第26話 いつもと違う日
ブラジャーを意識するようになってからずっと考えていることがある。ブラが人に与える視覚効果についてだ。
例えば俺が透け透けブラを着けていたとしよう。おそらく見る者の欲望を煽り立てることになるだろう。ではそのブラを学長が着けていたらどうだろうか? 考えるまでもなく見た者は不快な気分になる。
つまり同じブラでも着ける者によって全く異なる効果が現れるわけだ。これは人はブラそのものに興奮するのではなく、ブラを着けた人に興奮するのだということを示している。ブラ自体に興奮作用があるのなら誰が着けても同じ結果にならなくちゃおかしいからな。
「ま、結局はブラに限らず、自分に合った服を着るのが何よりも大事なんだよ」
「……君はそんなことを言う為に部屋の前で待っていたのかい?」
「うん。朝起きたらこの考えを是非ともミュランに伝えなくちゃと思ってな。あとは学長に初心者はフロントホックのブラがオススメだって教えれば安心だ」
「ちょっと待てそれは止めた方がいい!!」
「……やっぱりスポーツブラの方がいいかな?」
「そういう問題じゃ――いや、もしかして僕が知らないだけで学長はそっち方面に興味がある……ってそんなわけないだろ!!」
おおー、ナイス乗りツッコミ。
「じゃあ先に行ってるね」
「待て待て待て!! 百歩譲って学長の件はいいとしても、その格好で学園に行くのは止めた方がいい!!」
「なんで?」
「パジャマじゃないか!!」
「だから? アリサなんてメイド服を着ているんだし、パジャマくらいいいでしょ」
「……君の寝癖は初めて見たけど?」
「これはそういう髪形なの。弄った記憶はないけどきっとそうだ」
「……なぁ。君、なんだかいつもに増して変じゃないかい? 気のせいか顔も赤いし……。ちょっと触らせてもらうよ」
手を伸ばしてきたので避けようとしたが、思いのほか速くておでこを触られてしまった。
「腕を上げたな。俺が避けられなかったぞ」
「バカ!! それは君が風邪をひいているからだ!! 凄い熱だぞ!? 何でこんな状態で出歩いているんだ!!」
風邪? 俺が?
「なるほど、だからさっきから体がだるいのか。OK。学長にブラの事を伝えたら保健室で休むよ」
そうと決まればすぐに行かないと。
「だから何で学園に行こうとするんだよ!? 大人しく部屋に戻って寝るんだ!!」
「でも学長が……」
「どうしてもと言うのなら君をお姫様抱っこして僕の部屋に寝かせてもいいんだぞ?」
「嫌」
してもらうなら美人さんがいい。
「だろ? さ、部屋まで付き合うから案内してくれ」
えーっと、俺の部屋って……。
「あー、ちょっと冷静になってきた。スマン、もう1人でも大丈夫だからミュランは学園に行っててくれ」
これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。うん、意識も戻って来たし部屋までは大丈夫だろう。
「……わかった。でも今の君を放っておくわけにはいかないから――ファイ!! こっちに来るんだ!!」
「クー?」
「ジルが部屋に戻って寝るまで付き添うんだ。そして寝たら僕に報告すること」
「クゥウ!?」
凄い嫌そうな顔をしている。
アレは何故ミュランの言うことを聞かなくちゃいけないんだって反応かな。
「反論は許さない。やらないと言うのならここで君との契約を破棄し、今までただ飯を食べてきたツケを払ってもらうぞ」
へぇ……。
「ク、クー!!」
ミュランの迫力に圧されたのか、ファイがそれはそれは見事な敬礼をした。
「しっかりやるんだぞ。……じゃあ、ジル。学園やククルには僕から連絡しておくから、君は部屋に戻って安静にしているんだぞ」
「うぃ」
早歩きで出かけるミュランを見送り、俺も早く早くと腕を引っ張るファイと一緒に自室を目指す。
ファイは何だか緊張しているようだ。
「ははっ、これに懲りたらもう少しミュランの言うことを聞くんだな」
