愛理と優
銀色の三日月が夜空を翔けている夢を見た。
キラキラと輝いてとても綺麗だった。
聖イリス女学院。カトリック系の中高一貫の名門私立女子校。俗に言うお嬢様学校。お上品なお嬢様ばかり居るのかと思われがちだが、実態はその逆で、共学に通う女子の方がよほど女の子らしい。男子の目が無い分、行儀が悪かったり口が悪かったりする子が少なく無い。そして男子が居ない所為なのか、男の子っぽい子が一学年に数名は現れ、後輩なんかにキャーキャー言われる存在になる。今、私、水瀬愛理の目の前に居るのがまさにそれ。スカートなのも気にせずに股を広げて椅子に座り、思いっきり大あくびをしている。
「あー、ねみぃー。眠くて死にそー」
私の幼馴染みでクラスメートの望月優。私と優は高校一年生。けど、中高一貫なので、特に受験勉強が必要だったわけでもなく、校舎もすぐ隣り、クラスメートもほぼ顔見知りで、あまり新鮮さはない。優は、元々ボーイッシュな子だけど、最近更に磨きがかかってきていて、清楚感を前面に押し出した聖イリス女学院の可憐な制服姿に違和感がある。やや面長のハーフといっても通りそうな整った顔立ちで、身長は170㎝に届こうとしている。髪も短くカットしているので、服装次第ではきれいな少年で通る。要するにかっこ良い先輩って事で、後輩達の間ではかなり人気がある。この学年では間違いなく一番人気じゃないかな。
「なぁ愛理、私ちょっと寝るから、昼休み終わったら起こしてよな」優はそう言い残すと、愛理の返事など待たずに机につっぷした。
最近、優の一人称がとりあえず『私』なのが唯一の救いの様な気がしてきている。私と優は見た目も性格も全然違う。私は見た目も成績も全てにおいて平均点レベルの普通の存在。メジャーかマイナーかでいうとマイナー系。けど、優とは同じマンション同じフロアで育った幼馴染みで、小さい頃からずっと仲良しだった。クラスもたまたまずっと同じでいつも一緒に居る。二人はあやしい関係だという女子高特有のそういう噂も無くは無い。が、そんな気はお互いこれっぽっちも無い。
「あれ?他の部員は?」放課後、優は、ウクレレ同好会の狭い部室に顔を出すと、ウクレレを弾いている愛理に声をかけた。
普段使っている近代的な校舎から離れた『本館』と呼ばれる古い赤レンガ造りの建物に部室はあった。本館には普段事務員のシスター達が居るだけで、ほとんどの生徒は本館に一度も足を踏み入れる事無く卒業する。ここに部室があるのはウクレレ同好会とキリスト教部だけ。キリスト教部は、この学校と所縁のあるキリスト教信者の生徒が数名だけ所属している特殊なクラブなので、唯一本館を使っていたのも頷ける。ウクレレ同好会は他に部室に出来そうな部屋が無く、顧問の先生が頼み込んでなんとかここへ入り込めたのだ。愛理はいつも本館に入ると、教会の中のような、何かひんやりとした落ち着いた空気を感じると思っていた。ウクレレ同好会が使っている二階の東南角の部屋は、せいぜい6畳程の広さの部屋だった。東側と南側にそれぞれ人の幅程の上に持ち上げて開けるタイプの窓があり、初夏の今の季節はそこから木々の新緑の葉が見えてとてもキレイだ。部屋の中には、もう通常の教室では使っていない古い木の机と椅子が4セットと、椅子だけはもう2脚、部屋の隅に並べられている。窓の無い壁側には、これも大昔教室で使っていたと思われる、木で出来た古いロッカーが置いてある。縦3×横3に仕切られ、それぞれに木の扉が付いていて、部員が適当に場所を決めて使っている。扉にあけられている直径2~3cm程の丸い穴に指をひっかけて開け閉めするタイプで、硬くて開け難かったり、ど真ん中の扉に至っては全く開かなくなっていたが、実質、部員は4人だけなので特に問題はなかった。建物自体も学院創設当時の大正時代のもので相当古いが、この部屋にあるものは、どれもかなりの年代物で、木も深い色に変色し、部屋全体にレトロな雰囲気が漂っている。愛理は、この部屋の雰囲気は、やさしい音色のウクレレに良く似合うと思っていた。ここは愛理にとって、何故かしっくりと落ち着ける場所だった。
「みんな来ないよ。中間テスト来週だし」愛理はウクレレを弾く手を止めて答えた。
「愛理は?帰んないの?」
「私は練習してから帰る」
「家でやれば?」
「テスト前に…ってお母さんにグチグチ言われるに決まってる。そうでなくても、家で弾いてると、うるさいとかヒステリー起こされるのに」愛理はうんざりとした様子で言った。
