必要なのはそこじゃない。本当は…
霧崎は姿見に映る自分の姿に溜息を吐く。
別にナルシシズムが発動したわけではない。ただ……懐かしいと思ったのと同時に、一皮むけばこれが『私』なのかと再認識させられただけのこと。
毛先の赤いグラデーションは綺麗な黒に染まり、耳に開いたピアスの痕跡も、遠目にはハッキリとは分からない。
シャツは第二ボタンまでしっかり留めて、リボンが胸元で揺れている。制服のスカートは長すぎず短すぎず……きっと、クラスにいたらその他大勢に紛れて見えなくなる。
「眼鏡でも掛けたら完璧なんじゃない」
鏡の向こうで自虐する自分が見えた。いつもは無駄に自信満々。根拠もなく強気な己を満足そうに眺めて頷いているのに。
「見つかる前に出よっか」
誰にともなく、霧崎はまだ空が白み始めた空の下。忍ぶように玄関から外へ出る。
「――おはよう」
「っ!?」
声に驚き後ろを振り返る。
「……お父さん」
玄関から伸びる廊下に立っていたのは、40半ばで白髪が目立ち始めた中年の男性……霧崎の父だった。デスクワークがたたって猫背気味。昔は大きく見えていた彼のことが、今は小さく見えてしまう。
こちらの様子をうかがうような態度に、霧崎の顔から表情が失せる。別に、親子仲が悪いとか、そういうことではない。喧嘩もしたことないし、叱られたこともここ数年……記憶にない。
「最近は、随分と早いんだな」
「そうだね。ちょっと用があるから」
「そうか……お前、その恰好は」
「じゃ、行ってくるから」
霧崎は父の言葉を遮るように玄関のドアを閉めた。早朝の空気はモヤモヤする胸元を冷やしてくれる気がして、彼女は大きく息を吸い込む。
ドアの向こうで父はどんな顔をしているだろう。知ったことではない。彼は『私がウチ』であることを肯定した。ならばなにも文句など言わせない。
今この瞬間、『ウチが私』のような恰好をしていることにも、なにも言葉を掛けてほしくなどなかった。
……矛盾してるね、『私』。
なんのために選挙活動に出ようなどと思ったのか。その理由は、既に彼女の中にある。
ならば、父がこの姿に反応したことは、確かな前進ではないか。
『私』が望む結末への一歩が、すぐ目の前に提示された。ならば、『私』は先ほど、「似合ってるかな?」と、彼に問うてみればよかったのか。
……違うよね。
そんなおこぼれみたいな結果が欲しいわけじゃない。自分が本当に求めているもの……それを与えることができるのは、彼なんかではない。
あの男は、ただ目を逸らして逃げただけの、臆病者だ。
「いこ」
景色が青みを帯びている。ブルーアワーと呼ばれる現象だ。黄昏時とは違う、どこか寒々とした静寂。
周りには誰一人として彼女を視認する存在はおらず、まるで世界にポツンと独り……認識されることすらない、無色な自分がそこにはあって、己の形も曖昧なまま、ただ『ある』という事実だけが彼女の全て。
「ウチは私……私はウチ……」
ならば、今の自分は、果たしてどっちの自分なの?
答えをくれる人は、誰もいない……いや違う。そもそも自分は誰でもない……だって、私が私を捨てたから。
(*・_・)ノ⌒*
やはりと言うべきか。今朝も太一と霧崎の姿を見かけた生徒たちは、彼らのことを避けていく。
「お、おはようございま~す!」
太一が裏返った声を上げ、道行く人を捕まえる。顔を向けた彼ら彼女らは、太一の引き攣りまくったナイフな眼光を前に、「ひぃっ」と喉を鳴らして全力ダッシュ。
「おはようございま~す! 生徒会長立候補の霧崎麻衣佳で~す!! 皆の窮屈な制服をラフにするため頑張りま~す! 投票よろしくね~!」
と、持ち前の明るさでどうにか人目を引こうと、霧崎は校門を潜る生徒たちに声を張る。愛らしくピョンピョンと跳ねるように自己アピールをする彼女に、一部の生徒が足を止めるも、
――すかさずダッシュ!
が、すぐ近くで控える太一の存在に気付くなり、助走もつけずに一瞬でマックススピードで逃げていく。まるでゴ○○リのような挙動である。陸上部は彼をバックにつけてスタートの練習をさせれば、かなりの好成績を出せるのではなかろうか。
「はぁ……これはちょいキツイって~」
話を聞いてもらう以前の問題だ。関心だけなら無駄に引いているが……違う、そうじゃない。
まるで草食動物が、隠れるのが下手な肉食獣をガン見して、いつでも逃げられるようにスタンバイしているようなもの。こちらから動けば連中は脱兎のごとく走り去る。
心なしか、共に選挙戦に出馬している他の候補者たちからの視線が痛い気がする。
なにせ、この二人のせいで彼らも演説をまともに聞いてもらうことができないのだ。もはやこれは一種の選挙妨害。
しかし太一はどうにか推薦人としての務めをはたそうとしているだけ。そこに緊張というスパイスが合わさり顔面凶器が研ぎ澄まされてしまっただけなのだ。
俺は悪くねぇ! 全くもってその通り。だからそんな非難するような目を向けるのはやめたまえ。
なんだったらその瞳に太一の(無自覚)メンチビームをお見舞いしても構わないのだよ?
