汝の敵を愛せよ…日常で敵とか味方とか二極化できるもんでもない
なんとも気まずい雰囲気が流れそうになる中……しかし彼女は背後を気にするような素振りを窺わせ、表情には僅かだが焦りが見て取れる。
明らかに挙動不審な様子を見せる鳴無。
と、彼女はなにを思ったか、太一の腕を引き、
「ちょっとこっち」
「はい?!」
近くの路地に入ったかと思うと、太一を表側に自分は陰に紛れる。ちょうど表の通りからは太一の背中だけしか見えない。
「あの」
「しっ……静かにして」
鳴無にしては余裕のなさそうな目つき。彼女は太一の言葉を遮り路地の外側に意識を集中させ始めた。
すると、太一の背後から妙に慌ただしさを感じさせる足音が聞こえてきた。
途端、鳴無の体が硬くなる。まるでなにかに怯えているかのようだ。咄嗟に太一の制服の裾を掴んだ手は心なしか震えている様に思えた。
足音はまるでなにかを探すように行ったり来たりを繰り返す。その間、鳴無は身じろぎ一つせず、目を固くつむってか細い呼吸を慌ただしく繰り返す。
と、しばらくしたのち「ちっ」と軽く舌打ちするような音と共に表にいる何者かの気配は遠ざかっていった。
鳴無は警戒心を露わに、おもむろに路地から太一越しに顔を出し辺りを見渡す。
そして「はぁ……」と息を重く分厚い吐息を吐き出して強張っていた体から力を抜いた。
しかし太一からすれば何がなんだかさっぱりである。
いきなり腕を引かれたかと思ったら小さな路地へと連れ込まれ……性別が逆なら確実に悲鳴を上げているシチュエーションである。
全力で「おまわりさんこっちです」案件の発動承認待ったなし。
しかし今の状況も傍から見れば随分とギリッギリ。うら若き乙女と顔だけなら野獣な太一が路地で密着状態。第三者がいたらな邪な妄想がノンブレーキで爆走させるに違いない。
が、鳴無の様子はそんなバカな思考に陥ることを躊躇わせるほど鋭敏だ。警戒、怯え、焦燥……とにかく落ち着きがない。
「え、と」
「っ!?」
太一の小さな声にすら過敏に反応を示す。
これまで見たことないほどに瞳は吊り上がり、しかしそれはどこか弱り切った手負いの獣じみていて……
「悪かったわね。急に」
「いえ……あの、鳴無さ、」
「それじゃ」
太一の呼びかけを途中で遮り、鳴無はそそくさと太一から遠ざかっていく。
その後ろ姿はこれまでの優雅さを思わせるものとは程遠く、まるで苛立っているような、あるいはこの場からいち早く遠ざかりたいという焦りを滲ませたような、乱暴な足取りであった。
遠ざかる背中に太一は首を傾げることしかできず、
「あ、そうだ。コンビニ」
しかし姉に頼まれた買い物のことを思い出し、彼は踵を返す。
あとはもう、彼の頭にはコンビニスイーツのことしかなく、先ほどの鳴無のことは頭の片隅へと追いやられていた。
しかしこの翌日……
彼は記憶の引き出しにしまわれたはずのこの小さな違和感を、またしても鳴無と再会することによって強引に呼び起こされることになるのだった――
(・・?
