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yanderation  作者: 城井和仁
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yanderation 01

L -syndromeという名前は誰もが一度は聞いた事があるだろう。



通称『恋愛症候群』



これは人から人に感染するミームのようなもので、実際に細菌などの感染によるものではないとされている。


しかしその症状はまさに病的なもので、簡単に言えば恋愛を自身の価値観の最上位に置いてしまうというものだ。


つまりはあらゆる欲求も理性もその下に置かれて、その結果『監禁・殺人・無理心中』が感染者の三大犯罪と呼ばれ、近年異常に多発している。


痴情のもつれがそのまま死に繋がるのだから滑稽・・・っと。悲しいことだ。


さて、そんな物騒な世の中、だからこそ俺のような奴が必要になる。


「その十字路を右だ!」


前方を走る女子に叫びながら俺自身も走る。

イヤホンから聞こえる指示に従い、入り組んだ路地を迷路のように使ってとにかく走る。

そのゴールはまだ遠い。


マラソンでもしてるのかって?

いいや、鬼ごっこだ。しかも捕まったらあの世逝きの。


追ってくる感染者は先ほど食らわせた催涙ガスの一撃で視界が不確かなのか特有の異常な身体能力を発揮できていない。

それでも、追いつかれるのは時間の問題だ。


そして前を走るそいつも自身に迫る感染者を気にしていたのだろう。

足元がおろそかになった。


「きゃっ!」


小さな悲鳴と共に足をもつれさせて倒れた女子生徒に駆け寄る。


「?!おい!」


「ご、ごめんなさいっ、痛っ・・・」


そこ膝からは酷く擦り剥き、血が出ている。

感染者はもう見える位置まで近づいてきていた。


催涙スプレーを握りこむ。

だが、こんなものなんの役にも立たないだろう。

なにせ残り1秒も噴霧する分があるかもわからない。


それに『感染者』は発症した時点で人間と思うべきじゃないってのが鉄則だ。

ありえない動き、ありえない力。

そういうのが当たり前になる。

さっきだって効果が出るまでに数秒かかった。

熊も一瞬で逃げ出すようなスプレーで、だ。


「わ、わたしはもういいです。州崎さんだけでも逃げてください・・・」


「・・・あいにく、コレも俺の仕事なんだ」


カッコつけてはみたが三週ぶり今季通算五回目のピンチか。


ゆらり、と俺と同じ制服姿の男が現れる。

手にはナイフ。

刃物は感染者の定番だ。

簡単に手に入るからだろう。

そのくせ死ねるから嫌になる。


「お前こそ、いいか?這ってでも逃げろ」


無線のイヤホンと俺の携帯を握らせる。


「で、でも」


「時間稼ぎには慣れている。さっさと行け!」


「・・・ごめんなさい、すぐ助けを呼んで来ます!」


足を引きずりながら塀を頼りに進んでいくその姿を横目で見ながら、俺は追おうとする男の前に立ちふさがる。


「こんなの死亡フラグもいいところじゃないか、あー、くそっ」


「お前、僕と京ちゃんの邪魔するのか・・・」


虚ろな目は俺を見ているのかもわからない。

きっとここに邪魔者がいるという程度にしか認識してないのだろう。


「そうとも。どうせ女のために命掛けるなら惚れた女が良いってのはいつも言ってるんだけどな。おかげで今日もこのざまだ」


「僕と京ちゃんは運命で結ばれてるのに、なんで邪魔するんだ」


「運命論と神様は信じないことにしてるんだ。そして俺が思うにあの子はお前の運命じゃないらしい」


「ゆる、さない、許さない許さない、殺してやる殺してやる殺してやる!」


「話の通じないやつめ、昔から言うが男のヒステリーは・・・」


「アアァァァァァ!死ね!死ねぇ!」


一足、間合いを詰めてナイフを振り上げる感染者に相対し、俺は催涙スプレーを構えた。







・・・







萩風学院二年。帰宅部所属。

俺についてもし誰かに語るならそれくらいしかない。

薄っぺらい人間だ。

その自覚はある。


いくらドラマティックな出来事に巻き込まれていても、俺自身という人間には魅力がない。

だからこそ、今日も俺は昼飯時を一人寂しく過ごしているわけだ。


「姐さん、おでん定食一つ」


「あいよ」


