醜女と小狐
人間の罠に嵌った子狐は、一人の少女に助けられる。
少女の名はすずといった。すずは優しく働き者であったが、醜女であった。
人間の美醜がわからない子狐は、何故彼女が村の中で疎まれているのか理解できなかった。
石を投げられるようなことはない。けれど、遠くでヒソヒソと囁き合うのだ。すずは気にしない風を装っていたが、悲しんでいた。そして受け入れていた。
隠れながらそれらを見ていた子狐だったが、時折彼女の前に姿を見せては相手を喜ばせていた。
「お前は優しいね、私に触れさせてくれる」
そう言ってすずは子狐を撫でる。泣き顔は見せないが、とても苦しそうだと子狐は思った。よくよく考えて見れば、周囲の娘達は適齢期を迎えてどこぞに嫁いでいたが、醜女であるすずには相手がいなかったのだ。すずには子狐と呼ばれているが、子狐はもう立派に成体した狐だ。黄金色の毛並みを指先で梳かれながら、子狐は考えた。
ならば、おれがすずを娶ろう。
子狐の行動は速かった。まずは、誰もが羨むような容姿であればいい。子狐は人間の美醜がわからないので、他の村をいくつか巡って女にもてはやされているような、人気のある男の顔の特徴を覚えた。
次は屋敷を建てよう。それならば縄張りの内にある山奥に、と人間に化けて大工を雇った。葉っぱのお金はとても便利だと子狐は思う。子狐は知らぬ間に化け狐になっていた。
そうして、一年間の準備の後、子狐は見目のいい男の姿となって村を訪れる。お供役は野うさぎに頼んだ。遠巻きに頬を染める娘達を尻目に、子狐扮する男はすずの家を訪ね、すずの両親に彼女を貰い受けたいと頭を下げ、葉っぱで作られた準備金、結納金をたっぷりと渡す。行き遅れの娘を持て余していた両親は喜んですずを嫁にと言ったが、すずは黙ったままだった。
そうして花嫁を乗せた輿が山奥の屋敷に辿り着いた。男の姿の子狐は待ちわびていたと白無垢のすずの手を取り、広間へと連れて行く。上座に座らせ、この日のために用意した海の幸山の幸が盛りだくさんの豪華な膳を勧める。山の動物達も人間に化けて祝い、酒を飲み、踊るというどんちゃん騒ぎである。
しかし、すずは膳に手を付けず、笑いもしない。子狐はすずの笑った顔が見たくて、あの手この手で興味を引こうとしたが結果は悲しいものだった。
何故だろう、子狐は考える。
見目のいい男に娶られ、村の女達を見返すことができただろうに。此処は山奥だが、金も、美味い酒も、飯もたくさんある。
「すずや、何が気に入らないんだい」
山の客人たちが帰った後、尋ねた子狐に瞼を伏せていたすずが重い口を開く。
「……お前様を見ていると、私の醜さが惨めになる」
そう言って静かに立ち上がり、白い打ち掛けを引きずって隣の部屋に入ると襖を閉めずに子狐から死角へと進んでいった。
慌てて追いかける子狐だったが、彼女を見て驚いた。どこに隠し持っていたのか、農作業用の鎌の切っ先を自分の首筋に当てていたのだ。そして子狐を見ながら強く押し当て、横に引いた。呆然とする子狐の頬や着物に赤いものが飛ぶ。それ以上に、すずの白い着物が命の水であるそれらに染まっていくのが怖かった。
「すず、すず……」
とさりと畳に落ちそうになったすずを抱きとめ、揺する。綺麗に化粧を施した花嫁は揺さぶられるまま、動かなかった。子狐は泣いた。泣きながら揺すった。意に沿わぬ婚姻だったから?この顔がよくなかったのか?子狐の膝にすずを乗せたまま、慟哭を放ち子狐は己の顔を掻きむしった。すずの化粧を袖で擦り落とし、見慣れた姿を確認して、喉から流れる赤いものを舐めた。舐めながら、嗚呼、自分は化物だったのだと思い知る。目から流れる水はしょっぱくて、舌に乗るすずの味は何故か苦くて。それでも、自分の中に愛しいすずを取り込んでいると思えば嬉しかった。嬉しくて、悲しくて、よくわからない感情の嵐を宥めるように子狐は舐め続ける。
