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ぼくのいない世界  作者: 松永晋也
春の川沿いの世界(????)
32/33

1

 ぼくは、ぼくの居ない世界から、また不思議な世界に戻ってきた。


 場所は春の河川敷で、桜並木が満開になっている。そして、xxはベンチに座っていて、ぼくはその隣に座っていた。


「これで全部分かっただろ」


 xxは悲しそうな顔で桜を見上げている。

桜は満開だった。地面はピンク色に染まっていて、温かい風がそれを巻き上げている。


「うん。ぼくは、どこにも居なかったんだね」


 本当は、怒るべきなのかもしれない。でも、今はただ悲しい気持ちだった。


「どこにも居ないなんてことはない。ここに居るだろ、ほら」


 xxは立ち上がって、ぼくの手を引っ張った。

 そしてぼくも立ち上がって、桜並木の下をゆっくり歩き始めた。


「この世界も、全部偽物なんだね」


「偽物じゃない。実在はしていないけど、本物だ」


「いや、偽物だよ」


 この世界では、人間が全然居なかった。

 それはきっと、xxが誰とも会いたくないからだろうな。と、今なら分かった。


「そうだよ、俺は誰とも会いたくないんだ」


 彼はぼくの心を見透かしたようにそう言った。

 

「どうして誰とも会いたくないの?」


「誰とも会いたくないからだ。会いたくないから会いたくないんだ」


「そっか」


「別にさ、人間が嫌いなんじゃないよ。でも、誰の事も好きになれないんだ」


「どうして?」


「分からない……いや、本当は分かってる。些細な理由なんだよ、すごくちっぽけで、話すのも馬鹿らしい理由だよ」


「もしかして、小学校の転校の時になにかあったの?」


 ぼくが聞くと、彼は苦い笑顔になった。


「そうだ。いじめられた。今なら分かるけど、別にそんなに珍しいことじゃないし、それほど酷いことでも無かった。理屈じゃそう分かってるんだよ。でも、その時以来、誰のことも好きになれなくなったんだ。だから、どこに行きたくなくなったんだ」


「……なんでいじめられたの?」


「だから、些細な理由さ。ほんとうに小さな理由で……ていうか、正直言うと、俺にもわからないんだ。分かってたら、いじめられなかったと思うしな。多分、顔が暗いとか、服がダサいとか、そういう理由だろうな。ともかく……これ以上言わせるなよ」


「ごめん」


「何も好きになれなくて、俺はなにか、好きになれるものが欲しかったんだ。それで考えたんだ。俺はただ……嘘つきじゃない友達がほしいってさ。それだけで十分満足できるって考えたんだ。なにせ、ほんとうの世界じゃみんな嘘つきで、冷たい連中ばっかりだからな」


「そんなことないよ」


「お前から見ればそうさ。この世界には現実に生きているような人間は俺以外に居ないからな」


「……それは」


「現実の世界じゃ、みんな嘘をつく。でも俺は嘘が大嫌いなんだ。だから俺はただ、嘘つきじゃない友達が一人ほしかっただけだった。最初はそれだけで、この世界も簡単なものだった。けど、次第に俺は、この世界の方がずっと良い世界だと気づいたんだ。だってさ、嘘も退屈も無いからな。この世界じゃ、俺は……少なくとも自由だった。何日もかけて東京まで歩いてきたり、夜まで遊んだり、そういうことがすごく大切だったんだ」


