大きな一歩
「ふう……」
やっぱり自分の部屋に帰ってくると妙な安心感がある。
ベッドに身を投げて、毛布に体を沈ませると、今日のことが頭の中に鮮明に思い浮かんでくる。
「ああー……言っちゃった……でも、宮子ちゃんよくわかってないような感じだったし……」
つい、もっと宮子ちゃんに私を見てもらうようになんて言ってしまった。
別に後悔しているわけじゃない。告白ってわけじゃないし。きっと……大丈夫。
今日宮子ちゃんと直に話してみて、私は変に考えすぎていたんだと思う。
これからも、友達として宮子ちゃんと仲良くなっていけたら、もしかしたら、宮子ちゃんが私と同じ気持ちを持ってくれるかもしれない。それくらいの心構えで行くことにした。
「でも、今日は楽しかったな」
宮子ちゃんと一緒にお菓子を作るのはとても楽しかった。
それに、何よりも今日の宮子ちゃんはすごくかわいかった。猫の手を実際に見せて教えてくれたときの宮子ちゃんはやばかった。ネコミミをつけたくなるくらいだ。
それに、私が指を切ってしまった時には傷を舐めてくれたし。あのときはドキッとしてかなり変な声を出してしまった。
そして、宮子ちゃんにあーんまでしてもらった。今日は私的に最高に幸せな一日だった。
きっと、今の私は顔がにやけてすごく気持ち悪い顔になっていることだろう。それぐらいに今日は最高だった。
「宮子ちゃんが私のために力になってくれるって言ってくれたのは本当に嬉しかったな」
宮子ちゃんにとってはなんでもない一言だったのかもしれないけど、私にとっては何よりも嬉しい言葉だった。
ただ、あのときにちょっとだけ嘘をついてしまったのが後ろめたいけど。
昨日本屋で宮子ちゃんに会った時は確かに演技の本も買ったんだけど、実はちょうど宮子ちゃんと遭遇した時に、私はいわゆる「百合」のジャンルの漫画を見ていた。
フィクションでも、女の子同士の世界ってどういうものなのか、やっぱり気になっていたし。
参考になるかどうかは別として、普通におもしろかったので、はまってしまいそうだった。
「でも、さすがにこれは宮子ちゃんには見せられないな」
これは私一人で密やかに楽しむとしよう。
「宮子ちゃんに会いたいなあ……」
宮子ちゃんのことを考えていたら、もう宮子ちゃんに会いたくなってしまう。
でも、明日からは学校は休みだし、宮子ちゃんに会うためのきっかけが見つからない。
普通の友達だったら、きっと、何も気負うことなくどこか遊びに行こうって言えるんだと思う。でも、まだ私たちは友達になってからそんなに時間が経っているわけじゃないし、いきなり誘われても迷惑かもしれない。
「ああ、考えすぎないようにって決めたばっかなのに!」
こういうときは別のことをしよう。
そうだ、昨日買った演技の本を読んで勉強しよう。
買ってきた演技の本を開いて、無理矢理にでも、宮子ちゃんのこと以外を考えることにした。
「なあ、前話してた子とはどうなんだ?」
仕事が終わって事務所に戻る途中に、車を運転している綾さんから突然そんなことを聞かれた。
「どうって言われても……特に何もないですよ」
「そうか? 前よりも表情が明るくなったように思ったから、てっきりやることでもやってきたものかと思ってね」
「や、やることって!」
突然何を言い出すんだこの人は。
「その様子じゃまだまだみたいだな」
はっはっはと綾さんは笑っているが、突然そんな話を振られて困惑するこっちの身にもなってほしい。
「もう……別に、深く考えすぎないようにしようって思っただけですよ」
「ああ、それがいい。お前は何にしても考えすぎなところがあるからな。それもネガティブな方向に」
返す言葉もない。実際、この前も考えすぎないようにしようって思った矢先、宮子ちゃんに会う理由がなくて悩んでしまっていたところだし。
それでも、綾さんが表情が明るくなったって言ってくれたんだったら、多少はマシになったんだろうけど。
「でも、なかなか難しいです」
