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海は深く潜れば大惨事、人のココロは…

 いつだって正しい正しくないという論争は起こるものだ。


 いい例が『トロッコ問題』であろう。途中で分岐する線路を、制御不能の暴走トロッコが走っています、あなたは分岐地点でトロッコの行き先を切り替えることができます、分岐する線路のうち、一方では五人の従業員が、もう片方の線路では一人の従業員が働いています、分岐地点にいるあなたの声は従業員たちには届きません……さて、あなたはどちらの線路に、トロッコを走らせますか?


 大勢の命を救うなら、当然一人だけしかいない線路にトロッコを走らせればいい。ただし、選ばれなかった一人は、あなたの判断によって確実に死にます。

 しかし、仮にその一人があなたにとってのかけがえのない人物……親兄弟、恋人、親友だったら? 逆に五人の方は、あなたを迫害するような悪人であったなら? あなたは、その大切な一人を生かすかもしれません。

 しかし、その五人の悪人は、実は『あなたにとっての悪人』であって、周りにとって、そうではなかったのだとしたら?

 あなたは、果たして正しいことをしたと言えるのだろうか?


 正解など出るわけない。正解があってはいけない。


 人間は永遠にこの問題の解答を得られぬまま、その時々の状況に惑い、己の中にある正しさを基準に選択を迫られる。むろん、選択を『しない』ことも可能だろう。

 

 しかし、霧崎という性を持った少女は……


「私はウチ……ウチは私」


 暗い部屋。少女は椅子をぎぃぎぃと揺すりながら、天井を見上げて目を瞑る。

 まるで呪文のように『私はウチ……ウチは私』と繰り返す。


 正しさはいつだって不定形。その人の価値観とか立場とか今いる座標とか、そんなものでコロコロと形を変えるのだ。

 霧崎が『麻衣佳』と名乗ることは偽りで、しかし彼女にとって……彼女の周りにとって、それは絶対的な『正しさ』だ。


「私はウチ……ウチは私」


 部屋に響く声は、いつまでも同じ音を繰り返していた。



  ┐( ̄ー ̄)┌



「……ぎ、……ぎっ」

「…………」

「おい!!」

「っ!?」


 早朝の通りに不破の声が響いた。太一はハッとして顔を上げ、声の主へ顔を向ける。教室の中、太一の正面には不破と、会田たちいつものグループの面々。太一の隣には、大井の姿もあった。


「不破、さん」

「何度も呼んでんだけど」

「すみません」

「ったく。また寝ぼけてんのか?」


 頭を軽く小突かれる。


「たいちゃん、なんか今朝からぼ~っとしてるけど……なにかあった?」

「……いえ、別に」


 太一は顔を逸らす。なにかあったのかと聞かれれば、あったとも言えるし、なかった、とも言える。

 霧崎から『名前呼び』を希望するメッセージが送られてきた。ただそれだけ。

 だが、なにもなかった、と口にするには、昨日のアレは、いささか無視するのも難しい出来事で……


『名前呼び、よろしくね』


 ブー、ブー……


 スマホが震える。太一は肩をビクリと反応させて、ポケットからスマホを取り出した。

 恐る恐る、太一は画面に目を落とす。

 しかし、


『太一くん』

『できるならすぐに教室から出てきて』


 メッセージの送り主は危惧していた相手ではなく、鳴無からであった。

 ホッと息を吐く。教室の外に目を向けると、そこには扉に隠れるようにして立つ鳴無の姿があった。


「ちょっと出てきます」

「は? って、おい!」


 慌てて外へと駆けだす太一の後姿を見送る不破たち。


「んだあいつ」

「さぁ?」

「なんかソワソワしてたね~」

「もしかして……オンナができたか!」

「「は?」」

「な、なんでもないで~す……」


 不破グループの一人……伊井野の発言に、不破と大井の瞳に鬼が宿った。今にも食い殺されそうな迫力に、伊井野は会田と布山の後ろに隠れた。「バカ?」と布山から指摘され、「だって~」と体をくねらせる伊井野。女子はコイバナとか修羅場がお好きなの。特に他人の。


「でも、ほんとにどうしたんだろ、たいちゃん?」

「はぁ~……知るかよ。マイと今度の選挙の話でもしに行ったんじゃねぇの」

「……そうかな」


 どうにも、そういう雰囲気ではなかったように思うのだが。それに、チラっと教室の外に見えた影。


 ……あとで、それとなく探ってみるか。


 下手に追いかけると逃げられそうな気がして、大井は自分の席へと戻っていく。


「あ、大井っち。今日のお昼いっしょにご飯食べよ~」

「オッケー。あ、きのう貸した漫画、続き持ってきたけどそん時に渡す?」

「よろ~」


 大井は布山と随分と親しくなったようだ。

 不破グループに所属しているだけあって、布山もなかなか派手な外見をしているが、実は大井と同じ人種であることが判明。これまでそっち方面で話の合う友人がいなかったこともあり、布山は大井を歓迎ムード。

