無情、二十歳過ぎればただの人
太一は不破たちからの追及が入る前に校舎を急ぎ飛び出した。
向かう先は、以前に鳴無がストーカーに襲われかけた公園。
人通りの少ない閑散とした団地を抜け、太一は目的へと歩く。
しかしつい昨日体調を崩したばかりの彼女が、いきなり外に出ても大丈夫なのか。
それ以前に、彼女に会って自分はどうすればいいのだろうか。
お礼と言っていたが、具体的に彼女は太一になにをしてくれるつもりなのだろうか。
歩くことしばらく。見覚えのある公園の入り口が見えて来た。
あの時はバタバタしてて周囲を観察する余裕もなかったが、太一と不破が普段から待ち合わせに使っている公園よりも緑が多い。
入ってすぐ芝の広場が拡がり、奥には林の中へと続く遊歩道が見て取れる。
正面から見て左手のトイレの奥が小高い丘になっており、見上げた先にガゼボが建っている。その中から、
「あ――宇津木く~ん」
秋穂が太一に気付いて手を振ってきた。
先日より顔色は良いように見える。
が、やはり目の下にはクマが浮かび、あまり健康的な印象は抱けない。昨日と服装は変わらず、黒いロング丈のワンピースの上にストールを羽織っている。
「こんにちは、西住さん」
「こんにちは。秋穂でいいよ。弟と紛らわらしいし」
「それじゃ、秋穂さん、で」
「うん。今日はごめんね、お礼がしたいって言っておいて、いきなり呼びつけちゃって」
「いえ、気にしないでください。体の調子はどうですか?」
「う、うん……今はだいぶ落ち着いたから、平気だよ……あはは、この前はごめんね。変なもの買わせちゃって」
訊いてから太一は質問をチョイスをミスしたことを少しだけ後悔。
秋穂は頬を少しだけ赤くつつ、どうにか表情を取り繕っていた。
「座って座って。あ、なにか飲む?」
「ああ、いえ大丈夫です。それより、お礼、って言ってましたけど」
「ああうん。やっぱり宇津木君には迷惑かけちゃったし、さすがに何もしないっていうのは……ね?」
秋穂は律儀で難儀な性格なようだ。
そこまで気にすることもないし、西住からお茶を御馳走してもらった時点で太一の中では貸し借りゼロ……というより、今回の一件で相手に貸しを作った覚えもない。
「僕は特に気にしてませんので、秋穂さんも気にし過ぎないでください。西住くん……昇龍くんから、お茶もいただいたので」
「そう……ちなみに、あの子、私のことでなにか言ってたりした?」
「……え~と」
なんと言ったものか。太一は思わず言い澱む。
「あはは……ごめん。君の反応で、なんとなく分かっちゃった……まぁ、当然だよね、こんなお姉ちゃんじゃね」
秋穂は下を向いて、自虐の笑みを浮かべた。
「あの、」
「弟ね、私のこと、大嫌いみたいなんだ……髪もボサボサで、目元もこんなで……最近は家からもほとんど出なくなって……お腹も出てきちゃった」
秋穂は手の甲を掻く。カサカサに乾いた指先はひび割れ、どこか生気の欠けた顔色は病人めいている。
彼女は「はぁ」とため息を漏らし、顔を上げるもその表情は痛々しかった。
「宇津木君、こんな言葉知ってるかな?」
――十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人。
「お姉さんね、これでも昔はちょっとした者だったんだよ……まぁ、今は見る影もないけど」
はは、と秋穂は相変わらず自嘲し続ける。
「って、ごめんね。いきなり……ああ……会ったばかりの子になに話してるんだろ……」
自分で自分に呆れてしまう。
太一を見据え、少しだけ話題を掘り下げる。
「秋穂さんの家で、色んなトロフィーとか賞状が飾られているのを見ました。あれ、ほとんどに秋穂さんの名前がありましたね」
「ああ、うん……前は部屋に飾ってたんだけどね。見るのが辛くなって、全部外に出したの」
そこまで聞いて、太一は思いついたままの提案をしてみる。
「あの、もしよければ、もう少し秋穂さんのこと、訊いてもいいですか? それが、今回のお礼、ってことで」
「え? う、う~ん……」
秋穂はしばし悩む。自分語りをすることをお礼として受け取られるというのもどうなのか。
しかし相手がそう望む以上はこちらはそれに答えるしかない。
彼女は「そんなのいいなら」と前置きし、
「じゃあ、聞いていく?」
「はい」
「つまらない話にしかならないと思うわよ」
彼女はツイと視線を外し、太一に自分の過去を語り始めた。
「私、宇津木君と同じ高校のOGなの。弟から聞いてる?」
「はい」
「そっか……私、高校を卒業するまで、自分は優秀な人間なんだ、って割と本気で思ってたの」
高校では陸上部に所属して、短距離で県のインターハイで入賞。学力テストでは学年1位……模擬試験の結果も全国上位の常連で、生徒会長も務めあげた。
友人も多く、周囲に頼られ、惰性で続けていた学校行事にメスを入れ、大いに盛り上げた経験もある。
およそ、ひとが想像するような理想的な高校生活を送り、彼女は地元でも有名な大学へ進学を果たした。
自分も、周りも、このまま順調に充実した人生を歩んで行ける……そう信じて疑っていなかった。
