兄さん、とぶ
兄さん!兄さんが消えました!でも下手人を捕まえましたので色々喋ってもらいますね!吐けオラー!
「……落ち着け詩織……そんな事をしなくても俺はマグロだ」
「……っ、はぁ…兄さんが、兄さんが……いけないんですよぉ?」
薄暗い部屋の中、艶めかしい吐息をつき、詩織は甘ったるい声をだしながら兄、隆の上に馬乗りになる。
────────
「兄さんがッ!私がッ!食器を洗っている最中にッ!外に出ようとするからッ!」
ビィッ!ビィッ!とガムテープを力強く引き裂きながら兄さんの体をぐるぐる巻きにしていく。
兄さんの体はガムテープで手足ごとギチギチに固定され、ミイラのようでもあり打上げられた魚みたいにも見ようによっては見える。
兄さんは口で文句は言いつつも、表情は相変わらず何を考えているか解らず、それが更に私をを苛立たせる。
「兄さん!聞いてますか!兄さんが!私に相談もせずにホイホイ知らない人に付いて行くからッ!」
一通りガムテープで兄さんを拘束した私は、額に手を当てふぃーっと息をついた
「ふふん、そんなカフカの変身に出てくる毒虫みたいになるんですよ!」
「……」(カフカって何だろ……?)
隆の頭の中ではモコモコな毛に覆われた大型のネコのような生物が想像されていた。
詩織は隆のPCデスクの上に常設してある時計を見遣る、現在時刻はPM11時58分を示しており約束の0時までに兄を無事に確保・収容・保護できた事に安堵する。
──このまま、朝を迎えれば契約とやらは無効ですよね……?
詩織は若干の不安感を何故か拭えずにいたが気を取り直して、行動不能のデバフを受けた隆に声をかける。
「……とにかく、兄さん?朝までは我慢してくださいね?」
抵抗のつもりなのかモゾモゾと動く隆に言い聞かせるように、隆の頭を撫でながら言葉をかける。
「あ、そう言えば駅前の洋菓子屋さんでプリンを買ってきたんですよ!兄さん。食べますか?」
手をぽんと叩いて、食後に頂く予定だったプリンが冷蔵庫にしまってある事を詩織は思い出した。
「……食べる」
隆はモゾモゾと動く最後の抵抗をピタッと止め、濁った目を光らせた。
詩織は、持っているガムテープをPCデスクに置くと、冷蔵庫があるダイニングへぱたぱたと走った。
「……詩織……知ってるか……プリンは卵で出来ている」
「はいはい」
兄さんは好物の事になると急に饒舌になります。まるで『ちゃーる』を目の前にした猫さんです。
普通の人は餌付けでもしないとコンタクトを取る事すら難しい生き物なのに、あの怪しげな広告を渡してきた人はよく兄さんと契約まで結べましたね?
「そう言えば兄さん、大学で──」
──大学で広告を渡してきた人ってどんな人でした?
そう訊こうと冷蔵庫に手を掛け、隆に向かって振り返った詩織は、隆が転がっているベッドの奥にあるベランダの引き戸のガラスが強烈な光で照らされているのを視認してしまい目を細めた。
「うぉっ眩しっ──」
ウォォォォォォォォンッッ!!!
ガシャァァァァァァンッッ!!!
けたたましいエキゾーストノート共に質量を持った何かが、人んちのベランダの窓を破砕しながら侵入してくる。
「うわぁぁ!何ですか!何ですか!UAVの誤爆ですかっ!?」
──詩織の脳内ペンタゴンは大混乱に陥った。コンピューターモニターがいっぱい並んだ巨大な司令室で資料の紙が部屋中を舞い、職員が右往左往し、部屋の奥の偉い人が座る席みたいな所でアゴの割れたメガネの外国人が『F○ck!Fu○k!Goddmn!クソバカガー』とキレてるのであった。
「……詩織……プリンは……牛乳も入っている」
兄さんは濁った目を光らせて言った。
──え、何?この兄さん、この状況でプリン待ちなの……?
詩織は混乱の極みだったが、隆の言葉落ち着きをすぐに取り戻し、冷静に侵入者を観察した。
──このお話しが三国志ものなら、奇襲を受けてもすぐ反撃に転じてくるような詩織の冷静さはすぐに魏の偉い人、曹操の人材コレクションの一人として就職先が決定していた事であろう。
だが、目の前に居座る軽トラは三国志とは全く関係ない事だけは解る。
しかし軽トラにしては物凄く奇妙である。まず小さい、アパートの6畳程の部屋に人が出入りするような引き戸タイプの窓を突き破って全体が鎮座しているのだ。
デザインもおかしい、白い一般的な軽トラの形なのは理解できるが運転席しかない。特筆すべきは、その構成されている全てのパーツ類が運転手を含めてドット絵のような、某サンドボックスゲームのようなキューブ状で構成され、軽トラを『真似』した様な形であった。
側面には左右それぞれ『異世界移民局(自家用)』『のす☆とろも號』と書かれていた。
はじめての未知との遭遇に対し詩織は……。
──で、電話しなきゃ!け、警察!!
