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昔の思い出は美化されるだって、んなわけあるか

 よく、昔の記憶は美化される、なんて聞いたりするもんだが。生憎と、そんな小奇麗な妄言に確たる実証なんてないことは、子供の頃から知っている。


 いや、或いは……知ってしまった、という方が正しいか。


 現にこうして、昔の記憶を掘り返しても掘り返しても、出てくるのはどれもこれも見るに堪えない歪んだガラクタばかり。


 記憶が美化される、なんて口にできるのは、よっぽどその人間の過去が文字通り美しく充実していたか、或いはどこでも見かけるような量産型の人生を歩めた結果だろう。


 量産型と言えば聞こえは悪いかもしれないが、事実人の幸福はそこに帰結するらしい。故に……人生の勝組とは、尖らず丸く、横並びに人がいる環境下に身を置くことなのだと思う。


 特異な人間は整理された列から飛び出して、並んでいる他の人間から指をさされ、囁かれ、平穏ではいられない。


 たとえばそれが、自分から飛び出したのではなかったとしても……


『このままじゃお姉ちゃんみたいになれないわよ』


 太一の母はよくそう言って息子を焚きつけた。彼もまた、良くも悪くも素直過ぎる性格で、母の言葉に従い、姉に追いつくための研鑽を欠かしたことはない。


 小学生の時だ。自身の能力に限界という概念があることすら気付けないまま、宇津木太一は宇津木涼子のようになろうと己の限界に抗い……結果、見事に敗北した。

 

 もっとも、太一をいつも敗者として扱ったのは、他でもない彼の母親だった。

 意識的にか、或いは無意識だったのかは定かでない。しかしそんなことは些事でしかない。子にとって親は最も身近な庇護者であり、同時に最も身近な支配者である。

 親のいる子供がまったくその影響を受けないなどということはありえない。そして掛けられた言葉というのは、ダイレクトにその内へ響いてしまうもの。


 母親は太一の成果をいつも『足りない』と断じてきた。

 もっともっと出来るはずだ、なぜならあなたは『あの姉』の弟なのだから……つまり『できないのはおかしい』こと。


 自分は姉より劣っている。


 学力が足りないのか? ならばもっと勉強すればいい。

 運動が足りないのか? ならばもっと走り回ればいい。

 愛想が足りないのか? ならばもっと表情に気を遣おう。


 だが、


 勉強をしても姉のような成績は取れなかった。

 どれだけ走っても姉のような記録は出せなかった。

 顔を取り繕っても姉のように他者の信頼を得られない。


 できない、できない、できない……何をしても結果はいつだって彼に『できない』という事実だけを突き付ける。


 いつの頃からか、母は何も言わなくなった。期待を掛ける言葉も、不出来に叱咤することもなく……母はただ、太一が持ち帰る成果に――『そう』と、一言返すだけ。


 幼いながらに太一は理解した。子供が、決して察してはいけないその感情の正体を。


 ……僕は、見放されたんだ。


 暴力を受けたわけじゃない。暴言を吐かれたわけでもない。ネグレクトされたわけでもない……食事はちゃんと出てくるし、学校の行事にだって参加してくれる。


 ただ、太一の中で母という存在が、どこまでも遠くなったように感じられた。


 努力をやめた。結果が伴わないなら、どれだけ時間と労力を掛けたところで全てが無駄ではないか。


 が、やめた途端に襲ってきたのは罪悪感だった。できないのにやめるのか? できるまでやるのが責任じゃないのか? そうやって投げ出すからダメなんじゃないのか?

 チクチクチクチク……他の誰でもない、太一自身が自分を責め苛み、同時に頭の冷静な部分が、実らない結果のためにまた徒労を重ねるのか? と訴えかけてくる。


 そうして、太一はどっちの言い分に従えばいいのか分からなくなってしまったまま、動けなくなり……今の彼が、できあがった。


 きっとこれから先、どれだけ思い返したとしても、こんな記憶が美しく彩られるなどとは思えない。

 美化される記憶とは、最初から綺麗だからこそ成り立つのだ。


『ねぇ、先生来るまで暇だし、ちょっとクイズしない?』


 ああ、でも。


『クラス替えで前の友達みんな別のとこ行っちゃっし。せっかく隣になったんだし付き合ってよ』


 彼女との記憶は、


『これ、わたしの名前の漢字。さて、これはなんと読むでしょうか?』

『え? え~と……』


 思い返してみると、


『ふ~ん。太一、っていうんだ。じゃあ、たいちゃんね。これからよろしく』


 どこまでも明るく、穏やかで、


『――ねぇ、たいちゃん』

『わたしたち、たぶんもう会えなくなっちゃうかもしれない』

『だから、お願いがあるんだ』

『あのね――』


 同時に、


『それじゃ、バイバイ』


 彼女の存在は、太一にとっての毒でもあった。



 (._.)