気づいたら、ぼんやりとした朝を迎えていた。瞼を腫らせた子狐は、息をしないすずを抱いて山頂に向かうことにした。亡骸を埋めるのだ。人間は、死んだら埋めなきゃいけない。白い紋付きの羽織袴は血と泥で汚れているが、それもすずと揃いだ。爪の中に土が入り込む。小石を引っ掻いてしまって指先がじくりとしたが、構いやしなかった。すずを中に横たえて、掘った土をかぶせていく。その作業はとても淡々としたもので、すべて埋まった後に白い石を探して積んだ。綺麗な花も添えた。これで、本当にすずがいなくなってしまったのだと思ったら、また目から水が垂れてきた。
子狐は、化け狐である。ゆえに、人間に化けることができる。子狐は無性にすずに会いたくなると、鏡の前で彼女の姿に化けた。そういう毎日だったので、自然とすずの姿で暮らすことを覚えていった。
時が経ったある日のこと。この山奥の屋敷に一通の便りが届いた。すずの両親から急を要する里帰りの要請だ。子狐は山頂の墓を思い浮かべながら、迷い、そしてすずの姿で彼らに会いに行くことにした。身なりを整えて、山を降りればすずの郷里がある。
「ただいま帰りました」
その家はくたびれていて、扉を叩くと今にも壊れそうな事が気にかかった。修繕はどうしたのだろう、軽く叩いてから子狐はふと思ったが、扉をくぐると真横の壁からドンッという音がした。目の前には、すずの両親が目くじらを立ててこちらを睨んでおり、音の正体をそろりと確かめれば裁ちバサミが壁に突き刺さっていた。
「――――獣臭いぞ、臭うぞ」
「ああ、化物め、お前が娘を食ったのか」
血走った四つの目をこちらに向けながら、ゆらりと立ち上がろうとしていた。子狐は気づいていなかったのだ――――あの輿入れから数十年も経過していたことを。変わらないすずの姿を見かけたという村人の言葉を確認するための罠だったことを。
子狐は逃げた。人の姿では走れない。だから狐の姿に戻って、四本足で必死に土や泥を蹴った。狐に戻るその姿を見られた。子狐はすずを食い殺した悪い化け狐として村人たちに認識された。嗚呼、なんて非道い、おれだってすずに死んでほしくなかった。子狐は山に逃げ帰ったが、すぐに山狩りが始まってしまって居場所を失った。たった一日でも、半日でも、すずと共に暮らした屋敷は荒らされることになる。そういえば悲しみに暮れて形見も持っていなかったので、子狐はその身一つで住んでいた山の反対側に下りたのだった。
すずの姿にこだわっていた子狐は、すぐに居場所が割れる。何せ「ひどい醜女を見なかったか」この一言で知られてしまうのだ。それでも子狐は逃げて、逃げて、捕まりそうになれば容赦なく相手を噛み殺した。何年も何年も、息を潜めて暮らしながら逃げ続けた。その年月の中で、ふと何気なく気づいてしまったこと。すずの親にも言われた「化物」に、自分はなってしまったのだ。二度目の自覚だった。
無性にすずに会いたくなった。もう遠い場所となってしまったあの山に、すずは眠っているはず。会いたくて鏡を見たところで、結局は写し。骨でもいいから、本物のすずを確認したかった。気をつけながら戻れば大丈夫、きっと大丈夫。そう言い聞かせながら、子狐はあの山に戻ることを決意した。
―――――――しかし、すずの骨はどこにもなかった。
確かにこの場所に埋めたのに。白い石を置いて、毎日花を添えていたその場所に間違いないはずなのに。とっくにすずの両親に回収されていたことにも気づかないまま、子狐はすずの姿のまま穴を掘り続けていたところを、山の見回りをしていた男に捕まって村に連れて行かれてしまった。
それからは悲惨だった。当時子供だった村長がすずと子狐の話を覚えていたのだ。
とてもつらい拷問をたくさん受けた。最終的に殺されて埋められたが、子狐は生きていた。そしてまた自分が化物だということを実感してしまい、すずに申し訳なくなった。たくさん泣いて、それはそれは目が溶け落ちそうなくらいに泣いてから、洞窟で黄金色の身体を丸めて眠りにつくことにした。
もしかしたら、すずは生まれ変わっているのかもしれないと希望を抱きながら、瞼を細め、閉じた。
おわり
お読み頂きありがとうございました。