Your knife isn't sword
薄暗い部屋の真ん中で携帯電話の液晶がぼんやりと灯る。
それで時間は簡単にわかったのに、俺は横目でちら、と壁を見た。時計の針が真上を指している。
自由を手に入れたはずの大人でありながら商品である俺たちの複雑さは、寮生活においても時々足かせになる。酒は飲めるのに、制限があったり、とか、そういうことだ。
誰かの監視下におかれた俺たちの住処では、もうほとんどの人間が眠りについていて、リビングには俺とツバサの二人きりだった。
もう二時間は話しているであろう俺たちは、先程よりも真剣な面持ちで話を進める。
『じゃあ嫌なら俺といれば?俺には彼女がいるってバレちゃってるし、そういう扱いされないんじゃないの?』
「…うん、しばらくそうします」
『でもお前、昔はレイジのこと本当に慕ってたのになぁ。絡みずらくなっちゃった?』
一人が重い空気を持ち上げるようにぎこちなく笑うと、
「…ユウキさんだって昔はもっと仲良くしてたじゃないですか」
と更に重い空気をまとった声が返ってきた。
『まぁ俺も大人になったしな。でも今でも普通に仲良いよ俺達は』
「―俺は」
『うん?』
「俺はレイジさんが嫌いな訳じゃないんです」
『うん』
ぽつりぽつりと唸るように呟く声が妙に響いた。
「だけどなんか」
『うん』
「必ずそういう扱いになるのが面倒臭くて」
『うん』
「でも傷つけたくなくて」
『誰を?』
「え?」
『誰を傷つけたくないの?』
ツバサの筋の通った高く細い鼻を液晶の灯りが象るように照らしている。一方は美しく見え、一方は深い闇に隠れ、まるでツバサそのもののようだった。華やかに見えて、薄暗い思いを抱えている。
「そ、れは…ファンの子達の期待も裏切ることになー」
『違う』
「…は?」
『お前は優しいけど、それは嘘だ』
背が高く優男なツバサも、小柄で線の細いレイジも目立つ存在であったから、この活動をするにあたって非常にありがたい存在だった。
あの頃の俺たちみたいな駆け出しのアイドルグループは、純真さとフレッシュさ、それから見た目が重要だった。パフォーマンスに注目してもらうには、入口を作らないとダメなんだ。俺たちのグループでは、それがまさに、ツバサとレイジだった。
「何がですか?」
『ファンの子達を裏切るのが辛いんじゃなくて、裏切った後どうなるかが怖いんだろ?』
「何-」
『二人が崩壊した後のレイジを案じてる』
「…」
『もっと言うなら、その後の自分の身も案じてる』
「!」
『途中で投げ出すくらいなら最初からやらなきゃ良かったのに』
「あの頃は、何て言うか必死で-」
『今はもういいってか。側にいるのも嫌になるくらい』
「そんなことはないです!」
静かな怒鳴り声を受けて、しん、としていた部屋に熱がこもる。
『でも、そうとれるよ。俺はお前が好きだし、レイジだってそうだ。いつも気にかけてるよ。でもお前は?ギャアギャア言われるのが嫌だからって避けてる。それで今も俺のところにいる』
「っ、さっきは俺のところにいればって…!」
『今も思ってるよ。俺のところにいれば?楽なんだろ?俺もお前といると楽だし楽しいよ』
「じゃあなんで」
『別に』
「なんですか、それ」
明らかに狼狽して半ば苛立ち始めた声が、冷静で乾いた声とぶつかり合った。
ツバサとレイジは正直、俺から見てもお似合いの二人だった。
こんなことを言うときっと、今のツバサを俺も追い詰めているうちの一人になっちゃうんだろうけど、ずっと側にいて見続けてきた分なおさらそう思う。
ツバサは最年少だけど一番背が高くて、甘い声甘いマスクで人気だった。レイジは中性的な容姿をしてふわふわと微笑むのに、踊ると途端に色気が出て、二人が並んで立っているとやっぱり、綺麗だった。
二人があまりにも綺麗に見えるので、いつからか二人をセットとして見る固定のファンが増えていった。
あの頃のツバサはそれをわかっていて、時々レイジがサービスのように絡みに行って。それでもツバサは嬉しそうにしていた、のに。最近は、あからさまに避けている。
『まぁ、俺はお前よりも付き合いがほんの少しだけ長いからさ。でもお前の方が過ごした時間は長いかも』
「…さっきから何が言いたいのかわかりません」