そう!国家機関の治安維持団体への通報という国民の権利を行使したのであった!偉いぞ!詩織ちゃん!
しかし、軽トラが突然発光しだした事により詩織は動きを止める。
『ジゴクデアオウゼベイビー!』
発光が強くなる中で軽トラの運転席に存在するキューブ状のおっさんが急に物騒な事を口走る。
──ば、爆発するんですかーっ!
咄嗟に詩織は頭を押さえてしゃがみこんだが、一向に爆発するような感じはしない、目を開けて恐る恐る軽トラを確認すると。
隆が謎の発光に包まれて宙に浮いてるのである。ガムテープぐるぐる巻きで。
「……ぬわー」
緊張感が感じられない抑揚の無い声で、表情を全く変えずに隆は飛ぶ!ガムテープぐるぐる巻きで!
「兄さん!?兄さんっ!!」
詩織は叫ぶ、兄さんを行かせてはならないと。
「……詩織」
走り寄る詩織の目を隆は死んだ魚のような目で見つめてぽつりと呼び掛ける。
「……詩織……カフカって何だ?──」
──瞬間、隆は一際強い閃光と共にかき消えた。カフカの謎が解けぬまま、ガムテープぐるぐる巻きで……。
「うわーん!兄さんッ!フランツ・カフカはチェコの作家ですよ!ていうか今更そこかよっ!!」
詩織の慟哭と共に光は収縮し元の部屋の一室に戻る。部屋に軽トラだけ残して……。
詩織は床にへたり込む、その胸中はどうすれば良いのでしょう?という不安感でいっぱいだ。
「……兄さん、いなくなっちゃって……」
まるで、女スパイにの死にヘコむパイロットみたいに沈む詩織の耳に場違いな程、脳天気な明るい声が響く。
「こんばんわぁー♪異世界移民局の者でぇーす♪」
ガチャッとドアが急に開いたかと思えば金髪碧眼のローマだとかギリシア辺りの神話の女神が着てるような、恰好をした胸のデカいどテンプレの女神じゃなきゃ誰なんだお前は……となる女神様?が現れた。
「今度は何なんですか!てか誰ですか!」
連続する突発イベントに詩織は猫のように全身の毛を逆立てて威嚇する。
フーッ!と新たな侵入者を警戒する詩織に「あらあら……?」と驚いた顔をする女神(?)。
「おかしいですねぇ?受領した書類には一人暮らしと記述されていた筈ですが?」
ふーむ……と考えるような仕草をしたあと得心がいったのか手をぽんっと叩き、詩織にビシッと指を指す。ついでに胸の肉球もたゆんと弾む。
「愛玩動物ッ!!」
「──いや、そこは違うにしても友達か恋人って言っとけや。妹です。」
詩織は思った。
──この人は兄さんとは違うタイプの奴だ!
