浄化
《浄化》
今日も目を覚ますと、昨日の薄暗い殺風景な景色が広がっていて、目の前にあの素敵なユーディが居た。三日月形の大きな鎌も不思議な目の色も青い炎のような雰囲気も昨日と同じ。
これ、夢のはずなんだけど、やっぱり全部はっきりしまくってる。で、やっぱりユーディは優だ。何故かユーディを見ると一瞬でそう確信する。あっちでは、どうしてそんな風に思ったんだろう?って不思議に思ったのに。
「あの…あっち?の優の意識?ってあるの?」
「あるよ。向こうで起こった事は全部知ってる。そもそも、向こうでも優にはいつもユーディがついてる。稲刈りだったら良いんだけど」そう言うとユーディはフッと笑った。
稲刈り…あっちでの優との会話。「じゃあ優もここの事覚えてる?」
「いや。今の愛理のようには覚えて無い。夢の一部として断片的になら覚えてる可能性はあるけど。…ただ、優の無意識はしっかり覚えてる。」ユーディは昨日と同じに淡々と話した。
ぁぁ、また小難しい事を…。
「無意識って…」
「意識できない意識。だから、はっきりとは認識できない。でもなんとなく感覚的にはわかってる。みたいな」
んー?わかったようなわからないような…
「例えば、優に当てはめて言うなら、自然と愛理を守る事をしているはず。昔からずっとね。こっちでやっているアイリーンを守るって事は無意識ではしっかり覚えているはずだから」
優に守られた事なんてあったっけ?
愛理は自然と小首を傾げていた。
「愛理の方の無意識も優に守られるのは当然の事と受け止めているはずだから、守られてるって事を感じるのは難しいとは思う。まぁ、こっちでの記憶が残ってる今の愛理なら、向こうへ戻った時に、ちょっと考えてみれば認識できるかもしれない」
愛理は小首を傾げたまま、曖昧に頷いた。
「それと、アイリーンへの強い憧憬の念」
「憧憬?」
「あこがれ。その気持ちも優の無意識に強くある」
「優が、あこがれるの?あっちでは優がみんなのあこがれの的なのに」
「アイリーンはとても素敵だ。歌っている時は特にそう。愛に満ちた姿も歌声も全てが素晴らしい。ユーディも優もあこがれている。あこがれないわけがない」そう言いながらユーディの表情は珍しく緩んでいた。幸せそうな表情になっている。
歌?アイリーンは私…確かにこの姿はすごく素敵。私もなんて綺麗で愛らしいんだろうって思ったけど。ユーディだってかっこ良くてすごく素敵だし…あこがれる?
「さぁ、愛理、歌って」
「へ?」急に何言い出すの?
「それが、アイリーンの、愛理の使命」
「はぁ? 何…私、歌は…すごい下手で、音痴では無いとは思うんだけど…人様に聞かせるようなモノでは…」愛理は慌てて拒否した。
わりと何でもそれなりに、人並みには出来るけど、歌だけは、平均以下どころか、頑張って練習してみても全くどうにもならなかった。とっくの昔にもう諦めたんだから。
「大丈夫」ユーディは愛理の目をじっとみつめながら言った。
「大丈夫じゃない。私の下手さを知らないからそんな事…歌、キライじゃないけど…上手い人見るとあんな風に歌えたらどんなに気持ち良いだろうってホントに羨ましく思うけど…自分で歌うとあまりの下手さに落ち込むんだから。それくらい下手なの」愛理は必死に説明した。
ユーディは含みのある笑みを浮かべた。「いいから、歌って。私が付いてるから大丈夫」
ぃゃ、付いてるとか付いて無いとかって、そういう問題じゃ…「ユーディが付いてたって、下手なものは変わらない…それに…突然何もなしに歌えって言われたって…ねぇ」ほら、無理でしょ、これで諦めてよ。
「あ、そうか。今、意識があっちの愛理なんだもんね。んー、じゃ、『アメージング・グレース』。知らないとは言わせない」そう言って、ユーディはいたずらっぽい表情を見せた。
ああっ、今の顔、すごく優っぽい。
「歌詞がわからないなら、ハミングでもOK」すぐに元のクールなユーディに戻っていた。
OKって…私はOKくないです!私のド下手な歌、ユーディに聞かれたくない。「ダメ、無理だから」
「愛理が歌えばアイリーンが歌いだすから大丈夫。」
アイリーンが歌いだす?
