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「――ゆっくり、のんびり、ただただ歩くの。どこまでもどこまでも……」


 パンパンと手を叩く音が聞こえて私は演技をやめた。すぐにゆきのんへと顔を向ける。腕組みして壁により掛かり、難しい顔をしているゆきのん。……ドキドキします。今のは声も大きかったし、目も泳がなかった……はずです。やがて、ゆきのんはその難しい顔を縦へと何度か動かした。


「ん。今のは良かったんじゃない? 演技も途切れてないし、声もそこそこ出てたし」


「ホントですか!?」


 初めて褒められました! 毎日毎日、たくさん練習しました……。それでも全然うまくできなくて、ゆきのんに怒られて、でもそれも納得で。だってゆきのんがお姫さまをやると周りの空気ががらっと変わってしまうのです。いくらセリフを覚えて、動きを真似ても、全然似てないのです。あれが正解だというなら、私の演技は果てしなく間違いでしょう。……まあ、声が小さいとかおどおどしすぎとか、それ以前の問題で怒られていたんですけど。


「喜ぶのはまだ早いんじゃない?」


「ご、ごめんなさい」


 その通りでした。別にゆきのんが私にいじわるなことを言っているわけじゃないんです。だって、私――。


「次、お姫さまのシーンやるよー」


 ……噂をすればなんとやらです。そう。問題はここから。


 私たちはみっちゃんの声に従って廊下から稽古場へと場所を移した。


「雪乃、あかちゃんはどう?」


「二週間にしては上出来ね。私の前では」


 ゆきのんの返事を聞いてみっちゃんが困ったような顔で笑う。


「まあ、とりあえず見てみるか。あかちゃん、最初のシーンからやってみて」


「は、はい!」


 呼ばれて前に進み出る。演技指導のみっちゃんと今までここで練習していたリュウ、そしてゆきのんが壁際に座ってこっちを見ています。あそこが客席、私は今、舞台に立っているんだ。


 体中の毛穴が開くようなぞくぞくとした感覚。息苦しさを感じて一度大きく息を吸う。暴れだした心臓を抑え込むように限界まで肺に空気を溜めた。


 頭の中は色とりどりの光が舞ってセリフが駆け巡る。指示されたシーンは今の今まで練習していたところだ。あのゆきのんにだって褒められたのだ。私は、もう、できる。そう言い聞かせて何度も最初のセリフを口の中で復唱する。『今年も綺麗な桜が咲くかしら』『今年も綺麗な桜が咲くかしら』『今年も――』


「よーい、はいっ!」


 みっちゃんの手が叩かれる。開始の合図だ。シーンは暗転。焦る必要はない。自分のペースで一言目を言えばそれが合図となって照明がつく。ここさえ乗り切れば、きっと――


「こ、こ、としっも、綺麗なしゃくりゃ……」


 ――噛んでしまった。第一声を外した。それに動揺して焦って口が回らなくなった。無言が続く。みっちゃんはまだ手を叩いていない。劇は続いているのだ。これが本番だったら? どんなに失敗しても続けなくちゃいけない。だから私は、セリフを言わなければいけない。けど――


 ――パンパン


 二回の拍手は演技の中断の合図。困ったように唸るみっちゃん。ため息を吐くゆきのん。ただ無言で私を見つめるリュウ。


 気持ち悪い。胸の中に黒くてドロドロとしたものが流れ込んでくる。嫌だ。嫌だった。私は自分が嫌だった。何も成長していない。私はまた、逃げたのだ。セリフの続きを言えば止められることはなかっただろう。それはもう、わかっていた。どんなに下手でも、どんなに失敗しても今求められていたのは『演技を続ける』ということだけだったのに。それをわかっていて、私は何も言わなかった。


 この場所で劇団のみんなに自己紹介をしようとした時と一緒だ。言わなきゃ後悔するのをわかってて、言おうとしない。ただ、逃げている。いつも、逃げている。私はいつも――


「いいじゃん。成長だろ。今の」


 その声に視線を上げるとリュウがだるそうに足を投げ出して欠伸をしていた。


「自分の名前すら言えなかった奴が、ちゃんと自分からみんなの前に出てセリフを言おうとしたんだぜ? しかも今日は一部とはいえ、ちゃんと声に出した。悪くないだろ」


「まあ……そう言われりゃそうだけど」


 みっちゃんが渋い顔でうなり、リュウがつまらなさそうに続ける。


「どうせ、あかちゃんが出る舞台はまだまだ先なんだ。のんびり見てやれよ。団長」


「そうだな。うん。よく頑張ったあかちゃん。次は一つのセリフを最後まで言えるように頑張ってみて」


 私は頷くとゆきのんと場所を替わる。……『頑張って』かぁ。私、頑張っているつもりなんだけどなぁ。それでも、こうなってしまう。なんでなんでしょう。うぅ、泣きたいです。


