人はセルフで自分を追い込むことが『簡単』にできる
6月28日……火曜日。
早朝のランニング。いつものように駅前公園で待ち合わせた不破と太一。
「ったく……ママってばほんとに風呂に入ってこようとすっし。いい歳して親と風呂とかマジでない」
「……」
「てかさ、ママにごはん作らせっと激高カロリーパーティーになっから、アタシが晩飯つくったんだけどさ。したらめっちゃ泣くの。ほんとハズイからああいうのやめてほしいわ~」
「……」
「親ってなんであんなウザいかな~。アタシもう高校生だっつの。自分のことはそれなりにできっし。今朝もさぁ。アタシが出掛けようとしたらめっちゃ小言うるさくて」
「……」
「つかさ。マイもマイで人の親かわいいとか言うのマジでやめろっての。何度も言ってんのに聞かねぇしよぉ」
「……」
「なぁ?」
「……」
「なぁ、おいってば」
「……」
「無視決めてんじゃねぇぞ宇津木!」
「え? わぁ!」
ぼんやりした意識から覚めた途端、目に入ったのは不破の足技が繰り出される瞬間だった。太一は急制動を掛け、反射的に身を捻って回避する。
「ちょっ! 避けんなし!」
「無茶言わないでください! 当たったら痛いじゃないですか!」
「あんたがぼうっとしてっからだろうが!」
「それは、すみません」
「なんだ? 夕べ眠れなかったのか? なんか髪も適当っぽいし」
「あ、その……今朝は少し寝坊して」
「寝坊って……つか、またどもってる。デコピン一発ね」
「う……はい」
「ん」
不破の中指が弾かれ、太一の額を打つ。
が……
「え?」
勢いはほとんどなく、ソフトにペチンと音がするだけで全然痛くない。
「あの……」
「なんか、あった?」
「え?」
「いや、なんか今日のあんた、ちょっと前の陰キャ全開だった時に戻ってる感じすんだよね。最近ちょっとマシになったと思ってたから余計に、みたいな?」
「……気のせいですよ。僕は前も今も……ずっとこうです」
「ふ~ん……あ、そ。まぁいいや。行くぞ」
「はい……」
興味を失ったように、不破は太一に背を向けて走り出す。彼女のすぐ後ろを走っているはずなのに、なぜかその背中が、妙に遠くにあるように感じられた。
…………(´・ω・`)
ここしばらくは宇津木家でシャワーを浴びたり朝食を取ったりしていた不破だったが、今日は家に母親がいるということで町内を一周したところで別れた。
一緒に登下校、していたわけではない。歩く速度はバラバラで、なんとなく通学路が被っただけの他人という距離感で二人はいつも登校していた。
ただ、それでも不破が近くにいて、スマホ片手に先を行く姿を追いかけながら通学路を歩くのが普通になっていた……
一人を望んでいたはずなのに、いざそうなってみれば、なにかが欠けたような感覚に襲われる。
登校すると、すでに不破の姿は教室にあった。今日は遅刻してくることもなく、普通に登校してきたようだ。ただ、
「あ……」
教室に入った途端、不破が数名の女性たちと机を囲んでいる姿を目撃した。机の上に腰掛け、足を組んだ不破。その姿は、確実の輪の中心人物の風格だ。彼女の周りにいるのは、いずれも派手な見た目の女子たちだ。彼女たちは不破が元々所属していたグループのメンツだ。それだけではない。なんとその輪の中には、西住たちのグループの姿もあった。
あれだけこっぴどく不破をフったというのに、何食わぬ顔をして近付いている辺り神経が随分と図太い。
が、
……なんで、笑ってるんですか。
不破が彼らに見せる表情は、笑みだった。クラスメイトの前で大恥をかかされたにも関わらず、なぜその原因である西住が近くにいて、そうやって笑っていられるのかが、理解できない。
「お? ウッディじゃん。おはおは~」
「あ、霧崎さん」
教室の扉の前に立ったままの太一に、霧崎が声を掛けてきた。先日のこともあり、少し顔を合わせづらい。
