第22話 森の魔女
『はぁ……はぁ……っ、足を止めるな!! 食べられちゃうぞ!!』
『も、もう……むり……だよ~……』
『泣き言が言えるならまだ大丈夫!! 走れ!!』
「ギャウギャウ!!」
すぐ後ろにはデンスウルフが追ってきている。あの鋭い牙で噛まれたら僕達なんてひとたまりもない。回復する間もなくアイツに吸収されてしまう。
せめてただのデンスウルフなら僕だけでもどうにか出来たかもしれないけど、ついてないことに相手は変異種。それもよりによって暴走タイプ。通常のタイプより数倍も強いのに理性がなく、動く物を見つければ何であろうと必ず息の根を止めるまで追ってくる最悪な奴だ。今まで森の浅い場所には出てこなかったのにどうして妹といる時に限って……。これじゃあ変身してきた意味がないじゃないか。
『あうっ』
『くっ』
妹が転んでしまった。やっぱりまだ幼い妹では体力的に厳しいか。
――どうしよう?
妹の体力を考えればデンスウルフから逃げ切ることはもう無理だ。かと言って戦っても勝てる相手ではないし、隠れてやり過ごそうとしても食べられるまでの時間稼ぎにしかならない。
打つ手はなさそうだけど……妹を囮にすれば僕だけは助かるかもしれない。僕達に与えられた役目は情報収集だ。無理を言って志願したからには、変異種の出現と木の実が生っている場所の報告だけは絶対に果たさなくちゃいけない。そのことは妹も理解しているはずだ。
だから――。
「ギャウ!!」
『きゃあああああ』
『させない!!』
「ギャウ!?」
妹を襲おうとしたウルフに全身で体当たりをかましてやる。
これで奴の注意は僕に向いた。
『さあ、こいつは僕が引き付けるから早く町へ!!』
妹が囮になっても一口で飲み込まれるだけ。なら少しでも時間を稼げる僕が囮役をやる方が理に適っている。
『やだよ……!! お兄ちゃんも一緒に行こう……!!』
『あ、こら!! くっつくな!!』
僕がせっかく覚悟を決めたのになんてことを!! こんなにくっつかれたら動きにくい上に2人まとめてやられちゃうじゃないか――
「グルゥ……ギャウ!!」
「っ」
ダメだ食べられる……!!
「ギャウン――!?」
「………………………………………………あれ?」
いつまでたっても衝撃がやって来ない。
恐る恐る目を開けてみると……デンスウルフが横たわったままピクリとも動いていなかった。頭から血が出ているのでもう死んでいるのかもしれない。
助かったけど……一体誰が?
「ごはん~ごはん~♪ ……って、いけないいけない。生物の命を奪ったんだから歌なんて歌っちゃダメだよね。ちゃんと感謝しないと」
横からローブを着た銀髪の女の人が――人間!?
町の住民じゃ……ない。
どうしてこんな場所に人間が?
「あら?」
女の人がこっちを見た。
綺麗な人だ……。
目が合うと、彼女の翡翠の目がみるみる開いていく。
「……キ、キャーーーーーーーーーーッかわいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
『わ!?』
『あ』
妹が女の人に抱きかかえられてしまった。
「ん~~~~~~!! とってもモフモフしてる!!」
ギュッと抱きしめたり、頬ずりをしたりしてお姉さんは幸せそうだ。妹はされるがままじっとしているけど、恐怖で固まっているわけではなく、安心して身を委ねているって感じがする。
その様子からお姉さんは悪い人じゃないのかもしれないけど、妹は誰にでも懐くし、何よりも先生が人間は野蛮だって言ってたから油断しちゃダメだ。
『こら、妹を離せ!!』
「よしよし。君も撫でて欲しいんだよねー」
『あぅ』
首をこちょこちょされて力が抜けてしまう。
うぅ……こんなくすぐりにやられるなんて情けない……。
「もしかして君達はこの狼に襲われていたのかな? ……うん、だったら怪我をしていないか私の家で診てあげる。そうと決まれば、さーレッツゴー!!」
デンスウルフを魔法で浮かし、妹を抱っこしたまま意気揚々と歩き出してしまう。
しょうがないので僕もついていくと、お姉さんは嬉しそうに僕へ微笑みかけた。そのあまりに無邪気な笑顔に見惚れてしまいそうになるけど、騙されちゃいけないと頭を振って平常心を取り戻す。
お姉さんが進む先は森の奥。先輩達ですら調査に戸惑う危険区域。そんな場所に住んでいるなんて普通じゃない。そもそも人間がここにいること自体がおかしいんだ。そうだ、きっとこの人は先生が言っていた悪い魔女なんだ。綺麗な容姿で僕達を油断させ、町の情報を引き出したところで始末するつもりだ……!!
そうはさせないぞ。
町や妹は僕が守ってみせる……!!
