人が変わる瞬間とは、変わりたいと『願った』その時である
目が覚めた。ひどく気分が悪い。ずっしりとした頭。関節は石膏で固められたように動きが鈍い。
カーテンの隙間から西日が挿している。
枕もとのデジタル時計の表示はPM6:19……
「――あら、起きたの?」
涼子が太一の机で文庫本を広げていた。眠ってしまった後も、ほぼずっと傍にいたらしい。
「お腹すかない? なにか持ってくる?」
「うん」
「じゃ、ちょっと待ってて」
涼子は素うどんを作ってきてくれた。乗っているのは万能ネギのみと本当にシンプルだ。しかし昼食も取らずにずっと眠っていた体は、あっさりと麺もダシも胃の中に納めていく。
「――ごちそうさま」
「はい、お粗末様。少しは食欲も出てきたみたいね。風邪薬持ってくるから、熱、測っておきなさい」
言われるがまま、体温計を脇に挟む。電子音と共に脇から引き抜くと、そこには37.3と表示されていた。まだ熱はあるものの、昼間と比べると随分と落ち着いてくれたようだ。
涼子の持ってくれた風邪薬を飲んで一息つく。こいつがしっかりと仕事してくれれば、明日にはまた健康な体が戻ってくることだろう。
……最も、精神的な部分までこの薬は面倒を見てはくれないが。
最悪、体などよりも厄介な部分に患った病を引きずる可能性の方が大だ。精神と肉体は互いの健康状態に影響を与え合うという。ならばいくら体の風邪が治ったところで、相互関係にある精神が病んだままでは完治したとは言えない。
この心の中でとぐろを巻く靄は、いったいどうすれば晴れてくれるのか。
涼子は太一の食べた食器もそのままに、再び机に腰掛ける。足を組み机に肘を当てて頭を支える。その表情はどこか呆れているようにも見えた。
「あんた、満天ちゃんと喧嘩したんだって」
「――っ!?」
姉の言葉に心臓がドキリと脈打った。そんな弟の反応に「はぁ」とため息をつく涼子。太一は咎められるのでは身を固くする。
が、涼子は「しょうがいないわね」と言わんばかりの表情で太一に苦笑を向けるのみだった。
「今朝、霧崎さんが電話してきてくれてね、色々と教えてくれたのよ……なんていうか、あんたが喧嘩ねぇ……」
「霧崎さんが?」
霧崎は昨日はあの場にはいなかったはずだが。大方不破から色々と聞いたのだろう。
「今日は満天ちゃんも学校休んだらしいわ。二人して一気に学校に来ないもんだから、心配したんじゃない?」
「そう……」
が、不破は元々学校はサボりがちだ。もうあと一回や二回、学校に来なかったからとそこまで気にするようなことではないのではないか。とはいえ、やはり昨日の今日では霧崎も、なにかあるのでは、と心配になってしまったのは仕方ない。
「それで、なんで喧嘩したの?」
「……そもそも、喧嘩じゃ、ない。ただ、ちゃんとお互いに、正しい付き合い方に戻ろうって、話しただけで……」
「そう? でも、その割にはあんた、全然納得できないみたいだけど?」
「……」
「ていうか、あんたって満天ちゃんのこと、好きなんじゃなかったの?」
「っ……それ、姉さんの勘違いだから。僕は最初から、不破さんの事、なんとも思ってない。ただ、強引にダイエットに付き合わされただけで……だから、好きとか、嫌いとか、そんなんじゃない」
「だから、別に関係が壊れちゃってもいいって?」
「壊れるんじゃない。もともとが壊れてたんだから。それが、もとに戻るだけの話だし。大体、不破さんはいつも勝手なんだ。僕の意見なんて聞かないで、一人で突っ走って。あげく、それに振り回れる僕の気なんて、全然考えてもくれない。だから、全部片付いて、スッキリしてるくらいだよ」
「……」
「……」
しばし無言の時間が流れる。太一はベッドの上で姉に背を向けて、涼子はそんな弟の背中に視線をやる。つっけんどんな態度をとる太一。しかし涼子は、どこかそれを微笑ましいものでも愛でるように見つめる。
「ふ~ん。そっかそっか。やっぱり喧嘩したんじゃない、あんたたち」
「……」
……違う。
「お互いに意見が食い違って衝突するなんて、喧嘩以外のなにものでないじゃないのよ」
「……」
……だから、違うって言ってるだろ。
「でも、そう……喧嘩したの……良かったわね」
「っ! 何がいいんだよ!?」
思わずベッドから跳ね起きて姉に食い掛った。
それでも、涼子の表情は穏やかなままだ。
「だってあんた、そもそも今日まで喧嘩できる相手すらいなかったじゃない。喧嘩なんてね、それなりに仲のいい相手だから成立すんのよ。ほら、良く言うじゃない。喧嘩するほど仲がいい、って……まぁ、私としては、喧嘩『できる』ほど仲がいい、ってことなんだと思うけどね」
「なんだよ、それ……それじゃまるで、友達みたいじゃん」