受け取って、もはや定位置の食堂の端の一人席へ。

学食自体は混雑してるが一人席なんて使うやつは俺くらいだ。


あーあ、無駄に食堂がよく見渡せる。

イチャつく色ボケ共にこのはんぺんを全力で投げつけてやりたい。

なにがあーんだ。

辛子たっぷり熱々の大根ねじ込むぞ。


・・・なんてな。

冗談。

ちょっかいをかけたら痛い目を見るのは俺の方だ。


どこのカップルもどちらか片方、あるいは両方が感染者。

俺だって馬に蹴られて間抜けな死に様を晒したくはない。


串から歯で肉を引き抜き咀嚼し、卵を割って黄色がかった汁で流し込む。


この一本のために来ていると言っても過言じゃない。

学食で俺が見つけた穴場メニュー、それこそがこのおでん定食。


「ふぅ」


一杯平らげて満足。


さて、時間はあるしこの席は居座っていても問題ない。

たまにはゆっくりと手紙でも読もうかと思いたって、昨日届いたばかりの封筒をカバンから取り出す。

相変わらず無駄に洒落た封筒に凝った蝋のスタンプまで押してあるのはまるで洋画の小道具みたいだ。


しかし、それを開けようとした俺の前に一つの人影。

どこかで見たような制服姿の女子生徒はおどおどと俺に声をかけた。


「え、えと、帰宅部の州崎さん・・・ですよね」


「・・・俺に何の用だ・・・いや」


どうやらわざわざ所属を確認してきたあたり、俺が所属する部活に用事があるらしい。

タイミングが悪かったな。

封筒は鞄に戻す。


「帰宅部に話があるのか」


「は、はい、相談に乗っていただけるかもと聞いて」


仕事か。

よりによってこんな時期にとは、ついてない。


「ここだと目立つ、部室に移動するからついて来い」


「あ、わかりました」


とはいえ話も聞かず追い返せばあとが怖い。

仕方なくまずは話を聞くため場所を変えることにする。


「ごちそうさまっした」


食器を返して校舎の外へ。

これから向かう先は帰宅部部室。


正しくは感染者対処同好会仮居室。

別名『無事に帰宅させる部』略して帰宅部。


そこは通常使用される運動部部室棟の裏にある旧部室棟の一室だ。

無駄に立派な一枚板の看板を引っさげたその傍らの扉を開く。


鍵はかかっていない。締め忘れたか?


中に入り俺はソファに腰掛けて女子を向かいに座るよう促す。


「わざわざ俺に声をかけてきたなら知ってると思うが、一応今は活動停止中だ。一人が入院、一人がシベリアに帰省」


「そ、そうなんですか」


「冗談と取るべきか悩んでるみたいだな、安心しろ全部事実だ・・・さて、俺は帰宅部副部長の州崎。相談に来たってことは感染者関連だな?」


「はい。私はニ年の倉野京と申します。帰宅部さんならL-virusのトラブルの対処をして頂けるかもしれないと聞いて・・・」


「報酬すらもらえれば、だ。俺たちはボランティアでもレスキュー部隊でもない。対象者を保護して感染者に適切な対処をする」


「そう、金さえ積まれればなんでもする薄汚い資本主義者」


「その成れの果てさ・・・いや冗談だっての。そこまで言わねーよ」


余計な合いの手を入れた声の主は定位置のPCラックの影にいたらしい。

入り口からは死角になっていて気づかなかった。


姿を表したのは少し退廃的な空気を纏う、見慣れた小柄な男子生徒。


「僕はサポート担当の岬夕日、よろしく倉野センパイ」


「・・・感染者、の方ですか?」


どうやらその見分けはつくらしい。

感染者とそうでない者の違いは外観的には一つしかない。

瞳の濁り。

感染者は目を見ればわかる。

明らかに光がないからな。


まぁ、誤魔化すこともできるが、わざわざそんなことをする奴は多くないだろう。

岬もそうだ。


「そ、僕は感染者。ちなみに趣味はストーキングとったところかな」


「ま、その能力を活かして貰ってるってわけだな」


「は、はぁ・・・」


若干引きつった顔。

まぁ、その反応が普通だ。


「特に感染者による行為の記録は大事だからな、このご時世、感染者関連の事件は証拠がなきゃオマワリも動いてくれない」


「そう、ですね。私も最初は警察に相談したんですが、まだ実害が出てないからと」


「仕方ないさ、積極的に関わりたくないだろ普通・・・さて、まず俺たちの活動を説明するが、簡単に言えば対象者等の依頼を受けて感染者に然るべき対処をする、と言うことをしている」