翌日の試験。深夜に詰め込んだ内容を捻り出して解答欄を埋めていく。後半になるにつれて難易度の上がる定番パターンの内容に太一は潔く解答を諦めて前半で確実に点数を獲得する方針を採用。
個人的な目算だが、これでも充分にクラス内での平均点より少し上は狙えるはず。
なにせ試験機関にも関わらず、先日の事件に始まり不破の自由奔放な振る舞いに巻き込まれてまるで勉強ができていない。
今回のテストは過去最低を記録することは間違いないと思われた。
しかしここで捨て鉢になることもできず、悪足掻きとばかりに一夜漬けを決め込んでこの試験に挑んでいる。
おまけにこれで早朝のランニングもこなそうというのだから中々にハードだ。
いくら太一の肉体がまだ十代とはいえそれなりに堪える。
ちなみに不破はというと、試験中であるにも関わらず机に突っ伏して寝入っている。
あまりにも堂々とした振る舞いに試験監督もニッコリと苦笑いである。
その豪胆さを羨むべきか呆れるべきか。
試験終了の鐘が鳴る。天井を仰ぐ者、小さくガッツポーズを決める者、燃え尽きている者、大小さまざまなリアクションを取る者たちの中、太一はさっさと筆記用具をカバンへと押し込み、帰宅前のホームルームが終了するなり教室からこっそりと、しかし可及的速やかに退避する。
先日の調子でいくとまた不破あたりに外へ連れ出された上に試験勉強の時間は深夜へとずれ込み、2日続けての貫徹を決めることになりかねない。
さすがに身が持たない。どこぞの存在感が空気になりかけのバニーガールな先輩の記憶を保持しよう必死になる主人公でもあるまいし。
こんな時期に連日で一睡もせず試験に挑み続けるなどまっぴらごめんである。
そんなわけで太一は密かに学校の図書館へと逃げ込むことにした。取り合えず仮眠と少しとって夕方までは勉強。どうせ夜は不破に絡まれる可能性高めなのでまともに試験勉強をするならこの数時間しかない。
どこぞの扉が精神と〇の部屋に直結していないものか。とにかく今は時間が欲しい。
図書館へは校舎西側に設けられた階段から下るのが早い。
相変わらずこっち側は昇降口や学食などから離れているためか人気は少ない。明り取りの窓も僅かで日当たりもあまりよろしくないのも手伝って、ここは東階段と比べて少し薄暗い。
ひとけのなさも相まって、まるでこのエリアだけが隔絶されているかのような錯覚に襲われる。
しかしこちら側の階段を下っていると、先週に鳴無に呼び出された時のことを思い出す。
ほんの一週間ほど前の出来事だというのに、随分と昔のことにように感じられる。
あの時は鳴無に思わせぶりな態度を取られたり、教師の不埒な現場に遭遇したり、鳴無と密着し挙句上に覆い被さるような格好になってみたり……と、なかなかに濃い時間を過ごすことになった。
忘れようにもあれだけ衝撃的な出来事は太一の人生を振り返ってもそうはない。
おそらくしばらくは……下手をすれば一生忘れることはできないかもしれない。それだけ色濃い記憶だ。
……あの時の鳴無さん……あれって、全部演技だったのかな。
鳴無は言った。『きらりんが付き合ってる男がどんな相手なのか知りたかっただけ』と。
後から聞いた話によれば、鳴無は一年の頃から不破が関わった男子生徒を悉くちょっかいを掛けては、不破から奪っていく、というのを繰り返してきたらしい。
しかし結局まともにお付き合いが継続した例はほとんどなく、どの男性とも数日から一ヶ月以内には関係を切っているという。
これはもう。明らかに不破から男を寝取ることが目的の確信犯としか思えない。
……鳴無さん、なんでそんなに不破さんを。
よっぽど過去に不破からひどい扱いを受けたのか、はたまた不破の人気に嫉妬した末の行為なのか。
いずれにしろ、それが元で4月に遂に不破の我慢が限界を迎えた末に、例の校内暴力事件へと発展したわけである。
が、太一の所感では……
……なんか、鳴無さんから不破さんへの嫌悪感みたいなのってない気がするんだよなぁ。
そう。不思議なことに、鳴無からは不破に対する敵意のようなものをまるで感じなかったよう思えるのだ。むしろ、
『あの子、なんで君みたいなのと一緒にいるのかしら』
随所に滲んでいたのは、むしろ『手のかかる子ね』と、どこか呆れつつも子供を見守る親のようなソレ。
