一話 魔法
魔力があれば皆守れるのだろうか。
魔力があれば全て失わずに済むのだろうか。
病院のベッドに横たわる亡骸を見て、目の前が、真っ暗になった。
◆◆◆
1日前の午後、岩崎和樹は授業終了の鐘が鳴った途端、急いで帰りの支度をしていた。
「和樹、今日暇か?」
親友がいつものように聞いてきた。
「悪い! 今日は無理」
顔の前で手を合わせると、僕はそそくさと教室を出ていった。途中でおい、と言う声が聞こえたが今日は生憎急いでいる。学校を出ると僕は小走りで家に向かった。今日は仕事で滅多に帰ってこれない母が帰って来るのだ。風呂くらいは沸かしておこう。――前に夕飯を作って待っていたら、今日は久々にご飯作ってあげようと思ったのに……と随分肩を落としていたので夕飯は作らないことにする。
“魔法師”
それが母の仕事だ。言うまでもなく魔法に関連する仕事なのだが、母は一般の魔法師より上の一級魔法師――ツヴェルフと呼ばれる12人の日本を代表する魔法師の一人なのだ。
家に着いてお風呂を沸かし、部屋着に着替えて自分の部屋から出た時に、丁度母が帰って来た。
「ただいま、和樹!」
勢いあまって壁にぶつかりそうになる母を受け止めて――見た目はまだ20代後半だが実年齢はもう38歳になる――子供のような母を見て苦笑気味に笑って応える。
「お帰り、母さん」
すると一瞬嬉しそうな顔をした後、すぐに申し訳なさそうに僕の顔を見た。
「ごめんね。今回こそ3週間で終わらせてやる! って思ってたんだけど……結局、1ヶ月も帰ってこれなくて」
「仕方ないよ、そういう仕事なんだしさ。いつもお疲れ様」
「でも寂しい思いさせちゃって……」
母はいつも帰って来るとそう言うが、正直もう寂しいとか思う歳じゃない。今日だって帰りが遅いと、やっぱりお母さん、和樹が心配だわ!とか言い出しそうで急ぎ気味に帰って来ていた。
「母さん、僕はもう高校生だよ……心配しなくても平気だって」
「まあ! その顔、呆れてるのね。お母さんは和樹の事が心配で……」
思ったことが顔に出ていたらしい。
「分かってるって。……母さん、そろそろお腹すいたよ」
埒が明かないので、無理やり話題を変えたのだが効果覿面だった。
「まあ、もうお腹すいたの? ……急いで作るから部屋で待ってなさい」
はーい、と応えて部屋に戻った。
部屋に入ると自然と、はあーという溜め息が漏れた。
ああ見えて仕事の時は出来る人だ。ツヴェルフに選ばれる位なのだから。一般人にも名の通った魔法師――それは父も同じだった。ツヴェルフに選ばれていた魔法師。10年前のある日、仕事中に命を落としたと母から聞いた。何の仕事だったのか、母は教えてくれなかった。あの時の母の強い瞳はまだ鮮明に覚えている――机の上に置いてある父の写真を見ながらあれこれ考えていると遠くで着信音が聞こえて、何気無く部屋から出るとどうやら仕事の電話らしく、母は険しい表情をしていた。
「……明日、……が来……分かったわ……逃がしは……だもの…………覚悟よ」
母は音をちょっとだけ遮断する魔法を使ったらしく、詳しい話は聞こえなかった。仕事の話を聞くのは良くない。僕はまた部屋に戻った。――しっかり内容を聞いておけば良かったと後に後悔する事になるとは、この時の僕には知る由も無かった。
◆◆◆
数分後、食事中に母が突然珍しいことを聞いてきた。
「和樹。魔法の事、どう思う?」
こんなに暗い顔は初めて見た気がした。
「魔法? なんかあった? 今更、魔法の事なんてさ」
「和樹には魔法の事沢山知ってほしくて、魔法について色々教えてきたわ。和樹はどうだったのかなって」
「魔法の勉強は楽しかった。たとえ魔力を持って生まれてこなくて、魔法がつかえなくても、だよ」