「然るべき対処、ですか?」


「事件性があるなら証拠を集めて突き出す、緊急に命に関わりそうなら護衛の真似事、軽度事案ならお悩み相談なんかもやってるな。俺は担当じゃないが」


「そ、そんなことまでしていただけるんですか?!」


「してるさ。とは言っても今は荒事担当が二人とも留守だ。直接身を守ることに関しては期待しないでもらいたい」


「でも、僕たちでもできることはある」


「例えば情報を集めるのがこいつの仕事だ。インターネット上だけでなく時には直接接触したりすることもある」


「相手を知ることは特に大切なこと、わかったらこっち来て、まずは聞き取りをしたい」


「えと、はい、わかりました」


二人はパソコンラックの前へ。

俺は念のために部長ともう一人の部員に依頼者があった旨の連絡をしておく。


とはいっても帰宅部snsのグループに書き込むだけだが。


州崎『対象者が相談に来た。俺と岬で対応中』


部長様『葬式はジャージでいいか?』


Ryo♡kyoko『大丈夫なのか?』


州崎『いや、なんだお前その名前』


Ryo♡kyoko『うわマジだ、なんだこれ恭子か』


Ryo『よし』


部長様『それよりアタシの発言にいうことはないのか?』


Ryo『貧乳の喪服はエロくないからいらない、帰れナイチチ』


部長様『喜べ、お前の式の方が早い』


Ryo『ごめんさいきょこがすまほとって』


部長様『なるほど、亮司と恭子と玲香を半殺しにすればいいのか』


州崎『なんでだよ、妹関係ないだろ・・・』


部長様『たとえ便所に隠れていたとしても見つけ出して頭から便器に突っ込んで息の根を止めてやる』


州崎『慈悲の心はないのだろうか』


部長様『部長という立場に必要なのは心じゃなくて物事を考えて決断する頭だ』

部長様『冷静で無慈悲に鉄槌を下す判断が出来なければ、それは部長失格なのだ、わかったか同志』


州崎『部長なんか赤くないか?』


Ryo『ソビエトロシアではおっぱいが貴方を吸収する』


部長様『粛清』


管理人『稲木さんのc70こそ至高』


州崎『佐波、言いすぎだぞ。あと岬はそっちに集中してろよ』


Ryo『今のは玲香ちゃんだよ』


州崎『嘘だ、妹はまだ部長を笑えるほど胸なんて無いってこないだ亮司が言っていたぞ』

州崎『なんで知ってるんだろうな不思議だな』


Ryo『ちょっとしばらく亮司はメッセ出来ないから』


州崎『十amen十』


部長様『アイツいつまで入院する気なんだよ』


州崎『軟禁状態だろうし対象者も大変だ』


部長様『まぁ同志、君には関係ないことだ』


州崎『その呼び方気に入ったのか』


部長様『かっこいいだろ?それで、その対象者についてだ』


州崎『胸は大きい』


部長様『お前を殺す』


「終わったよ、だいたいの情報はつかめた」


「あぁ、俺も終わった」


「感染者は佐々部啓斗、家族構成は兄が一人と両親。スキー競技で中等部時代に地方大会で準優勝の成績を残しているけど高等部になってからは趣味程度のようだよ。主に私生活関連の話題をネット上ではしていたけど、二ヶ月前を境に途絶えてる」


「発症の兆候が見られた時期と一致しているのか?」


「はい、たしか彼から告白されたのはニヶ月くらい前だったと思いますけど・・・」


「そこから別のサービスに登録して恋愛関係の相談をしたりしている、痛々しい内容はともかく随分自分に酔った発言が目立つね。自己顕示欲が強い。それに、時折倉野さんの私物とみられる物を画像で上げてるようだ」


・・・それで倉野の顔色が悪いのか。


「中々タチが悪いな」


「なんで私なんかを、そこまで」


「まぁ男子なんてそんなもんだ。消しゴムを拾われて始まる恋もある。箸が転んでもユ・ラヴ・ミー」


「そうなんですか?」


「あぁ。で、告白して撃沈したのが発症のきっかけか」


「はい、ちゃんとお断りしたのですけど・・・彼、その日から段々様子がおかしくなって、周りに私と付き合ってると吹聴したり、ことあるごとに私に干渉してきたりするようになって・・」


