静かなる戦場…よそでやってくれ
念のため言っておくと、太一は全然、悪くない。
「…………」
「…………」
時刻は夜の七時過ぎ。夕飯の席。不破と大井は向かい合うように席に着き、黙々と箸を動かしていた。
大井の隣には太一、不破の隣には涼子が腰掛けている。
が、姉弟は隣から発せられる、云い知れない圧力のようなものを感じて……
『ちょっと、なんなのよこの状況?』
『そんなん僕だって知りたいよ』
と、二人で目配せして会話する。
「不破さん、ちょっと醤油とってもらえる」
「……ほらよ」
「ありがと」
大井の頼みに不破が静かに応じる。ただの何気ないやりとりのはずなのに、妙にギスギスして仕方ない。
涼子は状況を見守りつつ、口を出すべきかどうか考えあぐねている様子だ。
父の実家に帰省した際に再会した弟の昔馴染み。涼子がまだ学校に通っていた時に、なんどか顔を合わせたことがある。小学生の時と比べて、だいぶ大人っぽく成長した大井。再会した当初は、すぐに分からなかったほどだ。
母親のこともあり、色々と抱えてしまった幼い太一。そんな弟と友人になってくれた彼女に、涼子も感謝していた。
帰省先で再会できた時は、涼子もそれなりに喜んだのだが。
……向こうでは二人とも、普通に接してたと思うんだけどなぁ。
高校生になった大井と再会したのは、海へ遊びに行った時だ。その際は、別に二人とも険悪な雰囲気はなかったように思える。
加えて、太一の態度もどこかおかしい。
いきなりお隣に引っ越してきた、と聞かされた時は、本当に驚かされたものの。
『進学の関係でこっちに越してきた』、と聞かされてしまえば、そうなのかと納得するしかない。
……う~ん。どうしたものかしら。
目の前の弟は、居心地悪そうに二人から視線を外して夕食を食べている。
事情を聞こうにも、なにやらデリケートな問題な気がする。
太一から話を聞いてもいいのだが……
……なんか、この子が根っこに関わってる気がするのよねぇ。
ただの勘だが、確信めいたものが涼子にはあった。
しかし、さすがになにも分からないまま口を出しても、的外れなアドバイスをする羽目になるだけか、と結論づける。
……待つしかないか。
結局、涼子は相談されるまで待機、というスタンスを取ることに決めたらしい。
とはいえ、ほんの少し前まで、人間関係の『に』の字もなかった太一が、ここまで複雑な状況に巻き込まれるとは……はてさて、人生何が起きるか、本当に分からないものである。
「ほんとにごめんね涼子さん。いきなり押しかけちゃって」
「別にいいわよ。でも、本当に今日は泊っていくの?」
「久しぶりにたいちゃんと目一杯あそぼうと思って」
人好きする笑みで涼子と会話する大井。
小学生の時は互いの家を行き来してよく遊んだものだ。
しかし、さすがにお泊りをしたことはない。
……まぁウチの愚弟なら変な気は起こさないと思うけど。
既に宇津木家では不破をはじめ、霧崎も自宅に泊まっていったことがある。
先月は鳴無も交えて祖母の家に長期外泊したのだ。
心配するのも今更というものか。
「でもアキラちゃん、ほんと大人っぽくなったわよねぇ。ちょっと前まで小学生だったのに」
近所のおばさんのような言葉が出てきてしまった。
これには涼子自身、内心で苦笑してしまう。
「涼子さんもなんか雰囲気かわりましたよね。昔はその……なんていうか……」
「ああ気にしないで。あの時はね、色々とむしゃくしゃしてたから」
高校時代の涼子は親との折り合いが悪く荒れていた。髪は染めていたし制服は真面目に着た記憶がほとんどない。学校をサボったことだって一度や二度ではないのだ。
とにかく毎日イライラしていて、周りに当たり散らしていた苦い記憶が蘇る。
「私もそれなりに、心境の変化があったってことよ」
そう言って、彼女は対面の弟に視線を向ける。
切っ掛けは弟が引きこもりになってしまったこと。当時は、どうにかしなくちゃと目を回して、祖母を頼り、太一の面倒を看ているうちに、いつの間にか今の自分に落ち着いていた。
と、二人のやりとりを見ていた不破が、実に面白くなさそうな表情で、
「……アタシも今日はここ泊ってく」
「「え?」」
太一と涼子の声が重なった。不破の発言に……しかし大井は「ふ~ん」と薄い反応だった。
(¬ε¬)フーン
「――ちっ」
不破はシャワーを浴びながら舌打ちした。
いつもは夕食の前に、フィットネスゲームからシャワーまで済ませてしまうのだが、今日は急な来訪者に予定を狂わされた。
不破と大井はお互い張り合うように……いや、事実ゲームのミニゲームで本気で張り合っていた。
涼子に止められるまで勝負に熱中していた二人。運動後は制汗スプレーで汗を誤魔化し、食後にシャワーを浴びているとうわけだ。
「ああ、くそ……」
髪を洗いながら悪態が漏れた。
あの女のことが妙に気に入らない。
最初はなぜ自分がこんなにイライラしているのか理解できなかったが、時間の経過とともに少しづつ分かってきた。
――太一と涼子の姉弟と、最も距離が近かった自分の間に、あの大井がするりと入り込んできたからだ。
昔馴染みというポジティブ。故の気安い、あの態度。
自分だってここの人間とは一定以上の関係性を築いていたはずだ。
だというのに、
「~~~~~~」
シャンプーを泡立てる手が乱暴に頭を掻き毟る。
まるで自分だけ爪弾きにされている気分だ。
実際そんなことはないと理解しつつ、大井と宇津木家の人間が仲良さそうに話をしているのを見ると苛立って仕方ない。
……なんなんだよクソ!