「おはよ~、マイち~!」
と、お通夜モード一歩手前な校門前に、一組の女子グループが現れた。
「お~? おはよ~ノリちん。今朝は早いじゃん」
「だってマイち~がガチで選挙出てるみたいだからさ~。これは見に行かないとってなるじゃ~ん」
どうやら霧崎と同じクラスの女子らしい。彼女がクラスの中では一番影響力を持つ女子生徒のようだ。
周囲の女子たちも口々に霧崎と気安い態度で挨拶を交わしていく。隣にいる太一の存在に一瞬だけひるむも、霧崎が「大丈夫だってコレ顔が怖いだけで大人しいからw」と、いつかどこかの金髪ギャルと似たようなことを言いやがった。
だからこちとら犬じゃねぇんだよ。
「でもマイち~が本気で選挙に出るとかマジでウケるんだけどw」
「制服もちゃっかり真面目ちゃんっぽくしてるしね~w」
「クラスでもいいネタになってるよw。マジで似合わないってさ~w」
「そういうノリなキャラじゃないじゃんマイち~w」
ケタケタと軽い調子で霧崎を囲み、談笑する女子グループ。霧崎はまるで表情も変えず、
「そりゃあ悪うございましたね! そんなに言うなら『私』に投票しろよ~? ネタにすんなら対価払えし」
「もちろんじゃ~ん」
「あたしら全員、てかクラス全員でマイち~に投票しよ~、って感じだから」
「マジで頼むよ~? 『私』めっちゃ不利なんだからさ~」
「だったら最初から出るなって~w」
太一は蚊帳の外から、彼女たちの会話に耳を傾ける。
傾ければか傾けるほど、胸のあたりでジワッと苦く痺れるような嫌悪感が顔を覗かせた。
「――うぃっす宇津木~!」
と、女子グループの背後から不破が姿を見せた。
その獅子のごとき威風堂々たる佇まいは、4組の中心的女子グループを前にしても、些かの怯えも緊張も感じさせない。
別に敵意があるわけでもないのに、彼女は「あん? 誰だこいつら?」とねめつけるだけで、彼女たちは不破からを目を逸らし、早々とその場を去って行った。
「んだあいつら?」
「不破さん。おはようございます」
「おう。てか、やっぱあんたんとこ誰も人いねぇじゃんw」
「さっきまでいたのにキララが蹴散らしたんだろ~? ま、別にいいけどね~」
「は? なに? アタシなんかしたわけ?」
「う~ん? 存在そのものが暴れ牛、的な?」
「いや意味わかねんぇから。てか牛ならアタシじゃなくてあの牛チチだろうが」
「あはは~。やっぱキララだわ~」
「……なんか知らねぇけど殴っていいか?」
静かに拳を握る不破。しかしそこに太一が割って入る。
「不破さん」
「あん? なんだあんたもなんか文句でもあんのか?」
「ありがとうございます」
「は?」
なぜ感謝されたのか。不破は心底意味が分からないと首を傾げた。
「まぁなんでもいいか。とりあえず、頑張れよ、っと!!」
と、彼女は霧崎と太一の肩をバシンバシンと叩きつつ、校舎の方へと去って行く。
「いったいな~。あいつ加減しらないのかって話な~」
などと、霧崎は叩かれた肩をさすりつつ、その表情は穏やかだ。
「ねぇウッディ?」
「はい?」
「やっぱさ。ちょいその目つき何とかする作戦、考なきゃじゃね?」
「そうですね。でも」
どうすればいいのか。まさか不破が言うように整形手術させるわけでもあるまい。
「とりあえず、今日の放課後にまた、ウチとデート、ってことで」
太一は目をしばたかせ、そんな彼を霧崎は、下から悪戯っぽく見上げきた。
同時に、不破に遅れて投稿してきた大井に現場を見られ、
『たいちゃ~ん。今日あーしそっちに泊まりいくから~』
と、いつぞやの病みスタンプが、トーク画面を埋め尽くすことになっという。
(||゜Д゜)
本年はWEB版『ギャルゼロ』を応援していただき、ありがとうございました
書籍化も無事に達成できたのは、ひとえに皆様の声援があればこそ
書籍化作業だったりトラブルだったり…見込みが甘いところもあり、色々と予定通りにはいかないこともありました
それでも、本作を評価していただいた皆様のおかげで、まだ作品はしばらく続きます(笑)
どうか、来年もよろしくお願いします!!
本作はコミカライズも控えておりますので、連載スタートの際は、ぜひそちらもよろしくお願いします!!!