「執着型だな」


「え?」


「感染者の傾向六分類を知ってるか?」


「えと、わかりません」


「依存・内向・崇拝・排他・執着・破滅、前三つを防衛型として、後三つを攻撃型と呼んでるが、依存は読んで字のごとく、相手に依存するタイプだ。内向は主に自傷や妄想に囚われる、崇拝は対象を崇めだす。こいつらは基本的に対処法を間違えなければ大きな問題にならないことが多い」


「僕は崇拝型、稲木さんが完全無欠だから当然だね」


「はぁ・・・」


「後者だが、排他は自分以外の相手の周りを排除する。自分だけしか見られないようにさせる。監禁する奴なんかに多い。そして執着型だが・・・一言で言えば対象しか見てない奴だ」


「私しか?・・・でも相手のことばかり見るのは他も同じなのでは・・・」


「もっと過激なんだよ。相手を自分の物にしないと気がすまない。そして行動が徐々にエスカレートして、しまいには心中や殺人まで至る。俺が思うにその男子生徒はこのタイプだ」


ついでに言うと、現状では対処しきれない可能性が高いタイプでもある。

直接武力を行使してくる可能性が高いからだ。


「そんな分類が完全に一致なんてありえないから一概には言えないけど」


「しかし現状でこれなら正直、かなり危険な状態になりかねない・・・俺に相談に来た時点で相当刺激しているはずだ」


俺がラックの方へ移動すると、岬は『校内カメラ』と題されたショートカットを開く。

それは校舎内に多数仕掛けられたカメラから送信されている映像を映し出した。


「こいつかな」


「やっぱり、近くにいるな・・・」


岬が印刷した佐々部の写真と見比べる。

最寄りの階段の踊り場で待ち伏せているのが本人で間違いないだろう。


「え、これ盗撮ですか?!」


「そんなこと言ってる場合か?こいつ、いつから居る?」


「最初から。尾行に気づかないなんて間抜けだよね、州崎」


「無茶言うな、本気で気配を消した感染者の追跡に気付けるのは同じ感染者くらいだろ。取り敢えず今日は様子見だ」


キーン、コーン


「予鈴だな、そろそろ戻るか・・・倉野、これを持ってろ」


ピンがついた小さな円柱型のそれを投げ渡す


「え?防犯ブザー、ですか?」


「それを抜くと俺達の携帯に連絡が来るようになってる」


「音は鳴らないけど、むやみに感染者を刺激するのは危険だし・・・sim契約してるんだから無くさないで、端末は壊しても仕方ないけど」


「あ、ありがとうございます!それでその、報酬というのは・・・」


「一週間分の学食券綴り二冊だ」


「そ、それでいいんですか?!」


「命かけるには安すぎる、使われる側は辛いな」


「部長命令。部活としての体裁をとってる以上、生徒が利用しやすいようにしなければならないってね」


「そう言うことだ、後払いでいい、死刑囚の食事(ラスト・ミール)のつもりはないからな」


「は、はい!お願いします・・・あ、私次移動教室なので戻ります!ありがとうございました!」


急ぎ足で部屋を出て行く倉野。

カメラの先では・・・佐々部は彼女が近づくと影に身を隠し、それからその後ろを追っていった。

それを見送ってから首にかけた鍵で部室のロッカーを開く。


鍵付きロッカーにはいくつもの装備が入っている。

制服を脱いで、シャツの下に防刃ベストを着込み防刃手袋をつける。

あとは市販の催涙スプレーとマグライトをホルスタに入れて準備完了。


「まさか俺が出る羽目になるなんてな」


「別に見捨ててもいいんじゃないかな」


「下心たっぷりの俺は女子の依頼を断れない。じゃ、放課後な」


「何もなければ、だけど」


不穏なことを言う岬。

こいつの勘はよく当たる。






そう、今日も例にもれず、だ。


本日最後の授業も終わりに近づいた頃。

特徴的な間隔のスマホのバイブレーション。

それは早くも例の防犯ブザーが起動したということだ。


まったく、どうしてこんなに慌ただしいんだ。


画面を点けてマップアプリを開くと倉野の位置は・・・体育倉庫。

これはまんまと連れ込まれたか?