『わかってるくせに逃げるなよ』
「ふ、意味不明」
『俺はお前の方が意味不明』
「…何なんですかさっきから。喧嘩売ってるんですか?」
『喧嘩?お前が買うなら売ってやろうか?わかってるくせに避けてばかりで向き合わなくて楽な俺に逃げてるお前の』
瞬間、空気が変わるのがお互いにわかった。熱を持ち、夜の帳では隠しきれない。
「ー怒りますよ」
『怒れよ。そうやって俺に怒るみたいにレイジにも言えば?嫌だから、もうそういう事するなって。面倒臭くて気持ち悪い、騒がれたくないからやめろって、俺に近寄るなって言えば良いじゃん!』
「そんなこと思ってない!!」
『じゃあ何だよ!お前はどうしたいわけ?避けて避けて、楽な方へ逃げて、レイジは放ったらかし?一人で空回って嘲笑れてお前は傍観してるだけ?』
「俺はー!」
『…』
静寂が戻るこの部屋に先程までの熱はなく、より鬱蒼とした気配が覆っていった。
「俺は、どうしたらいいんですか」
熱を失った声が力なく訊ねる。
『俺ならー』
「…」
『…いや、それはお前が自分で決めることだから』
「だって、わからないんです」
『俺もお前の答えはわからないよ。きっと、永遠にわからない』
冷静さを取り戻した乾いた声が、突き放すように答えた。
「レイジさんに」
『うん?』
「伝えたら傷つきますかね?」
『さぁ』
「さぁって」
『言えばわかるよ』
「それが出来たら苦労しませんよ」
『ねぇ』
「何ですか」
『さっきからお前は何を気にするの?』
「は?」
『まるでレイジがお前の事好きで好きで仕方ないみたいな、そんな言い方』
「そんなことー」
『ないの?レイジがお前を弟のように可愛がっていて、でも時にはサービスしなくちゃならなくて。でも嫌なんだろ?それが』
「だって…」
『騒がれるもんないちいちいちいち、ただの弟みたいに甘えることも出来なくなって。それが嫌なら言えよ、これじゃ逃げてばっかの無限ループじゃん』
夜が深くなる。
「俺は傷つけたくない…」
『嘘だ』
「嘘じゃない、俺はレイジさんを傷つけたくない!」
『嘘。お前はお前が傷つきたくないだけだよ』
「ー!!」
『お前は優しいから。レイジが傷ついた顔を見て、自分が傷つくのが嫌なんだ』
どんどんと夜に包まれて闇に落ちていく二人は、妙に感傷的で、攻撃的な気分になっていた。
「っんなに…否定、しなくたって」
話しはじめて初めて聞いたであろう水音が、痛々しい声と一緒にこだまする。
『何で泣くの?』
「ー泣いてません」
『泣いてるじゃん』
「泣いてませんよ!」
『ふぅん』
乾いた声にはその水音は伝わらない。
「…俺、言います」
『何を?』
「嫌だって」
『誰に?』
「レイジさんに」
『へぇ』
「逃げませんから」
『そ』
「もし傷つけたらー」
『俺は知らないよ』
「!」
『知らない。お前の決めた事だから』
「…わかってますよ」
『…でもさ、ツバサ』
冷たくて乾いた声がようやく体温を取り戻したように名前を呼ぶ。
「…何ですか?」
『お前が傷ついたら、笑わせてやる事くらいはできるよ』
「…俺が、傷つく?何で俺が。今から人を傷つけに行くのに」
水の音はもうしなくなって、代わりに乾いた声がもうひとつ増えた。
この部屋は普段よりずっとどんよりとしているはずだ。
『…そう?ならいいけど』
「今日は、ここに帰りません」
『わかった』
「それじゃ」
『うん』
また静寂を取り戻したこの部屋には、去っていくツバサに、
(でもさツバサ、お前は優しいから気が付かないね。それとも本当は気づいてるの?
お前が俺に罵られてまで覚悟して決めた事ー、言葉のナイフでレイジを傷つけに行くと思いながら心を痛めて歩いている今のお前を、あっさりと許されてしまった時、
傷つくのはお前一人なんだよ。
レイジがあの優しい笑顔でお前の申し出をあっさり受け入れてしまったら、お前は良かったとすぐに胸を撫で下ろせるの?
あのふわりとしたどこか遠く感じる笑顔で、お前の葛藤はストンとどこかに行ってしまうよ。
その重い決意が嘘のように消えた胸で、何を感じるの?
そんなことになったら俺は、)
『なんて声をかければ良い?』
そう一人ごちるユウキだけが取り残された。
お前のナイフは武器じゃない
(それはお前を守るための、盾でしかないよ)