星を抱いた日
星を売ってるんだ。
古びた街の小汚い裏道で、その人はたしかにそう言った。目が隠れるくらいに帽子をかぶり、長いコートを着て、なんだか全体的によれよれな人だった。
裏道なんて、やっぱり通るんじゃなかった。
反省しながら足早に通り過ぎようとしたとき、その人はゆったりと立ち上がって、
「星をね、売ってるんだ。買ってやってくれないか。」
と言った。
会わせてあげたいんだ。
不思議な声で、ささやくように言った。男か女かもわからない、まるで風のような声だった。頭の中に直接聞こえてくるように響いた。
「いくらですか。」
自分でも驚いた。理性は全力で変な人だと警戒しているのに、言葉が勝手に生まれたがっているようだった。
その人は手に抱えていた真っ黒な風呂敷を差し出しながら「よかった、」とつぶやいた。
「今日帰ってしまうから。最後に会わせてあげられそうで、よかった。」
お代はいらない、もうもらったから。
そう聞こえた瞬間、風だけが吹き抜けた。目の前には落ち葉が舞っていた。
家に帰って風呂敷を広げてみると、からっぽの一升ビンが出てきた。どこかの地酒だろうか、やたら達筆な字で「鬼殺し」とラベルが貼ってある。こんな名前のお酒、絶対に飲みたくない。
「やっぱり変な人だったんだ。」
わたしはなんとなく風呂敷を包みなおして、ベランダの大きなゴミ箱に入れた。やっぱり騙されたわけだけど、まあお金は取られてないし、ビンは今度のゴミの日に出せばいい。風呂敷も捨ててしまおう、なんか気持ち悪いし。でもあの人が言ってたお代って、お金でないのならなんなのだろう。
ふとそう考えたとき、窓ガラスを叩くような軽い音がした。カーテンをめくると、小さな白いふわふわした光があふれていた。
「えっ、」
夢?
それともわたしは目がおかしくなったの?
混乱していると、その白いふわふわたちがもう一度窓ガラスを叩いた。
「ねえ、はやくあけてよ。しめだすなんてひどいよ。」
「なんかもうめんどうだよ、あけちゃおうよ。」
「だめだよ、この人はぼくたちをおくってくれるんだよ、やさしくしなきゃ。」
呆然としているわたしを尻目に、なにか言いながらふわふわたちは勝手に窓を開けはじめた。
「おっじゃましまーす。」
ふわふわが部屋に入ってきたとたん、今度こそわたしは腰を抜かしそうになった。ふわふわが、小さな子どもたちに姿を変えたのだ。たくさんの男の子、女の子。どの子も白く淡く輝き、透けそうな頼りなさでわたしを見上げて笑っていた。
「ぼく、おかあさんにあいにいかなきゃいけなかったの。でもまちがっておちちゃったの。」
「おかあさんがまってるからいそいでいかなきゃ。だっておかあさんないてるんだもん。」
「わたしね、やさしいおとうさんがいるおうちにいくんだよ。」
「ぼくのおかあさんだって、おいしいごはんつくるもん。おとうさんイケメンだもん。」
「ねえ、おねえさん、ぼくね、おおきくなったしゃしょうさんになるんだよ。おねえさんものせてあげるからね。」
あっという間に、わたしはふわふわの子どもたちに囲まれてしまっていた。
なんなの、いったいなんなの。
「頭爆発しそう。」
わたしは思わずつぶやいた。ちょっと頭も痛いかもしれない。
「だいじょうぶ、ぼくはずっとそうだよ。これからがたのしみすぎて!ねえ、ぼくのおかあさんはどんなひとかなあ。」
わたしにとなりにいた男の子がそう言ったとき、また窓を叩く音がした。とたん、ふわふわの子どもたちはわたしにひっついてきた。
「なっ、ちょっとひっぱらないでよ。痛いじゃない。」
全身にはりつかれてふらふらしていると、窓から今度は黒い帽子と黒いコートをきた男が入ってきた。
「やあやあ、遅くなってしまった。やつめ、こんなところに隠すなんて。探すのに苦労するわけだ。まあいいや、お迎えにきたよー。」
子どもたちの力が、うんと強くなった。
「あいやあ、これはまた嫌われてしまったなあ。まあ因果な商売だから仕方ない。さあ、もう行かないと。おまえたちはもうここにいちゃいけないんだ。」
子どもたちの頼りなさが、どんどん増していく。だれなの、こいつは。みんななにを怖がってるの?