「私ね、大学の起業サークル、っていうのに入ったの……今の時代って、学生のころから起業する人も少なくなくて、もしかしたら、私も自分の才能をいかせるビジネスができるんじゃないかな、って……でも」
入ったサークルは、起業サークルとは名ばかりの飲みサーだった。
「起業家を呼ぶこともなかったし、セミナーもなくて……集まっても、真面目に市場を分析して、今の情勢にあったトレンドとか、ビジネスとか、起業ノウハウとか……そんな話も全然なくて……よくて、最近の政治に関する愚痴ばかり喋るサークル……」
しかし、秋穂はどうにかサークルの運営を正しい軌道に乗せいようと奔走した。資金を集め、起業家を招き、ビジネスモデルとプランを学び、野心ある活動を促進させる。
秋穂は、自分ならそれができると思っていた。
しかし、
「なんか、ほとんどの人が本気で私の話とか聞いてくれなくて、ちょっとずつね、無駄にやる気の鬱陶しい奴、って空気が広がちゃったの……中にはね、私の意見に賛同してくれたひともいたんだけど、皆どこか消極的で……」
それでも、自分と同じように本気で活動したいと思ってくれている相手はいる、そう信じていた。
しかし、
「当時ね、お付き合いしてた人がいたんだ。同じサークルで、たまにご飯とか行って、今のサークルの在り様を改善させるんだ、って一緒に話してたの。でも……」
秋穂は偶然、聞いてしまった。
『あの女、一人で勝手に盛り上がってバッカじゃねぇの』
その男は、サークル内の別の女性と関係を持ち、相手に秋穂に対する不満を語っていた。
そこで、秋穂の精神に、決定的なヒビが入った。
「十で神童、十五で才子……二十過ぎればただの人……これってね、成長していくにつれて、昔は優秀だったひとも、ただの凡人になっていく、っていう意味なの……私は、その典型だった……自分は、ただの凡人で、特別でもなんでもなかった、ただの勘違いした痛い人……」
それから、彼女は大学へ行く足が重くなり、徐々に玄関に立つだけで気分が悪くなり……休学する羽目になってしまった。
「あはは……私、こんなに弱かったんだなぁ、って。思い知らされちゃった……それから弟とは関係が悪くなっていってね……『汚い見た目で近づいてくんな』って言われちゃった」
秋穂はワンピースの裾をぎゅっと握り、泣き笑いのような表情で無理やり「あはは」と笑い続ける。
「ああ、ごめんね宇津木君。私のこんなくだらない話を延々と聞かせちゃって。退屈だったでしょ? ね、やっぱりお礼は別に」
「秋穂さん」
太一は言葉が止まらなくなってしまった彼女の名を呼んだ。
そして、通学バッグの中身を漁り「これ、食べて下さい。ちょっとだけ、気分が落ち着くかもしれませんから」と、カカオ70%配合のブラックチョコレートを手渡した。
「あ……」
秋穂は呆気に取られたようにチョコと太一を交互に見つめ、恐る恐る手に取り、ひとかけら砕いて口に入れた。
「これ、苦いね」
「ブラックチョコレートって、カカオ効果でダイエットとか健康にいいらしいですよ」
「うん、そんなんだってね」
「それと……気分が落ち込んだ時に、それを改善する効果とかもあるみたいです」
「そう、なんだ……なんか、ほんとにごめんね。お礼のはずが、逆に気を遣わせちゃって」
やっぱり、私ってダメだな……と、彼女が言ったところで、太一は「いえ」と首を横に振った。
「秋穂さんはダメなんじゃなくて、たぶん、頑張り過ぎちゃって疲れたんだと思います」
秋穂の状態は、どことなく昔の太一の状況に近いものがあった。
「秋穂さんって、最近は体を動かしたりと、してないんですよね?」
「うん……昨日とか今日は特別、かな……最近は、ずっと自分の部屋にいるから」
「そうですか」
太一には分かる。頑張って、それでも努力は報われなくて、虚無だけが満ちていく、あの感覚を。
「それに、最近は人目も気になっちゃって……弟にも言われたけど、私ってその、見た目も……」
秋穂は頬を朱に染めて、太一から顔をそらした。
きっと、太一のために、無理をして外に出てきてくれたのだろう。
律儀で、難儀な性格……彼女はきっと、真っ直ぐすぎるのだ。
「秋穂さん、実は僕、最近までけっこう太り気味だったんですけど……ちょっと縁があって、ダイエットしたんです」
出会いを経て、彼は少しづつ、変わりつつある。
「秋穂さん、もしも今のがお礼にならないなら、別にお願いしてもいいですか?」
「う、うん。なにかな?」
「僕、今少し悩んでることがあって……友達が」
「そうなんだ」
「はい。それで、よければ少しの間でいいので、僕の相談に、付き合っていただけると嬉しいんですけど」
「……それで、宇津木君のお礼になるなら……いいよ」
「ありがとうございます」
こうして、太一は彼女と次の日に会う約束をした。
それは――
「――ね、ねえ宇津木君、なんでこんな早朝に私、『ラジオ体操』させられてるのかな?」
翌日の、まだ夜も明けきらない、早朝5時半のことであった。
└(・-・)┘┌(-.-)┐└(・。・)┘┌(-.-)┐ラジオ体操♪
久しぶりにやります、ダイエット系のネタ。
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