彼女の心に手を伸ばせ
この人はある意味、自分と似ているのだ。
状況も、抱えたモノの重みも違うが、己をどこまでも軽視してしまうその心に、太一は自分と重なるものを感じた。
そして今彼女は、自分のことを『なんか』と言い捨てた。
「霧崎さんは、とてもひと強いです」
その場に立ち止まり、街灯の下で二人は向かい合った。
思い出す。彼女と出会って間もない頃、言われたその言葉を――
『自分なんか、とか言ってる相手と付き合うのって疲れるじゃん? なんていうかさ、相手にただ肯定されたがってるみたいな感じ? それってさ、ただの依存じゃん? ぶっちゃけさ』
あの時は、太一の甘えた精神を叱責した言葉なのだと思っていた。
しかし、先ほどの話を聞いた後と、あの時とでは、意味が違って聞こえてくる。
「急にどうしたの? ああ、もしかして慰めてくれてる?」
「いえ……僕に、あなたを慰めることなんてできません……そんな資格もない」
「なら、なに?」
探るような霧崎の視線。
しかしどことなく、その眼に期待が交っているような気がした。
「僕は、母さんの期待に応えることができなかった。いずれ見向きもされなくなって、自分の殻に閉じこもって……逃げました」
でも、目の前にいる少女は、
「霧崎さんは逃げなかった。お姉さんの死からも、お母さんからも」
「……ウッディになにが分かるの?」
険を孕んだ声にたじろぎそうになる。それでも今は、自分を守るために『僕の想像ですが』も『自身はありませんが』などといった前置きも言い訳も、禁句だ。
「わかります」
だからこそ、今だけはあの金色の髪をした少女の強かさも借りて、目の前の少女と対峙する。
「逃げた人間だからこそ、わかる……逃げた人間って、どこまでも背を向け続けるんです。でも、霧崎さんはお姉さんを演じることで、家族と向き合っている。僕には、とても真似なんてできない」
血がにじむ覚悟で耳に穴を空けることも、自分を殺して他者になりきることも。
「だからこそ、霧崎さんがどれだけすごいことをしてるのか、わかるんです」
「すごくなんてない。『私』のせいでお姉ちゃんは死んだ。ならこれは当然の義務で、別に特別でもなんでもない……でも、ウチは麻衣佳じゃない、ただのニセモノだけどね。『私』なんかに演じられて、お姉ちゃんも実は心底嫌悪してるんじゃ、」
「なんか、じゃありません」
途端、霧崎の肩が震えた気がした。
「そして、当然でもない。演じることでお母さんに向き合うと決めたのは、霧崎さんで、そんな選択をできたあなたのことを、『なんか』と言う人も、言える人もいない」
「……る……さい……」
「僕は何度だって言います。霧崎麻里佳さんは、とても強くて、すごくすごく――優しい女の子です」
「うるさい!!」
霧崎が目じりに涙をためて、太一に詰め寄った。
「うるさい、うるさい……うるさい……」
太一の胸を、「うるさい」と何度も口にしながら、叩き続ける霧崎。
「皆、おかしいって言う……」
嗚咽まじりに、霧崎の心が漏れだした。
「『私』がお姉ちゃんみたいに振る舞うことも、お母さんのことも、おかしい、って……間違ってる、って……」
彼女が自分の身の上を語ったのは、今回が初めてではない。
中学校時代、仲の良かった友人たちに、太一に聞かせたのと同じ話を聞かせた。
しかし、返ってきた答えは、
「『私』は『私らしく』あればいい、って……無理やり別の人になりきるのはおかしいことだ、って……そんなことをさせてるお母さんは間違ってる、って……じゃあ、どうすればいいの?」
目の前の少女は、道に迷い、行き場を見失った幼子だった。
「『私』のままじゃ、お母さんは笑ってくれない!」
慟哭にあえぐ少女を、太一は黙って受け止める。
「『私』のせいでお姉ちゃんは死んだのに! 『私』が『私のまま』、あの時の許せない『私』でい続けて、なにも罰がないなんてこと、あっていいわけないじゃん!」
涙で化粧が崩れても、彼女の瞳からあふれる雫はとめどなく。
「霧崎さんは、ずっと自分を罰してるんですね」
自傷行為……自分で自分をないがしろにしている。きっと、他人から見れば彼女の行いはどこまでも間違いで、正すべきことなのかもしれない。
でも、間違いを間違いとただ指摘することだけが、救いになるなるわけじゃない。
「霧崎さん」
「……」
「選挙、頑張りましょう」
「え?」
「僕も、最後まで応援します。それで、たとえそれで勝っても負けても――」
僕は、『望むあなた』の傍にいます。
霧崎はハッとしたように、唇を噛み、太一の胸に額を押し当てた。