「そっか、でもここに居てもなんにもならないよ」


「向こうなら違うとでも?」


 彼は皮肉っぽく言った。


「うん、そうだよ。ここで何をしても……なんの意味もないよ。たぶんね」


「みんなが向こうで生きているからといって、俺までそうしなきゃいけないルールは無いだろ。俺はもう嫌なんだ。全部嫌なんだ。ずっと前から全部嫌だったんだ」


「……」


「全部嫌なんだ。どれだけ嫌なのか、俺以外の誰も、きっと理解してくれないだろうさ。でも、嫌なんだ。だからここに居るのに、どうして……」


「……」


「ここが無くなったら、俺が生きる世界なんて、何処にもない。そしてそれは飛鳥もそうなんだ。だからさ、そんなこと言うなよ」


「ごめんね」


「……なんで謝るんだよ」


「ごめん」


 ぼくは急に悲しくなった。彼がなんでこの世界を作ったのか。

 ぼくを作ったのか、考えて、悲しくなった。


 それでもやっぱり、この世界は存在するべきじゃないし、ぼくも居るべきじゃない。

 ぼくなんて、生まれるべきじゃなかった。


 ぼくはxxを呪っているのも同然だ。

 彼を腐らせて、ダメにしている張本人なんだ。


 それになにより、本当は生きていないんだ。


「そんなことはない」


 いや、絶対にそうなんだ。


「違う。違うよ、なんでそんなこと考えるんだよ。そんな風に考えるなよ」


「ぼくが居なければ、きっと……」


「やめろ! なんでお前まで俺を苦しめるんだ。他の全部が俺を苦しめているのに、この世界まで、なんで俺を裏切るんだ」


「誰も君を苦しめてなんかいないよ。君のことを苦しめてるのは、君自身だし、ぼくなんだよ」


「違う! 全然違う! お前はバカだよ。俺よりも全然頭が悪いから、間違った結論に飛びついてるんだ。俺だって、考えたことくらいある。けど、全部違うんだよ。反対なんだ。この世界が俺の魂を救っているんだ。この世界が無かったら、俺はとっくに本当の世界でも死んでるよ」(あの世界が本当だとしたら、だけどな)「それか、誰でもいいから殺してる。あの世界に何の価値があるんだよ。もう、うんざりなんだ」


「ぼくの考えは、君の考えなんだよ」


「それも違う。俺とお前はまったくの別人だ。確かに、お前を作ったのは俺だけど、それは全部、脳の奥深くから勝手に湧き出してきた考えなんだ。俺はお前を操ったりはしないし、思考を矯正した事もない。全部お前の、俺の中に居るお前の思考なんだ。つまり、神秘なんだ。俺とお前は確かに別人だし、親友なんだ」

(そうだよ、お前は生きてる。他の誰よりもずっと生き生きとしているんだ)


「……違うよ。ぼくは何処にも居ない。最初から、ぼくは居ないんだ」


「そんなの退屈な奴らの考え方だよ。物質的な、馬鹿な考えだ。魂がここにあるんだ」


 彼はそう言って、胸の真ん中を叩いた。


 まるでそこになにかが有るって信じているみたいにそうしていた。


 けど、彼はそんなもの信じていないんだ。ぼくには分かる。

 彼はリアリストだからだ。こんな世界に居るのに、彼は完璧なリアリストなんだ。


「魂なんて、信じてないでしょ。それこそ嘘だよ」


 ぼくの一言は、つうこんの一撃になったらしい。


 それまで饒舌に話していた彼の口が止まった。


 言い過ぎたかもしれないって思ったけど、それも仕方ないことだと思う。


 彼には言わなきゃだめなんだ。だって、間違ってるから。


「……なんでダメなんだ。何が間違ってるって言うんだ。嘘を足場に生きている人間がどれだけ世の中に居るのか、いくらお前だって、分かってるだろ」


「でも、xxは嘘が大嫌いだよね。そう言ったよね」


「それは……」


「君は嘘が大嫌いなのに、都合が悪くなると、自分の嘘を許容するの?」


「お前は嘘じゃない。ここに居るだろ」


「いや、嘘だよ。全部嘘だ」


(違う!)彼の心が叫んでいる。苦痛に歪んだ悲しみが、ぼくの胸に響く。だからこそ真実がはっきりと浮かび上がる。


「ぼくは最初から、どこにも居ないんだ」


 そう言った途端、体の感覚が、急に無くなっていった。


 怖い、けれど、これで良いんだろう。


 ぼくは彼を苦しめたくない。

 本当の世界で生きるxxの足を引っ張っているのはぼくなんだ。それは良くないことだし、彼が再び普通に生きられるようになるとしたら、ぼくが完璧に消え去ることでしかありえない。


