どんなことがあっても、ただ笑ってればいい…そう思っていた
「あの、鳴無さん……今のは、どういう」
「え? わかんない? 言葉通りの意味だよ」
なにも変わったことなど言ってない、ただ単語が羅列して意味になった音を発しただけ……そこには裏も表もない。
ただあるがままに、正しく音の意味を理解しろと、彼女の瞳は残酷なまでに優しく諭してくる。
しかし太一は理解できなかった。或いは、したくなかったのか。
が、そんな彼の内心を慮る様子もなく、鳴無は太一へ体ごと向きを変えて口を開く。
「君さ。今日一日で自分の意見とか、ちゃんと言った?」
「え?」
唐突な質問。
しかし太一はなかば思考放棄状態であり、まともな回答を用意することもできずポカンと口を開くばかり。
「ワタシさ、今日何回か君に訊いたと思うんだよね。『どこか行きたいところある?』とか『次どうしようか?』とか……でもさ、君ってばずっとワタシの後ろにくっついて来ただけだよね? なんていうかさ……主体性とかないの、君って?」
別に揶揄しているわけでもない。ただ事実をそのままに指摘しているだけ。
「正直さ、ちょっとガッカリかな~……あの『きらりん』が執心してるっぽいって言うから、どんな人なのかと思ったら、『コレ』ってのはさ。もうちょっと男らしさとか面白みがある人かと思ってたのに」
「っ……な、なんですか、それ……」
「だからさ、そのままの意味だって。君さ、なんかさっきから思考停止してない?」
「そんなことは……あと、きらりんって」
「不破満天。ちょっと考えたら判るでしょ、それくらい」
今の発言。これまでと違い明らかな侮蔑の色が滲んでいた。
「あの子、なんで君みたいなのと一緒にいるのかしら。正直、これまでの男の中で断トツの『どべ』じゃない」
『どべ』という単語の意味は分からなかったが、彼女が太一をプラス方面に評価したのではないことだけは確かだ。
夕暮れに迫る紫紺の暗幕。
一時はそれも今日という日を美しく幕引く演出のように思えたが。今となっては『終わり』を告げる狼煙のごとく。ゆっくりと空を覆い隠し、暗い色身を帯びる。
「はぁ……まぁもう終わるだけのことだからどうでもいいんだけどね」
「終わる、だけ」
「そ。ワタシ、君にちゃんと言っておいたよね? 今日のデートはお互いのことを知るためのデート、って」
覚えている。いまだ鮮明に。彼女と今日まで過ごしたわずか一週間。
しかし、だからこそ、記憶の鮮度は保たれ、こそばゆくも温もりに彩られた記録は彼の中でしっかりと息づいている。
「で、結果から言えばね。君は完全に――『ナシ』かな」
先ほどから、彼女は一度も太一の名を呼ばない。ずっと『君』と、出会った時の、自己紹介をする前のように、ひたすらにその単語で太一を示す。
「きらりんもほんとに男の趣味悪い。君みたいなのを隣に置いて、恥ずかしいとかなんにも感じないのかな?」
「っ!」
思わず太一の瞳に剣が宿る。
しかし彼女はそんな目を受け止めてなお飄々と、口軽く言葉を紡ぎ出す。
「まぁこういう結果なわけだけどさ。悪く思わないでね。でもさ、君もちょっとは美味しい思いできたでしょ? ワタシと一緒に、二人きりの時間を過ごせたんだし……ああ、そうそう。それとね」
その先を告げらる瞬間、太一は彼女の顔の上半分が黒く塗りつぶされているような錯覚に陥り、赤い口元だけがより歪んで強調される。
「君自身のこと、実は最初からそんなに興味もなかったんだ。あの不破満天の近くにいる男の子って言うから、どんな相手か知りたかっただけ。あわよくばワタシのものにしちゃって、またきらりんで遊ぼうかな~、っていうのも考えてたんだけど……」
ヘラヘラと回る口が、今日までの全てが嘘でしかなかったのだと告げてくるかのようで。
「君はそれ以前の問題だったかな。てなわけだから、さようなら。自主性なし、男らしさもなし。中身空っぽでな~んにもない男の子君。今日はほんと、クッソつまらなかったよ♪ じゃね~」