「芭蕉の句には〜」


授業の終わりも近いが1分1秒さえ惜しい。

通学鞄も置いたまま席を立ち、教師の文句が来るより早く教室を出る。


そしてイヤホンのスイッチを入れて耳にかける・・・岬もすでに用意はしてたようですぐに繋がった。


『抜け出せた?』


「いつも通りだ、目標は移動してないな?」


『どうやら彼女が授業に使ったボールとかを片付けに来たのを閉じ込めたらしいよ』


「一人になるなって言っとくの忘れてたな・・・こりゃ部長の折檻フルコースか」


『言ってる場合じゃない、中の様子はかなりマズイかも』


「ストリップか?」


『スプラッタだよ』


「・・・わかった、急ぐ」


走りながら窓に手をかける。ここは二階、大丈夫だ。

一瞬の浮遊感と衝撃。

なんとか足で着地し、痛みを堪えて走る。


校舎は広いとはいえ、ここから体育倉庫はそう離れてはいない。

すぐに目的地にたどり着き、その扉に手をかける。

体育倉庫の鍵は外から南京錠で施錠するタイプだが・・・開かない、金属製の片引き戸だが、中からつっかえ棒でもしてるようだ。

くそったれ!


蹴る、マグライトで殴る、体当たり。

色々試すがダメだ。


「どうすりゃいいってんだ!」


『落ち着いて!教員駐車場の車の電子ロックを解除したからそれで・・・いや、今中で動きが。

出口の方に対象者が移動して・・・つっかえが外された!』


「っしゃ!」


勢いよく扉を開け、マグライトで薄暗い室内の男を照らし出す。


「動くな!武器を置け!」


「す、州崎さん!」


「邪魔だ馬鹿真正面に立つな!」


「は、はい・・・」


倉野は泣きそうな顔で駆け寄って来たかと思うと俺の後ろに回る。

よし、それでいい


「な、なんだよお前、ぼ、僕と京ちゃんは今から一緒になるところだったのに」


震える声。

この男、目は虚ろで定まらず、手に握られたナイフには赤い液体が伝っている。


ふと横目で倉野を見れば体操着の二の腕のあたりに血が滲んでいた。


歩けるだけ足じゃなくてラッキーだが・・・あと少し遅かったら死んでたかもな。


『見ての通り感染者はナイフを持ってる、気をつけてね』


「わかってる」


さて、刃物を持つ感染者を相手にする場合、一般人にとっては単純明快で一番優れた対処法がある。


それは全力で逃げることだ。

とはいえ感染者相手にただ逃げるだけでは追いつかれる。


俺は催涙スプレーを抜き、こちらに向かい駆け出してくる佐々部という男に向けて噴射した。

相手はこちらがまさかこんなものを持ってると思ってもなかったのか真正面から受ける。


「う゛あ゛ぁぁぁぁっ!」


熊も逃げてく催涙液が相手に降りかかり、悲鳴をあげて顔を抑える。

俺は距離を取るのが遅れて肩から胸元を切りつけられたが、防刃ベストのお陰で平気だ。

クソみたいに痛いがな。

しかも制服はシャツごとダメになった。今学期で早くも2着目だ、くそ。


体勢が不安定になったところを蹴倒し、俺はマグライトを投げつけてから倉野の手を引いてそのまま走り出した。


「走るぞ!」


「あ、ちょっ・・・?!」


いきなりのことに対応できない様子の倉野は一瞬姿勢を崩しかけたが、運動神経は悪くないようで立て直す。


「ど、どこへ逃げるんですか?!」


「部室・・・と言いたいがあそこはこないだ鍵を壊されちまった。他のところは感染者の攻撃に耐えられるか怪しい、岬!当てはあるか?!」


『残念、無いよ』


「お前はいつもそうだ!肝心な時に無情なことを言いやがる!」


『言ってる暇があったら走ってて』


「くそっ」


せめて俺のバイクがぶっ壊れてなければな!