「いかないやい。おいらたちは、かえるんだい。」
「そうだよ、おにごろしのおにいちゃんが、もうちょっといてもいいって、いってたもん。」
「あちゃー、あの鬼殺しのやつ、またいい加減なこと言って。困ったなあ。」
いつの間にか、黒い男はしゃがみこんで子どもたちをみつめていた。
「ええかあ、あのお兄ちゃんは、逃げちゃって今どこにいるかわかりません。なので、そんな人のことは忘れて、お兄ちゃんと帰りましょう。」
ふわふわの光が、ちょっとずつ弱くなっていく。それが、なんだかとてもかわいそうに思った。
「あの、」
わたしは黒い男に話しかけた。
「あの、ここ、わたしの家なんです。土足で入るの、やめてくれませんか。」
男はまるで今はじめてわたしに気付いたかのように目をしばしばさせて、
「あいや、あんた誰?」
と言った。
「それはこっちのセリフです。あなたこそ誰ですか。なにしてるんですか。」
「おれ?おれはねえ、星を届けて、ときどき拾って歩いてる。落ちてしまった、かわいそうな星をね、また空に放り投げるのさ。」
男はふわふわの一人の頭に、ぽんっと手を置きながら答えた。
「この子たちはなあ、この世界に降りてくる途中に不幸にも落ちてしまって、行く予定のところに行けなかったんだよ。だからな、」
帽子と長い髪の毛のすき間から見える男の目は、かすかに悲しそうに見えた。
「こうしておれはまた拾い上げて、一緒に次のチャンスを待つのさ。」
男はそういうとまたしゃがんで、子どもたちに「さあ、もう行こうなあ。」と囁きかけた。
「きっとまた、いいお母さん探してやるからなあ。ちゃんと連れてってやるから。今回は諦めようや。」
わたしはもう、なにも言えなかった。
ずらずらと子どもたちはまた窓から出て、ふわふわの光に戻っていく。白も黒も、どうしてこんなに悲しく光るんだろう。
「でも、」
最後の女の子の背中を男がそっと押したとき、涙声がした。
「でも、おかあさん、すっごくないてたの。わたしがいなくなったって、ないてたの。」
外では、ふわふわたちの泣き声が響いていた。
「あの、この子たちが今のお母さんに会うことは出来ないんですか?」
わたしは、女の子のとなりで帽子をさらに深くかぶりなおしていた男に尋ねた。
「…この子たちがな、落ちたのには理由がある。」
しばらく考え込んだ後、男は少し低い声で言った。
「まあ、この子みたいにふいに風が吹いて落ちてしまった子もいるんだけどな、こればっかはどうしようもねえ。親も子も、悲しいけどな。でもここにいる大半は、もっと悲しい。こんな子いらない、子どもなんて困る、これ以上子どもなんてどうやって育てるの、なんていう一言で、この子たちはあふれてしまった。すぐ手が出たり、自分だけが大切としか思えなかったり、そんな親のところには行かせられんと、おれが落とした子もいる。」
男ははじめてわたしに目線を合わせた。
「あんたは、この子たちに、そんなとこに行けというのか。」
鋭い目だった。
「あんただって、そんな家で暮らしたから、鬼殺しにビン押し付けられたんだろうが。」
その通りだった。
毎日を、あの家で暮らしていくのはとても難しいことだった。だからだろうか、新しい毎日を作り出すことがこんなにも怖いのは。
「鬼殺しはな、その名の通り、鬼を殺す。鬼を食ろうて生きる。あんたはあんたの鬼と引き換えに、この子たちを押し付けられたんだ。この子たちを見送るのを、あいつは毎回辛がっとった。自分が食いきれんかった鬼のために落ちてしまったわけだからな。まあ、別のおせっかいもあったんだろうかなあ。」
そう言うと、男はわたしの頭をぽんっと叩いて、
「だからな、」
と笑った。
「だから、あんたはもう大丈夫だ。よーくがんばったなあ。」
そう言うと、泣いていた女の子を抱っこして、男はふわふわの光たちと夜の空へと消えていった。
「おねえちゃん、ばいばーい。」という沢山の声に乗って、「あんたんとこにも、必ず届けるからなあ。」という声が聞こえた気がした。
気がつくと、すっかり朝だった。
夢だったの?そんなありがちな。
そう思いながら、それでもわたしはケイタイを探して、恋人に電話をかけた。
ベランダに一升ビンはなかったけれど、真っ黒な風呂敷には沢山の淡い光が浮かんでいる。この呼び出し音の中に、無数に輝く希望なんてなかったとしても。
「ねえ、結婚しようよ。」
寝ぼけ声の恋人が急に慌てふためく気配が聞こえて、わたしは笑った。