第14話 ツチノコ
「まあ、こんなものだろう」
ホットコーヒーを一口で飲み干すと、褒めているのか貶しているのかいまいち判断がつかない感想を漏らすバルディア。
俺のお気に入りである『甘水』に連れて来てやったのに不味いと言われればムカつくし、逆に美味いと言われてもそれはそれで奴を喜ばせたみたいでムカつくから、ある意味どっちとも取れる感想で助かったと言えなくもないか。
「喉は潤ったか? なら早く帰れ。今なら見逃してやるぞ」
「クク、やたらと警戒しているがそんなに我が怖いか?」
「怖くねえよ。……ただ少しでも油断すれば死ぬと思っているだけだ」
「フン、だから貴様とは戦わぬと言っているではないか。今の我は貴様がこの場でうたた寝をしても毛布を掛けてやるくらいには友好的なのだぞ?」
嘘くせぇ……。
暴力反対って言いながら暴力を振るう奴くらい信用ならない。
「信じられないという顔だな。よかろう。なら我が友好的であると証明する為に、プレゼントをやろうではないか」
「プレゼント?」
「情報という名のプレゼントだ。知っての通り、我々は貴様らが“能力”と呼ぶ神のオモチャを無効化できるが、一体どの程度まで効果を打ち消せるのか。それを教えてやろう」
それは……確かに知りたくてしょうがない情報だ。
「とは言っても全てを教えていると日が暮れてしまうのでな、貴様からの質問に3つだけ答えるという形にさせてもらおう。さあ、よーく考えて質問するといい」
3つか。少ないな。
でもま、こいつが本当のことを言うかどうかなんて分からないんだから、んな深く考えなくていいだろう。
「怪我をした際に能力で治した場合は?」
「その怪我をいつ治したかによるな。能力を無効化される直前に治したのであれば、確実に怪我をした状態に戻る。しかし10日程経過しているのであれば余程の大怪我でもない限り元に戻ることはあるまい」
これは本当かも。
前に一度、切断された腕を治したことがあるけど、今もこうして腕はくっついたままだもんな。今後は怪我をしてもパパッと能力で治してしまおうか?……でもそれだと『怪我をしても能力で治せばいい』と慢心を生みそうだから、今まで通り自然治癒に任せよう。
「じゃあ2つ目。能力で肉体を強化した場合は?」
「本人次第だ。その肉体を得るに相応しい努力をしているのであればほとんど消されんだろうが、ただの怠け者に最強の力を与えてもすぐに剥がれ落ちる」
はいはい能力に頼らず自力で強くなれってことね。知ってましたよ。
「最後。能力で破壊したものは?」
「破壊されたものは直らん」
まあそうだよな。実際バルディアに与えたダメージは回復してなかったし。なら能力を封じられる前に速攻でぶっ殺してやればいいんだろうけど、どうせそんな上手くいかないんだろうな……。
「では次は我が問おう。構わんな?」
「ん、どうぞ」
「見たところ、この町の連中は呑気に日常を謳歌している様だったがどういうことだ? 誰も彼も緊張がない。まるで“次”などないと思い込んでいる様ではないか」
……。
「そりゃあそうだろ。だって次があるなんて知らないんだし」
俺が自発的に教えたのはスイレンとアリサだけで、あとは誰にも教えていない。メルフィとクロリアはあの場にいたから知っているとして、その他には……シャイニングさんもそうか。あとローザ女王も絶対に知っているはず。残りは分からん。
「少なくとも貴様には分かっているはずだ。そう遠くない日に“次”があると。何故それを雑魚共に教えてやらん。もしや諦めたのか? 返答次第では……この場で死ぬことになるぞ」
思わず体が震えてしまいそうになる濃厚な殺気だ。
よかったよ、店長に頼んで人払いをしてもらって……。
――俺も遠慮なく殺気を返せるからな。
「教えてやる。お前ら程度なんか俺1人で十分だからだ」
およそ5年振りとなる本気の殺気を放つ。
互いの殺気と殺気がぶつかり合い、大気が振動。コーヒーカップや周囲のテーブルがカタカタと音を鳴らし始める。
……最初に殺気を引っ込めたのはバルディアの方だった。