「なんだ? また何か悩んでるのか?」
せっかくだし、綾さんに相談してみようか。
「実は、特にきっかけとかないときにどうやって遊びに誘ったりすればいいのかなって」
「……私が思っていたよりも重症だな」
「だ、だって……こういうのはよくわからないんですよお!」
物心ついたころから友達がほとんどいなかった私には、遊びに誘うということすらものすごいハードルの高さなのだ。
「お前のことだから、いきなり遊びに誘って馴れなれしすぎだと思われないかなんて心配してるんだろうが、そもそもお前が好きになった娘はそんなことを思うような娘じゃないんだろう?」
「それは、きっとそうですけど」
宮子ちゃんはこんな私にもこれまですごくよくしてくれた優しい子だから、そんなことはないと思う。
「だったら心配はいらないだろ? もうクリスマスやらもあるだろう? とりあえずそれまでにはちゃんと相手の娘を誘えるようにしておかないとな」
「クリスマスまで? なんでですか?」
「そら、本来の意味とは違うが、日本じゃクリスマスなんてカップルがいちゃつく日だろ? お前もその仲間入りができるようにってことだよ」
クリスマスかあ。今までの人生でクリスマスに家族以外の人と過ごしたのなんて、仕事以外ではなかった。
思い出して虚しくなったので、これ以上思い出すのはやめておいた。
「でも、今年はお仕事ないんですか?」
この時期って割と忙しくて、年が明けて、しばらく経つまでは結構余裕がなかった気がする。
「特別に今年はクリスマスと年末年始は休みを取れたからな」
「わ、綾さんすごい!」
「まあ、無理を言っただけあって、その後のスケジュールはお察しだが」
きっとものすごいハードスケジュールなんだろうけど、想像したくない。冬休み後半は無いに等しいものになりそうだ。
「そういうわけだ。せっかくのチャンスを無駄にするなよ」
「……善処します」
家に帰って、携帯と睨み合って数分、未だに私は動けずにいる。
あの後、綾さんは今度遊びに行っていい? それだけでいいなんて言っていた。そして、それでも不安ならこれを持って行けと何やらお菓子の包みを渡された。
なんでも、有名なお店のお菓子らしい。お菓子をもらったから、一緒に食べないか。そういう口実にすればいいと綾さんにもらったのだ。
綾さんにここまでしてもらっておいて、臆病な私が情けない。
「いや、でも……」
それでも、アプリのメッセージのやり取りにようやく慣れてきた程度の友達付き合い初心者の私にはやっぱり勇気がいることだ。
「いやいや! 決めたじゃん! 宮子ちゃんにもっと私のこと見てもらうって!」
半ばやけになって、メッセージの送信ボタンを押す。
もう後戻りはできない。宮子ちゃんからの返信をびくびくしながら待つ。
送信してからそう時間がかからずに携帯のバイブが鳴る。画面を見ると、宮子ちゃんからの返信だった。
「約束、しちゃった」
これまで私が悩んでいたのはなんだったのかと思うくらい、あっさり事は進んだ。
『はい、遠野です』
インターホンを押すとピンポンと機械音が鳴り響いてから、少しの間が空いて宮子ちゃんの声がインターホンを通して聞こえる。
「こんにちは、白川です」
『こんにちは桃華ちゃん、今行くから待っててね』
「お待たせー。上がって」
宮子ちゃんが玄関を開けてくれた。
「お邪魔します」
宮子ちゃんの家に来るのはこれで2度目とはいえ、やっぱりちょっと緊張する。
そのまま宮子ちゃんの部屋まで招かれる。宮子ちゃんの匂いがする。
さすがにそんなこと口に出したらただの気持ち悪い人になってしまうので、口には出さないが。
「わっ手冷たい。寒かったでしょ? 今ホットココア淹れてくるから待ってて」
宮子ちゃんが私の手を握ってくれてから、慌ただしく部屋から出て行ってしまった。
宮子ちゃんの手はすべすべで暖かった。もっと触れていたかったな。
「お待たせー。はい、桃華ちゃんのココア」