「ふーん」
「私は優と違って成績良くないからね。少しは優ちゃんを見習いなさいってそればっかり言われるんだから」愛理は溜息をついた。
そう。昔からそうだった。優とは同じマンション、同じフロア、同い年で誕生日まで近くて、物心付いた頃からずっと一緒。多分、その前からずっと一緒だったに違いない。赤ん坊の時に一緒に写ってる写真もある。私は優といつも比較されてきた。何もしなくても成績はそこそこ良くて、運動神経はかなり良くて、はきはきしていて、外見も良くて、全ての面でかなり優秀な優と何かにつけ比べられてきた。『優ちゃんを見習いなさい』が、うちの母親の口癖だ。私だって、別に見た目も成績も大体平均点なのにさ。優と比べられたらたまらないっての。
「優、先帰ってよ」
「んー」そう唸ると、優は提げていたカバンを一番近くの机の上に投げ出して、椅子に座った。所詮、机は四つしかないので、どこに座っても愛理との距離は同じようなものだ。優は、行儀悪く立て膝をして、そこに片肘をついて頬杖をし、ウクレレを持つ愛理の手元をぼーっと眺めた。
「だから、先帰ってってば」
「やだ。終わるの待ってる。気にせずに練習しなよ」
「もう、また一人で帰るの寂しいとか、がらにもないこと言うわけ?」
「んー、愛理とならマンションのエレベーター降りるまで一緒だしさ」
「それはそうだけど…朝も別に待たなくてよいけど」
「なんでだよ。どうせ同じ電車乗るんだし、一緒に行けば良いだろ」
「いつも行きも帰りも一緒だから、あやしい関係とかありえない事言われるんじゃない」
「別に、あやしく無いんだし、言いたいやつには勝手に言わせておけばいい。相手することない」
「そーだけど…」愛理は小さく溜め息ついた。
そういう事言われるのうんざりだし。もう、いい加減にしろって感じなんだけどな。「バスケ部、戻れば?」
優は中学の時は、バスケ部中学の部でエースだった。シュートを決める姿とかすごくかっこ良かったし、キャーキャー言われるのも納得できる。なのに、何故か突然やめてしまった。昨日の事だ。きっと今、バスケ部は大騒ぎになってるだろう。私も驚いた。いつもなら、放課後のこの時間は体育館で走り回っていた。こんな所に居るはずなかった。一緒に帰るから練習が終わるまで待っとけと言われて、いつも私が待っていたくらいだ。
「先輩とか先生とかに、戻るように言われてたでしょ?」
「んー。まぁ…」優は曖昧に返事した。
「何でやめたの?」
「んー。なんとなく…シュート決めるのイヤになった」
「は?なんで?気持ち良さそうじゃない。シュート決まれば」
「んー。なんか、イヤで」
「バスケやってる優、かっこ良いのに」
「別に、かっこ良く無くて良いし」
何なんだろう。周りから期待されてるのに、やめるなんて贅沢な話。ま、放っておこう。優が決める事だし。
「ま、そのうち戻るんだろうなーって思ってるけど」愛理は独り言のようにつぶやいた。
「…戻らない。ウクレレ同好会、入ろうかな?どうせ待ってるくらいならさ」
「は?」
ウクレレ同好会は、私が中学一年の秋に作った同好会だ。私は、優とは違って、地味で目立たない。あの優と良く一緒にいる子。と言われるような存在。優と仲良くなければ誰も私の事なんて気にしないような存在。それは自分でもわかっている。同好会を作る様なガラでも無いのだけど、何故かウクレレに関しては、凄く積極的になれた。同好会として認めてもらう為の最低人数を集めるのに、部活やりたくなくて…って人に名前だけ借りてなんとか無理やりにだったんだけど、優は名前を借りる根回しでかなり協力してくれた。きっと、優に頼まれたからってので貸してくれた子も居たんだろうな…ううん、きっとみんなそうに違いない。顧問も当時副担任だった新任の先生に名前だけで良いのでと頼みこんでなって貰った。ウクレレどころか音楽自体に無縁っぽい先生だ。この部室を探してくれたのは先生だったし、事務的な事はやってはくれる。指導は最初から期待していなかったけど、部室に顔を見せる事すらもなく、まぁお蔭で気楽に自由にやってきている。当初は一人で練習していたのが実態だったけど、大体一学年に一人くらいはマイナー嗜好の変わり者が居るらしく、今年も1人、新入生が入部してくれて、今はなんとか、本心でウクレレをやりたいって部員が四人集まった。
