。

「大聖女、ドラゴンに取られちゃったわよ? あんた何やってんの?」

「ル、ルドヴィカ様、申し訳ございません。まさかドラゴンが来るとは……」

 小太りの中年男、ホレスは冷や汗をたらしながら弁解する。

 少女はスクッと立ちあがり、細いヒールでホレスの後頭部をガシッと踏むと、

「私、いい訳嫌いって言わなかったかな?」

 そう言ってヒールでグリグリと薄い頭を踏みにじった。

「ぐわぁ……、お、お許しくださいぃ……」

 少女はその間抜けなさまを眺め、首を軽く振ると、ボスっとまた椅子に腰かける。ウェーブのかかった金髪が月明かりにキラキラと揺れた。

「まぁいいわ、次はスタンピードよ、うまくやんなさい」

 と言ってニヤッと笑う。

「はっ! 大聖女なき今、スタンピードは相当効くでしょう。お任せを!」

 挽回しようと必死のホレス。

 少女は美味しそうにキセルを吸い、

「楽しみになってきたわ……」

 そう言うと、すぅっと消えていった。








1-10. アールグレイの魔法


 チチチチ! チュン! チュン!


 鳥の声で目を覚ますと、すっかり明るくなっていた。

「えっ!? あれっ!?」

 急いで飛び起きて、目をこすりながら周りを見回すユリア。

「あっ、そうだわ……。ここはジェイドのお家……」

 ユリアはぶかぶかの男物のパジャマをじっと見つめながら、何か大切なことを忘れている感じがした。

「えーと、昨晩は悪い夢を見たような……。それで……ジェイドに腕枕してもらって……。えっ!?」

 ユリアはジェイドとの事を思い出し、真っ赤にした顔を両手で覆う。

「あわわ……、な、なんというはしたない……」

 今まで男性の胸なんて触ったこともなかったのに、自ら抱き着いていってそのまま添い寝してもらうなんてありえない話だった。追放されたとはいえ、復帰する可能性がない訳でもない。自分の中ではまだ大聖女なのだ。

「ど、ど、ど、どうしよう!?」

 ユリアはどんな顔でジェイドに会えばいいのか途方に暮れた。

「ジェ、ジェイドはドラゴンだから、こんな小娘のことなんて何とも思ってないよね? そう! ジェイドは人間じゃないからノーカウント!」

 ユリアは頭を抱え、必死に正当化を試みる……。

 ふと、パジャマの袖からジェイドの匂いがする事に気がついた。

「えっ……?」

 ユリアは思わずパジャマに鼻を近づけ、そーっと嗅いでみる……。

 昨晩の温かな気持ちがよみがえってきて、思わず顔がほころんだ。


 コンコン! と、ドアが鳴る。

「ひぃっ!」

 思わず跳び上がるユリア。

「どうした? 大丈夫か?」

 ドアの向こうでジェイドが聞く。

「だ、だ、だ、大丈夫よ!」

 爽やかな顔をして入ってきたジェイドは、両手に袋を下げていた。

「市場でユリアの食べ物を買ってきた」

 見ると、大きく丸いパンやトマトやキュウリ、柑橘に瓜などが入っている。

「わ、私のために!? ごめんなさい、ありがとう」

「人間は肉だけじゃダメだから」

「うん、嬉しい!」

 喜んでジェイドを見上げたユリアだが……、ジェイドの優しいまなざしに昨晩の事を思い出し、顔を真っ赤にしてうつむいた。

「どうした?」

「さ、昨晩はごめんなさい……」

「ん? 寝返り打ちながら蹴ってきたことか?」

「えっ!? 蹴ったの? 私が!?」

 目を真ん丸に見開くユリア。

「元気にゲシゲシ蹴ってた」

 うれしそうに目を細めるジェイド。

 ユリアは思わず天をあおぐと、

「ごめんなさい! ホント――――に、ごめんなさい!」

 と、ひたすらに謝った。

「大丈夫。食事にしよう」

 ジェイドはそう言うと、朝食をつくりにキッチンへと出ていった。


     ◇


 肉料理に、サラダ、パン。美味しそうな食卓をかこんで朝食を食べる二人。

 チチチチと鳥のさえずりが森から聞こえてくる。


「お茶はアールグレイでいい?」

 ジェイドが優しく聞いてくる。

「あ、もう、何でも……」

 ユリアはまだちょっとぎこちない。


 ジェイドはニコッと微笑むと、水魔法で空中に水玉を浮かべた。何をするのかと思ったら次は火魔法で水玉を器用に囲む。


「うわぁ、すごーい!」

 まるでマジックショーのようなジェイドの技に思わず歓声を上げてしまうユリア。

 ジェイドはそんなユリアを優しい目で見る。そして、火を止めると湯気の立ち昇る水玉にサラサラと茶葉を振りかけた。茶葉は茶色の軌跡を描きながらゆらゆらと踊り、ふんわりとベルガモットの爽やかな香りを放つ。

 王宮でも見たことのない、素敵なお茶のショーにユリアはじっと見入った。


 水玉をクルクルと回して渦を作って茶葉を集めると、ジェイドは水玉から茶葉のない小さな水玉を作り、ティーカップへと落としてユリアへと差し出した。

「はいどうぞ」

「うわぁ! ありがと!」

 ユリアは満面の笑みで受け取る。

 そして一口含むと、目を閉じて満足そうに軽く首を振った。

 

「うーん、美味し~! ジェイドは魔法上手なのね」

 ユリアはニコニコしながら言った。


「我は魔法をこの世界に導入した時に作られ、魔法の調整を手伝わされたりしたからね」

「へっ!?」

 ユリアは目を真ん丸くして言葉を失った。生まれてからずっと親しんできた、自分の一部ともいえる魔法。それは大いなる自然の摂理の一環だと思っていたら、誰かに作られたものだと言う。

 一体この世界はどうなっているのか? 知られざるこの世のカラクリの裏を垣間見たユリアはブルっと震え、背筋に悪寒が走った。


「だ、誰が……導入したの?」

 ユリアは恐る恐る聞く。

「うーん、説明が難しいな。そのうち……会えるかもね」

 ジェイドは眉をひそめながら言った。


 魔法を作った存在、それはもはや神と言えるような存在だろう。一体どんなお方なのだろう……。

 ユリアはゆっくりとうなずき、今まで想像もしたことのなかった新しい世界観を、どうとらえたらいいのか困惑していた。



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[良い点] ストーリー内容がとても綿密で追放系でもあまり見ない展開だと感じました。 語彙も広く場面場面での表現の仕方や見せ方にもまんねりを感じなかったです。 [気になる点] あらすじの部分は詳細に記載…
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