「なにしてんの? そんなとこ突っ立って」
「いえ、別に」
目を逸らす太一。霧崎は怪訝な表情を浮かべ、教室の中を確認すると何かを把握したように「ああ」と皮肉気味な声で頷いた。
しかしそれ以上は何も言うことなく、太一の脇をすり抜けると、「キララ~!」と注目を集めることも厭わずに声を張り上げて不破の下へと駆け寄っていく。
突然の来訪者に一瞬だけ二つのグループは固まったが、不破が快く霧崎を受け容れたのを皮切りに集団の中に自然と溶け込んでいく。
ふと、霧崎が太一へと振り返り、一瞥した。だがそれっきり、霧崎は太一に関心を向けることはなく、朝の予鈴ギリギリまで談笑していった。
クラスの中心。カーストのトップたちは声を上げて笑い、その中には確かに不破も混じっている。
太一はひっそりと、顔を上げることもなく自分の席に腰を落ち着ける。
横目に不破たちの姿が嫌でも目に入る。声もよく聞き取れる。なにがそんなに楽しいのか。バカみたいに声を上げて笑っている。
キンキンキンキン。
とても、耳障りだ。胸の内側で、なにかがぐちゃぐちゃと這いまわる感触が気持ち悪い。どうにも居たたまれなくて、教室に入ってしまったことが悔やまれた。改めて、クラス内のヒエラルキーを自覚させられる。
すると、不破が集団の中から振り返って、太一の方を見た。思わず目が合う。が、太一は咄嗟に視線を逸らして俯いてしまった。今は、とてもじゃないが不破を直視できない。あのまま目を合わせる続けるなど……とてもじゃないが、話すことだって……
「――おい」
不意に、俯く太一の近くで誰かの声が響いた。
「おい宇津木!」
「っ!?」
顔を上げる。すると、想像以上に近い位置に不破の顔があった。あと少しでも動けば鼻先がくっつくほどに近い。
「あんたさ、今朝からマジでなんなん? さっきも目あった途端に顔逸らすしさ。めっちゃ感じ悪くない? なに? マジでアタシなんかした? 言いたいことがあんなら――」
「おらお前ら~。騒いでねぇで席に着け~。不破~。宇津木いじめてんじゃねぇぞ~」
「チッ……次の休み時間、逃げんなよ」
絶妙なタイミングで担任が教室に現れた。不破は舌打ちし、太一にそれだけ言い残すと自分の席へと戻って行った。
一時限目の休み時間。
「は? あ、おい!」
鐘が鳴るのと同時に、太一は教室を飛び出し、不破から逃げ出した。
授業中、太一のスマホが振動。こっそりと確認すると、不破からのメッセージだった。
『逃げんなよこら!』
と、怒りに燃える闘牛のスタンプと共にメッセージが送りつけられる。
それでも太一は、次の休み時間も、その次も、何度も何度も、不破から逃げ続けた。
しかし……
「待てこら~!!」
「っ!?」
昼休み。鐘の音をスタートダッシュに不破との校内追いかけっこがスタートした。迫りくる金髪の猛牛。逃げる太一も必死の表情。さながら敵対勢力のシマにカチコミかけて返り討ちに遭った末に逃げるヤ〇ザのようである。捕まったら何をされるか分からない点は似てなくもない。
校舎の中から上履きのまま校庭へ、ランニングでついた体力を無駄にフル活用して学校内を駆けまわる。もうすぐ昼休みも終了する。しかしそれでも二人は体力の続く限り追いかけっこを継続させた。
そして――昼休み終了の鐘が鳴る頃。
期せずして、二人は校舎裏で限界を迎えていた。
「ぜぇ、はぁっ……こ、の……無駄に、体力、つけやがって……」
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
二人して膝に手を当てて息も絶え絶え。ストックされていた体力は底をつきもはや一歩も足が動かない。
「つか、なんで逃げんだし……」
「す、すみません」
「いや、謝るくらいなら、最初から、逃げんなっての、バ~カ」