「ククク、なるほどなるほど。貴様1人で我らを倒すつもりだと。大変納得のいく素晴らしい理由ではないか。さすが我が敵と認めてやっただけのことはある」
本当にそう思っているのか、ただ馬鹿にしているのかは分からないが、愉快そうに笑うバルディアを見ていると本当に戦う気はないんだと理解できた。少なくとも俺との決着をつける気は奴にはない。だからって安心していい理由には全くならないが。
「気分が良いのでもう1つプレゼントをやろう。貴様は魔界の情報をあの5人から得たのであろう?」
5人組……。
俺の弟子の1人を殺したことはまだ忘れてないぞ。
「正確にはその中のデブからだけどな」
「誰からでも構わんが、その情報のほとんどはまやかしだ」
「……何故そう言える? 直接記憶を読み取ったんだぞ?」
「その記憶自体が出鱈目なのだ。我々は情報の価値に重きを置いているのでな、他世界に赴く際には不測の事態に備え、斥候役にはそれらしい偽りの記憶を埋め込むのだ。これならどんな尋問をされようが記憶を見られようが、真実が伝わる心配はない」
「……」
「奴らにどんな記憶を与えたのかはもはや朧だが、確か犯罪組織『バジリスク』がどうのこうのといった内容だったはずだ」
「犯罪組織カオス、だ」
そうかこれも嘘だったのか……。
どうりでダサいネーミングだと思ったよ。
「それ以外の記憶もほぼ全て偽りであり、真実なのは奴らが魔界のとある組織のメンバーであること。そして我がその組織の指揮を執っていることくらいだ」
「ふーん」
じゃあ結果的に魔界の情報をばら撒かなかったのは正解だったのか。
「我らの組織に正式な名はないが、便宜上『革命軍』を名乗っている。成長が止まり、ゆるやかな腐敗を待つ世界に新しい刺激をもたらすのが使命だ」
「けっ。何が革命軍だふざけやがって。『いらぬおせっかい軍』に改名した方がいいぞ。ついでに滅んでくれるともっと助かる」
「フッ、尤も我にとってはただの暇潰しであり、その過程で強者とひりつく様な緊張感漂う死闘が出来れば僥倖だ――程度の愛着しかないがな」
……やはりこいつは生かしておけないな。暇潰しで世界を滅ぼそうとする奴なんて迷惑以外の何物でもない。チャンスがあればすぐにでも打ち取ってやりたい。が、1人じゃあ、ちと不安だな。倒し切れる自信がない。せめてクロリアがいれば踏ん切りがつきそうだけどバルディアの他にも誰か来ている可能性がある以上、戦力は集中できない。
ああ、もうっ……!!
誰か予想外の助っ人とかいないのか!?
「ハロー、ジル」
そう、例えばクロノスとか――
「って、ええ!? クロノス!?」
「クロノス……だと……?」
「久し振り」
え、あれ、なんでクロノスがいんの!?
なんかいつの間にか俺の隣に座って紅茶を飲んでいらっしゃるよ!?
「そろそろ頃合いかと思って会いに来た」
うん、間違いなくクロノスだ。
こんな独特の神秘オーラを纏う存在なんて彼女ぐらいしかいない。なんてタイミングで来てくれたんだろう!!
「ふ、ふふふふふ」
勝った!!!!!!!
魔界編、完!!
クロノスさえいればバルディアなんざ敵じゃねえ!! こんなクッソつまんねえシリアスごと始末してやんよ!!
「会いたかったよクロノス!!」
まずは挨拶代わりに彼女へ抱き付く。
会えて嬉しいのはこの状況に関係なく本当だからな。
「私も。よしよし」
頭を優しく撫でられた。
気恥ずかしいけど悪い気はしないよ、うん。
「いつまでそうしているつもりだ?」
「希望。ジルの部屋に行ってみたい。そこで語り明かす」
バルディアをガン無視するクロノス。
ヤバい。すっごく頼もしい!!
「是非とも連れて行ってあげたいんだけどさ、あの怖い顔した人がいるからちょっと難しいんだよね。パパッと片付けてくれない?」
「……誰?」
俺が指で差して初めてそこにバルディアがいると認識したようだ。
「お初にお目にかかる。我は魔界の革命軍にて総帥の代理を務めているバルディアと申す。我が名を覚えていただけるのであれば幸いだ」
なつ、奴が頭を下げている……だと……?