「友達、でしょ。あんたと満天ちゃん、あと霧崎さんか。ひゅう、女の子二人両手に侍らせて、モテモテじゃんあんた」
どこかふざけているようにも思える涼子の発言。しかし、太一はぎゅっと胸のあたりを押さえて、俯いてしまう。
「友達じゃ、ない……僕と不破さんたちは、全然、友達なんかじゃ、ないよ……」
「……どうして?」
絞り出すような弟の言葉に、涼子は優しく問いかけた。
「だって、友達は相手を利用してやろうなんて考えないでしょ? 自分の都合のいいように、相手を使ってやろうなんて、考えないはずじゃないか」
「……」
「僕は……僕は、不破さんを利用しようとしたんだ。自分勝手な欲求を、不破さんで満たそうとした。そんなの、全然友達じゃない……こんな汚い考えを持ってる僕は、不破さんの友達になんて、なれるわけがない」
太一は吐露した。自分の心の内の全てを。涼子は、黙って太一が話し終えるまで耳を傾ける。
そして、太一の声が途切れたところで、彼女は弟へそっと近づき、俯いた頬に手を当てて、顔を覗き込む。
「なんとなくだけど、あんたの考えてることは分かったわ」
「……」
「でも、それを踏まえて言わせてもらけど、あんた――人間関係にちょっと夢見すぎ」
「え?」
思わず飛び出してきた涼子の厳しい言葉に、太一はぎゅっと胸を詰まらせる。
「そもそも、友達だろうが親友だろうが、恋人だろうが夫婦だろうが、なんだったら親子だってね、いつだって相手を都合よく見てるもんなのよ。あんたが不破さんになにか期待したのなんて、普通のことよ。別になにも特別なことじゃないわ」
涼子はさも「くだらない」と吐き捨てるように言い放った。どんな相手であろうがそこには大なり小なり利害関係の一致がある。親だろうが子供だろうが、それは変わらない。
究極的に、或いは身もふたもないことを言ってしまえば、親が子を育てるのは自己の遺伝子を後世に残すためだ。親愛や情はそれを円滑に実施するための感情的システムだと割り切ってしまうこともできる。
夢も希望もないが、それも一つの側面だ。
どれだけ近しい存在だろうが、親しい間柄だろうが、そこに利己が絡まないなら、それこそ『関係』など成立しない。
「合わないなら自然と離れていくし、ちょっとでも噛み合うとずるずる付き合っちゃうもんよ。あんたは満天ちゃんと自分が水と油みたいに思ってるみたいだけど、傍から見てたらあんたたち、なかなか良いコンビだったと思うわよ」
涼子は指折り数えるように二人のことを語っていく。朝に一緒に走って、ゲームを二人で交互にプレイして、夕飯を盗り合って(一方的に太一が奪われている方が多い)、食後に垂れ流されるテレビを一緒に見てみたり……
「まぁあんたからすればたまったもんじゃなかったかもね。あの子、接し方が激しいタイプだから。ああいう子はノリが合わないと疲れるわよね。でも」
――あんた、意外とまんざらでもなかったんじゃない?
「……わからない」
涼子の言葉を受けても、太一は不破との日常が、自分にとってどんなものだったのか、良く分からない。
疲れるだけだった……そう言い切ってしまうのは簡単だ。しかし、服を買いに行って、髪を切って、
『なかなかいいじゃん』
美容院から帰ってきた太一に向けて、不破はそう言った。
それは、太一が母親からすらもらったことがほとんどない、明確な肯定の言葉だった。
不破は、決して理不尽だけを押し付けてきたわけじゃない。彼女は決して優しくはなかった。しかし、優しくない、『だけ』でもなかったはずだ。
「太一、さっきも言ったけど、関係性なんて利己的なものよ。続けるも続けないもあんた次第。これだけは私は口出しできないわ。そこだけは、あんたが自分で決めなさい。それと……」
涼子が太一の頬に触れ、真っ直ぐに瞳を合わせて来る。
「自分がもしも、相手になにか悪いことしたな、って思うなら……どうすべきかくらいは、分かるわよね?」
「……うん」
「よろしい」
太一の返事に、涼子は満足げに頷いた。
「姉さん」
「うん?」
「僕、変われるかな?」
「……変わりたいの?」
「うん」
「そう。なら大丈夫よ。だって」
――そう思ってること自体、あんたがもう変わり始めてる証拠だから。
涼子は「大丈夫」と繰り返す。
人が変わる瞬間とは、変わりたいと願った、その時なのだから。
╰(*´︶`*)╯
えぇ…白状します。申し訳ございません。
書いていた話のストックが、切れました…
現在、鋭意続きを執筆中です。
ですが! ここまで来て1日間が空く、なんてことは絶対にしません!
プロットはちゃんと出来上がってます! 故に書きます!
指が全部もげても!!
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