第48話 説得
黒歴史――。
それは若さゆえの過ち、未熟ゆえの痴態、忘却の彼方へと消し去るべき己が恥――。
主に学生の時期に存在するこの暗黒期は、一時の快楽と引き換えに耐えがたき恥辱をもたらす。
「っ……!!」
昨晩、黒の歴史に1ページを刻んだティリカは、クラスメイトに不思議な顔をされているのにも構わず机に突っ伏し、時折奇妙な呻き声を上げている。
気持ちはよーーーく分かる。
何故なら俺も同じく顔を机に密着させているからだ。
「どうしたジル、元気ないな。制服も男用のなんて着ちゃってどうしたんだよ? 怒られる前に早く着替えてきた方がいいぞ」
「あ゛ーーー」
俺も昨日やらかしてしまったからな……自己嫌悪が半端ない。
さすがにアレは悪乗りが過ぎた。初めてドレスなんて着たもんだからテンションがおかしくなってしまったのだ。でもだからって気持ちまで女っぽくなってしていい理由にはならないよな……。
「うわああああああああああああああ」
「おぉ!? なんかティリカさんも今日はおかしいな」
ティリカはまだいい方さ。……いや、やっぱよくはないか。「食べさせてください」はないよな、「食べさせてください」は。ちょっとティリカは流されやす過ぎだよな。それっぽい雰囲気になっただけであんなに従順になるなんて、かなり危うい性格だろ。あれじゃあ、美人に言い寄られたらホイホイ付いて行ってしまうそうだ。むしろ今までよく無事だったよな。……ああ、アリサがちゃんと見張っていたからか。
でもまあ、まだティリカは子供だから取り返しはつく。今は恥ずかしいと思っても、大人になればいつか『そんなこともあったなー』と笑い飛ばせる日が来るだろう。
――だが俺はそうはいかない。
肉体は少女でも精神が大人である俺が、出会ったばかりのよくわからん女と一緒に貴族の女の子ごっこをノリノリでやるなんてどうかしている。人生の汚点以外の何物でもない。
「うがああああああああああああああ」
「どうしたジル!? あんま可愛くない悲鳴だぞ!?」
……自分を見つめ直す必要があるな。
俺は机の中にあった複数の手紙を取り出す。差出人のほとんどが男からで、内容は要約すると『かわいい、付き合って』だ。もちろん本気で俺が好きなのではなく、スイレンやアリサ目当てなのは言うまでもない。昨日は女子ばかりだったのに今日がこれってことは、俺は世間様から女より男をぶつけた方が効果的だと認識されているってことだろう。
「しょうがないなー、元気になるおまじないを教えてやるよ。ほら、まずは可愛く『お兄ちゃん』って言ってみ――ほげぇ!?」
んー……果たして俺はこのままでいいのだろうか……?
今までは誰にどう思われようと自分の道を突き進む気でいたけど、気持ちが少し揺らいできたな。昨日の出来事から察するに、このままだと心まで乙女になりそうなんだよなー。いくらなんでもそれは俺の望むところではない。あくまで俺は可愛い“男”として生きていくつもりなのだ。
でも油断すると心まで女に浸食されかねないと分かったからには考えを改めねばなるまい。
「…………」
そろそろ潮時なのかもな……。
俺も普通の男に戻る時が来たのかもしれない。
能力でも使わない限りは、いまさらどうやってもこの体を男らしくすることはできないが人の認識を変えることくらいならできる。具体的には能力を使い、他者からは常時俺が男に見えるように錯覚させてやるのだ。突然そんなことをしたら周囲も混乱するだろうから、徐々に徐々に変えていき、気づかれたら『成長期だからなー』とか言えば納得せざるを得ないはず。
うん、根本的な解決ではないが悪くはない選択だよな。
どうせ俺が可愛くて喜ぶのは変人しかいないんだし、いつまでもアホなことやってないで普通に生きていこう!!