「クー……」
「ああ、反省しろ」
なかなかいいものが見れた。たまには風邪をひくのも悪くないかも……やっぱなし。頭が痛くなってきた。早くベッドで休まないとな。
「大変だ!! ジルが風邪で欠席するそうだ!!」
「なに!? ジルは大丈夫なのか!?」「なんてこった……!!」「はい、やる気なくしたー。ジルがいないなら帰るかな」「昨日は元気だったのにな」「なら代わりに俺がジルの机で1日――へぶっ!?」
朝から男子が騒がしい。
どうやらアイツが風邪をひいたみたいだけど、それくらいで大袈裟な。どうせ明日か明後日には普通に登校してくるでしょ。なのに何でそんなこの世の終わりみたいな顔してんだか。アンタ等どんだけアイツのこと好きなのよ。……ふん、最初はどう接したらいいか分からず避けてたくせに。
「ジルちゃん休みなんだって、心配だよね」「ねー。けっこー体が弱そうだから風邪ひいたら長引いちゃうかも」「せっかくいい店を見つけたから教えてあげようと思ったのに……」
女子も女子だ。
もうアイツを異性として扱ってない。着替える度に女子更衣室に誘うし、カワイイ服が売っていたとか、安いアクセサリーの店を見かけたとか情報交換をしている。最近ではアイツは男でしょと言うと「え、何言ってるのこの人……」みたいな空気になるから、ろくに否定も出来ない。
「はぁ……」
いっそのこと私もアイツが女だと思ってしまえば楽になれるのにな……。でもそんなのダメ。もし女として認識してしまったら、きっとアイツの前でも平気で着替えるようになる。将来を誓い合ったわけでもないのに異性に裸や下着姿を見せるなんて絶対に有り得ない。だからアイツがどんなに可愛くても男の可能性がある以上は気を許すもんか。
「スクープスクープ!! なんとカルカイムの王子がジルをお姫様抱っこしてベッドに連れ込むと脅したそうだぞ!!」
「ほう……?」「奴め、遂に本性を現したか!!」「ジルの純潔は無事か!?」「おのれおのれおのれ……!!」「聞こえなーい聞こえなーい」「クソッ、奴は危険だとわかっていながら……!!」「アイツのクラスは?」「殺るぞ!!」
またうるさくなってきた。
男子はもうダメね。手の施しようがないわ。あの王子にはあまりいい感情はないけど、さすがに今度ばかりは同情する。ま、どうせ実際に王子を襲うことはないだろうから余計な心配でしょうけど。
「ジルちゃんと王子かぁ、意外と絵になるかも?」
「そうね、王子はアレで容姿はいいもんねー」
「ん~、この頃ジルちゃんと一緒にいることが多いけどひょっとして?」
「そういえば王子がまともになってきているって噂を聞いたことがあるし、ジルに恋して変わったとか?」
「きゃーーーーーーー!! いいわねそれ!! 不出来な王子が恋をして成長する……。素敵だわぁ……」
「でもでも、もし本当にジルちゃんが男だったら悲惨だよねー。報われない恋じゃん」
「しかもそれに気付くのはベッドの上。王子に押し倒されたジルはとうとう隠し切れなくなって、今まで騙しててごめんなさいと泣くの。こうして王子の恋は終わりを告げる。せつないわ……」
せつないかしら?
「はっ!? 待って閃いたわ!! 王子はそれでもジルを諦め切れなくて『性別なんてどうでもいい。君が好きなんだ!!』って言って襲うの。男と男。……禁断の恋の始まりよ」
「「!?」」
「いい……凄くいいわ。そこにはきっと男女の性別を超越した純粋な“愛”があるのよ!! うん、どんどんインスピレーションが湧いてくるわ。新しい世界の扉を開くってこういうことなのね!? っ、そうだ……!! 次の演劇のテーマに同性愛はどうか部長に相談しないと!!」
「て、天才の誕生を目の当たりにしたわ……!!」
女子もだいぶ危なくなってきたわね……。
クラス替えはまだかしら?
兄様が部屋で苦しんでいる。
なのに私は何をしているのでしょう? 呑気に授業など受けている場合でしょうか?
