海でニオってくる潮の香りってなんか吐き気がする
かぁごめ、がごめ……
いついつでやぁる
よあけのばん、に……
つぅるとかぁめがすぅべった……
海風がびゅうびゅうと、陽気な空の下で小さく歌う少女を撫でていく。ド田舎丸出しな港町と海岸を隔てる境界線、ブロック塀で少女は非常に長い色素の薄い髪を投げ出して、前髪を風に遊ばせている。
少女と少年の中間に位置するような容貌が、背後から近づいてくる気配が徐々にはっきりとしてくるごとに、ちょっとずつ歪んでいく。
ノースリーブのシャツから露出した肌は、夏場だというのにちょっと鳥肌が立っている。
「うしろのしょうめん……だぁ~れ?」
「……人が来るたびにその歌くちにすんのって、なんかの嫌がらせかおい」
「決まってんじゃん? あーし、お前のこと嫌いだし。あ、ごめん。大嫌いだし」
「言い直すんじゃねぇよこら」
ちょっと薄汚れた砂浜。お世辞にも青いとは言えない緑っぽい海。今日は風が強い。ツンと鼻をつく潮の香りはここに越してきてから数年経った今でもいまだ慣れない。
後ろを振り返る。そこにいたのは気怠そうにこちらを見下ろす脱力系男子。なんか最近のラブコメでトレンドとかになりそうなキャラをしてるな、というのが彼女の所感。
オタク的な思考で申し訳ない。しかしこちとらここに越してきてからというものすっかりインドア趣味だ。田舎の遊びは地味な癖になかなか危険と隣り合わせときた。自分には合わなかった。あと妙に馴れ馴れしい彼らの距離感は個人的に好きになれそうもない。
だからか、周囲との付き合いもそこそこに、家で自堕落にオタク的コンテンツを消費することの方が多くなった。
とはいえ外は嫌いじゃない。矛盾しているかもしれないが、なにも考えず夢遊病患者のように外界の景色をその足で観察するのは、無意味なようでいてなかなかに有意義だ。
夏の暑さに汗を掻いて、肌にべったりと衣服がはりついてくるのも、冬の冷気に突き刺され、身体の芯まで凍えさせるのも、春と秋のどっちつかづの優柔不断な寒気のする陽気さえ、彼女にとっては心地いい。
ただ虫だけは嫌いだ。あいつらはなに考えてる分からない。虫よけ的対策を講じつつ、その無意味さに毎度イライラさせられる。なんでちゃんと防虫スプレーしてるのに平気な顔して寄ってくるんだあいつら。
背後の男もそんな感じでなに考えてるかよく分からないところが嫌いだ。なんか一部の女子は「そこがいい」とかほざいていたが自分は御免だ。というかこいつのせいでラブコメ主人公に忌避感を持つようになってしまった。
あの、如何にも世の中の事を分かってます、と諦観した価値観がこの男と重なって読むたびにストレスになる。自分も大概だと思わなくもないが、「お前ら何様だよ」と思っちゃう。
四半世紀も生きてないくせに10数年でなにを分かった気になっているのだ、と。
これはあれだ。見え方が違うだけの中二病だ。ニヒルに決めて周りと関わらない俺カッコいい、とか勘違いしちゃってるイタイ系男子だ。後ろのコイツはまさにそれ。
時任榛輝。海辺の陰気な風に憂鬱な気分を味わっている少女、大井暁良の親戚……加えて――彼女の婚約者ときた。
「お前んとこのじいさまから伝言。『お盆の準備するから手伝え』だと」
「ああ、もうそんな時期だっけ……はぁ……」
「なんだよでかい溜息つきやがって」
「仕方ないじゃん。なんせお盆って言えば、あーしの誕生日だし」
「縁起いいんだか悪いんだか」
「ジジィは『ご先祖様に総出でお祝いされるなんてめでたいじゃないか』とか抜かしてた。あの頭頂部の残り少ない希望を何度ひっこ抜いてやろうって思ったか」
学校が休みの時に誕生日。おかげで大井は家族や親戚以外から「おめでとう」の言葉を貰ったことは片手で数えるほどだ。
しかもその記憶も小学五年生から更新されてないと来た。
まったくもって、子供にとって誕生日は重要な日だというのに、なんてタイミングで出産してくれたもんだと嘆きたくなる。
とはいえ、まだクリスマスやら元旦に生れて来るよりはマシか、などとは思うが。
親に公然とたかれる数少ない機会が一回分減らされるなど、考えるだけでゾッとする。
やはり楽しいことは何度もあって然るべきである。人生は短いのだ。気がついたら過去は全部後ろへ流されて、振り返っても道はもうなくなって進む以外に選択肢はない。
「ねぇハル」
「ん?」
「あーしさ、人生は自分の為だけに生きたいわけよ」
「誰だってそうだろ?」
「そう? 例えばさ、さっきハル、うちのジジィに伝言頼まれたって言ってたじゃん? それをさ『は~い♪ 伝言任されました~♪ キャピ♪』とか、大喜びで引き受けたわけ?」