「そういうわけで俺はこれから誰がどう見ても男に見えるように生きていこうと思うんで、俺の事は諦めた方がいいぞ」
「…………」
休み時間、学園を見学していたレイシアと部室で合流し、彼女に俺の決意を話した。彼女は俺の女らしい面に惹かれたのだから、俺が男っぽくなるならもう用済みだろう。残りの期間を待たずして彼女とはお別れだ。
「君の容姿は努力とかでどうにかなるレベルじゃないと思うけど?」
「百聞は一見に如かず。俺は学園を卒業するまでにこんな容姿になるつもりだ」
親父とルー兄さんの容姿から、俺が本来そう成長するであったろう姿の幻覚を作り出す。
「ぎゃあああああああああああああ目がああああああああああああ……!!」
レイシアからすれば目の前の少女が突然イケメンになったように見えたはずだが……何か思った以上に反応が大袈裟だった。
「た、頼むジル……早く元に戻ってくれ……!!」
「ほい」
目的は達成したので幻覚を解除する。
「ほっ、良かった……。いつもの可愛いジルだ!」
「その可愛いジルもあと少しでおしまいだけどな」
「っ、正気かい!? 昨日は皆であんなに盛り上がったのに……どうしてそんな馬鹿げたことを……!!」
「ぐっ……ええいその話題はやめい!! とにかく俺はもうただのイケメンとして生きていきたいんだよ!!」
「…………あれだ、君はそれでいいかもしれないが、君の彼女はどう思うかな……?」
「アリサ? さあ、特に何も言わないと思うぞ」
遠回しに男らしくした方がいいと言ってくるし、むしろ文句を言われるどころか喜ばれる可能性の方が高い。
「……私には昨晩のドレスを着た君が生き生きしているように見えた。だから君が選ぼうとしている道は間違っていると思う」
「アンケートをとったら9割以上の人が、ドレスを着てはしゃぐ男がおかしいと答えるだろうな」
「周りなんて関係ない!! 大事なのは君がどうしたいかだ!!」
「いや、だから俺は男に――」
「そうだ!! 君の本心を確かめる方法がある! 私の力は『空気を読む』力だ。その場に最も相応しい姿と性格になる力。もし今この力を使えばどうなるかな? 君が心から男になりたいと思っているのならば、私はそれを後押しする性格になるはずだ。逆に君に迷いがあるならば――」
全力で止めにくる、と。
確かに【限定適応】の仕様だとそうなるんだろうな。
「まあ面白そうだけど別にやんなくても――」
「問答無用!!」
最後まで話を聞かずにパン、と手を叩くと、今度は前回と違って光ることなく一瞬で姿が変わり、彼女の服は男用の制服から見覚えのあるメイド服になり、髪形も黒からプラチナブロンドへ、そしてご丁寧にうさ耳までついた少女になった。
「……もしかしなくとも、アリサなのか?」
「はい、そうですよ」
雰囲気と特徴はよく真似てある。背格好も声も同じだし、そのまま出歩いても彼女がアリサじゃないと疑う人はいないだろう。
さすがは能力、凄まじい再現性だ。
でも何故アリサの姿に……?
「私がこの姿になったということは、アリサ・フィーリアこそがこの場の最適解ということです」
「……」
「おそらくアリサに相談なく男になるのはどこか抵抗があったのでしょう。ですがアリサはジル様がどんな決断をしようと文句は言いませんよ。何故なら余程気に入らない場合はそんな考えすら浮かばないように、予め手を打っておきますから。ですから悩んでいる時点でそれはアリサにとってどちらでも構わない問題なんです」
うわぁ……何か怖いこと言っているけどアリサが言いそうなセリフだな……。容姿と性格が変わるだけで記憶や【直感】までは再現できていないはずなのに、よくもまあそれらしいことを言えるもんだよな。
「ふふ、ですがそれはジル様と付き合っていない“アリサ”の考えですからね、本物のアリサの考えとは異なる可能性も否定できません」
ん?
「えーっと、つまりどういうこと?」
「極論を言えば私は“アリサ”じゃないので、この時間は無駄だということです」
……。
「じゃあ何でそんな姿になったんだ?」
「ふふ、分かりませんか? 例え姿形が同じでも中身が違えばそれは別人なんですよ。真似ることは出来ても所詮は偽物。本物にはなれません」
「……」
「ジル様にも同じ事が言えますよ? ジル様は男なんですからどんなに女に近づいたって女にはなれません。それこそ“特別な力”でも使わない限りは不可能です。……もちろんジル様はそんなものを使う気はないんですよね?」
「……まあな」
「なら乙女化なんて心配をせずに――っておや? もう元に戻ってしまったのかい。やはり他人に変身すると制限時間が極端に短くなるみたいだね。でも今はそんな考察より……」
元のイケメン女子に戻ったレイシアは一息つくと、俺の目をじっと見つめてきた。
「彼女の思考をトレースして思いついたことがある」
「何だ……?」
「私とデートをしよう。私が男役で、ジルが女役だ」
……。
「一応、理由を聞いてやる」
「なに、君は一度自分の限界を知るべきだと思ったんだよ。思いっきり女に成り切ってみれば見えてくるものがあるはずだからね。もしかすると君は意外と男なのかもしれないよ? 私も自分の本質が男なのかどうか確かめてみたいし、どうだろう?」
「ふむ……」
そう、だな……。
思えばまだ本気を出したことはなかったな。レイシアの言う通り、女役をやってみるのもいい経験になるかもしれない。色々悩むのはその後でも間に合う……よな?
「OK、その提案に乗ろう。ただし、デートじゃなくて買い物な」
「うーん……まあしょうがないか」
「じゃあ次の休みに市内を散策するとしますか」
やるからには全力だ。
【自由自在】を使って心のあらゆる制約を取っ払っい、持てる全てを出し切ってやる。それが酷い黒歴史になるとしてもな……!!