 海風に髪を靡かせながら、太一と大井は海沿いの通りを歩く。

 相変わらずお盆の砂浜は海水浴客で賑わっているようだ。コンクリートの塀越しにもその熱気が伝わってくるようだ。直射日光と人々の活気のダブルパンチ。きっと地球温暖化の一因はこのバカ騒ぎに違いない。

 

 大井が先頭を歩く中、太一の中で直近の苦い記憶がフラッシュバック。

 7月にあった鳴無とのデート(偽)の時、彼女から賜った非常にありがたいデスサイズのようなお言葉。


『なんていうかさ……主体性とかないの、君って?』


 あれは本気でトラウマだ。思い出す度に胸中に苦汁が溢れる。青汁にもセンブリ茶にもなれない、ただただ体に悪いだけの二ッガイ思い出。

 もっとも、あれのおかげで太一がほんのちょっと成長したようなそんなこともないような……まぁずいれにしろ、彼があの出来事を切っ掛けにちょっとだけ己を自覚したのは間違いない。


「ねぇ、たいちゃん」

「うん?」

「たいちゃんはさ、小学校の時にあーしとお別れしたの、寂しかった?」

「それは――」


 もちろん、と言いかけて、太一は口をつぐんだ。寂し過ぎて、感情が追い込まれて、不登校にまでなったなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかった。


