仲たがい
昨晩の…埋め合わせで優は恵まれてる…あれは私の無意識が考え出した言い訳なのかな…。だから優より優れてないのは当然なんだよ、みたいな。そう考えるとやっぱり私の妄想な気がするなぁ。ユーディは信じてって言ってたけど…。
愛理はそんな事を考えながら優と一緒に登校していた。優と愛理が教室へ一歩足を踏み入れると、一斉に教室内がひそひそ声でざわついた。ちらちらと二人を見る好奇の視線。不穏な空気を感じ、二人とも反射的に立ち止まった。
へ? 何?
優が先に中へ入った。教室の前のホワイトボードに何かかいてあるのが目に入る。
見ると、オーソドックスに、アイアイ傘に優と愛理の名前が書かれている。ホワイトボードの真ん中には大きなサメとその下にひっついている小判ザメの絵。大きなサメには矢印で『優サメ』と書かれ、小判ザメには矢印で『愛理 いつもひっつきまわってまーす』と書かれてある。『最近、密室で二人でラブってるの はぁと♪』という文字も書いてあった。
何、これ…。
優は、つかつかとホワイトボードの前まで行き、冷静に見えるが怒りを秘めた顔で全員を見渡しながら、ホワイトボードに拳をバンッと叩き付けた。その振動で置いてあった白版消しが転げ落ちた。
「誰だよ!これ書いたヤツ!」優は教室にいる全員を睨みつけながら声を荒げた。
優の迫力に、さっきまでひそひそとざわついていた教室が一瞬でシーンと静まり返った。
「さあね。来たらかいてあったらしいよ」
しばらくの沈黙の後、クラスメートの一人、鈴木未咲来が口を開いた。両腕を前で組んで挑戦的な態度で、優に向かって話し続けた。
「まぁ、あながち間違っても無いんじゃない? あんた達が中学の頃から行きも帰りもいつも一緒なのはみんな知ってるし」
「間違ってるけど?別に変な関係じゃないし。それに、一緒でなんか悪い?」優はそう言うと、さっき転げ落ちた白版消しを拾って手早く全部消し去った。
「フッ。悪いってか、異常でしょ? いつも愛理が優が部活終わるまで待ってたし、最近は待たせてるって噂だし。そこまでするってどうよ? 優にその気がなくても愛理はどうなのかなー?」未咲来は両腕はずっと前で組んだまま、最後は茶化すように言いながら、入り口の所で棒立ちになっている愛理に意地悪そうな目を向けた。
「ちがっ…」愛理は震える声で小さくそう呟くと、耐えられなくなって、そのまま走り出て行った。
優は、すぐに愛理を追いかけようとした。が、戸口の所で一瞬立ち止まり、教室の中を振り返って大きな声で言った。「はっきり言っとくけど、終わるまで待たせてたのは私の方。今も私が勝手に待ってるだけ。」そう言い残すと愛理の後を追った。
「愛理!」
「来ないでよ! また言われるじゃない」愛理は一瞬振り返ってそう言い放ち、登校してくる生徒達の中を逆流した。
なんで、なんであんな言われ方しなきゃならないの! 私が優にひっつきまわってるって何?! ひっつきまわられて鬱陶しいと思ってるくらいなのに!
「愛理! 待てって」追いついた優は、そう言いながら愛理の肩に手をかける。
「触らないで!」愛理は優の手を激しく払って、嫌悪感を顕にした表情で優を睨んだ。
! 優は、目を見開いて固まった。「なんで…」優は凍りついたかのように微動だに出来ず、愛理を見ながら小さな声でそう呟くことしか出来なかった。
愛理は何も答えず、走り去った。
愛理、なんで?…追わなきゃ。
優は唇をかみしめて、愛理の後を追った。
「愛理。どこ行く気だよ。」
「どこか」
「どこかって…制服でこんな時間に外ウロウロしてると目立つだろ」
それは確かに…。どこ行こうか…。
「うち行こ。うちの親は夕方まで戻らないからさ」優はなだめるように言った。
うちは母親がいる…戻れない。けど、優の家に優と一緒に居るなんて、それは絶対に嫌!