そう言って去って行く彼女の姿を、太一はただベンチから見送る。なにも言い返せず、黙って言わるがまま、ずっと受け身で……
が、
「はは……」
太一が漏らしたのは、笑みだった。
『あんたさ、もうちょっと姿勢くらい上げてろって』
なぜか、脳裏にいつもの不破の声が聞こえた気がした。
……大丈夫です。
太一はベンチから立ち上がると、俯くことなく真っ直ぐに前を見る。
……僕は、大丈夫ですから。
スマホを取り出し、姉に帰宅の連絡を入れる。『少しだけ、家に着くの遅れるかも』と、メッセージを送信。了解と親指を立てる真っ白なデフォルトキャラのスタンプが送られてくる。
……そう。大丈夫……だって。
スマホをポケットにねじ込み、彼はぐっと、首を少しだけ上に持ち上げた。
……期待は裏切られるものだって、知ってるじゃないか。
だから、自分は平気なのだと、太一は少しだけ奥歯に力を入れて、家路についた。
( ´∀)ハハ……
不破満天はほぼ日も落ちかけの夜7時に宇津木家玄関へと飛び込んだ。
「たっだいま~!」
霧崎とスポ天で体を動かし、駅前のゲーセンで散々遊び倒した末、カラオケで存分に鬱憤を晴らした不破。
最寄り駅で太一たちの姿を見失ってから荒れていた感情もおかげで大分沈静化したようである。
駅前で霧崎と別れ、真っ直ぐに宇津木家へと帰宅して来た不破。もはやここが自宅であると疑ってないような態度が随所に滲む。
適応能力が高いと評すればいいのか図々しいと言えばいいのか。
不破の帰宅に気付いた涼子が玄関に顔を出す。
「おかえりなさい。ちょうど今さっき太一も帰ってきたところだから。あ、でもごめんね。ちょっと夕飯の材料足らないから、今から買いに行ってくるわ。ごはん、少し遅くなるけど勘弁ね」
「うす……へぇ、宇津木帰ってきてんのか……」
太一の名を聞いて不破は今朝のことを思い出す。同時に鳴無の顔が脳裏をめぐり、先ほどまで収まっていたイライラとした気持ちが再燃し始めた。
……あんにゃろ。よりにもよってあのクソ〇ッチと一緒にアタシから逃げやがって。
実際走り出したのは鳴無だったのだが、そんなことは関係ない。気に入らないオンナと太一が一緒にいたことが気にくわない。
ましてや最近の太一はグループ内で不破以外の女子のおもちゃにされていたり、休み時間の大半は鳴無を優先して行動するといった様子を見せていただけに、余計苛立ちが募っていた。
しぼんだ風船の中に再度注入されていく怒り。涼子がマンションを出るのとすれ違いに、不破は肩をいからせ太一の部屋へと直行。
とにかく今はこのむしゃくしゃする気持ちを発散させたくて仕方ない。鳴無にくっつかれてデレデレしていたあの締まりのない顔にデコピンをかまし、一発尻に蹴りを入れてやる。
不破は指をゴキンと鳴らし、太一の部屋へ続く扉を乱暴に開け放つ。
「おら宇津木~! ……は?」
扉を開けた瞬間、不破は踏み込むのを躊躇した。目の前の空間は、夜の帳そのままに、照明を点けることもなく、真っ暗な状態だった。
そんな中に、ポツンと太一はいた。ベッドの上、どこを見るでもなく、ただ虚空を見上げている姿に、不破はどこかうすら寒いものを感じた。
どこか、かつて教室で見せていたような、厭世的な雰囲気を思わせる。
ひっそりと孤独に、世界にいるのは自分だけであると殻に閉じこもるような拒絶感が滲み出ているように思える。
「あ、不破さん。おかえり」
だというのに、太一の言葉は普段通りだった。イントネーションも、表情も、いっそ不気味なくらいに平坦で、逆に気味が悪いとさえ思えてしまう。
しかし、だからこそ、これが正常ではないことに、不破は気付かされた。
「なにしてんだよ、電気もつけねぇで」
「え? あ、忘れてた。はは……何やってるんだろ」
太一は手元のリモコンのスイッチを入れ、部屋の照明をオンにする。
灯りの下に浮かび上がった太一の外面は、やはり普段通りの姿だ。それが余計に違和感を生む。
「あの、それでどうかしたの? 僕になにか用?」
「……今日、鳴無と会ってただろ」
「うん。二人で隣町までね。それが?」