そう、僕は魔法が使えない。優秀な父と母の血を引いても、魔力は遺伝しなかったようだ。魔法を使うには必然的に魔力が必要なのは周知の事実。でもその事を気にしたことはなかった。魔法なんてなくても差別されるような国ではない――魔法を重視するあまりに魔法が使えない者を差別する国も存在するようだが―――仕事だって沢山あるし、この国では人口の4割が魔力すら持たない。
「それを聞いて、安心したわ。魔法がこの世界の全てと思ってはダメよ。あなたにはあなたの出来る事がある」
そう言った母はいつものように笑っていた。
◆◆◆
母は朝早くに仕事に出掛けた。いつもなら、また当分帰ってこれないのかなぁ……と呟きながらギリギリに出ていくのに。
僕はいつも通りの時間に登校して、いつも通り授業を受けた。下校時間になって、適当に友達と遊んで、6時過ぎには家に帰って来た。
「んー、なんかぱっとしないな……今日はもう寝よう」
何故か今日はもう寝たほうがいい、と自分に言い聞かせるようにそう呟いて和樹はベッドに半ば倒れこむようにして眠ろうとしていた時だった。ポケットに入れてあったスマホから着信音が鳴った。
「誰だよ……もしもし」
『岩崎美南さんのご家族でしょうか』
「そうですが……?」
『私、国立魔法病院の坂井という者です、落ち着いて聞いて下さい。岩崎さんが――亡くなりました』
突然突き付けられた言葉に頭が真っ白になった。――母さんが死んだ?今朝まで普段通り元気だったじゃないか。
『とにかく、病院まで来て頂けますか。詳しい事は病院で話ましょう』
◆◆◆
重い足取りで病院へ向かいながらも心のどこかで、きっと人違いだ。母さんは今仕事中なんだ。そう思っていた。しかし病院のベッドに横たわる亡骸は何処からどう見ても母だった。
「岩崎さん、お母様で間違いないですか」
そう声をかけてきたのは先程の電話の相手、坂井さんだ。
「……間違いなく、母、です」
言葉に詰まりながらどうにかそう応えた。
「お気の毒に……岩崎さん――岩崎美南さんの死亡時刻は今日の 午後4時頃、死因は魔法による戦闘が原因だと思われます」
「魔法による戦闘……」
仕事中の死、という事だろうか。
「岩崎美南さんは、確かツヴェルフのメンバーでしたね。」
魔法病院なのでツヴェルフのメンバーは頭に入っているらしい。
「はい……やはり魔法による戦闘とは仕事で、という事ですか」
「そうですね、その可能性が高いと思います。――岩崎さん、もう一つ――岩崎美南さんの鞄から遺書かもしれない封筒が見つかっています。」
「遺書……? 母の死因は魔法による戦闘、だと……」
「おかしい、ですよね。私もそう思います。いくら危険な仕事が多い魔法師とはいえ遺書を持ち歩くなど……」
まずは封筒を確認して下さい、と坂井さんから封筒を受け取った。その封筒の表には“和樹へ”と短く書かれていた。封筒を開けると何枚か手紙が入っていた。
◆◆◆
和樹へ
あなたがこの手紙を読んでいるということは、私は恐らくもうこの世にはいないのでしょう。一人にしてしまった事、謝ります。ごめんね。あなたに、伝えなければならない事があります。頭を整理して、しっかり読んで。
一つは、あなたにおばあちゃんがいるという事。あなたにとっては母方の祖母になるわ。おばあちゃんは町外れの森の奥にある、大きなお屋敷に住んでいるの。森に住んでいるのはお母様くらいだから迷う事はないはずよ。でもお母様……あなたのおばあちゃんはあなたの存在を知らないわ。そこは上手く説明してね。きっと力になってくれる。