「もう、放っておいてよ! 勝手にするから」愛理はヒステリックにそう言い放つと、走って行った。
優はもう、追えなかった。
愛理はこっそり本館の部室に上がって、机に顔を埋めた。ここなら、誰にもみつからない。授業サボるなんて初めてだな。
そうしている内にいつの間にか眠って居た。結局、愛理は一日ずっと部室で過ごした。家へ帰ると自分の部屋に閉じこもり、机に向かって頬杖をついた。
そう言えば、長い付き合いなのに、優とは喧嘩らしい喧嘩なんてした事なかった。こんなの初めてだ。優にあんな酷い事言ったのも初めてだし、優のあんな傷ついた顔見たのも初めて。私、酷い事した…わかってる…けど…優がひっつき回るから悪いんだ…ううん、優は悪くない。あんなくだらない事、書く奴が悪い…でも優がひっつき回るからだ…
考えがどうどう巡りしている内に、自然とウクレレに手が伸びていた。
ああ、良い音。ウクレレを弾いてると少し落ち着く、音を聴いてると癒される気がする。
しばらくすると、ウクレレを弾く愛理の表情は少し落ち着いて来ていた。その時、突然部屋の扉がバンッと開いて、目のつりあがった母親の顔が現れた。
「うるさい!テスト前でしょ、勉強しなさい!」それだけ言って扉をバンッと閉めた。
愛理の表情は一瞬で凍り付いたようにひきつった。
いつものヒステリーだ。もぅ、なんなのよ…
ウクレレを抱きしめると、涙が溢れ出した。
なんかすごく哀しい…? 悔しい? もう、なんだかわかんない…。とにかく、最悪。
「おはよ」次の朝、マンションのエレベーター前で、いつものように優は愛理を待っていた。
「おはよ」愛理は、顔も見ずに挨拶だけ返した。エレベーターの扉が開いて二人は中へ乗りこんだ。
「バラバラで行こ」素早く『閉』と『1F』のボタンを押しながら、愛理が言った。
「へ…そんなのあいつらの言う事認めたみたいじゃん。違うんだから、変える事無い」
「…けど、また何か言われるでしょ」
「今日から中間テストだし、みんなそれどころじゃない。きっともう忘れてるって」
「そうかな」
「放っておけば良いじゃん! 今までだってそうしてただろ?」
そう。放っておけば良い。昨日ほどの事は無かったけど、今までもそれに近いような事は何度か言われて来た。いつも放っておいた。放っておけば良いと頭では思う。なのに、今回は出来そうにない。
「優は…優は良いかもしれない。後追いかけまわしてる。異常だ。って言われるのは私の方だもん!」また声を荒げてしまった。ああ、もう嫌だ。早く下へ着け!
「あれ…、あの後きっちり訂正しといたから。待たせてたのも、待ってるのも私の方だって」
「そんなの…信じてくれるわけないじゃない。優が私を庇ってるって思われるに決まってる」
優は黙り込んでしまった。
エレベーターが一階に着いて扉が開くやいなや、愛理は優を振り返りもせずに走り出して行った。
優は、自分の部屋で、ベットの上に大の字になって天井を眺めていた。
くそっ。愛理のヤツ、なんなんだよ。帰りも勝手に先に帰っちまったし。
優は天井を見たまま、そばに転がっているはずのバスケットボールに片手を伸ばした。指がボールに触れると、手の感覚だけで、ひょぃっとバスケットボールを拾いあげ、お腹の上で抱えた。
最近、愛理の様子がおかしいのには気づいてた。あんまり笑わなくなってた。皮肉っぽい事ばかり言うようになってた。一体、私が何したってんだよ! って叫びたい気分だった。だけど、なんとなく理由はわかってた。愛理のお母さんが、私と愛理を比べるから。愛理のお母さんが、私ばかり褒めるからだ。
優はお腹の上のバスケットボールを見つめた。
だからバスケ、やめたのに…。シュートが嫌なのは…嫌な感じがするのは確かなんだけど…。ほんの少しだけ。全体の面白さ考えたら、あんなの大して気にもならない。本当のやめた理由は、愛理。これ以上、バスケでもてはやされたら、愛理の立場、益々辛くなるはずだから…。私は、愛理の事、それくらい大切な友達だって思ってんのに。なんでわかってくれない!あんな顔されるなんて…あんな態度とられるなんて…どうしたら良いのかわからない。あれって完全に拒絶じゃん。あんたなんて大嫌いって。そう言われてるようにしか思えなかった。なんでだよ…。
優はバスケットボールを部屋の壁に投げつけた。ボールは跳ね返って、足にあたった。
「って。くそっ」
優の目から、足の痛みとは別の理由で涙が溢れ出して止まらなかった。
「くそっ! くそっ! くそっ!」優は仰向けのまま両手を拳にしてベットに激しく叩き付けながら、泣きながらそう叫んだ。