気付いた気持ち
「はい、OKです。お疲れさまでした」
「お疲れさまでした」
雑誌の撮影の仕事が終わって、現場の人たちに挨拶をしてから楽屋に戻って私服に着替えるとようやく緊張が解けて、キャラを作っていない素の自分に戻れた気がする。
「桃華、私だ。岸波だ。入ってもいいか?」
ノック音のあとに聞きなれた凛とした声が聞こえる。マネージャーの綾さんだ。
「はい。どうぞ」
「ああ、お疲れ。帰る準備はできてるか?」
確か今日のお仕事はこの撮影だけだったはずだから、このまま直帰だったっけ。それで綾さんが今日は家まで車で送ってくれるって話だったから迎えに来てくれたみたいだ。
「はい。すぐに出れますよ」
「OK、それじゃ行くか」
「なあ、桃華。今日は何やら上の空な感じだったが、何かあったのか?」
「え?そ、そう見えました?」
車に乗ると綾さんから指摘されて思わずギクッってなった。実を言うと、確かに私は今日とある悩みの種が頭から離れなかった。でも、それはキャラ作りの成果もあって仕事ではいつも通りに振る舞えていたはずだと思う。実際今日の撮影も問題なく終わったし。
「お前とは付き合いが長いからな。それくらいはわかる」
「すごいな、綾さんには隠し事はできませんね」
もう綾さんとは数年来の付き合いになる。それだけに、綾さんは私が素の自分で接することができる数少ない人の一人になっていた。
「個人的な話だったら無理に話せとは言わないがね」
そう綾さんは言ってくれているけど、もしかしたらこれはちょうどいい機会かもしれない。綾さんになら相談してもきっと大丈夫だと思う。
「あの、実は私……好きな人ができたのかもしれないです」
「恋のお悩みか。ようやくお前も年相応な悩みを持ったか。ま、変なスキャンダルさえ起こさなければいいんじゃないか?」
綾さんは笑いながら聞いてくれた。こういうのってきっとこの業界にいる限りはよろしくないことなのかもしれないと思ったから実は少し怒られたりするんじゃないかなとも思ってただけに少しほっとした。でも、問題はそれよりも先にあるのだ。
「えっと、実はその好きになったかもしれない人って……女の子なんだ」
ついこの前宮子ちゃんと秋葉原に行ったときに見た同人誌、私がこの気持ちに気付いたのはあれがきっかけだった。あのとき見た見本はキャラクターの女の子同士のキスシーンがあった。そこまではいいんだけど、なぜか私はあの場面を宮子ちゃんと自分だったらって想像してしまった。あれから私の中の何かがおかしい。宮子ちゃんのことが前以上に頭から離れない。気がついたら宮子ちゃんのことばかり考えてしまっている。
「そうか。ま、いいんじゃないか。なかなか難しい話だとは思うが」
「あまり驚かないんですね」
結構衝撃的なカミングアウトだったと思ったんだけど、綾さんは特に驚く様子もないみたいだ。ちょっと予想外だ。
「この業界ではそういう人も少なくはないからな。それにそういう形の恋愛があることも否定はしないよ。最終的に当事者が幸せなら、同性同士でもいいと私は思うよ」
「そういってもらえてよかったです」
気持ち悪いと思われるかなという不安ももちろんあったけど、やっぱり綾さんには話せてよかったと思う。実際、こうして打ち明けることでなんだかさっきより気持ちが楽になった気がする。
「その相手というのは、最近よく話してる友達の子か?」
「え、綾さんよくわかりましたね」
「最近その子のことを随分と楽しそうに話してたじゃないか。今の話を聞いてその子のことで間違いないだろうと思ったよ」
私のことは完全に綾さんにはお見通しみたいだ。
「ま、何にしてもお前が後悔しないようにしろ。立場的には何とも言えないが、私個人としては応援してるからな。スキャンダルにさえならなければ、だが」
はっはっはと笑いながら綾さんは言ってくれたが、実際、私が女の子が好きだなんてことが世間にばれてしまったら、きっと仕事どころじゃなくなるんだろうな。私自身気をつけなければいけない。