本当ならすぐにでも看病に掛けつけたいのですが、兄様は私がきちんと授業を受けた方が喜ばれるでしょう。……しかし時には兄様に叱られてでもするべきことがあるはずです。
「ねぇ、今日はククルちゃん元気ないね。もしかしてお兄さんが休んでいるから?」
そうです、今がその時です。
お弁当を食べ終わったら早退しましょう。
「えへへ、聞こえてないか。そうだよね、私なんかの声が届くわけないもんね。……でもね、これだけは言わせてもらうね。ククルちゃんはもっと上を目指せる人なの。だからもっと人付き合いには気を付けた方がいいよ? アリサちゃん以外ゴミしかいないじゃない」
「何か言いましたか?」
誰ですかこのおさげ。さっきから雑音がすると思っていましたが、こいつが発生源なのでしょうか。やけに耳障りだった気がします。
「う、ううん何でもない。じゃ、じゃあね。……えへへ、ククルちゃんと会話しちゃったっ!!」
はて、あのおさげ、どこかで見たことがあるようなないような……。もしかしたらクラスメイトなのかもしれません。誰にせよ記憶にないのでどうでもいい人なのでしょうが。
「なーんか危なそうな子に懐かれてるね」
「……何の用ですか?」
呼んでもいないのに最近兄様に這い寄っているメスが来ました。
「あの子、放って置くと面倒なことになるよ。ちゃんと責任もって対処しておいてよ?」
「そうですか。忘れなければ覚えておきます。で、用件は?」
アリサが意味もなく私の所へ来るはずがありません。兄様が私を待っていますし、さっさと用を済まして消えて欲しいです。
「……嫌いなタイプだしどうでもいいか。それよりもジル様が先。昨日ジル様は誰かと会っていたみたいなんだけど何か知らない?」
やはり兄様の件でしたか。
「冒険者で領主のジジイと会ったと言っていましたね」
癪ですが素直に教えておきましょう。
その方が私にもメリットがあるはずです。
「冒険者で領主……。なら帝国のリヒャルト・ルイテル・ヘルト伯爵かな。うーんと……たぶん孫がこの学園に通って成長できるかどうか下見に来たんでしょうね」
やはり教えて正解でした。
リヒャルト……その名、覚えました。
「そのクソジジイが諸悪の根源ですね」
兄様の事ですから油断して水でもかけられてしまい、それが原因で風邪をひかれたのでしょう。
ムカつくジジイです。くたばればいいのに。
「早ければ冬には諸悪の根源の孫が来るでしょうね。同い年で帝国の有名人だから、多少は私達とも関わり合いになるかも」
面倒な……。
「ちなみに女ですか?」
メスなら少々警戒しなくてはいけないかもしれません。
「カッコいいと評判。頭は良い。実力もある。大の可愛い子好き。……ある意味ジル様は危ないかもね」
なるほど、野郎ですか。てっきり風の噂で聞いた“姫”なのかと思いましたが、違うのであればもうどうでもいいです。
「ではそろそろ教室に戻ってはどうです? 昼休みが終わりますよ?」
むしろ早く戻れ。
「ねえ、ククルはこれからジル様の所に行くんでしょ? 私も連れてって」
「ここが兄さんの部屋です」
「へぇ、ここが……。不感知の魔法がかけてあるのね。……はー、何だか緊張してきました」
あぁ……兄様に断りもなくアリサを連れて来てしまいました……。普通なら絶対にそんなことしないのにアリサの「光の大精霊様からレストイアへ遊びに来なさいとお誘いがあったの。本当は観察部のメンバーだけなんだけど――ククルも行きたいでしょ?」という誘惑に乗ってしまいました。申し訳ありません兄様……。この罪はきちんと体で償ってみせます。
「寝ているかもしれないので静かに入りますよ」
「わかってる。お邪魔しまーす……」
返事は……ありませんね。寝ているのでしょう。
ソファにはいませんから寝室でしょうか。
「兄様……?」
「大丈夫ですか?」
2人でそっと寝室のドアを開けると――。
「しーーーっ。今寝てるの。騒いだらあなた達でも追い出すわよ?」
「!?」
水の大精霊がベッドの隣に腰掛け、兄様の額に手を置いていた。私達には目もくれず、安らかな顔をして眠った兄様を見守っている。
「っ」
忌々しい……!! そうやってこいつはまた私から妹の仕事を奪う。4年も奪っておきながらまだ足りないと言うのか。その席に座るべきは私なのに……!! だいたいこいつがしっかりしていれば兄様があんな大怪我を負うことだって……。
だから私は水の精霊が大っ嫌いです。例えそれが八つ当たりだと分かっていても恨まずにはいられません。
……ふぅ、いけませんね。寝ているとはいえ兄様の前です。何の役にも立たない嫉妬なんてやめて、消化の良い物でも作りましょう。
「アリサ、私は――」
「…………」
その時のアリサの顔はなかなかに印象的でした。
少なくても私が今まで見たことがない表情。彼女もこんな顔をするのかと意外にも思いました。
実際の感情は分かりませんが、私にはアリサがそう――困っているように見えました。
何にでしょうか?
兄様と精霊の絆のようなものを見せられたからでしょうか。それとも育ての親に見向きもされないから? あるいは兄様の女の子らしい寝室に戸惑っているという線も考えられます。
いずれにせよ私が僅かばかりでも興味を示すくらいには困惑した顔をしています。
「……あ、ゴメン、何だって?」
「消化」
「分かった、私も一緒に作る」
アリサに関する興味が0になりました。
しょせん私にとってアリサは知人A程度の存在。
今の私を占めるのは何を作ろうかという考えだけ――。