少しずつ呼吸を整える。不破は宇津木の制服の裾を、逃がさないと言わんばかりに握りしめる。これが青春の一ページならもっと甘さを期待したいところではあるが、生憎と今そんな気配は絶無である。なんならヘラヘラと笑っていたら地獄に叩き落とされそうな雰囲気すら漂っている。
「あんたさ、マジなんなん? アタシ、あんたに避けられるようなこと、なんかした?」
「それは……」
された、と言えば今日までさんざん不破には振り回されてきた。だが、今の太一にとっては、そんなことは些末なことでしかない。
今、彼にとって最も問題なのは……
「あんたさ、マジで言いたいことがあんなら言えって。じゃないと意味分かんないじゃん」
汗だくの不破が太一を真っ直ぐに見つめて来る。改めて、太一は彼女の容姿に息を飲む。シャープな輪郭に切れ長の瞳をもつ美人、それに加えてそれなりの高身長にメリハリの利いた女性らしい体形。他者とのコミュニケーション能力が高く、人の輪の中心にいることができる人物……
なにもかも自分とは正反対すぎて、眩しくて……彼女が傍にいるだけで己のチープさが際立って仕方ない。やはり彼女と自分とでは、世界が違う。
「……なんで、僕にそんな構うんですか」
「は? 構うってなに?」
「今の、この状況です。不破さんにはもっと……僕なんかよりも、相応しい人間関係があるじゃないですか」
ダムが決壊する際、その綻びはほんの小さな傷が原因だったりする。人もまた、心の堤防が破裂するのに、大きな衝撃など必要ない。ただ、ほんの些細な切っ掛けだけで、十分に全てをぶち壊すことができる。
そして、一度でも感情のタガが外れれば、それは溜め込んだだけ一気に噴き出し、本人の制御も無視して暴れ狂う。
「アタシが誰と絡むのかなんてアタシの勝手じゃん。宇津木にとやかく言われる筋合いないと思うんだけど」
不破に視線に険が宿る。顔の整った人間の不機嫌な顔は、それだけで迫力が違う。果たして、状況は5月の時に似ていた。が、あの時と違うのは、今の太一はただ怯えるだけではなくなっていること。
「不破さん、無事にダイエット、終わったじゃないですか。今日だって、西住君とか、会田さんたちとか……一緒に、楽しそうに話してて……」
「ああアレ? あいつらも調子いいよな。アタシが体形戻したらまた急に近付いてくんの。西住なんてよ、『俺とより戻すためにダイエットしたん?』とか言い出すから、朝一でケツ思いっ切り蹴っ飛ばしてやったし。誰があんなのとまた付き合うかってんだよ。吹っ飛んだアイツ見てみんな笑ってたし。はっ、めっちゃざまぁ」
「でも、楽しそうでした」
「ああ、一回蹴り飛ばしたらなんかもうどうでもよくなった? って感じ? なんかあいつのためにイライラすんの、色々と馬鹿らしくなったっていうか」
「じゃあ、仲直り、したんですね」
「は? ああ、まぁそうなんのか? いうて、あんま馴れ馴れしくしてくんなら今度はグーパン決めてやっけど」
シャドーボクシングを始める不破。言動に反してその口元には笑みが浮かんでいる。不破の復讐は、それで終わったのだ。存外あっけない幕引き。いや、学生の口にする復讐などそんなものなのかもしれない。自分を笑いものにした相手を、今度は自分が笑いものにしてやる。それで手打ち。完全とはいかなくても、不破はそれで、日常に戻ったのだ。
彼女に起きたバグは、デバックされた。なら――
「なら、もう僕なんて、いらないじゃないですか」
「は? なにいらないって?」
「だって、不破さんが僕と一緒にいたのって、ただダイエットをするためですよね? だったらそれももう終わって……不破さんにとって僕はもう、不要ってことじゃないですか」
「いや、意味わかんないんだけど? 別にダイエット終わったから友達じゃなくなるとかなくね?」
「とも、だち……?」
誰と、誰が?