 ああ、ぼくが本当の世界に生まれ変わる事ができればいいのに。もしもxxの言った通り、ぼくの存在が神秘で、魂があるのなら、生まれ変わることもできるのかな。


 生まれ変わったらなんて、馬鹿らしいけど……ああ、本当は、死にたくないな。


 全然死にたくない。


「待ってくれ!」


 xxが叫んだ。


 すると体に再び感覚が戻ってきた。はっきりと、目を赤くしているxxの姿が見える。


「本当に消える気なのか?」


「ごめん」


「……」


 xxは言葉を失っていた。けど、もう怒ってはいないみたいだった。


「分かった。お前の『意思』を尊重するよ。お前の魂を信じてるからさ、だからそうするんだ。けど、最後にさ……」


 彼は体をもじもじさせて、言葉をつまらせた。


「最後に、何?」


「……」


 聞き返しても、彼は中々答えようとしない。なんでだろう。


「ちょっとだけ……ハグしてもいいかな。深い意味はないんだ。別れの挨拶だよ。アメリカ風にさ。アメリカじゃあさ、ハグって当たり前なんだよ、日本と違って」


「分かった、良いよ」


 ぼくはxxを引き寄せてハグした。彼の体はぼくより少しだけ小さくて、ぎゅっと抱きしめてみると、なんだか小さな別の動物みたいな感じがした。そして今度は彼がぼくをすごく強くハグしてきた。


「ハグしてほしいなんて、馬鹿みたいだよな」


 彼は泣き出した。声が変なふうになってる。聞いたことのない、嗚咽混じりの声だった。xxが泣くなんて、すごく珍しい。


「そんなこと無いよ」


「いいや、絶対恥ずかしいことなんだ。ハグしてほしいなんてさ。なんでそんなに恥ずかしいことなのかは分からないけど、恥ずかしいことなんだよ。外の世界じゃさ」


「外の世界のルールなら、別に気にしなくても良いのに」


「そういうわけにもいかないんだ。結局、心の外も中も変わらないから。恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ」


「外のことは、ぼくにはよくわかんないよ」


「悪い」


「これでもう、お別れだね」


「やっぱり、消えないでくれよ」


「そういうわけにもいかないんだ。これ以上ぼくが居ちゃいけない気がするから」


「そんな『気がする』ってだけで、本当に消える気なのか?」


「そうだよ。だって、そんな気がするから……」


 よく考えてみると、ぼくは消えなくても良いのかもしれない。という気もしてきた。だって、ぼくは全然消えたくないし、xxと遊んでいたいから。


 けど――


「でも、やっぱり駄目だよ。駄目な気がするんだ」


「それだけで自殺するのか」


「自殺じゃないよ。最初からぼくは居ないんだから」


「居るよ。ここに居るだろ」


 彼の手の力が強くなった。呼吸が苦しくなるくらいに、胸が締め付けられる。


 この苦しい感じも、全部嘘なのかな。


 本当は……本当なんてあるのかな。


「本当は、ほんの一つでも良いから、理由があればよかったんだ。けど、現実の俺には、外に出る理由が一つもないんだ。たったの一つもだ。だからここに居るんだよ。ここには居る理由があるからだ。ここが無くなったら、俺の居場所はどこにもなくなるだけだよ。そうなったら……俺は最後の理由すら無くなる」


「なら、新しく居場所を作ったほうが良いよ。こんなの、間違ってるから」


 ぼくが言うと、彼は黙り込んだ。少しして、また口を開いた。


「……本当なら、俺じゃなくて、お前が生きていてくれれば良かったのに」


「なにを言って?」


「俺よりも、お前の方がみんなを幸せにできるからさ、お前ならみんなから好かれるし、お前も幸せになるだろ。俺じゃなくて、お前みたいな人間がほんとうの世界に生きててくれれば良かったのに」


