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雪女の真実

「さっむーいっ」


 帰ってくるなり彼女はそう言いながら勢いよく僕にぎゅっと抱きついてきた。

 思ったより帰りが早かったな。

 筋トレを前倒しで始めておいて良かったよ。


「たりなーい」


 彼女が甘えるように突き出した唇に応えると、背中に突然の悪寒。

 火照っていた体は急激に温度を失ってゆく。

 魂が抜かれているのではと錯覚するほどの脱力感。

 思わず壁に寄りかかると、彼女は花から飛び立つ蝶のように僕の腕の中から抜け出した。


「ありがと」


 彼女は部屋の奥へと消え、衣擦れの音が聞こえ始める。

 僕はすぐさま熱めのお茶を注ぎ、紫色に変色しかけた唇へと当てる。

 湯気を吸い、口内をその熱に馴染ませる。

 それから一気に飲み干した。


 温度が、僕の喉へ、胃へ、お茶が移動するのを教えてくれる。

 肩の震えが止まったのを確認し、風呂場へと直行する。


 トレーニングウェアを脱ぎ、浴槽の蓋を外すと、立ち込める湯気が、指先の凍えを解いてくれる。

 手桶で浴槽の湯をすくい、自らへかける。

 それを何度か繰り返してからようやくお湯につかった。


 生き返る……瞼を落とし、全神経でお湯を堪能……しかけたとき、風呂場のドアが開く音が聞こえた。


「ね、一緒に入ろ!」


 僕が答える前に、じゃぶ、ざぶ、とお湯に入ってくる音。

 そして大量に浴槽のお湯が流れ出る音と共に、僕の肌に彼女の肌がじわりと触れた。

 鼻の頭がくすぐったくって目を開くと、彼女の顔がすぐ目の前にあった。


 彼女の鼻が僕の鼻から頬を通り耳の後ろへとゆっくりなぞりながら移動してゆく。

 同時に僕の首に回された彼女の手も、じわじわと僕の背中へと。


「浴槽、狭いからあんまりくっつけないね」


 その狭い浴槽の中で、できる限り彼女と密着できるようにと体をずらすと、彼女は僕により近づこうと動きを合わせた。


「ようやくあたたかい」


「本当に寒がりだな」


「雪女だから」


 そう、それ。

 昔話の中の雪女って、吹雪の中に現れて、人を凍死させる怖い妖怪ってイメージだけど、本物は全然違う。


 まずものすごい寒がり。

 そして甘えん坊で、寒がり。

 おまけに寒がり。


 彼女曰く、寒い所に住んでるから寒さに強いってのは間違っている、と。

 人間だって、寒い所に棲む人のほうが着込んでいるでしょって。

 彼女の理屈は時々わからない。


 始めのうちは冗談かと思った。

 雪女が寒がりという部分じゃなく、彼女が雪女だという話が。

 だって肌が氷みたいに冷たいわけじゃないし、手をつないでもキスをしても抱きしめても温もりを感じるから。


 ただ、さっきみたいに実際に熱を奪われてみると、ああそうやって、寒い所でも他の生き物から熱をもらってしのいできたんだな、という実感は湧く。


 でもさ。雪女って、人間みたいに普通の食事を体内で熱量に換えるんでも十分に生きていけるみたいなんだ。

 どうして熱を奪うのかを聞いたら、真冬になるとめげるからって。

 もうずっと布団の中で冬眠していたいそうです。

 好きな季節は夏で、嫌いな季節は冬。

 雪女が、だよ?


 今は夏だけど、冷房でかなり芯から冷えてしまうらしい。

 だから外は暑いってのに寒い寒いと言いまくるわけ。


 最初はただのイタイ子なのかなって思ったよ。

 でも、一生懸命説明してくれる彼女の真剣な眼差しを見ているうちに、僕は彼女を信じることに決めたんだ。


 そうそう。

 小泉八雲の雪女の話は雪女側でも伝えられていて、あれはもともと真冬に、前々から好きだった男が避難してたのを見かけ、心配で様子を見に行っただけなんだって。

 そしたら爺さんの方はもう凍死していたと。

 あんな時代の粗末な小屋に、あんな軽装で、冬の雪山を舐めるんじゃないと。

 で、「あちゃー、爺さんの方はもうダメか」と覗き込んでいたら、好きな男が目を覚まして慌て始めて、あらぬ誤解をされて、雪女の方もテンパっちゃって、ついツンデレに照れ隠しを暴発させて逃げ帰ってしまったと。

 それでも男のことが忘れられず、とぼけて押しかけ嫁になったものの、夫婦として仲良くやっていたある日、爺さんと口吸いしてたでしょってとんでもない不名誉な事実無根の濡れ衣を着せられて、怒って呆れて悲しくて実家に帰ったと……雪女界ではけっこうな冤罪話として伝わっているそうだ。


 確かに僕は幾度となく熱を奪われているけど、熱いお茶やお風呂ですぐ回復するし、こうして今も生きている。

 雪女って、人間と共存できる妖怪なんだなって。


 一度、直にお茶やお風呂を勧めたことがある。

 でも、そういう熱と、生物からもらう熱とはまるで違うらしい。

 彼女に言わせると、食べ物と食品サンプルぐらい違うと。

 それとも私とキスするのはイヤなの、とか聞いてくるあざとい所も可愛くって。


 彼女の顔が再び僕の目の前に戻ってくる。

 その愛おしい表情にたまらなくなって頭を撫でた。


「キョウイチであったかい。キュンキュンくる」


 彼女の唇が僕の唇へ、今度は優しく重なる。

 熱を奪うためじゃなく、恋人同士のキス。

 雪女を寒さから救えるのは、物理的な熱だけじゃないんだってさ。




<終>

雪女

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