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「ホント嫌になる。どうしてあんたなんかと付き合ってたんだろな」
雨が激しく振る中、車の外と中で雨よりも冷たい言葉を吐く。相手の顔は無表情だ。
俺の体は冷たい雨に打たれ、もう感覚がない。
車の中から、細く白い煙が外へと流れてくる。その煙は俺の喉へと絡みついた。
「最後に何か言う事はないのかよ」
「やっぱり男は無理だ」
男から漏れた爆弾。
すっと車の窓が閉まる。俺はただ去って行く車を眺めていた。
「なんだそれ」
ようやく批難する言葉が出てきた時にはもう車の姿は完全に見えなくなっていた。
ガサリと、コンビニ袋が音を立てた。
男は無理って、なんだよそれ。
ひどい文句だ。俺はどうやっても女にはなれないし、男だとわかっていて付き合ってたのにさ。
「もっとマシな言い方あんだろ」
いつまでも雨の中に立ち尽くしているわけにはいかない。今更だなぁと思いながらも傘を差し、コンビニ袋をがさがささせながら公園の駐車場を出た。
本当に酷い。この公園は街から少し離れたところにある。静かで暗い、昼間でも人気のない公園だ。そんな公園に、あいつは俺を置き去りにした。
「ひっどい男だ」
口に出さないと。溜めてしまえば内側から自分の体が腐りそうで、ぶつぶつ文句を言いながら、やけくそに歩いた。
駅前通りまで戻ってきたころには雨に濡れた体は完全に冷えてしまっていて、痛いを通り越して感覚がない。
必死に足を動かし、足早に自宅アパートへと向かう。
不思議だなぁ。ひどく振られたのに、涙が出る気配がない。逆に笑いが込み上げてきて、慌てて顔を引き締めた。
わかってる、最初から上手く行くと思ってなかったからだ。だから、悲しいけど涙が出るほどじゃないんだ。
ゲイの扱いなんて所詮そんなものなのかもしれない。相手が男も女もどちらもいけるやつだっだから尚更か。
差別の対象、嫌悪の目で見られる存在。
堂々と言えない性癖。マイノリティ。
俺はこみ上げる笑いをぐっと我慢しながら、見えてきた自宅アパートに向かって歩くスピードを上げた。その時だった。
「あ、あの……!」
ふと声を掛けられて、びっくりして立ち止った。
チラリと目だけで辺りを見渡す。数人が歩いているが、皆が道端の一か所に視線を向けていて、俺は首を傾げた。
「あの……」
再び声が聞こえてきて、俺は視線を声のほう、通行人が注目しているのと同じ場所へと移動させた。
「ひっ!」
思わず喉から悲鳴が漏れ、慌てて口を手で覆った。
自分が言うなと言われそうだが、そこにはとても酷い様子の男が蹲っていた。
ずぶ濡れの俺よりも酷い状態のその男は、俺以上にずぶ濡れだったがそれ以上に泥に塗れ汚く、髪も髭も伸び放題でボサボサで、よく見れば、着ている服が泥だけでなく、あちこち破れてもいた。
思わず後ずさってしまう程に、その男は酷過ぎた。
浮浪者、路上生活者
そんな言葉が頭の中を過ぎる。
怖いとは思わなかったが、何故こんな状態の俺に声を掛けてきたのかわからず、ただ距離を取るので精一杯だった。
それがいけなかった。同じように男を見ていた通行人らが、慌ててその場を去って行く。面倒事に関わらずに済んだというように、ほっとしたように。
しまったと、気付いた時にはもう遅かった。バチっと、音が鳴るかと思う程に声の主と視線が合ってしまった。
「あの……」
声は先ほど以上に弱々しくなっている。
「助けて、ください……」
ゆっくりと俺に向けて伸ばされる手。
俺はその手を振り切ることができなかった。
「た、助けてって、どうすれば」
振り絞った声が男の耳に到達すると、男の口元が震えたのがわかった。
「食べ物を……」
「たべ、もの?」
「あと、その……」
迷っているのか、それとも体力的なものなのか。随分ゆっくりと紡がれる言葉に、別の危機感が生まれてくる。
救急車を呼ぶべきか?
やっとはっきりしてきた自分の意識に少し慌てた。急いで男の傍に近寄りしゃがみ、傘を差しだした。
「あと、なに?」
差し出した傘に、男は驚いたようだった。俺の言葉に慌てて、でも意を決したように口を開く。
「あったかい部屋で、寝たい……」
男の手を掴めば、彼は必死にしがみついてきた。
俺よりも頭一つ分は大きいだろう身長なのに、ひどく痩せていて猫背で、なにより冷たい。
ただ、振られた直後の俺にはちょうどよい体温だった。