「マジ、ウッディさ……」
「はい」
「『私』以外に、こういう寒いこと言ってたら……絶対、引かれるんだから、ね……」
「気を付けます」
「マジ、むかつく……」
彼女は顔を隠してて、その表情を窺うことはできない。
ただ、しばらくの間、夜の公園にすすり泣く声が響き続けた。
( = =)
その日、霧崎は太一の家に泊まった。
帰宅する間、彼女は服の裾を掴んで離さず、そのままマンションへ歩いた。
涼子は霧崎の様子になにかを察した様子だったが、何も言わずに彼女を泊めることを許してくれた。
『変な事したらダメよ』なんて冗談交じりに釘を刺されたが、彼女なりに場を和ませようと気を遣ってくれたのだろう。
しかし、霧崎から『今日は、ウッディと一緒に寝ていい?』などと……
それで結局、
「はぁ……マジ、ウッディに泣かされるとか……」
「あれ、僕のせいですか?」
「そうだよ」
ベットの下、布団の上で霧崎はもう一度、溜息を吐いた。
「さいあく」
「すみません」
「そこで謝っちゃうところがウッディだよね~……いいよ、全然怒ってない……こともないか」
「どっちなんですか……」
真っ暗な部屋に、二人の声だけがしていた。
「ねぇ、ウッディ」
「なんですか?」
「今だけは、『私』のこと、麻里佳って呼んで」
「……分かりました、麻里佳さん」
「照れもしないとか……ほんと、ウッディって変わったよね」
「変えてもらったんです。不破さんとか、鳴無さんとか……そして、麻里佳さんに」
「へぇ~。じゃあそのお礼になにしてもらおっかな~」
「僕にできる範囲でなら、なんでもいいですよ」
本心だった。それだけのものを、彼女たちに貰ってる。
「ふ~ん……じゃあ……ちょっとだけ、そっち行っていい」
「はい?」
と、人の動く気配がした直後、ベッドの中に霧崎が潜り込んでくる。
「え? ま、麻里佳さん?」
「このくらいは、できる範囲、だよね?」
「う……ま、まぁ」
闇夜の中に見えた小さなシルエット。太一は仰向けになり、天井を見上げた。すると、肩にトンと霧崎の額が触れる。
「これが、お礼ですか?」
「その一部、かな? ちょい動かないでね」
訳も分からないまま、太一は冴えていく意識を見慣れた天井に注ぎ続けた。
この状況は、さすがに平静ではいられない。
隣で身じろぎする霧崎。心なしか、体温が高いような気がした。
しばらくすると、彼女はそっと身を離し、独り言ちる。
「…………あ~ぁ。やっぱりこうなっちゃったか~、『私』」
「はい?」
「なんでもない、独り言」
太一の隣で、霧崎は彼に気付かれないよう、そっと胸に両手を当てた。まるで、その内側で脈打つ鼓動を隠すように。
……はは、『私』って案外、ちょろかったんだ。
「ウッディ」
「はい」
「ありがと……『私』を認めてくれて」
「いいえ、僕はただ、話を聞いて、思ったことをそのまま言っただけです」
「そうだけどさ、そうじゃないんだよ」
太一は嘘を吐くのが苦手だ。すぐに顔に出る。だからこそ、公園での彼の言葉に、偽りがないことがわかった。
「『私』のしてることを、否定しないで、受け止めて……ただ、頷いてくれた」
太一は、霧崎の欲しい言葉を、くれた。
正すのではなく、承認してくれる、そんな言葉を。
「『私』は間違ってる。それは自分でよく分かってるんだ……でも、もう無理……『私』は『ウチ』でいることも当たり前になっちゃって、『ウチ』はもう、『私』の一部なんだ」
だから、
「『ウチ』は『私』……『私』は『ウチ』……ウッディは、どっちが本当の『わたし』だと思う?」
「それ、僕が決めることですか?」
「え?」
意外な突き放すような言葉に、霧崎は少し面食らう。
「だって、僕にとってはどっちの霧崎さんも同じひとで、別人じゃありません。努力している麻里佳さん、努力した結果の麻衣佳さん……どっちも、切り離せるものじゃないと思います」
「~~~~っ、ウッディさ~、マジでさ~……」
と、霧崎は太一の腕に、ぎゅっとしがみつくように体を密着させて、肩に顔を隠し、その耳は薄く赤に染まっていた。
「あ、あの、麻里佳さん」
「もう寝る、おやすみ!」
「え? このままですか!?」
「悪い!?」
「ええ……」
なぜか怒られる太一。困惑しつつ、放り出すこともできなくて、結局太一は、その日、眠れぬ夜を過ごす羽目になった。
(ー△ー;)エッ、マジ?!!!
次回の更新は金曜日の予定です
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