わしゃわしゃと泡を立てる不破。
すると後ろで扉が開いた。
「そんなガチャガチャたやったら頭皮いためるぞ~」
「はぁ!?」
声に振り返ると、大井が呆れ顔で立っていた。
「なんで入ってきてんだよお前!?」
「そりゃ不破さんとお話しようと思ったから~。こっちに来てからはあんましゆっくり話をする機会とかなかったし」
「別にお前と話すこととかねぇし」
「まぁまぁそう言わないで~。背中流してあげるから」
「いらねぇっての! ちょ、おい!」
不破の言葉も無視して、大井はスポンジにボディソープをプッシュして泡立て始めた。
「不破さんはそのまま髪を洗ってていいよ~。あーしは勝手に背中洗ってるから」
「こんの……」
されるがまま、不破の背中が勝手に泡立てられていく。
逃げるに逃げられない。
いや、そもそもなんだ『逃げる』とは……
不破は奥歯を噛みつつ、「だ~……やるならきっちりやれよ!」と声を荒立てる。
しかし大井は「わかってるわかってる~」と軽い調子だ。
不破を知る者なら決してこんな真似はしない。
彼女は身内にはそれなりに甘い。しかし行き過ぎれば確実に制裁が待っている。
「お客様~、お痒いところはございませんか~?」
「お前あとで覚えてろよ……」
「辛辣~。あーしは不破さんとの仲を深めようとしてるだけじゃん?」
「はっ……」
不破は鼻で笑った。仲を深めたい? どの口がそれを言う。
「てか不破さんすっごい体キレ~なんだけど。お腹とかヤバくない? 腹筋浮いてるじゃん」
「見てんじゃねぇよ変態」
「うわ、ひど」
鏡越しに見えた不破のお腹。先月の海ではじっくりと見ている余裕もなかった。
が、腹筋はシックスパックのような割れてこそいないものの、筋肉のラインが綺麗に出ていた。首からバスト、腰にかけての曲線は、同性でも憧れてしまうようなシルエットを描いている。
「背中もすご……どんだけ筋トレしたらこうなるわけ」
ダイエットでそこまで強く意識されることは多くない背中。しかし不破は肩甲骨のシルエットが浮き上がり、その中心から伸びる、俗に云うヴィーナスラインもしっかりと出ている。無駄な脂肪や贅肉が削ぎ落され、くびれまでが綺麗な逆三角形だ。
大井自身、自分の体形にはそこまで大きな不満はないが、これを見せられては自信を失うというものだ。
「なんかすっごい敗北感……」
「ほぼ毎日、ランニングとかここでの運動とかしてんだから当然じゃん」
気分を良くしたように声の調子を上げる不破。
だが逆に、『ここでの運動』という発言に大井の眉根が寄った。
「てか話ってなんだよ?」
「ああ、うん」
そういえば、話をしようと強引に入ってきたのだった。
「なんかあーしさ、不破さんに避けられてる気がするんだよね~」
「は? んなことねぇから」
「そうかな~? なんか教室で一緒にいても距離がある感じするんだけど……あーしの気のせい?」
「知らねぇよ」
「いや真面目な話」
大井は手を止め、鏡越しに不破と目を合わせる。
転校してから今日まで、不破から声を掛けられたことは、ほとんどなかった。
まさか今更、彼女が人見知りなんてことがあるはずもない。
「あーしさ、これでも良いとこのお嬢様なわけなんよ。だからってこともないけど、人の顔色とか、かなり視てたりね」
「だからなんだよ?」
「不破さんってさ、あーしと一緒にいると、いつも不機嫌そうじゃん?」
「…………」
不破は唇を硬く閉ざし、大井は目を細めた。
「もうこの際だからハッキリ訊いちゃんだけどさ」
などと前置きした大井は、シャワーヘッドを手に取って、不破の髪と背中の泡を洗い流す。
「不破さん、あーしのこと――めっちゃキライっしょ?」
「…………」
しばらく、浴室にはシャワーが流れる音だけが響いた。
不破の沈黙……それは如実に、彼女の心情を表しているかのようであった。
( _ _ )..........