不破にとって太一とは、ただダイエットをするための便利なツールの一つではなかったのか。ストレスを発散させるための、おもちゃではなかったのか。いつから、二人の関係は『友達』になっていたのだろうか。
アレは、ただお互いに『使う側』と『使われる側』でしかなかったはすではないか。
「僕が不破さんと友達? そんな、悪い冗談ですよ」
「……なに、悪い冗談って?」
不破の声が、再び不機嫌の色を帯び始めた。
「だって、僕が不破さんの友達とか……ありえないですよ。つり合いが、取れてません。僕は陰キャで、カースト最底辺で……なにをやらせても、全部ダメダメで……」
「陰キャはその通りだけど何してもダメってことないじゃん? てか釣り合うかどうかなんてどうでもよくね? アタシがあんたを友達って思ってたらそれで話おわりじゃない普通? なに? それとも宇津木にとってアタシは友達じゃない感じ?」
「……それ、は……」
自分が不破を友達だと思っているか……そんなものは、彼にとって分かり切った答えだ。
『ありえない』
不破と太一ではそもそも立っている世界が違う。見ているモノが違う。感性が違う……なにもかも違う。
彼女は陽キャで、強キャラで、ヒエラルキーのトップで、明るくて、物おじしなくて、一生懸命で、美人で、カッコいい。
なにもかも彼女と自分は正反対。
「またどもるし……マジでさ、言いたいことあんならハッキリ言えって! そうやってウジウジされっと、マジで腹立つから!」
「っ……」
……僕だって、好きでこんな風に話したいわけじゃない!
「……るさい」
「は? なに?」
「うるさいですよ!!」
「っ!?」
いきなり飛び出した太一の大声に、不破は思わずたじろいだ。
「僕だって、好きでこんな風になったわけじゃない! こんな、意気地のない自分、僕だって大嫌いですよ! ムカつきますよ!!」
溢れ出した感情は、堰き止めていた奔流は、止まらない。
「なんなんですか!? 不破さんは僕とは全然違うじゃないですか! クラスの中心で! 一杯周りに人がいて! コミュ力高くてモテモテで! いつも自信に溢れれてて! 美人で、カッコよくて! 勝ち組じゃないですか!」
……僕は、
「不破さんといるとっ、辛いんです! 毎回グイグイ来て、遠慮がなくて! いっつも振り回してきて! 僕はそれになにも言えなくて、ただされるがままで……」
……その強引さに、惹かれる部分もあった。でも、
「不破さんといると、自分の惨めさが目立つんですよ! 情けなくて意気地なしで! どうしようもないくらいダメな自分を自覚して! 辛いんです!!」
……彼女は僕には、眩しすぎる。
「……」
「……」
でたらめに言いたいことを捲し立てた太一。先ほどまでの喧騒はなく、校舎裏はひっそりと静まり返っていた。
「あ、そ」
そんな静寂に、不破の乾ききった、冷たい声が切り込んだ。
「じゃあ、もういいわ。なんか、必死になって追いかけて、バカみてぇじゃん」
「っ……!」
「あんた、ほんとに前からなんも変わってねぇじゃん。見てくれだけ」
静かに、怒りも呆れもない、淡々とした声音が、太一の胸を抉る。
「じゃあ、もうこれっきりってことで。じゃあな」
「あ……」
不破は踵を返し、そのまま行ってしまう。
それは、太一にとってずっと熱望していたはずの、彼女との関係が解消されたことを意味している。
だというのに……
太一は彼女の背中を見送り、急に目頭が熱くなる。胸中が悔しさで満たされて息苦しい。
「く、そ……」
制服の袖で目を覆い、校舎の壁に背中を押し当てると、そのままずるずると地面に座り込んだ。
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