第33話 師弟
『たまにはエミリーの様子も見なさい』
朝起きたら枕元にこんなメモがあった。
誰が置いたのかと数秒だけ考えてしまったが、世間的にはもう立派な大人であるエミリーを気にする人なんてスイレンと“アイツ”しかいない。そしてスイレンはメモを用意するなんて回りくどいことはしないので必然的にアイツ――フロルってことになる。
修行時代には1度も表に出てこなかったから、てっきり自然消滅でもしたのかと思っていたんだけどそうか、まだ俺の中に居座っているのか。……いや、居座っているなんて言い方はよくないな。フロルには何度も助けられた。これは否定しようがない事実だ。こうして俺が存在するのもアイツのおかげなんだし、感謝の気持ちは忘れないでおこう。……アイツの所為でこうなったとも言えるけど。
まあフロルについては魔界関係のごたごたが片付いてから考えるとして、先にエミリーの様子を確かめに行くとしようか。アイツに命令されるまでもなく、彼女のことは気になっていたんだ。なんせ着任してすぐに修行へ行ってしまったから、彼女の教師としての働きぶりをほとんど知らないからな。アリサやククルから話は聞いているとはいえ、上手くやっていけているのか直接確認しておきたい。
しておきたいんだけど……どうも会いに行きにくいんだよなぁ……。ただでさえ彼女にはフロルとの関係で疑われていたのに、記憶を消した件でさらに疑惑は強くなってしまっている。そんな中、上から目線で「調子はどうですか?」なんて聞けるわけがない。自らネタバレするようなもんだ。ここはもっともらしい理由を用意してだな――
「――ああ、もうじれったい!! 私が行くからジルは引っ込んでなさい!!」
「あ、こらテメエなに勝手に表へ出――」
ようと……して…………――。
「ふん。うじうじしているジルが悪いのよ。あとは私に任せて寝てなさい」
ジルの意識を強制的に眠らせ、久々に私登場!!
まったく……弟子相手に何をチンタラ考えているのかしらね。そんなの流れに任せればいいのよ流れに。たいていのことは勢いでどうにでもなるんだから、悩んでいる暇があったら即行動に移すべきなのよ。
そういうわけで早速エミリーのいる学園にLet's go!!
「わ!?」
「あら?」
誰もいないだろうと思って観察部の部室へと転移をしたら、いきなり可愛らしい悲鳴がして少し驚いた。しかもその悲鳴の主がまさに私がこれから会いに行こうとしていたエミリーその人だったんだから、驚きもひとしおだ。もしもこれがジルだったらあまりの事態に混乱していたでしょうね。やはり私が来てよかったわ。
でもどうしてエミリーがここにいるのかしら?
「驚いた……。本当にジル君が現れるなんて……」
ふむ。
今の発言から察するに、どうやらエミリーは誰かに言われてこの場所に待機していたみたいね。だとすると差し向けたのはアリサかローザのどちらかってことになるけど……勘でローザの仕業ね。
まあとりあえず状況に合わせましょうか。
「びっくりしたのはこっちですよ!! なんで先生がこんな所にいるんですか!!」
「ここにいればジル君がやって来るって手紙を貰ったからだったんだけど……まさか本当だとは思わなかったの」
「へー。そうなんですか。ところで先生って彼氏はいます?」
「ええっ!? さすがに会話が飛びすぎじゃない!?」
「まあまあいいじゃないですか。ここで会ったのも何かの縁。少しお話ししましょうよ!!」
エミリーと2人きりになるにはどうすればいいか考えていたから、この状況は渡りに船。誰のセッティングだか知らないけど手間が省けて助かるわ。ありがたく活用させてもらうとしましょう。
「それで彼氏はいるんですか?」
弟子がきちんと教師をやれているか心配ではあるものの、それよりももっと恋愛面の方が心配だ。彼女はもう立派な大人なんだから彼氏の1人や2人くらい囲っててもらわないと困る。まだ若いからと言って油断していると、あっという間に行き遅れになってしまう恐れもあるんだし、ここはしっかりと調べないとね。
「えっと……私生活のことは生徒に話せません!!」
「えー、いいじゃないですかー。教えてくださいよー。教えてくれたら夜のアリサについてお話ししますからー」
「しょうがないですね……。うん、今はいません」
「“今は”ってことは昔はいたんですか?」
「……年齢=彼氏いない歴です」
「なんで見栄を張ろうとしたんですか……」
「だってこの歳で誰とも付き合ったことがないなんて絶対バカにされると思ったんだもん!!」
“もん”って、大人が口にするセリフじゃないわよね。
まあちょっと可愛かったから許すけど。
「どうして今まで誰とも付き合わなかったんですか? 先生の容姿とスペックなら言い寄って来る人はいくらでもいたと思いますが?」
見た目もいいし、カザンカと契約したという材料は王族から見ても魅力的なはず。なのに誰とも付き合ってないとなるとよほどの奥手なのか、何か深い事情でもあるのかしらね?