「キャピってお前……てか、んな小間使いにされてんのが分かってて喜ぶとかないだろ普通」
「そうそう。そゆことよ、つまり」
「は?」
「だから、誰だって自分のためだけに生きたい、って思ってるとか言っといて、結局は誰かのために生きてるじゃん、ってこと」
そう。人は一人じゃ生きられない。だから時には他人のために自己を砕いて、貴重な時間を分け与えなくてはならない。限られた数十万と言う時間。そのうち、一体どれだけの時間が自分『だけ』のものになるのか。
彼女はインドアで、しかし一人で外を無意味に散策するのが好きだ。だってその瞬間はたとえ無意味でも、全部自分だけの時間だって思えるから。自分のためだけに、許された世界にいる実感を得られるから。
でも、せめて他人のために時間を使わなければならないなら、せめて――
「はぁ、うんざりする。なんで顔も知らないご先祖様のためにいちいち準備しないといけないってのよ」
「そのひと達がいなかったらお前がここにいねぇからだろ」
「うわ、出た正論」
髪が汚れるのも構わず、大井はブロック塀の上で腕を広げ、仰向けに寝転んだ。
お盆休みになると親戚筋が大挙して家に押し寄せる。そうなると挨拶だったり無自覚なセクハラの対処だったりとやることが多くて辟易する。
しかもそんな大忙しな時に誕生日なんて迎えるもんだからまぁ疲れること疲れること。
「まぁ……大井の家に生れて、この町に引っ越してきたときからそれとなく覚悟はしてたつもりなんだけど……ねぇ? あーしってば、めっちゃ大人って感じしない?」
「知らねぇよ。まぁ見てくれただけならいっちょ前なんじゃねぇの?」
「は? なにそれ? てかどこ見て言ってんだおい」
「胸」
「〇すぞ」
これだ。この無神経さもどこかラノベ主人公っぽくて嫌いなんだ。そしてこの嫌いはよりによってラノベの主人公にまで逆輸入されてしまった。
心のオアシスをこいつによって穢されたのだ。その罪は重い。やはり二次元はリアルに出張ってきてはダメだ。
大井は常々そう思う。
「で、行くのか、行かねぇのか?」
「行きたかないけど、行かんわけにはいかんでしょ」
自分で自分の気持ちに矛盾した行動をとる。これはなかなかにストレスだ。若いのに心労で死ぬかもしれない。
……は~ぁ……やだやだやだやだ。
親たちに生活の権利を握られているのも、そこから今すぐに脱却できるわけでもない無力な自分も、どっちもほんと嫌になる。
「かぁごめ、かごめ……」
いろいろ曰くのある歌だが、今くらいは自分を慰めてくれるかもと口ずさむ。
「かぁごのなかのとりは……」
いついつでやぁる……
……まぁ、出れないんだけど。
「さて、と」
勢いよく体を起こし、パンパンと体から埃を払って立ち上がる。
無窮に見える空と海には果てがあり、捉えた視界だけが自分の世界。
「行くよ、ハル」
「おう」
海風は相変わらず気持ち悪い。砂埃塗れの潮塗れ。髪と肌はべた付いて、少し先を歩く婚約者はいけ好かない。
「う~ん……やっぱあれだ」
なんとなく、晴れているのに白い空を見上げて、
「旦那にするなら、ちょっと足りないくらいの男の方がいいわ」
「は? なんだいきなり?」
「お前は論外ってことだよ」
「あ、そ」
そう。こいつは顔もそんな悪くもないし、大井の祖父にもそこそこ気に入られている。なんでも、着飾らない性格に好感が持てるとか。それでいて成績は学年でも中の上。まぁ悪くない。しかし運動神経はちょい悪い。ちなみにカナヅチ。
バランス型。きっと無難な夫婦関係に落ち着くだろう。対等な関係、対等な付き合い、対等な人生。
しかし、対等であるために、どうしたって自分の時間をこの男の為に使わないといけないわけで。
……うわ、サイアク。
対等なんて最低最悪だ。結婚するならやはり、自分よりちょっと弱い男がいい。
例えば――
「ああ、やっぱあの子が一番しっくりくるなぁ」
小学五年生の時まで、仲のよかった男の子を思い出す。ちょっと自信なさげに、いつも大井よりちょっとだけ後ろを歩いていた……
……たいちゃん、元気にしてるかなぁ。
同じ空、同じ島国の大地のどこかにいるはずの、かつての友人を思い出し、彼女は「うん」と小さく頷き、
「陰キャ主人公は、きちんと陰キャしててこそだよね」
どうせなら、結婚するならそんな人間がいい。だって、そうすれば、
――どっちが上になっても下になっても、並び立とうなんてことを考えずに諦めちゃえば、なにも頑張らなくていい。全部相手に任せて、あとは各々ご自由に。
5年前の彼となら、そんな理想的な関係を築くことができるのではと、大井は思った。
(・ω・ )
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