そんなことを考えていると宮子ちゃんがもう戻ってきていた。
「ありがとう」
宮子ちゃんからココアを受け取る。カップを持つと熱が伝わってきて、冷えた手が温められる。
「あ、これ。昨日話したお土産」
「ありがとう! でも、すごいね。このお店ってすごい有名なんだけど、その分高級だから、私みたいな高校生じゃ手が出ないんだ」
宮子ちゃんは目を輝かせてお菓子の包みを見つめている。
宮子ちゃんの話を聞くまで知らなかったけど、このお菓子ってそんなすごいものだったのか。綾さんにはもう頭が上がらないな。
「早速食べようか?」
「な、なんか緊張する」
お菓子の包みを開けるのを宮子ちゃんはためらっている。それほどのお菓子なのか。
私まで変に緊張する。
「それじゃ、開けるよ」
「う、うん」
お菓子の包みを開けると、中から高級感のある装丁の缶の入れ物が姿を現した。蓋をあけると、クッキーに一口サイズのケーキやチョコレートなど、様々なお菓子が入っている。
「す、すごい……感動だよ! 本当にありがとう桃華ちゃん!」
「私ももらっただけだから。せっかくだし、食べようか?」
「うん。いただきます」
私は缶に入っているクッキーを一枚口に運ぶ。
「おいしい……」
宮子ちゃんがあれだけ言っていただけあって、今まで食べてきたクッキーとは段違いにおいしい。
「おいひい……」
宮子ちゃんは今まで見た中でも一番幸せそうな顔をしている。
「宮子ちゃんってお菓子食べてるとき、すごく幸せそうな顔してる」
「え? そ、そうかな。なんかだらしない顔になってないかな?」
「そんなことないよ。すごくいい表情だよ」
今の宮子ちゃんの表情は見ているこっちまで幸せな気分にさせてくれる。
そう感じるのはきっと、私が宮子ちゃんに恋をしているからというだけじゃないだろう。
「なんか照れるな……あ、このチョコもおいしそう」
恥ずかしそうにしながら宮子ちゃんはチョコを一つ口に運ぶ。その仕草も愛らしい。
「なんだか暑いな。暖房効かせすぎたかな」
「そうかな?」
宮子ちゃんの顔は少し赤く上気している。それに、なんだか目がとろんとしているような気がする。
そんなに暑いかな。私は特別そうも感じない。
「上着脱いじゃおう」
宮子ちゃんは私の目の前でセーターを脱ぎ始める。
なんだかもやもやしたが、なんとか平静を装えたと思う。
「んー……まだ暑い……」
「え……!?」
そう言って、宮子ちゃんはシャツまで脱ぎだした。
薄いピンク色の下着が露わになる。こうして見ると、宮子ちゃんって胸大きいなあ……。いやいや。そんなことを言っている場合じゃない。
「ちょ、ちょっと宮子ちゃん!」
「んー? どうしたの?」
ぽやーっとした様子の宮子ちゃんはなんでもなさそうにしている。私としては眼福ではあるんだけど、心臓が持たなさそうだ。
いや、というより、ここは友人として止めるべきだろう。
「宮子ちゃん、服着て! 風邪ひいちゃうよ!」
「でも、暑いし……桃華ちゃんいい匂いする……」
「へ?」
がばっと宮子ちゃんが私を押し倒して覆い被さる形になる。
「宮子ちゃん……?」
「桃華ちゃんかわいい」
そのままぎゅっと抱きしめられる。何これ。超幸せ。
「いやいや! だから、そうじゃない!」
「桃華ちゃ~ん」
宮子ちゃんは甘えるように私の頬に頬ずりする。宮子ちゃんの甘い香りがする。
それに、体が密着するから、宮子ちゃんの胸が私の体に押しつけられる形になってしまって。すごくもやもやする。
「桃華ちゃんのほっぺすべすべ、ぷにぷに。えへへ」
何だこれ。かわいすぎる。
ああ、もうずっとこうしていたい。なんで急に宮子ちゃんの様子が変わったのかとか、幸せすぎてどうでもよくなってくる。
本当は友達として、止めるべきなんだろうけど……。
「髪もさらさらで気持ちいい。もっと触っていい?」
「え? う、うん」
しまった。ついうんと言ってしまった。
「やった。んーやっぱり気持ちいい」
宮子ちゃんにされるがままに髪を撫でられる。