「そんなこと無いよ」


「いいや、絶対そうだ。俺は頭が良いから、分かるんだ。みんなコウモリより犬のほうが好きだ。そしてお前は犬で、俺はコウモリなんだよ」


「ぼくは人間だし、きみも人間だよ……でも、そうかもね」


 ぼくは正直に言った。xxはたしかに友達を作るのは下手だし、他人に優しくするのも全然上手じゃない。ぼくが間を取り持たないと、他人と上手くやれないんだ。その点、自慢じゃないけど、ぼくなら誰とでも仲良くなれる自信がある。



 ……けれど、


「それでもきっと、xxが生きていて、ぼくが生きていないことには理由がるんだよ。神様が決めた、大切な、そしてぼくなんかには到底理解できないような理由があるんだ」


「神様なんて居ない。それにやっぱり俺は嫌だよ。この世界に居たいんだ。外に行って、みんなを不幸にして、俺自身も不幸になるくらいなら、ここに居た方が良いに決まってるんだ。俺が生きてたらみんな不幸になる。父さんも母さんも、俺も、俺と関わる人も、みんなだ」


「それはxxの頑張り次第でしょ。ほんのちょっとだけ頑張れば、誰も不幸になったりしないよ」

「随分簡単に言うな。外の世界を知らないのに」


 xxの目つきが一瞬だけ強張った。

 ぼくは間違ったことを言っちゃったんだろう。けど彼は、すぐにまた泣き出した。


「ごめん、怒ったりして」


 何が間違っていて、何が正しいのか、ぼくには未だに全然分からない。


 きっと、最後の瞬間まで、何一つ理解できずに終わるんだろうな。ぼくはあんまり頭が良くないから。


 でも――


「きっと簡単だよ。xxは頭が良いし、できないことなんて無いよ」


「……そうだったら良いけどな。実際、俺も本当のところは分からないんだ。頑張ったこと、無いしな。一回も頑張ったことなんて無いんだ。ずっと頑張らないでここまで来たんだよ」


「そっか」


「頑張るって、結構大変なんだ。みんな当たり前にやってるけどさ、俺には真似できなかった。ふんばろうって思っても、理由がなかったんだ。俺の足元になにもなかったから」


 彼は寂しそうだった。ぼくはなんと言って良いのかわからなくて、これで最後になるかもしれないのに、黙っていた。


「……最後の最後まで、俺のことばっかりでごめん。本当は、飛鳥の気持ちのほうが大切なのにな。俺の気持ちなんて、どうでもいいんだ。だって俺にはなんの価値も無いから」


「ぼくの気持ちなんて、どこにもないよ」


 ぼくがそう言うと、彼は怒った。


「いや、それだけは絶対に嘘だ。じゃなきゃ、お前は消えたりしないはずだ。お前に気持ちってものが無いなら、俺の願いに逆らったりしないよ」


「そうかな」


「そうだよ。なあ飛鳥。きっとさ、10年経ったら会いに来てくれよ。その時は俺、多分普通のつまらない奴になってるからさ、一番、誰よりもつまらない普通の奴になってるから、そうなったら、また遊んでくれよ。10年経ったら、きっと凄いゲームも出てるだろうし、絶対楽しいよ」


 ぼくは首を横に振った。


「その頃には他の友だちが居るだろうから、ぼくなんて要らないよ」


「まあな、他の友だちも居るだろうけど、お前もやっぱり友達だからさ。一番の親友の座は、永久欠番にしておくよ。ずっと、死ぬまで欠番にしておくよ。他の友達を作っても、親友は絶対に作らないからな」


「親友も作った方が良いよ」


「それだけは断る。絶対に嫌だ」


「そっか、それじゃあ……その頃までには、ぼくも友達を作っておくよ。親友はつくらないけど」


 僕の冗談に、彼は笑ってくれた。


「そうだな。それが良い。俺ばっかり友達がたくさんいたら気まずいしな。お前も沢山友達を作っておいてくれよ」


「うん」


「じゃあな」


「じゃあね」





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