「……駅で、お前らのこと見かけた。会うなってアタシ言ったよな? なのに言う事きかねぇで、あげくベタベタしやがって……あんたアタシのもんって自覚ねぇみたいだから、一発ヤキ入れてやっと思たんだよ」
不破の乱暴な発言。
しかし廊下での勢いは既になく、どこか淡々とした物言いだ。そして、そんな彼女に対して太一は、
「ああ。それ、いいかも」
「は? あんた何言ってんの? 自分からシメられたいとか、頭どうかしてんじゃね? ……なに。なんかあった?」
「別に。ただちょっと、自分のことを正しく振り返っていたっていうか、そんな感じ。ちょっと僕、色々と都合よく見すぎてたな、っていうね」
「……言ってる意味、分かんねぇんだけど。つかさ、そのヘラヘラした顔やめてくんね? さっきからすっげぇイライラすっから」
太一の表情は、終始笑みの形に固定されていた。「あ、すみません」と後頭部を掻く仕草を見せつつ、しかし口角は上がったまま……
「というか、不破さん……僕のこと、シメに来たんじゃないの?」
「…………じゃあ、何があったか全部ゲロったらそのケツ蹴っ飛ばしてやるよ。どうせあの牛乳のクソ〇マとよろしくやってやんだろ? おら、どんな風にイチャついてたいのか、聞いてやるよ」
「はい。それじゃ――」
太一はベッドの腰掛けたまま、どこを見ているかも定かでない焦点で虚空を見上げ、今日の出来事を語り始める。
最初から最後まで、あったこと全部。
語る内容は今日という日に限らず、鳴無と過ごした時間の中であった出来事にまで及び、記憶を整理するように紡がれる追憶の物語は、徐々に自虐の色を帯び始めていく。
会った時から、基本的に話す内容とかは全部彼女が用意してくれて。
太一はただそれに乗っかるだけ……自分から話を広げていくことをせずに、ずっと受け身のまま。彼女のことに対して、なにも訊いてこなかった。
彼女の言う通り、自主性もない、ましてや男らしさなど……
振り返ってみれば、太一はずっと、鳴無に導かれるまま、なにも考えずただ一緒にいただけだった。
「はは……言われちゃいましたよ。『君は空っぽでなんにもない』って。ほんと、その通りだなって。それは彼女だって、僕なんかと一緒にいて楽しいはずないのですよね」
「……おい」
「だから、最後にクッソつまらないとか。もう、ほんと自分でなにやってるんだろって、ちょっとおかしくなっちゃって」
「……おい、だから」
「ウケますよね。ほんと、あはは――」
「笑うな!!!」
「っ!?」
不破の張り上げた声に、太一は思わずビクリ肩を震わせた。
「え、と、不破さん? 僕は」
「さっきからヘラヘラヘラヘラ! 面白くもねぇのになに笑ってやがんだお前はよ!」
不破の顔が目の前にまで迫り、その迫力に太一は言葉を失ってしまう。
「悔しぃんだろうが! 泣きてぇんだろが! なに平気なふりして笑ってんだ! 泣きゃいいだろうが!」
「っ……僕は、別に……それに、こんなことでいちいち泣くとか、男として、どうかって」
「んなことどうでもいいだろうが! 男だろうが女だろうが、悔しけりゃ泣いていいだろうがよ! んな無理やり笑ってんじゃねぇよ、気持ちわりぃ!」
「そんな……僕は……」
平気……そう続けようとした喉は言葉の形に震えることなく、代わりにひりつくような感覚に支配されていく。
それは徐々に嗚咽へと変わり、最後には涙まで瞳からあふれてきた。
「……っ……っ~~……」
「……ったく」
不破は「ふん」と鼻を鳴らしながら、太一の横にドカッと腰を下ろす。その手は乱暴に太一の頭へと乗せられ、ぐしゃぐしゃと乱雑に撫で始める。
「ちゃんと相手見ねぇからそうなんだよ、バ~カ」
そんな優しい悪態に、太一の目からは余計に雫が流れ出た。
それでも、彼は最後の矜持にと、声を出すのだけは、必死に堪えていた。
(¬_¬)( `っᾥc )‧º·˚ウッウッ
これで終わり?
いやいやそんなまさか……ねぇ?
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