と。
「あら?そうなんですかぁ?ごめんなさい、私異世界移民局のミシェル・フレイマンと申しますー」
ミシェルと名乗るこの女性は自己紹介をしながらズカズカ部屋に入ってきて、軽トラの前でへたり込んでる詩織に名刺を差し出す。
「あ、どうも」と受取る詩織は名刺の内容に眉根を寄せる。
「異世界移民局……資源部担当??」
役職と名前、下のスペースには広告に描いてあったデフォルメされた顔が描いてあった。
──やはり、コイツですか……
詩織の目が険しくなっていく、貰った名刺をスカートに付いた小さなポケットにねじ込むと、立ち上がりミシェルに向き直った。
「色々、言いたい事はありますが!まず!この部屋どうしてくれるんですか!?」
詩織は両手ををオペラ歌手みたいに上に広げその場で体を回転させながら部屋の惨状を訴える。演技派だ。
「それに!」
回転を止め、ビシッと軽トラを指さす。
「この変なの!早くどけてくださいッ!」
『ジュウナンテステテカカッテコイヨー』
「やかましかいッ!」
ミシェルはニコニコしながら詩織の動きを見守っている。
──何笑ってるんですか、○しますよ。
詩織の我慢ゲージがレッドゾーンに突入した。
「ご安心下さい!アフターサポートの為に私は、お部屋にお邪魔させていただいているんですよぉ!」
「アフター……サポート、ですか?」
「はい♪こういった物理的損傷は私だけでも対処可能ですからぁ」
そう言ってミシェルは詩織の横を通り過ぎると、壊れた窓枠に触れ何やら呟く。
すると、部屋に散ったガラスや窓枠が緑色に発光し、時間が巻き戻ったかのようにパーツが直っていく。
詩織は目を剥き、自分は夢でも見ているのではないかとさえ思った。
部屋が一通り戻るとミシェルは詩織に振り返り。
「これでぇ、元通りです!」
ミシェルは誇らしげに胸を張る。
「いやいやいや!コイツを何とかしてくださいってば!」
詩織は部屋に閉じ込められる形となった軽トラをガンガン殴る。運転席のおっさんも閉じ込められてから、心なしか悲しそうな顔をしていた。
『フタツデジュウブンデスヨー……』
「ほら!可愛そうじゃないですか!何言ってるか全く解らないですけど!」
詩織は同情の言葉を口にするも殴るのはやめなかった。
「あ、大丈夫ですよ?ちゃんと消えるので!」
「はぇ、そうなんですか?」
詩織は、無駄に腰の入ったストレートを軽トラにねじ込むのをピタリと止めた。
「はい、私の力が込められた小さなブロックだけになりますのでー、あ、でもこの子のパーツに使ったバッテリーは残りますのでそちらは持ち帰りますね♪」
ミシェルは「では」と一言断りを入れて指をを鳴らした。部屋中に音が響く。
『アアァァァァァァァッ!』
凄まじい絶叫と共に軽トラは一つのブロックとなり軽トラが存在していた場所にバッテリーと一緒にゴトリと音を立て床に落ちた。
「うわぁ……」
──めっちゃ叫んでますやん。
詩織はドン引きした。
ブロックを胸の谷間に入れ、バッテリーを両手で持ち上げ「それでは♪」とだけ言って帰ろうとするミシェルを慌てて詩織は呼び止める。
「ちょ!ちょっと待ってください!」
兄さんの事を聞いてないのに、ここで帰してしまってはいけない。そう判断した詩織はミシェルを止めるべく咄嗟に冷蔵庫を開ける。
「あなたのせいで!兄さん用のプリンが余ったんです!食べて帰ってください!」
「プリン!?」
ミシェルの目はこれまで無いぐらいに輝いた。
────────
ミシェルさんは兄さん用のプリンを食べながら、兄さんがどうなるのか色々語ってくれた。
移転先の異世界の文明レベルは未だ低く、お察しの通り中世ヨーロッパあたりぐらいらしい事と、兄さんのような社会不適合者を集めては特殊能力を与えて放逐する事によって、その世界の文明レベルを上げる事を第一の目標とする事らしい。
「この資源部ってのは何です?」
「あぁ、これはですね、担当世界のレアメタルを輸入、管理する部署でしてぇ♪」
「今回はですねぇ、貴重な資源がいっぱい眠ってはいるのですが、人手が足りないと言う事で急遽、強制労働……あっ」
「ん?」
──今、コイツ強制労働って言いました?
「あー……あープリンは本当に美味しいですねぇ……」
──誤魔化すの下手か!
ミシェルは詩織から顔をそむけ冷や汗をダラダラ流していた。
「ところでミシェルさんは魔法を使っていらっしゃいましたけど、このバッテリーも電源無しで動かしたり出来るんですか?」
詩織は唐突に話の内容を変えた。ミシェルは助かったとばかりに話に飛びつく。
「えぇ!えぇ!できますよぉ!それっ」
力を入れすぎたのかバッテリーは振動しているが、問題無く使える。詩織はそう判断した。
「ミシェルさん……お話しもっと聞きたいので私のプリンも食べて下さいね」
テーブルの上にドンッと新しいプリンを置く詩織、その目は有無を言わせない圧を感じる。
「は、はひ……」
ミシェルは震える手でプリンのプラスチック製の蓋を開けると、スプーンを手に取った所で詩織に止められる。