「さ、着いたよー。ここが私のお家。危ないからあまり動かないでね」
魔女の住処は不思議な所だった。
外からだと1階建ての狭そうな小屋にしか見えなかったのに、中はそれなりに広くて複数人で住むことを想定された作りのようになっていた。階段もあるから2階も存在するんだろうし、もしかしなくても空間が歪められているんだと思う。空間に干渉できるなんてやっぱりこの人は魔女だ。
……でもそれよりも気になって仕方ないのが、部屋を囲む無数の服。脱ぎ散らかしてあるわけじゃなくきちんと吊り下げてあるものの、その数が尋常じゃない。視界に入る服だけでも100は絶対にある。たぶんどれ1つとして同じ服はないんだろうけど、どうしてこんなにあるんだろう? もしかして魔術的な意味があるのかな?
「服が一杯あるのが珍しいのかな? それはねー、私が自作したんだよー。えっへん」
え、この数を!?
中には凝った作りの物もあるからとても1年や2年じゃできないと思うんだけど……。
「息抜きに作っていたらこれだけの数になっちゃったんだ。昔は1着作るのにひと月とかかかっていたのに、今は簡単なやつなら半日で出来ちゃうんだから我ながら成長したもんだよ」
『すごーい!!』
得意気な魔女に妹が賞賛を送っている。
……帰ったら知らない人に気を許しちゃダメだって教えないと。
「ささ、そろそろ怪我をしてないか確認しないとね」
『うっ』
大変だ。怪我の確認とか言って、酷いことをするのかもしれない……!!
『あはははははくすぐったーい!!』
『……』
魔女に体をまさぐられる妹はなんだか楽しそうだ。
「うん、異常なし。素敵なモフモフだね」
『褒められちゃった』
『照れるな!!』
「じゃあ次は君の番だね。この子ばっかり贔屓しちゃったからその分、たっぷり可愛がってあげるよー!!」
『ひ』
魔女の手が伸びて来る。
一瞬、あの白くて細い手で撫でてもらいたい衝動に襲われるけど必死に振り払う。
この姿のままじゃダメだ……!!
「――怪我はしていないので平気です」
「え……?」
元の姿に戻ると、魔女の手が止まった。
「き……キツネがキツネっ子になったーーーーーーーー!?」
そして絶叫。
この驚きぶりからして僕達が変身していたことには気付いていなかったみたいだ。なら安心しても――いやまだ早い。
「え、君達は人だったの?」
「人じゃありません。精霊です」
「そう……。こんな世界の端っこにも精霊はいるんだ……」
端っこ――。
そうか。やっぱりこの人は“外”から来たんだ。
でも僕達のことを知らないみたいだから、偶然辿り着いただけ……?
「……君達の他に精霊や人はいないの? 正直、君達だけじゃここの環境は生き抜けないでしょ?」
どうしよう。
悪い魔女ではなさそうだけど、人であることには変わりない。
町のことを教えてもいいんだろうか?
こんなこと初めてだから判断がつかない。
『あのねー、ここからちょっと離れた所に町があるんだよー!!』
「あ、こら!!」
「?」
しまった!?
妹の言葉は魔女には伝わらないのに、つい注意をしちゃった!?
「……ああ、なるほど。この子が喋ろうとしたのね。で、それを君が注意したってことは、近くに秘密の集落でもあるんだね?」
「う」
魔女に町があることを知られてしまった……。
町に何かあったら僕の責任だ。
『おにーちゃん、この人いい人だから町に連れて行ってあげよー』
僕の気持ちも知らずに呑気なことを……。
こうなったら先生に任せるしかないかな?
「ふふ、そんな硬くならないで。君達のお家にお邪魔する気はないから」
「え?」
魔女がいきなり僕に妹を預け、頭を優しく撫でてきた。
『えー、なんで来ないのー?』
「だって私と関わると危ないしね」
「――」
自嘲気味に笑う魔女の顔はどこか寂しげで、見ていて悲しくなってしまう。
「さてと。君達はそろそろ帰る時間だよ。2人だけで帰れるよね?」
魔女が入り口を指差す。
……本当にこのまま帰っていいのだろうか?
この人を町に案内した方がいいような気がしてきた。
「ありがとう。久し振りに会話が出来て楽しかったよ。……バイバイ」
「待っ――」
「あれ?」
どうして僕は森の入り口に立っているんだろう。
調査の為に森を散策していたはずなのに……。
『すー……すー……』
妹を腕に抱えた記憶もないし――
「って、ああ!!」
思い出した。
木の実が生っている場所を見つけて帰るところだったんだ。それで途中、デンスウルフの死体を見つけて怖くなっちゃったから、急いで戻って来たんだよね。
「……」
でも何で妹の体からこんなにいい匂いがするんだろ……?
「……ま、いっか」
早く戻って先生に報告しよう!!