「なんだか綾さんに話したら気持ちが楽になりました。ありがとうございます」
「気にするな。こうして担当の悩みを聞くのもマネージャーの仕事だよ」
誰かに打ち明けるだけで、こんなに気持ちが楽になるのか。綾さんみたいな信頼できる人がいてくれて私は幸せ者なんだと思う。
自室に戻って時計を見るとまだ夕方の6時だった。今日は早く帰ってこれたな。久しぶりにゆっくり自室で趣味の時間を取れそうだ。
この前、宮子ちゃんと一緒に秋葉原に行ったときに買った漫画とかまだ読めてなかったし、この機会に楽しもう。
「宮子ちゃん、今何してるかな……」
宮子ちゃんと遊びに行った時のことを思い出して、私の頭は漫画から宮子ちゃんへと思考がシフトしていた。
ハプニングから始まった仲ではあったけど、友達になってくれて、いつも私に優しくしてくれた宮子ちゃんのことはもちろん前から大好きでこの前までこの気持ちは友達としての好きだと思ってた。でも、あのとき、宮子ちゃんと私が同人誌の見本と同じようなことになったら、そう考えてしまった。
宮子ちゃんと自分をあのシーンに置き換えても嫌悪感なんて全くなかった。というよりも、そうなったらいいなって思ってしまっていた。今では宮子ちゃんの優しい声やお菓子みたいな甘い香りだとか、あの暖かくて柔らかい手の感触だとか、全てが愛おしく感じる。
どうしようもないほどに私は宮子ちゃんのことが好きになっていた。でも、この気持ちを宮子ちゃんに伝えたらどうなるかって考えても、希望的な未来が見えない。綾さんはああ言ってくれたけど、普通は女の子同士での恋愛を受け入れてくれる人は圧倒的に少ないだろう。
宮子ちゃんは優しいから、私を否定しないでいてくれるかもしれない。でも、間違いなく私たちの関係は変わってしまう。それに私は耐えられる自信が無い。
「なんで好きになっちゃったんだろうなあ」
宮子ちゃんのことは好きでいたい。でも、それはいい友達としてであって、恋愛対象としてではないはずだ。
「うーん……」
私はこれからどう宮子ちゃんに接していけばいいんだろうか。もちろん宮子ちゃんとはできるだけ一緒に居たいと思うけど、私は宮子ちゃんと一緒に居て平静を保てるだろうか。そう思ったが、私って宮子ちゃんと一緒に居て平静を保てていたときが逆にあっただろうか。これまでの宮子ちゃんと一緒に居たときの私はどうだったかを思い出すと、宮子ちゃんと一緒にいるときが楽しくて、ずっとテンションが某赤い人よろしく通常の3倍増しのレベルで上がってたような気がする。
「あれ?私ってば前からダメダメだった?」
いや、落ち着け私。まさか私が宮子ちゃんのことをそういう意味で好きだとは思ってはいないだろう。
一人でベッドに横になりながらこの解決しようのない悩みに悶えていると携帯のバイブが鳴りだした。携帯の画面には宮子ちゃんからのメッセージが表示されていた。嬉しくて思わず顔がにやけてしまう。こんなだらしない顔は誰にも見せられないってくらいの顔をしてるんだろうな私。
いや、今は私の顔なんてどうでもいいことを気にしている場合じゃない。携帯を取って宮子ちゃんのメッセージを早く読みたい。
『そろそろお仕事終わったかな?この前借りた漫画おもしろくて全部読んじゃった』
自分の好きなものを好きな人と共有できるのってなんだか幸せだな。今はこの悩みは置いておいて、宮子ちゃんに返信しよう。
結局綾さんに相談した日からも宮子ちゃんのことがずっと頭から離れないものの、なんとか仕事はやってこられた。たしか、今日は今後のスケジュールの打ち合わせをするんだったかな。
「待たせたな」
「綾さん、お疲れ様です」
事務所の一室で待っていると綾さんがやってきた。
「さて、さっそくだが、打ち合わせといこうか」
「はい」
打ち合わせはいつも通りに進んでいく、今後の仕事にある、雑誌の撮影やインタビューなどの仕事もこれまたいつも通りだ。