「あ、あの、交番はっ?・・・」


「無駄だ!間に入った警官が殺されるだけだ!」


感染者を相手できるのは基本的に感染者のみ、それが鉄則だ。


銃で武装した警官が三、四人いたところで、素手の感染者一人に太刀打ちできないことは多々ある。

相手を人間と思ってはいけない。

化け物だ。


周囲に助けを求められないのも同じ理由。

むやみに被害者を増やしても意味がない。


かといって感染者に他の感染者をぶつけるのは難しい。

自分の対象者に関すること以外で感染者の協力を得るのは不可能に近く、しかもそうなった時は下手すれば誰かが死ぬことになる。


「待て!待てぇぇぇぇっ!」


「追ってきてるぞあの野郎・・・っくそ」


ロクに目も見えてないはずだってのに、化物め。


『今連絡があった、佐波先輩が救援に来る、到着まで・・・30分』


「んなに待てるかよ!」


『言ってもそれしか無いよ、さっきの映像は警察に送った。そっちの方が早いかはわからないね』


感染者相手だと警察も初動が遅れる。それなりに規模がある警察署でないと感染者に対処できるだけの装備がないからだ。

そしてここは最寄りの大きな署から道路事情も考えて車で30分はかかる。


「チッ・・・倉野!」


「はっ、はい、なんでひょう」


既に息が上がっているようだ。

こいつはマズイな。


「まだ走れるか!」


「だ、だいじょうぶで・・・うぷ」


・・・隠れるか?いや、無駄だ、奴ら飢えた獣より勘が鋭い。


「おい岬、俺達と佐波の最短で合流できる場所は?」


『・・・北に3200m、旧市街入り口』


「は、まだ走れってのかよ・・・」


『なら諦めますか?』


「馬鹿言うな、逃げるのは俺が一番得意なことなんだよ・・・おい!」


「なん、ですか」


「死にたくないなら走るしかないとよ!」


声を振り絞って声をかける。

俺だって喉も枯れそうで、心臓はドクドクいってる。

だが、諦める気はない。


「は、はい!」


威勢のいい返事だが、余裕がないのは解っていた。

それでも、走るしかなかった。







・・・・・・そして、今に至る。


倉野は転倒し足を怪我して、俺はここに残った。


走馬灯みたいに記憶を遡って、次に視界に入ったのはナイフを握った拳だ。


結局、俺が感染者に勝てるわけなんかなかったってわけだ。


わかってたつもりだが、情けない話だ。


顔面に寸鉄のようにナイフを握った拳が打ち込まれた。

さらに続けて蹴りつけられた脇腹の痛みを堪えつつ、俺は立ち上がる。

が、今度はフックが飛んできた。


こめかみをを打たれて視界が歪む。


「はは。ハハハハハッ、死ね!死ね!」


殴られるたびに脳が揺れる感覚。

もう、痛くもない。

本当にこりゃ死ぬかもな。


カッコつけといてこのざま、笑えるだろ?


だけど、時間は稼げた。

倉野が諦めてない限り、大丈夫だ。


俺は負けてない。


「僕と京ちゃんの邪魔したんだから当然だよなぁ!おらっ!」


また、俺は倒れる。

そしたら今度はスタンプと蹴りだ。

わざわざ、脚を狙いやがって。

いまさら逃げられないっての。


だが、こいつ、遊んでやがる・・・どうせ倉野が逃げられないのがわかって、か?