二つ目は……あなたに魔法が使えるという事。昔からあなたは、魔法なんてなくても大丈夫だよ。と言ってくれたわね。それでも魔法を使ってみたいという好奇心があったのは分かっていたわ。それでも隠していたのは理由があります。あなたの魔法は……なんというか、強すぎるの。3歳の時点で一般の魔法師と同じくらいの魔力があった。それを見込んだ外国の連中に何度拐われそうになったか……私とあなたのお父さんは何度も話し合った結果、あなたが18歳になるまで魔法を封印しておく事になった。それが一番安全な方法だと思ったからよ。それでも私達の勝手な判断を、許してとは言わない。
あなたの魔法を封印したのは、私。
言ったことなかったけど私は、記憶を改ざんする魔法を使えるの。それが私の魔力。それでね、この力を使ってあなたの魔法が使えるという記憶を消したの。……本当にごめんなさい。この記憶改ざんは私が魔法を解くか、私が死ぬかすると取り消されるようになっているわ。だからもう魔法は使えるようになっていると思う。長く使っていなかったから、大変だと思うけど……お母さんの部屋にある机の引き出しに黒い箱があるわ。その中には指輪が入っている。魔力を引き出しやすいように作った指輪よ。本当は18歳の誕生日プレゼントだったのだけど……あなたに受け取ってほしい。
それと、お父さんは国の任務で外国の組織を調査する事になって……死んじゃったの。きっと組織に見つかってしまったのね。私もしばらくして、お父さんと同じ組織に潜伏する事になったの。
……随分、長くなったわ。それでもあなたに伝えたいことは沢山あるけど……。
最後に……あなたの魔力は――竜を従える力。私は竜使いと呼んでいるけど、聞いたことのない魔力だから、よく分からないの。お母様なら分かるかしら……
そして私が潜伏した組織は、アスパイアという組織。複数の国で組まれた危険な組織よ。
それと……お母様の名前は天笠京子。魔法学を学んでいたあなたなら知っているでしょう?
和樹。あなたはきっと、凄い魔法師になれる。ずっと見守っているわ。 母より
◆◆◆
手紙には、今まで母が語らなかった事が書かれていた。
信じられない事実にしばらく石のように固まっていると、坂井さんが大丈夫か、と話しかけてきたので我に返った。
「あ……すみません。これ、遺書で間違いないようです。」
「そうですか……お葬式に関してはツヴェルフだということで国が負担するそうです。……危険な仕事をさせているのは国なので当然の事でしょう」
そう言った坂井さんは、少し遠い目をしていた。
「今日はもう遅いですし、送っていきましょう」
坂井さんにそう言われ時計を見ると9時を回っていた。ありがとうございます、とお礼をいって家まで送ってもらった。
家に帰った僕は意識を集中させた。すると、体中を巡るように魔力を感じ取る事が出来た。
同時に幼い頃の記憶が流れてくる。魔力をまだ魔法に出来ていない記憶。スーツ姿の男に連れ去られかける記憶。
ほとんどが、怖い思いをした記憶だった。母が魔力を封じたのも理解出来る。
――母さんは何も悪く無い。魔力で苦しまないようにしてくれただけだ。
分かっている。それなのに魔力を封じていた事が恨めしいと感じる自分がいる。
気づかなかっただけ。気づこうとしなかっただけ。
優れた魔法師だった母。
魔力を持たない僕。
いつの間にか母の強い魔力に嫉妬していたのか。
「結局、僕は魔法が全てだと思っていた訳だ」
無意識のうちに悲しく笑った後、僕は指輪の事を思い出した。母さんの部屋の机の引き出しに、黒色の箱と手紙が入っていた。手紙には、誕生日おめでとう!あなたの楽しい魔法生活を祈ってます、とだけ書かれていた。――気づいたらありがとう、と呟いていた。
魔法も試しに使ってみたが、そんなに簡単に使える筈もなく、この日は諦めて眠りについた。