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 夕方のコンビニ勤務は地味に忙しい。大量に入荷してくる商品をさばきながら、仕事や学校帰りの客をさばくのだ。なのにこの時間はいつも人手が足りず負担がのしかかる。

 あっという間に過ぎる時間に舌打ちしたくなる気分だ。おかげで根岸のことを考えずには済んだが。

 今日は深夜バイトはない。帰りたくないなと、くたくたの体を引き摺りながら店を出た。

 こんな街中では明るすぎて星なんか見えないのに空を見上げて、センチメンタルな気分を味わった。

 馬鹿みたいだ、ほんと馬鹿だ。

 ぐるぐると脳内を飛び回る馬と鹿の二文字に大ダメージを喰らいながら歩き出したその時、目の前に大きな影が立ちはだかった。

 いきなり目の前に飛び出してくるなよと心の中で悪態をつきながら顔を上げたら、見たことのある顔のやつだった。

 根岸だ。両手を体の横で強く握りしめて、仁王立ちでこちらを見下ろしている。

 馬鹿の二文字が頭の中を占拠している自分の思考はうまく働いておらず、ただ茫然と、身長高いやつはいいよなと口に出していた。


「なに言ってるの、勇さん」

「いや、だってそうじゃないか。俺だったらお前みたいに人を見下ろすことなんてできないしな。シークレットシューズ履いたって無理だ」

「……大丈夫? すごい疲れてるんじゃない?」

 

 仁王立ちだった姿勢を崩し、心配そうにこちらの顔を覗きこんできた根岸を見ていたら、なんかもうどうでもいいかという気持ちになった。

 正直、疲れていたんだろう。

 心底嫌だったのだ、自分自身が。どうにでもなれという心の声に、素直になって口を開いた。


「俺な、お前から離れたいんだ」

 

 俺の言葉に、根岸が硬直する。

 傷ついた顔だ。言葉の意味がちゃんと伝わっている。


「追い出したいんだろって昨日、お前言ってただろ? その通りだよ。追い出したいんだ。いや、追い出さなくてもいい、俺が出て行ってもいいんだ」

 

 体が、心が、自然と軽くなった。

 とても静かだ。すぐ傍を走る車の騒音も聞こえない。

 根岸の喉仏が上下に動くのを見て、こんなところは男らしいんだなぁと、当たり前のことに感心しながら、口は止まらない。


「どう、して……?」

 

 ゆっくりと口が動くのに合わせて、喉仏も動く。

 その器官が性的なものにしか見えないのだから、俺の脳内にはほんと困ったものだ。


「迷惑だった? 俺、なにもできない、人間の屑だから」

「お前は人間の屑じゃない。あの女の言葉は信じるな」

「じゃあどうして? どうして俺を追い出そうとするの……」

 

 最後は尻つぼみになっていた。辛うじて聞こえるほどの声量。

 手を差し伸べたくなるような表情と声、雰囲気に、ぐっと耐える。握りしめた手が痛い。


「ゲイ」

 

 ぽつりと、俯いた根岸の頭に向かって零した。

 ぴたりと動きを止めた根岸がゆっくりと頭を上げる。上目遣いで、どういうことだとこちらを確認しているようだ。だから俺は重ねて言った。


「ゲイ。同性愛者なの、俺。男にしか興味ないんだよ」

 

 あっさりを装って言えば、根岸は一度口を開き、しかし言葉が出ないようでそのまま閉じた。

 目は雄弁だ。信じられないと、嘘だと言ってくれと言わんばかりに懇願してくる。

 ズキリズキリと心臓が痛むが、今だけだとぐっと腹に力を込めた。じゃないと立っていられない。


「性的にって意味だぞ、わかるよな」

 

 反応はない。まだ衝撃に思考が回っていないのだろう。

 待ってやるほど優しくない俺は畳みかける。


「男だったら誰でもいいってわけじゃないぞ、いっとくけど。だからしばらくならいてもいいって言ったんだ。だけどさ、やっぱり恋しくなってくるわけよ、男だからさ」

 

 同じ男なら、わかるだろ?

 口を歪め言ってやれば、びくりと体を震わせた。

 よし、逃げろ、逃げるんだ。

 誰でもいいというわけじゃないと言いながら、あっさりとお前に落ちたのだ。こんな男から逃げるがいい。

 動かない根岸をしばらく観察していたが何かを言おうとしているわけでもなく、逃げようともしない。

 俺はそのまま根岸を置いて歩き出した。

 もう、ボロアパートには帰ってこないだろうと確信しながら。



 翌日、目が覚めたら久しぶりに一人だった。

 コーヒーの香りもしない、焦げた食パンの匂いだってしない。

 男特有の臭さに笑う相手もいない。

 起き上がって、良かったよかったと声に出して呟いた。

 ようやく今まで通りの生活に戻ったのだ。酷い男に捨てられて、それでもなんとか足を動かし生きていく生活に。

 男なんてゴロゴロいる。体だけの付き合いならそういうところへ行けばいい。

 冷蔵庫をあけて、そこにコーヒー豆を見つけてすぐに扉をしめた。

 ズキリと、心が痛んだのだ。よかったはずなのに。


「もう、いやだ」

 

 何一つまともでない自分自身に嫌気がさす。

 借金を押し付けられて捨てられて、人と違う性癖に絶望して流されて、人が怖いのに求めてしまう。

 素直になれなくて、逃げてしまう。

 あいつのためだと言いながら逃げる、卑怯で情けない自分。


「俺こそ、人間の屑だ」


 ずるずると、冷蔵庫に背をあててしゃがみこむ。

 両腕で頭をかばうように、俺は体を小さく丸めた。


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