「アイリーンは霊界でも屈指の歌い手だ。『アメージング・グレース』はアイリーンの十八番なんだよ。ステージではいつも歌ってる。向こうの優がこの曲に惹かれる理由でもある。これも無意識。ちなみに、愛理がウクレレに惹かれたのも向こうへ行く前こちらでウクレレに関わっていたから。」
あ、ウクレレ…それは、すごくわかる。むしろそう言ってもらった方が納得できる。
「信じて歌って。愛理はアイリーンでもあるんだから」
「けど…」
「これが、使命なんだよ。歌は…音は、振動。全ての物に浸透する。この場所に上手く隠れている邪悪なヤツらは、愛に満ちたアイリーンの歌に触れると耐え切れなくなって姿を現す。それをこの鎌で刈り取って、本来あるべき場所へ送るのが私の役目」ユーディは青白く輝く三日月の大鎌を掲げた。鎌がキラリと光る。
愛理は鎌を見上げた。
すごくきれいな鎌。
「『天翔ける銀の月』」
「え?」
「この鎌の名前。」ユーディは誇らしげに鎌をみつめている。
「素敵な名前」
「ああ。とてもね」
「その鎌で…刈り取るって?」
「まあ、見ればわかるよ」そう言って、ユーディは少し口の端をあげた。「それだけじゃない。アイリーンの歌は無気力なここの住民にも効果がある。人は元来、愛に触れると愛に目覚めるもの。意識するしないは別としてね。劇的な変化は目に見えなくても、アイリーンの歌は、確実に彼らにも効果がある。さぁ、歌って。何があっても、私を信じて歌い続けて。」
「いや、けど、やっぱり歌は…」
躊躇する愛理をユーディは赤を秘めた青の目でじっと見つめて言った。
「必ず守るから」
愛理はユーディに、力強く、それでいてやさしく包み込まれるような気がした。
良くわからないけど…歌ってみよう、ユーディを信じて。
『アァーメーージーングレーース…
何?!これ…こんな声、出た事ない。すごい! こんな上手く歌えるなんて、なんて、なんて気持ち良いんだろう。しかも歌と一緒にきれいな光の波紋が無数に重なり合って私の周りに広がっていく。私自身が広がっていくような感覚。私だけじゃない…私じゃない? 私を通して、アイリーンが歌ってる? ぁぁ、でも、この感覚、知ってる。覚えてなかっただけで、いつもこっちではこうやって歌ってたんだ!
すぐに周辺から何か黒いモノ達が一体、二体と飛び出して来た。
あれは何? すごく不気味で嫌な感じがする何か…。
『歌って。何があっても、私を信じて歌い続けて。必ず守るから』さっきのユーディの言葉が愛理の頭に響いた。
歌い続けなきゃ。ユーディを信じて歌い続ける!
ユーディが空を翔けめぐって、両の手で銀の三日月型の大鎌を振り下ろしている。遠くてはっきりとは見えないが、ユーディの鎌に触れると、黒い『何か』は一瞬で消えていく。
刈り取ってる? あれが、あの黒いのが邪悪なヤツらなんだ。
愛理は歌いながら、ユーディが鎌を振り下ろす姿を見ていた。
私の方へ向かって来ようとするのを確実に刈り取ってくれている。ぁぁ、この光景…見覚えがある。夢で見た夜空を翔ける銀の月…ユーディの鎌だったんだ。月だと思った鎌だけじゃなく、ユーディの姿もはっきりと見えるけど。ユーディはいつも、ずっと、こうやって私を守ってくれてたんだ。
愛理の中にユーディへの感謝の気持ちが溢れると同時に、自然と涙が溢れだした。突然、愛理の、アイリーンの歌が放つ光の色味と明るさが増した。七色に輝いて…七色以上、見たことの無い美しい色彩を帯びた光が広がっていく。と、さっきより多く黒いモノ達が飛び出してきた。数体が愛理に一直線に向かって来る。それは人の形はしていないが、何か粘り気のありそうなドロッとした黒い塊…それには顔のようなモノがあった。物凄く不気味で恐ろしい形相をしている。
「キャッ!」
愛理はとっさに歌うのをやめ、頭を両手で抱えその場に屈み込んだ。すぐに、そばで、ザクッ、ザクッと何か生々しい音がした。
「アイリーン、愛理。もう大丈夫。終わったから。」ユーディの声に顔をあげると、心配そうに覗き込むユーディの顔があった。
「怖い思いさせてゴメン。大丈夫?」
愛理は無言で頷いた。
ユーディは愛理の涙をやさしく手で拭うと、何かに気づいた様子で愛理を包み込むように抱きしめた。愛理の体の震えが止まった。
あ…私、震えてたんだ…。
「良かった。怖い思いさせたね。ゴメンよ。けど、いつもは刈れなかったのが刈れた。ああいうのがしつこく潜んでいると、いつまでたってもここは向上できないから。…有難う。さっきのは愛理の私への気持ちのお蔭だね。歌の愛が増したから、いつもなら我慢しきって出てこないヤツらが耐え切れずに出てきた」
「愛って、私は別に…そんな…」だって、ユーディは優なんだし…愛なんて有り得ない。
「感謝の気持ちも愛の一種だよ。」
「感謝…それなら、確かに…」
「こちらでは、向こうみたいに気持ちは隠せない。思った事はすぐ伝わるし、表面にも出てしまう。嘘はつけない。」
「表面に出る?」顔に出るって事?