……考えすぎかな。
彼女のしていることはどう取り繕っても不破のメリットになっているとは思えない。
むしろ常に神経を逆なでして不破を停学さえ、今回の一件では下手をすれば退学させるところまで行ってしまうところだったのだ。
今の世の中、高校中退がどれだけ社会的デメリットであるかなど語るまでもない。
「はぁ……やめよ」
考えても判るはずもない。そもそも鳴無が不破に敵意がなさそうに見えるというのも単に太一がなんとなくそう感じた、という根拠に乏しい所感にすぎないのだ。
もう彼女と関わることもない。ならばこれ以上思考のリソースを割くのは賢明とはいえない。
なにせまだ、テストは一日残っているのだから。今はこちらに集中すべきである。
が、どうやら空の神は、そうは問屋が卸さない、とばかりに、太一の人生に妨害工作を加えねば気が済まない性質らしい。
「あ……」
噂をすれば影、などと言うが、一人で考え込んでてもまさかそんなシチュエーションに遭遇するとは。
視線の先、階段を下っていく途中に、
「鳴無、さん」
階段で膝を抱えて座り込む、鳴無亜衣梨と鉢合わせた。
「……ん?」
生徒たちの奏でる喧騒から遠く離れた西階段。鳴無はゆらりと人の気配を感じ取って緩慢な動作で顔を上げた。そこにいたのは目つきだけがやたら鋭い男子生徒の姿。
「はぁ……君か。昨日ぶり。よく会うわね。ワタシたち……それとも、君ってば、ほんとにワタシのストーカーだっりするわけ?」
太一を上げて揶揄するような言葉を吐いた鳴無。しかし声のキレはまるでなく弱々しい。
顔つきはまるで企業戦士もかくやというほどに疲れ切った様子で、あの人を問答無用で魅了する華やかさは失われ、代わりに今にも消えてしまいそうなほど表情には陰りが見て取れる。
「ち、違いますよ! 僕はただ、図書館で勉強しようと思っただけで」
「はっ……どうだか……慌てちゃって、怪しいったらない。図星だったかしら、ストーカーさん?」
「……」
「あら。なに怒った?」
「いえ……」
言葉を交わす中、不意に太一は彼女を、ハリネズミのようだと思った。警戒心を剥き出しに、こっちに来るな、近付いたら刺すぞ、と小さく怯える小動物。
余裕のある笑みで、太一を翻弄していた彼女の面影は微塵もない。口元に浮かぶ笑みは歪んで、
よく見れば薄っすらと目の下にクマの痕跡のようなものが浮いている。化粧で誤魔化してはいるようだが、果たして彼女に何があったというのか。
「はぁ……ストーカーじゃないっていうなら、さっさと行って。そこにいられると、目障りなのよ」
「……」
太一はなにも言わず、ただ彼女の脇を通り過ぎて階段を折り切る。踊り場で横目に彼女の姿を見遣る。
鳴無はじっと、階段の上で膝を抱えた姿のまま、太一がいなくなるまでその姿を睨みつけていた。
踊り場から階段に足を掛けた時、太一は少しだけ立ち止まって、
「あの……大丈夫ですか?」
「……なにが?」
「いえ、なんとなく」
「……どうでもいいでしょ。いいからさっさと行って。悲鳴上げてほんとに君のことストーカーにしてやるわよ」
「はい……」
二人は僅かな邂逅を交わしただけですれ違った。鳴無を気に掛ける義理などない。太一は彼女に興味本位で遊ばれた末に、土曜日にフラれたのだ。
涙を流してしまうほどに、太一は彼女に悔しい思いを、辛酸を舐めさせられた。
それが元で、危うく不破が退学するかもしれない事態にまで発展しかけた。
むろん、全てが悪いことだけだったということでもない。彼女と過ごした時間が、全然楽しくなかった、と言えば嘘になる。
最後の結果でその思い出にはケチが付いた格好ではあるが、良いことも、悪いことも、どちらも彼女と過ごした時間の中にはあった。
故に、ただの善悪で片付けることは難しい。物事は極端な二面性で語ることはできないのだから。
だからだろうか。彼が思わず、鳴無に『大丈夫』と声を掛けてしまったのは。
結局は拒絶されてしまったわけだが、階段を少し進んだところで、不意に頭上から、
「……もう、いい加減にしてよ」
と、ほんの少しだけ声に濡れた響きを孕ませた、そんな声が聞こえて来た。
(´・ω・`)
――更に翌日。本日テスト最終日。