 大井はそのまま、半分グループの輪に食い込んだ状態になっていた。

 不破は少し面白くなさそうだったが……

 

 大井は布山とオタトークに花を咲かせながら、再び教室の外をチラと見やった。



 │'ω')チラリ



 いつぞやの空き教室。校舎西側の階段は、ホームルーム前という事実を加味しても人の気配が希薄だ。

 教室を飛び出した太一は踊り場で鳴無と落ち合い、そのまま階段を下る。

 たった数ヶ月前のことなのに、随分と前のことのように感じられる。それだけ、太一の周りでは色々なことがあったということの証明のような気もした。


 が、現在進行形で起きている……いや、『起きていた』事態については、どうも今までとは毛色が違うように感じられた。


「ここなら、たぶん誰にも聞かれないと思う」


 そう言いながら、鳴無は空き教室の奥に積まれた椅子と机のタワーから、椅子二脚を引っ張り出す。

 以前は窓際に間隔を開けておいた椅子を、今回は向かい合わせに、教室の隅に並べた。ちょうど、タワー化した椅子と机の陰。なるほど、ここなら外から中を見られてもすぐには見つからない。

 彼女の意図を理解しながら、太一は椅子に腰を落ち着ける。


「なんの話かは、たぶん言わなくても分るわよね?」

「……昨日の、霧崎さんの名前の件、ですよね」

「そう……太一くんは、どう思った?」

「正直、わかりません」

「ワタシも……たぶん、きらりんに訊いても、わからないんだろうなぁ」

「だと思います」


 霧崎真理佳……それが、彼女の本名。


「ワタシ、今朝ちょっとだけ早く登校して、彼女の教室を調べてみたのよ」

「なにか、分かったんですか?」

「分かった、っていうか、確証が得られただけ」


 人のいない教室。そこで、彼女は霧崎の机の中に押し込まれた、生徒手帳を見つけた。本来であれば携帯が義務付けられている代物。机の中はひどいモノで、教科書やノートがぐちゃぐちゃに押し込まれいたらしい。それだけ聞くと、単に霧崎がずぼらという印象になるだけなのだが……


「生徒手帳の名前……やっぱり、霧崎真理佳になってた。それと……」


 彼女は太一から目線を逸らし、唇に指を当てると、


「彼女の、定期テストの答案……全部、名前が『霧崎まいか』って、名前の部分が平仮名になってたのよ……『い』の部分が、ちょっとだけ歪な形してたかな」

「それは」


 まいかとまりか……確かに、似ている。たが……


「それ、たぶん無記名扱いになりませんか?」

「どうだろ……ワタシが見たヤツは普通に点数が書かれてたけど……」

「それは……」


 どういうことなのか。考えても分らない。むしろ、考えれば考えるほど、分からなくなっていく。


「太一くん。これはなんとなくなんだけど」


 鳴無は、普段の微笑を引っ込めて、珍しく真顔で太一を見つけてくる。


「これ、踏み込んだらダメな領域の話の気がする」

「……」

「ふざけてだけならそれでもいいんだけど……ちょっとそういう雰囲気でもなさそうだし」

「はい」


 それは、昨日の霧崎の態度だけでも十分に感じ取ることができた。本当の名前がバレた時、あの一方的なメッセージを受け取った時。

 いずれも、普段の彼女では考えられないような、そこはかとない、仄暗いものを感じたのだ。


「取り合えず、この件はマイマイのほうから切り出してくるまで、こっちから探るのはNG……正直、ワタシはアウトの可能性大」


 だから、少しマイマイとは距離を取る、鳴無はそう言って、深く息を吐き出した。


「あの、鳴無さん」

「なに?」

「実は昨日、霧崎さんからメッセージが来てて……」


 太一は、その内容を端的に伝えた。


「ひとまず従っておいた方がいいと思う。なんか理由がこじつけっぽいけど、強引ってほどでもないし。太一くんは変に意識せず、彼女を麻衣佳って呼べばいいと思うわ」

「……はい」

「はぁ……何なのかしらね、彼女……」


 そんなもの、こっちだって知りたいくらいだ……いや、逆に、知りたくないのかもしれない。せっかく知り合った友人の、裏側など。


 これから本格的に始まる選挙活動。その始まりは、別の意味で、あまりにも暗雲が立ち込めていた。

『毎日家に来るギャルが距離感ゼロでも優しくない』

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