「愛理が私の事好きなのもわかってる」耳元でそう言うと、ユーディはクスッと笑った。
「へっ」愛理は、思わず両手で頬を隠した。
「愛理の服、桃色がさっきより増してるよ。」そう言って、ユーディは優が良くするいたずらっぽい顔をした。
え? 顔じゃなくて服?色? そう言えば、そんな気も…。
「向こうへ戻っても、今の…さっきの私への気持ち、覚えていて」
「さっきの…ユーディへの感謝の気持ち?」ユーディの顔を問いかけるように見つめる。ユーディはやさしい微笑みを浮かべて頷いた。
ユーディはいつも私を守ってくれていた…夜空を翔ける銀の月…
三日月の大鎌を手に空を翔けめぐっていたユーディの姿が思い出された。
ユーディ、自由に空を翔けめぐってた…?
「翼がなくても飛べるんだ…」愛理はボソリと呟いた。
「え? ああ、飛べる。翼は必要ない」
「気持ち良さそう」
「ふっ。愛理も飛べる。飛ぶ? 飛んで」ユーディがそう言うと同時に、愛理はユーディに抱きかかえられたままスーッと宙に浮きあがった。
「わっ」浮いた!?
あっと言う間に10m程浮き上がっていた。
「離すよ」
「へっ、ちょ…待って」慌ててユーディにしがみつく。
「大丈夫、ちゃんと自分で飛んでる」
「嘘? 無理!」更に必死でユーディにしがみつく。
ユーディは、呆れた風な顔をした。
そんな呆れた顔されても…けど、今、そんなの気にしてられない。離されたら落ちる。
「まぁ良いか。良く見渡せて丁度良い。見て愛理。この場所」
ユーディに言われて、しがみついたまま、見渡してみる。
なんだかすっきりとした清々しいような感じがする。あんな風に歌えたからかな? …違う、私の問題じゃない。歌う前に比べてこの場所、ここの全てがワントーン明るくなったような…もやがはれたようにクッキリしてる。この場所自体が変わった?
「なんか、ここ、もう少し、暗かったよね?」しがみついたまま、ユーディの顔を見上げる。
ユーディは頷いた。「私達の仕事が成功した証拠」そう言ったユーディはどこか誇らしげな顔をしていた。
ああ、やっぱりユーディはとてつもなく素敵です。それに、歌…歌うのすごく気持ち良かった。なんかすごく幸せ・・・
昨晩の夢…夜空を翔ける銀の月…三日月型の大鎌『天翔ける銀の月』を手に空を翔けめぐっていたユーディ…ユーディは覚えててって言った…ユーディへの感謝の気持ち。覚えてる。涙が溢れたのも覚えてる。ユーディは、優…。
愛理はすぐそこに居る優に目をやった。今日もウクレレ同好会の部室でマンガを読んで愛理が帰るのを待っている。
テスト前なのに、せめて勉強でもして待ってれば良いのにさ。って、優はしなくてもそこそこ良い点採れるから必要ないのか。このマンガ読んでる優と大鎌を手に空を翔けめぐっていたユーディが同じって、やっぱり思えない。一瞬すごく優っぽい表情はしたけど…。 けど、歌は…あの歌、すごかった。気持ち良かった。願望なのかなぁ…あんな風に歌えたらどんなに良いだろう。本当にすごく気持ち良かった。ただの夢で良いからもう一度見たい。歌いたい。 ちょっと歌ってみようか…
『アァーメーージーングレーース…』
げっ、やっぱり超下手っぴだ。
「何? 今日は歌うんだ? 珍しい」優は顔をあげて、不思議そうに愛理を見た。
「歌うわけないでしょ。ちょっと試しただけ」
「歌っても良いよ。なんならカラオケ行く?」優はいたずらっぽい顔付きで言う。
ああ、これだ。昨日ユーディがすごく優っぽかった時の顔。
「行かない。超へたくそなの知ってるくせに」会話しながらも、愛理の頭にはユーディの顔が浮かんでいた。
「んー、愛理、音痴では無いと思うけどね」
そう。決して音痴では無い。声が出ないだけで。小学校の時、歌の特訓に付き合って貰ったので、優は私の歌がどんなモノなのかとても良く知っている。結局、私に歌は無理って結論に至ったわけだけど。優だけの前なら、下手くそな歌を歌っても別に気にもならない。今更だし。あ、けど、優にはいつもユーディが付いてるって言ってたっけ?もし本当にそうなら、やだな。ユーディには聞かれたくない。
「ま、ウクレレ演奏の方が良いかなー」そう言いながら、優は行儀悪く机に足をかけ、座ってる椅子の足を浮かせユラユラと揺らした。
「だよね」それは激しく同感。
優はまだユラユラやっている。やっぱり、これが、あの素敵なユーディのはずないか…。