「そう」
しかしクロノスは奴の珍妙な行動にはまるで興味がないようで、短く返事をすると俺を膝の上に乗せ、髪を梳かし始めた。
えーっと……どういうことだろう?
「ジルのお願いは叶えられない。私から攻撃するのは反則だから」
やっぱそう都合よくはいかないか……。
でも“私から”だから奴の方から攻撃を仕掛けてくれば反撃するってことだよな?
よし。
「おい、バルディア!! ひりつく様な死闘がしたいんだろ? ここにその願いを叶えてくれるお方がいるぞ!!」
「……フン、まさかこんな辺境の地にて貴殿の様なレジェンドクラスに会えるとはな。寂れたラーメン屋に入ったらツチノコがいたくらいの衝撃だ」
「なーに訳の分かんねえこと言って誤魔化そうとしてんだよ。もしかして怖いのか? んん? クロノス相手にビビっちゃってるんですかー?」
「ビビる? 我が? フッ、それは有り得ぬ。誰が相手であろうと我は正面から捻じ伏せてみせる」
「じゃあやってみせて下さいよー。クロノス様相手に出来るもんならな!!」
「……よかろう」
奴が俺――の後ろにいるクロノスを睨む。
当の本人は俺の髪を編み込みアップにしようと奮闘している。
それでもバルディアは威嚇を続けるが、30秒もしないうちに奴の頬に汗が流れた。
「……無理だ。今の装備ではどうやっても勝てん。癪だが、今回は遠慮させてもらおう」
「あ、こらテメエ、逃げんのか!?」
「どう解釈しようが構わん。だが覚えておけ。貴様がクロノス殿を味方に引き込んだとしても、それでようやく戦況は5分と5分であることを」
「……」
強がりだと一笑に付してやりたいが、そう出来ないだけの迫力を奴から感じてしまった。……クロノスがいてようやく互角だって? だとしたら状況は圧倒的に悪い。最悪と言ってもいいレベルだ。でも組織の実質トップであるはずのバルディアがクロノスとの戦闘を避けるってことは彼女より強い奴はいないと考えても良さそうだよな? だとすればまだチャンスはありそうだが……。
「ところで先程から随分とクロノス殿と仲が良さそうだが、彼女とはどういう関係なのだ?」
……考え事は全て終わってからだ。
今はこの状況をどう乗り切るかを考えないと。
そうだな……バルディアとクロノスに戦う気がないのなら、とりあえず彼女との仲をアピールして手を出しにくくすることに専念しようか。彼女と一緒にいる限りは俺の優位性は崩れないのだから最大限に活かす……!!
「一言で言えば“姉さん”だな」
「姉だと?」
「そうだ。一緒にお風呂に入るくらい仲の良い姉弟だ」
紅茶を優雅に飲みながら、どうだ凄いだろと自慢してやる。
「肯定。死後は私とずっと一緒にいると約束した仲」
「ぶっ!!」
「ほう?」
思わず紅茶を吹き出してしまう。
え、なにその約束?
初耳なんですけど!?
冗談だよな? 冗談ですよね!?
「仲が良くて結構なことだな。だがその小僧には既に別の女がいるのだ。姉だからと言って過剰にスキンシップするのは如何なものかと思うが?」
「別の女?」
彼女の手が止まった。
俺の思考も止まった。
ヤバい。何がヤバいか分からないけど、とにかくヤバい気がする……!!
「いやいや髪のセットくらいは普通ですから!? 普通の姉と弟の関係だから!! だ、だいたい何だよさっきから敬語もどきなもん使ってんじゃねえよ!! 似合わねえぞ!!」
「我なりに強者であるクロノス殿に敬意を払っているだけだ。それで例の女の話だが――」
「分かったバルディア……!! 引き分け……!! 引き分けで手を打とうじゃないか!!」
「断る。我が目指すのは常に勝利だけだ」
こ、こいつ……!!