「な、部長。部員増えるの嬉しくない?」優がいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「…優が入れば、違う目的の部員が増えそうだけどね。この部室じゃ手狭になるかも」皮肉を込めてそう返す。優が入れば、間違いなく、優ファンも入ってくる。
「ふーん。そういう事言うんだ。ウクレレ買うお金貸してやったの誰だっけ?」
「それは…もう、とっくに返したじゃない」私は、中学にあがると吹奏楽部に入った。けど、どうしても、息が続かないというか、まともな音が出せなくて、無理なのかなぁと悩み出した頃…中一の夏休み。優と一緒に近所の商店街を歩いている時、夏のイベントのハワイアンなんとか、ってので、初めてウクレレに出会った。あのやさしくて包まれるような音を聞いた瞬間、一目惚れじゃなくて、一聞き惚れ(?)してしまって、すぐに楽器店に走り込んだ。でも、それなりに良い音の出るウクレレとなると2~3万円はして、私にはとても手が出せる額じゃなかった。うちの家はお金にはかなりシビアだから、頼んだ所で絶対にそんな額出してくれないのはわかっていた。私立はお金がかかるんだから、と、お年玉も取り上げられてたし。大体、聖イリス女学院に入るのを許してくれたのも、優が一緒だったから。そうでなければ、絶対に私学になんて通わせなかったはず。うちの母親は私が優と一緒に居れば、優秀になると思っているらしい。とにかく、あの時、私に用意できるのはせいぜい数千円どまり。でも、どうしても欲しくて欲しくてたまらなくて、その事ばっかり考えてた時、優が、自分の貯金してたお金をポンッと貸してくれた。『出世払いで良いよ』とかっこつけた事言いながら。あの時は涙が出る程嬉しかった。ま、すぐにウクレレ買ったのがバレて、母親と一緒に優ん家にお金返しに謝りに行かされたんだけど。
「お金返したのは、愛理のお母さんじゃん。でも、あの時、私が貸さなかったら、きっとウクレレ手に入らなかっただろ?」
「それは、そう思うけど…」あの後、毎年お年玉をウクレレ代と授業料と言って母親に没収されてるけど、きっと、ウクレレの件が無くても、お年玉は取られてただろうから、確かに優の言う通りだ。この学校、アルバイトも禁止だし。
「…感謝してるってば」愛理は、渋々そう付け加えた。
優は、満足そうに口の端をあげた。
なんか無理やり言わされた感があるんだけども。まぁ、ウクレレの件に関しては感謝してる。聖イリス女学院では何か部活に入らないといけないなんて規則があるから、吹奏楽はどうも無理っぽいし、どうしようかと悩んでた私に、ウクレレ同好会作れば?って案をくれたのも優だ。名前だけと言っても、部員集めたのも優だし…そう考えれば、私が作った事になってるけど、実際の所、ウクレレ同好会を作ったのは優なのかもしれない。
「じゃ優、ウクレレ同好会の部長、する?」
「へ?なんでさ」
「ん、優が作ったみたいなもんだし。私は、もともと部長ってタイプじゃない。優の方が向いてる」
「んー、やっぱ入んない」優は小さく溜息をつくと、立て膝をやめて普通に背もたれにもたれて座った。「な、愛理、あれ弾いて」
「え、ああ」優の言う『あれ』とは、『アメージング・グレース』。讃美歌だ。いつもはうるさいような曲ばかり聴いてるくせに、何故かこれは聴きたがる。私がウクレレを手にして、かなり初期の頃に練習した曲。私が練習で弾いてるのを聴いて気に入ったらしく、優のリクエストが良く入るので、すぐに楽譜なしで弾けるようになった曲。
「うん。いい。曲自体も好きだけど、愛理の音はなんか違うんだよねー」目を閉じて静かに聴き入っていた優は、曲が終わると、そう言った。
優はいつも素直に褒めてくれる。聴いてくれるのも、褒めてくれるのも嬉しい。なのに、どうしてだろう…。
「良い音出そうと意識して練習してるから、当然」愛理はニコリともせず、優と目を合わせずにそう言った。
優がしょんぼりしてしまったのが、見なくてもわかる。
ごめん、優。素直に有難うって言えない。前は言えたのに、いつから言えなくなったんだろ…。優は何も悪く無い。ただ、私より優秀なだけ。私より恵まれてるだけ。行儀は悪いけど、男みたいだけど、優がやさしくて良い子だってのも良く知ってる。だけど、私、優のこと…妬んでる。自分でもすごく嫌だけど…。いつからだろう…最近、どんどんこの感情が強くなってきてる。だから?優に対して素直になれない…。皮肉っぽい事ばかり言ってしまう…。まとわり付かれてうっとうしいと感じる時すらある。それこそ、優ファンにしてみれば贅沢な話か…。