「それと、今回はオーディションの話もあるんだが……」
「オーディションですか?」
何のオーディションだろう。この前までドラマの仕事があって、そっちの方でも事務所は売り出したいみたいだからまたそういう仕事かもしれない。
「ああ、今度は映画のオーディションの話が来ていてね。今売れ筋の桃華に話が回ってきたわけだ」
「え、映画ですか」
予想以上に大きな話で、まだ詳しい話も聞いていないのに緊張してきた。
「ああ、それも作品はこれまでヒット作を飛ばしてきた監督のものだから、注目度も高いぞ」
「な、なんだか話が大きいですね」
ドラマの時だってオーディションはもちろん、撮影の時も毎回心臓が爆発しそうなくらい緊張しながらだったのに、映画なんて私、今度こそ緊張で死ぬんじゃないだろうか。
「ちなみに、オーディションって何の役なんですか?」
「ん?決まってるだろう、主演だ」
なんということだ。この前のドラマでは、それなりに出番は多いものの、主演ではなかった。それでもすごく難しかったのに、主演だなんて、とてもじゃないがオーディションに受かる気がしない。
「随分不安そうな顔をしているが、お前の演技力の高さはこの事務所でも随一だと私は思っている。やってみないか?」
「そう言われても、私この前のドラマが演技のお仕事初めてだったんですよ!?なんとかあの時は無事に撮影を終えられましたけど……映画はさすがに……」
「桃華、これまでそれなりに長い間お前と一緒に仕事をしてきたが、お前ほどキャラ作りが完璧な人間は見たことが無い。だから、演技力には自信を持っていいと思うぞ」
まさか、人見知りをどうにかするためにやっていたキャラ作りがこうも綾さんに評価されていたとは思わなかった。
「わ、わかりました。受けるだけ受けてみます」
「ああ、がんばれ」
オーディションを受けるとは言ったものの、やっぱりこれほど大きな規模のものに私が受かる未来が見えない。もちろん、これまで受けたオーディション全てに受かってきたわけじゃない。何度も落ちたことはある。でも、せっかく綾さんがこんな大事な仕事を持ってきてくれたんだから、その期待には応えたい。
「どうしたものかな……」
仕事でもプライベートでも悩みは尽きなかった。
綾さんからオーディションの話を聞いた日から数日は仕事とレッスン漬けの日々だったが、今日は学校に行ける日だ。校内に入るといつものとおりいろんな人の視線を感じる。いつまで経ってもこの感覚は慣れないな。
教室に向かう途中で宮子ちゃんの姿を見つけた。宮子ちゃんも私に気がついたみたいで笑顔で手を振ってくれている。嬉しくなって私も手を振り返す。というか、嬉しさのあまり変な顔になったりしてないかな私。
「おはよー宮子ー」
宮子ちゃんに挨拶しに行こうとしたところで、宮子ちゃんのところへ一人の女の子が駆け寄っていく。クラスメイトの水橋佳奈さんだ。私は彼女とは話したことはほとんどないけど、宮子ちゃんはいつも彼女と中が良さそうに話しているのを教室でよく見かける。確か部活も同じだって言ってたっけ。
それにしても、タイミングを逃してしまった感がすごい。私が邪魔しちゃうのも嫌だし、今は先に教室へ行こう。今まで意識したことはなかったけど、今みたいに宮子ちゃんは私と違って友達がたくさんいるんだろうな。そう思ったら少し胸がチクっとした。ダメだ、このままじゃ私はいつも通りに宮子ちゃんと接することができないかもしれない。
きっと、「宮子ちゃんと一緒のときのいつも通りの私」というキャラを作れば宮子ちゃんと今まで通りに接することができるかもしれない。でも、本当にそれでいいのだろうか。私はキャラを作ってない本当の私を見てくれて、友達になってくれた宮子ちゃんが好きなのに。
これからの私はどうやって宮子ちゃんと向かい合えばいいんだろう。その答えを出すにはまだまだ時間がかかりそうだった。