俺が判断した傾向なんてあてにならないな。


今の俺なんて簡単に殺せて、いつでも倉野の後を追える。

だがこいつはそれをしない。


倉野には言いそびれたな。

『破滅型』

欲望のままに自分の力を振るい、周囲を巻き込んで狂う。

排他型と違うのは、排他型はあくまで相手への執着、破滅型は自身に対する執着と言われること。

要するに理性も自制も。そういうものが一切存在しない。全て自身の欲望のままに行う。


自分が欲しいから相手を自分のものにしようとするし、そして相手のことばかり見ているんじゃなく、すぐに目移りする。


今は邪魔した俺という存在に夢中だ。

ホモくせえ。きめえ。


ま、いいさ、精々時間をここで潰せ。


「はは、はははっ、雑魚がっ!もういい死ね!」


と、してもらいたかったが・・・そこまで上手くはいかないみたいだな。

ここまでか。

振り下ろされる先は顔面。

感染者の力なら頭蓋骨はザックリ貫通だ。

クソみたいな死に顔になっちまうな。


そんなしょうもないことを考えながら、俺は目を閉じた。


「・・・ぁ?」


だが、殴られて酷い耳鳴りの中にそれはかすかに聞こえてくる。


聞き慣れた、聞こえるはずのない音に思わずもう一度目を開く。

次の瞬間、振り下ろされるナイフではなく半分浮きかけたバイクのサイドカーが凄まじい勢いで目の前を駆け抜けた。

バカン!と言う音。目の前を通り過ぎる重低音のエンジン音。


痛む首をどうにか曲げれば、跳ね飛ばされた男と一台の|舟付き大型バイク。乗ってた二人組は降りてヘルメットをとった。


「待たせたわね」


「佐波・・・と、妹・・・?」


「他の誰かに見えるわけ?」


「あなたの妹ではないです」


いいや、こんなモンスターバイクに乗った女なんて俺は佐波しか知らない。

一々妹を否定してくる奴も、俺が妹と呼ぶそいつだけだ。


は、はは・・・こいつらが今は天使に見える。

本当に俺の頭はおかしくなったらしいな。


「ぐ、ぅあ」


「ふーん、思い切り舟ぶつけたのにまだ生きてるんだ・・・ま、感染者なら当然か。んで?この明らかに頭のイカれたヒョロヒョロにやられたわけ?情けない」


「お前らと一緒にすんな」


「ま、そうね」


「随分、早かったな」


「岬が病院からの最短ルートを作ってくれました」


「玲香ちゃん?それ言うなって言われてなかった?」


「さぁ?」


あの野郎・・・やってくれるぜ。


「ま、私と玲香ちゃんを来させた亮司に感謝しなさい」


「あぁ、奴には今度俺の秘蔵のエロ本を・・・っぐぅ」


「無理に冗談言わなくていいから寝てなって、あとは私たちが引き受けるから」


「すぐ終わらせます」


なんでこいつらはこんなに、頼もしいんだろうな。


「し、死ぬかと思いました・・・」


ふと、サイドカーからずるりと這い出た人影。


よく考えれば、そうだろう。

放置して置いてくることもできないか。


「って州崎さん?!酷い怪我・・・!」


俺を見てフラフラと寄ってくる。

お前も相当だ。

腕は切られて、足も酷い擦り傷だろうが。


俺がみっともない姿を見せてられないか。


気力を振り絞って立ち上がる。

よろめきながらも舟の後ろの予備タイヤに体を預ける。

・・・っと、血が付いちまった。


「こら、私のサイドカー汚すな」


「亮司に、ツケとけ、あいつには貸しがある」


「・・・ならいいわ」


「ずるい」


「妹も、何かあるなら俺から頼んでやるよ」


「そうですか」


「は、早く病院に・・・救急車!」


「倉野」


「なんですか?!お水ですか?!」


「見とけ、あれが・・・感染者だ」


佐波はバイクに搭載されたスコップを構え、妹は日本刀を抜く。


流石に轢かれては無事ではない佐々部という男は、俺と同じくらいひどい有様だ。

それでも立ち上がる。

だが、ナイフは手を離れ転がっていて、完全に無手。


「あ゛あ゛ぁぁっどいつもこいつも僕の邪魔しやがって!ふざけるな!くそっ、くそっ」


「はぁ、この程度なの?」


ヤケになったのか、拳を振りかぶり近くにいた佐波に襲いかかる。

佐波はその拳を自身の掌で受けてから肘にスコップの柄をあてがい、関節を決めて膝をつかせる。


「・・・」


続いて妹が佐々部の後ろにまわり、刀を軽く一回転。

まるで抵抗なく刃先が円を描くように動いたと思えば佐々部の体は力なく倒れる。

そして、流れ出た血が地面に溢れていく。


「そ、そん、な。ありえな・・・」


「とっとと落ちなさい、雑魚」


トドメとばかりにスコップが振り下ろされ、佐々部は意識を失い力なく倒れる。

派手な音がしたが・・・死にはしてないだろう。感染者だからな。


「・・・ありがとよ、おかげで助かった」


「どういたしまして、もういいからアンタは眠ってなさい。倉野さんはあたしに掴まるくらいはできるわよね。このまま病院までこいつ運ぶから、倉野さんもそこで治療受けるといいわ」


「あ、はい」


「私はこれを警察に突き出してきます」


「あぁ、ありがとよ。またな、妹」


「あなたの妹ではないです」


可愛げのない野郎だ。野郎じゃねえけど。


見送ってから俺はサイドカーに乗り込む。


・・・あぁくそ、ここにきて意識が。


「倉野さん、しっかり掴まってなよ、結構飛ばしちゃうから」


ま、いいか、寝ちまおう。

長い今日もようやく終わりだ。


ちょっとばっかり過激だが、これが俺の日常。


ドラマティックで、バイオレンスで、他人事。


俺の名前は州崎辰巳、どうにか今日も生きている。



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