先日の弱々しい印象の鳴無の姿が脳裏に残り、目の前のテストにあまり集中できずにいた太一。
彼女の身に何があったのか。なぜあそこまで打ちのめされたような有様になっているのか。
勝手に脳が考えを巡らせる中、ふと先日に町中で鳴無と遭遇した時のことが思い出された。
あの時彼女は、まるで周囲を警戒するような素振りを見せ、咄嗟に太一ごと細い路地に入って息を潜めた。まるで、何かから逃げるように。
鳴無と路地に入ってからすぐに聞こえて来たあの足音……何かを探るように慌ただしく蠢き、最後には遠ざかっていった正体不明の謎の気配。果たしてアレはなんだったのか。
それに、彼女との会話の中、妙に連続して発せられたキーワード。
……もしかして。
テストの間に挟まれる中休みの10分。太一は尿意を催してトイレへと駆け込んだ。
「ふぅ……」
テストでの緊張状態からか随分と溜まっていたらしい。随分とスッキリとした顔でトレイから出て来た太一。
が、外に出た太一は、廊下をまるで幽鬼のように横切っていく鳴無の姿を捉えた。
傍目にも彼女の状態が普通ではないことは明白だ。周りの生徒たちも鳴無の状態には気が付いているようだが、誰一人として声を掛ける者はない。
彼女は良くも悪くも有名人である。不破と殴り合いの末に停学処分を喰らい、果てはつい先日も目立つ中庭で一触即発の状態となり随分と話題になったようだ。
とてもじゃないが積極的に関わろうとする生徒は少ないだろう。仮に太一が声を掛けたところで何ができるわけでもない。
それ以前に先日彼女とすれ違いハッキリと拒絶されたばかりではないか。
……でも。
『鳴無さんを見返せるくらいの男になります』
そんなことを口走っておきながら、果たしてあんな状態の彼女を見過ごして達成できるものなのか。
むろん、いい男の条件はお人好しになれということではない。姉の涼子も言っていたが、人間なんてメリットデメリットで相手を選ぶドライな生き物だ。
それこそ誰にでもいい顔をするなどただの八方美人である。
しかし、太一の目標は『鳴無を見返す』ことでもあるはずだ。
ならば……!
「お、鳴無さん」
「っ……あぁ、君……」
思い切って、太一は鳴無に声を掛けた。一瞬肩を震わせた彼女は、のっそりとした動作で振り返る。近くで見るとよりその顔色が悪いことが確認できた。
瞳は半開き。もはやコンシーラーでもカヴァーしきれないほど眼下にできたクマは色を濃くしていた。
明らかに数日ほど眠れていないのは明らかである。
「なに……? ワタシ、君の相手してる余裕ないんだけど……」
瞳に宿るは明らかな攻撃色。咄嗟に太一はたじろぎそうになる自分をどうにかその場にとどめさせ、奥歯を少しだけ強く噛んで声を掛ける。
「え、と。大丈夫、ですか?」
「大丈夫って、なにが……?」
「あの、なんて言いますか……鳴無さん、今にも倒れそうに見えて」
「別に……君には関係ないでしょ」
「っ……」
思わず声を飲み込む太一。しかしそれは怯んだからではない。むしろ逆。太一にしては珍しく。
今この瞬間、彼女の言葉に彼が覚えた感情は明らかな怒りであった。出合ってから今日まで、さんざんこちらを彼女の都合で振り回しておきながら、今さら『関係ない』だと……?
「関係ない、ですか……」
「そう言ってるでしょ。君の言いたいことはそれだけ? ならワタシもう行くから」
「…………けないで……さい」
「はい? なに? 聞こえな――」
「ふざけないでください!!」
「っ!?」
あまりにも唐突に轟いた太一の怒号。鳴無は半開きだった瞳を見開き、その顔を驚愕に染めた。
人のことをバカにするのも大概にしろ、そんな意志が彼からは感じられた。
直後、太一は鳴無の腕を強引にとり、
「ちょっ、ちょっと!?」
「保健室に行きます! そこでなにがあったか話してもらいます!」
「はぁ!?」
周囲の視線が集まるのも無視して、太一は鳴無を強引に引っ張り、保健室へとバタバタと足音を鳴らしながら向かった。
(怒`・ω・´)ムキッー!
陰キャだってたまには感情が爆発する時くらいあるんです!
さぁ! 主人公が第三のギャル真っ向勝負です!!
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