「それは~? なんでそこでやめんのだっての~」

「そ、そういうヤヨちゃんはどうなの? 僕とお別れして、寂しかった、とか」


 言って、太一はちょっと後悔した。もしもここで『寂しくなかった』と返されたら……しかし、帰ってきた答えは、


「あーしは、悔しかった」


 振り返った彼女の瞳は、ふざけた色などまるでなくて、どこまでも真剣に太一を射抜いて来た。


「あーし、あの時たいちゃんのことめっちゃ好きだったから。なんで? どうして? って。めっちゃ悔しかった」

「そ、そうなんだ」


 捻りもなく発された『好き』という言葉に、太一は思わず頬が熱くなるのを感じた。が、それは小学生時代の『ライク』であるとすぐに思い直す。

 動揺する太一。するとその反応をどう受け取ったのか、大井は表情を二マッと別の意味で改め、一歩太一に滲寄りってきた。


「ちなみに、小学校の時のあーしは、たいちゃんのこと、男の子として見てたよ」

「っ!?」

「って言ったら、どうする?」

「むっ」


 太一は思わず口を引き結ぶ。最近自他ともに認めざるを得なくなった凶悪な面構えがより一層鋭さを増した。

 が、大井はまるで怯んだ様子もなく、ニマニマと太一をからかうような表情を引っ込めようとしない。


「質問を質問で返すのは感心しないからねぇ。お返し♪ それで、お返しついでにもう一個訊いちゃおっかな~」


 大井はくるっと踵を返すと、太一から一歩離れて顔だけで振り返る。


「たいちゃんはさ……あーしのこと、どう思ってた? 小学校の時」

「……僕は、」


 仲のいい、オンナトモダチ。それ以上でも、それ以下でもない、はずだ。

 久しぶりに再会した彼女。5年前の記憶より大人びて……しかし、5年前とほとんど変わらない彼女の接し方。


「ヤヨちゃんは、トモダチ、だよ」

「そっか…………うん、そっか」


 彼女は前に向き直り、再び先を歩き始める。


「たいちゃん」

「なに?」

「天気、崩れそうだね」

「うん」


 空は半分が青、もう半分は鈍い鉛色。


「ちょっと急ごっか。ここからまだ歩くし」

「どこに行くの?」

「秘密。どうせこれから行くんだから、ドキドキしながら付いてきてよ……昔みたいにさ」


 大井は視線で太一に振り返った。太一は小さく頷き、トンッ、と軽い足取りで先を行く彼女の後ろ姿を追いかける。


 潮のニオイの漂う通りを進み、しばらく歩くと左手の林にぽっかりと口を開けた遊歩道へと入って行く。ペンキの禿げた看板には『いこいの森』という文字が見て取れる。

 連れてこられたのは地元の森林公園。

 木々に囲まれ、木漏れ日が降る小道。木陰のおかげか少しだけ涼しい。入ってすぐに丸太と土を固めて作られた階段に出迎えらる。

 階段は途中で途切れ、見上げる先は緩くカーブして更に上へと続いているようだ。


「ここさ、ほんとはもっと先に行くと歩きやすい入り口があるんだけど。そこまで行くとちょっと遠回りになんだよね」


 ここは森林公園の入り口というだけはなく、津波の際などに海岸から高台へ避難することも想定して作られている。

 ここ以外にも、海岸沿いにあと2つ、同じような避難路があるらしい。地元の森林組合が定期的に遊歩道の整備をしているらしく、地面には下草を刈った痕跡が見て取れた。


「気を付けてね。蛇とか普通に出てくるから。あとたまに動物が飛び出してくる時もある」

「っ!?」


 振り返った大井がそんな警告を口にした。

 思わず近くの茂みから距離を取る。地元だと動物どころか蛇に遭遇する事すら稀だ。太一の反応に大井は「ははっ」と笑い声を発する。


「大丈夫だよ。こっちからちょっとかいとか出さなければほとんど向こうから逃げていくから。あ、でも蜂とかは普通に向かってくるから気を付けてね。手で払っちゃダメだよ、絶対刺されるから。怖くても基本はじっとしてるか、そっと離れること。まぁそれでも刺されるときは刺されるけどね。マジ理不尽」

「……」


 ……田舎、コワイ。


 軽い脅しのような警告に、太一は自分が危険地帯にいる気分になってきた。これまでの日常になかった脅威が、ここでは普通にエンカウントするという事実。なにも出てこないことを祈りながら、太一は大井の導きに付き従う。

 大井は慣れた様子でどんどん上へとのぼっていった。


 ――そして、歩くこと約10分。


「とうちゃ~く!」

「おおっ」


 遊歩道を上がっていくと途端に開けた空間に出た。まず視界に飛び込んできたのは東屋あずまやだ。その隣は展望台となっており、低い階段を上がると眼下の海原を一望できる。


「どう? けっこういいでしょ~。実はこの周りにあるのってほとんど桜でさ、春になるとめっちゃ綺麗でお花見とか最高だよ。それに今の時期はね……」


 くるっと大井が東屋の裏、傾斜になった雑木林に視線を向ける。つられて太一も同じ方へ振り返ると、雑木林の手前、日当たりの強い傾斜地では真っ白な花弁を付けた大きな花が下草から幾本も顔を出していた。


山百合やまゆりだよ。この時期になると斜面に沿って咲くんだ。ニオイ強いっしょ?」

「……確かに」


 独特の甘い香りは潮のニオイにも負けていない。


「ここ、結構風が吹くし木陰になってるから夏でも涼しいんだ。それに春は桜、夏は百合、秋は紅葉こうよう、冬は雪化粧で、全然違う景色になるよ……まぁ、冬はここまで上ってくるのキツクて、最初の一回に来て以来のぼったことないけど」


 大井はスマホを取り出すと、季節ごとに撮影した風景の写真を見せて来た。


「けっこういい場所だと思うんだけど、意外と人はこないんだ。やっぱり表の入り口からちょっと遠いからかなぁ……そんなわけで、なんとなく一人でぼ~っとしたい時とか。いや~なこととかあるとここ来るんだ~」

「へぇ」


 改めて太一は開けた眼下の海原に視線を戻す。確かにここは静かで、誰に気を遣うことなく物思いに耽ることができそうだ。ただ……


「でもねぇ、今の時期にあんましぼげ~っとしてるとやぶ蚊の餌食。もう連中のバイキングかよってくらめっちゃ刺されてさぁ。夏場に来るときは絶対の携帯用蚊取り線香とか虫よけ対策必須か――な!」

「いった!?」


 いきなり大いに頬に平手打ちを喰らった。見ると、彼女の手には潰されたちっさい蚊。


「てな具合。油断してると今夜は地獄見るよ」

「ええ」

「ほい、虫よけスプレー。あーしはあんま効果期待してないけど、ないよりマシ」

「……先に貸してよ」

「ごめんごめん」


 大井から虫よけを借りて、むき出しになっている肌に吹きかける。彼女曰く「ほとんど汗で流れちゃうとおもうけどねぇ」とのこと。


 それでも、やらないより幾分かマシか。


「さて、ここで虫の御馳走になってることもないし、次いこっか」


 大井は腕に止まった蚊をパシンと叩き潰しながら、遊歩道を更に奥へと進んでいく。太一は陽気に虫を潰す彼女に苦笑しながら、次はどこへつれていかれるのか……ほんのちょっとワクワクしながら彼女の背を追った。



 (;^ω^)

桜の木の近くにいると、カ○ムシとエンカする確率がけっこう高いので注意しよう!

地獄を見るぞ♪


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