「ミシェルさん……もっと美味しい食べ方があるんてすよ?ちょっと待ってて下さい」
「え……?え?」
ミシェルは明らかに狼狽していた。詩織はそんなミシェルを無視して隆の机からガムテープを持ってきた。
「え……?え?ちょ?」
それを狼狽するミシェルの手足を椅子に縛り付ける形でガムテープでぐるぐる巻きに固定する。
「な、何をするのですか!?私に何をする気なのですか!?」
ガムテープを投げ捨てた詩織は小指を唇に当てハイライトの消えた目でミシェルの動揺に笑顔で答えた。
「ちょっと質問に答えてもらうだけですよ?その後のプリンは凄く美味しいですよ?生きてる事に感謝できるはずですから」
「ヒェッ!怖っ!笑顔怖っ!」
ゴム手袋をはめた詩織はバッテリーに電極代わりに繋いだ金属製のスプーンを両手に持ってミシェルへにじり寄った。
────────
数十分後
「ふむん、では兄さんは広告の内容に嘘は無いけど変わりに環境がクソ最悪な場所で異世界を堪能していると?」
「あい………」
「しかも可愛そうな女の子をあてがって、女の子とあまり関わりがが無かった男性にありがちな、ちょっと話しただけで好きになるピュアな心理を利用した上に『俺がこの娘を守らなきゃ!』病に感染させて異世界への残留を仕向けたと」
「あい………」
「ある程度のLvで提示される自己意思での帰還の他はその世界での死亡が条件と」
「あい………」
「異世界へのポータルはこのキューブが必要と」
「あい………」
ミシェルは顔をうつ伏せにしたまま力なく答える、椅子に縛られた状態で時々体がビクンッビクンッと震える。
「ミシェルさん?」
詩織はミシェルの頬の柔らかな感触を若干楽しみながら、両手で頬を引っ張りミシェルの顔を詩織の顔に向けさせる。
「ひたひ……ひたひですぅ……。ひほひさん」
涙目で訴えるミシェルを無視して頬を指でむにむにと感触を楽しみながら、ミシェルに頼み混む。
「お願いします。キューブで今すぐに兄さんの居る世界へ送ってください!」
「わはひまひた!わはひまひたから!そのふへほはなひへ!」
詩織は名残惜しそうにミシェルの頬から指を開放した。
────────
「──ヒドい目に遭いましたぁ……」
「ミシェルさんが隠し事をするのがいけないんですよ」
ミシェルはようやく椅子から開放されて涙目でプリンを食べている。
──兄さんを放置すれば、その内野垂れ死んで戻ってくるかも知れませんが世話焼き女房が付くなら、その可能性は低い……ですが……世話焼き女房、このフレーズだけで殺意が湧くのは何故でしょうか……?
「あ!美味しい!詩織さん!本当にプリン美味しくなってる気がしますよぉ!」
──バカで良かった。
「あ、そうだ詩織さん、そのキューブは一緒に持っていってくださって結構ですよぉ」
スプーンを頭の横でくるくる回しながら、あっさりと詩織にキューブを譲渡した。
「え?いいんですか?」
「詩織さんは非契約者ですしぃ、目的を達成しなかった場合、私がまた恐ろしい目に遭うかもしれませんしぃ」
「まぁ、それは否定しませんが……」
「ひぇっ!やっぱりサイコパスです!」
「──冗談ですよ」
冗談と言われても、そんな事はもう信じられないミシェルであった。
「と、とにかくそのキューブは向こうで詩織さんが想像する道具に変えることが出来ますしぃ、私の力が込められてるので私との連絡にも使えますのでぇ」
「はぇ、便利ですね」
「詳しくはぁ向こうで、その都度お伝えしますねぇ。あ、助言がいらない場合はオプションから助言Tipsを切って下さい」
「オプションとかあるんですか!!」
プリンを食べ終わったミシェルは、自身の胸の谷間から詩織が持つキューブと同じ物を取り出し、床に放り投げた。
「では、ポータルを開きますのでぇ準備が出来たら進んでくださいねぇ」
ミシェルが軽トラを片付けた時と同様に、指を鳴らす。ミシェルが放り投げたキューブから放出された光が空間を裂き『門』が現れた。
「ミシェルさん、ありがとうございます。無事兄さんを連れ帰りましたら、またプリンをご馳走します」
「いえ、クレーム対応と思っていただければぁ」
ミシェルは相変わらずニコニコして詩織に手を振って見送る。詩織は一呼吸おいて、『門』に飛び込んだ
────兄さん!絶対無事じゃないと思いますがどうか無事で!
────────
《続》
兄を異世界へ送った張本人に(無理矢理)協力をしてもらい、異世界に向かう詩織
その先で待つのは現地住民とモンスター(EXP)達だった──
見た事の無い世界に戸惑う詩織、慎重に事を運ぶからこそ異世界では生きられる。
嘘を言うな!
レベルアップのチャンスに詩織はせせら嗤う。
スライム、ゴブリン、コボルト、キラービー、
どれ一つ取っても戦場ではカモとなる。
それらを纏めてEXPで括る。
お前もっ!
お前もっ!
お前もっ!
だからこそ、
詩織の為に死ねっ!
次回「兄さん!レベリングって面倒ですね!」