「もしかしてジル、彼女ができた?」
「――」
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
クロノスの膝の上から立ち上がり、床に正座する。
もう観念するしかない。
「はい、実は彼女ができました」
「そう」
うぅ……お腹痛い……。
クロノスとは“契約”一歩手前までいったことを思うと気まずくてしょうがない。クロノスもどんな反応をするかまるで想像できないし、無性に胃薬が欲しくて欲しくてたまらない。ちくしょう……なんでこんなことになってしまったんだ……。
「その子と手は繋いだ?」
「繋ぎました」
「ハグは?」
「しました」
「お風呂は?」
「入りました」
「キスは?」
「し、しました」
「そう」
それから長い沈黙が続いた。
あまりに長かったのでバルディアが痺れを切らして何かしてくるんじゃないかと思ったが、見れば奴は不自然な格好で固まっていた。……どうやら周囲の時間は止まっているようだ。
「ジル。私もキスしてみたい」
「!?」
長い沈黙の末、彼女はとんでもないことを言い出した。
「キ、キスしたいのか?」
「肯定。まだしたことがないから興味がある」
「そ、そうか。でもな、クロノスにキスはまだ早いと思うぞ。もうちょっと大人になってからしよう。な?」
「私はジルより年上」
「分かった。じゃあ、ほっぺでいいか?」
「拒否」
「なら手の甲でどうだ!? 誓いのキスみたいで格好いいだろ?」
「断固拒否。口と口がいい」
どうしてもキスしたいのか。
気持ちは嬉しいが……。
「でもな、キスってのは普通恋人同士でするもんなんだ。俺達は仲がいいけど恋愛関係じゃないだ――んん!?」
いきなりクロノスに唇を塞がれた。
そして同時にこれまで体験したことがない快楽が体を駆け巡った。
なんだ……これ……ダメだ……意識……が……――
「む?」
正座しているはずの小僧が気付かぬうちにテーブルに倒れ伏している。
「堪能。想像よりもずっといい」
その横には自身の唇を艶めかしく舐めるクロノスがいる。
なるほどな。嫉妬を買ってキスでもされたか。
“最強”と称される彼女の唾液は耐性無き者には高濃度の麻薬と変わらん作用があるのではないかと噂されていたが、どうやら真実だった様だな。小僧は脳が刺激に耐え切れず気を失ったのであろう。
「クク、廃人にでもなったらどうするつもりだったのだ?」
「愚問。ジルの体は理解している。ちゃんとギリギリの所で我慢した」
ただのキスで我が敵と認めた男を気絶させるとはな。
やはりいつか戦ってみたいものだ。
「ジルにはもっと強くなってもらわないとこれ以上先に進めない。だから貴方が真っ当なやり方で鍛えてくれるのなら殺さないように相手をしてあげてもいい」
む、心を読まれたか?
我としたことが極上の相手を前に気が緩んだか。
「とても魅力的な提案だが、お断りさせてもらおう。我には我のやり方があるのでな」
「そう。ならジルを悩ませている貴方にはちょっとした悪戯を受けてもらう」
「面白そうではないか。どんな悪戯かな?」
「どうなるかは私にも分からない。だからこの世界に肩入れするわけではない」
奴が小さく手を叩く。
……何が起きても対応できる様に全神経を張り巡らせるが、異常は感知できない。
「何をした……?」
「その時が来れば分かる。私は帰るからジルをよろしく」
「何故我が――待て」
信じられん。
本当に帰ったぞ。
小僧がどうなっても構わんのか?
「……」
この場にいるのは寝ている小僧と我だけ。
客は全くおらず、店員も奥に引っ込んでいる。
小僧を守る者は誰もいない。
「フン」
殺すか。
どのような理由であろうと敵の前で寝顔を晒す奴など死んで当然だ。やや興醒めだが、憂さ晴らしに小僧の首をあのアリサとかいう女の前に持っていって反応を楽しむとしよう。運が良ければあの女が我の新たな敵となってくれるやもしれん。
「そういうわけだ小僧。恨むのならクロノスを恨むのだな。――死ね」
首より下を全て消し飛ばすつもりで魔法を撃つ――
「むぅ!?」
なっ、攻撃が跳ね返っただと!?
「くっ」
予想だにしない展開に加え、我が放ったよりも倍近い速度で跳ね返った為、もろに自分の攻撃を受けてしまった。
「ク……クククク……クハハハハハハ!!」
やってくれるではないかクロノス!!
まんまとしてやられたぞ!!
我に気付かれぬ様に反射魔法を小僧に施すとはな。
まったく大した“悪戯”だ。
これでは手出しできんな。
「おい、店主。この小僧に毛布でも用意してやれ」
クク、まさか本当に毛布を掛けてやることになるとはな。
なかなか有意義なバカンスとなりそうだ。