「自慢じゃありませんが、お付き合いして欲しいという誘いはかなりあったんですよ?」
「ならどうして……?」
「しっくりくる人がね、いなかったの。お試しで付き合ってみようと思える人すらも」
「なるほど。理想が高いんですね」
「そんなことありません。たまたま巡りあわせが悪かっただけです。だって容姿やお金がそこそこあって、優しくて、包容力もあって、誠実で、上位精霊を片手で倒せるくらいの実力と、師匠に匹敵するだけの何か強烈なインパクトがある人なら誰でもいいんですよ?」
「…………」
ダメだわこの子。もう手遅れかもしれない。いま挙げた条件を満たす奴なんてこの世のどこにいないわ。なのに本人が探せば見つかるでしょーと楽観視しているのがどうしようもない。きっと歳を重ねてもいつか理想の王子様が見つかると夢を捨てないのでしょうね。残念だけど御独り様決定だわ。エミリーの子供は諦めた方がよさそうね。
……いえ、さすがに諦めるのはまだ早いわ。本人のスペックは申し分ないんだから、どうにかして意識改革をさせれば十分間に合うでしょ。
「先生。そろそろ夢から覚める時間ですよ?」
「うっ、辛辣ね……」
「これでもかなり気を使っています」
「……やっぱり私って高望みしすぎなのかな?」
「はい。先生がいくら大精霊と契約していようが、そんな条件の男はまず捕まりません。何故ならこの世に存在しませんから」
「バ、バッサリ言うね……。まるで師匠みたい」
「ええ、きっとフロルさんでも同じことを言うでしょうね。それだけ先生の願望が非常識なんです」
「むー、分かりました。じゃあお金は諦めます」
「もっと諦めてください」
「うぅ……じゃ、じゃあ誠実さも諦める」
「そこは諦めなくてもいいと思います。というか容姿と、優しさと、誠実さ。この3つの条件で十分じゃないですか? これならきっと選び放題ですよ」
「嫌。最低でも上位精霊を余裕で倒せるくらいの実力がないと認めません。じゃないと師匠と比較しちゃいそうだから」
「そうですか……」
あらら。異性の比較対象に私を出しますか。これは思ったよりもエミリーの中で私の存在が大きかったってことかしら? それはそれで嬉しいんだけど……果たして上位精霊を余裕で倒せる奴がこの世界にどれだけいることやら。……もう面倒くさいからいっその事ジルに引き取らせるってのもありかも?
でもジルにはもうアリサとレラにクロノスという規格外がいるのよねー。よしんばくっつけたとしてもエミリーじゃあ、あのメンツを押しのけてジルと2人きりの時間を確保するだけの逞しさと図太さはないでしょうね。いつも隅で小さくなっているところを見かねたジルがたまに相手をする、ってなるのがオチでしょう。それはさすがに不憫だわ。
かといって生涯独身でいさせるにはあまりに――惜しい。せっかく私が手塩にかけて育てた優良物件が日も当たらずに廃れるなんて許しておけない。ふむ……何かいい妙案はないかしらね?
「……今日のジル君はいつもに増して師匠っぽいね」
弟子が顔を覗き込んできたので思考を一旦停止。
「え? そうですか?」
「うん。私を見る目がそっくり。でもそれを抜きにしても、転移を使える人なんて師匠とシャイニングさん以外にいるとは思えないから、やっぱりジル君が師匠なんじゃないかと疑ってる」
ふむ……言われてみれば、エミリーの私を見る目が生徒に向ける目じゃないわね。なんていうんでしょう――尊敬? のようなものが込められている。
まあ、私はネタバレしちゃってもいいと思っているから、本人が望むのなら教えちゃいましょうか。
「もし俺がフロルだと言ったらどうします?」
「そうだなー……さっきまでだったら『甘えさせてください』とお願いしたんだろうけど……やっぱりいいや。君は替え玉を用意して学園をサボる悪い子のままでいて」
「へえ、どうしてですか?」
「もしジル君が師匠だとしたら、今日はきっと私を心配して来てくれたんだと思うんだ。私は1人でちゃんとやれているのかってね。だからこそ、私は情けない姿を見せる訳にはいかないの」
「……はは、もう手遅れのような気はしますけどね」
「いいの! これからしっかり挽回するから!」
「はいはい」
「そういうわけで私は誰かに相談してもらわなくても1人でやっていけてます。いざとなったらカザンカ様もいますし、アリサちゃんや友人達だっています。なので何の心配もいりません。彼氏は……もうちょっと待ってください。いつか素敵な人を見つけますから」
立ち上がって胸を張る愛弟子の姿は、いつもよりひと回り大きく見えた。
そうね……いつまでも子供じゃないのよね。
「――なーんてね。今のはただの独り言。聞き流していいからね。……それじゃあそろそろ時間だから行くけど、私の雑談に付き合ってくれてありがとう。またね、ジル君」
清々しく私に笑いかけると、彼女は堂々と部屋から出て行った。
「……」
いい女ね。
誰かにあげるのがもったいないわ。
あーあ。体が2つあれば私があの子を貰っちゃうのに残念。