「ねえ、宮子ちゃんの髪も触っていい?」
「うんーいいよー」
聞いてみたら二つ返事でOKがでた。普段の宮子ちゃんでも、頼めば触らせてくれそうだけど、やっぱり今の宮子ちゃんは様子が変だ。どうしてこうなったのかはわからないけど、今は宮子ちゃんとふれあうことにした。
宮子ちゃんの髪にそっと触れる。ふわふわの宮子ちゃんの髪を撫でると、宮子ちゃんの甘い香りがする。
「んっ……桃華ちゃん撫でるの上手……」
今度は宮子ちゃんが眠たそうにしながら、私にされるがままになっている。相変わらず私が宮子ちゃんに覆い被さられている形だけど。
「んー……桃華ちゃん……」
そのまま宮子ちゃんは、すうすうとかわいい寝息を立て始めた。
「寝ちゃった」
寝顔もかわいいな。
「そういえば、どうしよう」
上半身下着姿の宮子ちゃんに押し倒される形の私。今宮子ちゃんのご家族にこの状況を見られるのはまずいのではないか。
私がお邪魔した時には、何も音が聞こえなかったから、今は私たち以外誰もいないのかもしれないけど。いや、そうであってほしい。
何にしても、気持ち良さそうに眠る宮子ちゃんを無理矢理起こすわけにもいかず、宮子ちゃんの髪を撫でながら宮子ちゃんの目が覚めるのを待つことにした。
「ん……あれ?」
「お、おはよう」
しばらくしてから、宮子ちゃんが目を覚ました。
「おはよう……って私寝ちゃってた? ってなんで上脱いでるの!?」
「えっと……」
さっきあったことを宮子ちゃんが急に脱いだ後に眠ってしまったということだけ説明した。
今の宮子ちゃんの様子だと、さっきのことを覚えていないみたいだし、あの甘えん坊の宮子ちゃんのことについては話さない方がいいと思ったからだ。きっと、話してもお互い恥ずかしくなって変な空気になりそうだし。
「そっか……ごめんね」
「ううん。私は気にしてないから。でも、なんであんな風になっちゃったんだろう?」
結局あれからどうして宮子ちゃんがああなってしまったのかはわからなかった。
「あ、もしかして、これかな」
宮子ちゃんの視線の先には先ほど宮子ちゃんが食べていたチョコレートがある。
「これ、ウイスキーボンボンだったんだ。それで酔っちゃったのかも」
「あ、ほんとだ」
チョコを一つ食べてみる。確かにこれはウイスキーボンボンだ。
でも、そんな漫画みたいなこと……はさっき実際あったからなあ。それにしても、これだけで酔っちゃうなんて、宮子ちゃんってきっと大人になってもお酒は飲めないんだろうな。
「これはやめておいた方がいいかな」
「うう……残念だけど、そうする」
今後は、お酒の入った食べ物は宮子ちゃんと一緒に居る時はやめておこう。
「宮子ちゃんはクリスマスとかって何して過ごすの?」
思い切って聞いてみた。ここでタイミングを逃してしまったら、ずっと聞けなさそうだったから。
「私は家でゆっくりするかな。ケーキを焼いたりはするけど。桃華ちゃんはやっぱりお仕事?」
「えっと、私は……」
今年は休みだから、一緒に過ごしたいって言うんだ、私。
「いつもはそうだったんだけど、今年はお休み」
「そうなんだ。やっぱり大変なんだね。今年はどこか行ったりするの?」
どうしよう。ドキドキが止まらない。でも、ここで逃げたら私はもうダメだ。
「ううん、その、まだ予定は決めてないんだけど……」
覚悟を決めろ! 私!
「えっと、よかったら、一緒にクリスマス、過ごしたいなって……」
「私?」
「うん、宮子ちゃん」
言えた! という喜びの気持ちと、言ってしまった、断られたらどうしようという気持ちで私の頭の中は今ぐちゃぐちゃになっている。
「私でよければいいよ。桃華ちゃんに誘ってもらえて嬉しいな」
「あ、ありがとう!」
ちゃんと言ってよかった。
すごく嬉しくて、涙が出そうだったけど、なんとか堪えた。
普通の女の子にとってはどうってことないことなのかもしれないけど、この瞬間、私にとっては大きな一歩を踏み出すことができたのだ。