 隣に座るリュウは首をコキコキと鳴らして壁により掛かっている。私はその横顔に声を掛けた。


「あ、ありが……とうござ――」


「別に。俺はそう思ったから言っただけ。ゆきのんの前ではもっとちゃんと演技できるんだろ?だったらすぐに他の人の前でもできるようになるだろうよ」


 それからリュウはちらっとこっちを見ると小さくVサインをして片方の頬だけを吊り上げた。


「早く、俺にも見せてくれよ。あかちゃんのお姫さま」


「え? あ、はいっ!」


 私が慌てて返事をした頃にはもうリュウの視線はゆきのんに向いていた。……今、笑ったよね? Vサインしたよね? 初めて見ました。リュウはいつも怒っているのが普通だと思ってました。……笑った顔、意外と可愛く思えてしまって、なんだか嬉しい。なんだかちょっとすごい秘密を知ってしまったような気分なのです。


「今年も綺麗な桜が咲くかしら?」


 ゆきのんの演技が始まった。穏やかな声、でも透き通っていて凛としていて。柔らかな動き、のんびりと優雅で。演技は演技に見えなかった。まるで初めからゆきのんはお姫さまだったんじゃないか? そんな風に思える。


 ゆきのんが花を摘む仕草をすればそこに花が見える。鳥と戯れれば鳥が見える。いるはずがないものが私には見える。きっとそれは誰が見ても見えるんだ。ゆきのんが見せているんだから。


 ここにいない和歌山のセリフをリュウが代わりに読んだ。実際はゆきのんは稽古場で一人、演技をしているだけだ。でも、お花畑でヘンテコな動きをするピエロに振り回されつつも、しっかりと手綱を握るお姫さまがそこにいる。


「すごい……」


 私は思わず呟いた。ゆきのんは天才だ。本当にそう思える。私はただ、夢うつつにゆきのんの演技を見ていた。


「はいおっけー」


 中断の合図が出されて演技が止まる。


「うん。前よりずっと良くなった。でも、動きはもっと大きくしないとダメだな。今度の舞台は大きいからそれじゃあ、後ろのお客さんは何やってるかわからないぞ」


 あんなにすごい演技でもみっちゃんはダメ出しをした。確かにそのとおり。それはただすごいと感心していた私には思いもつかなかった事だ。


「よーし、じゃあ、休憩するか。そろそろ和歌山も帰ってくる時間だしな。リュウ、くぼじゅん呼んできて」


 和歌山は『大泉演劇祭』が行われる『大泉シンフォニー』でスタッフさんと最終打ち合わせに行っている。本番は、もう明後日なのだ。


「じゃーん! 今日は奮発して二つ! しかも『カントリーマアム』と『パイの実』よ! みんなで食べよ」


 ゆきのんがごそごそと大きな鞄から取りだしたのはお徳用のお菓子だ。たまに誰かがお菓子を持ってきて休憩時間にみんなで食べるのです。でも今日はずいぶん豪華だ。


「今日が練習最後だからね。前祝いよ!」


 ……そうなのです。明日はもう、舞台を使ってのゲネプロ(リハーサルのことをこう言うんだって)。通常の稽古は今日で終わりなのです。出るわけでもない私までドキドキしてきちゃいます。


「あら? 今日は豪華ね。じゃあ、これはいらないかしら?」


 リュウに呼ばれてやってきたくぼじゅんが、やっぱり鞄から何かを取り出す。


「じゃじゃじゃーん。『前祝い用ロールケーキー』」


「わぁ……」


「いる! いるわ!」


 私とゆきのんは、くぼじゅんが取りだした箱を見た途端、眼をキラキラさせてしまいました。可愛らしい白と緑の箱。なんだかここまで甘い香りが漂ってきているような気さえしてきます。さすがロールケーキ!


くぼじゅんは嬉しそうに微笑むと紙皿とフォークを取りだした。みっちゃんとリュウが折りたたみ式の机を出してきて、椅子をセット。なんだか本当にパーティーみたいになってしまいました!


「は? あれ? なにやっとるん?」


「パーティーよっ!」


 丁度準備が終わったところに和歌山が帰ってきた。ナイスタイミングです! まだ『?』を浮かべたままの和歌山をゆきのんが引っ張ってきて席に着かせる。リュウが自販機で買ってきた紅茶をコップに注いでわいやわいやと騒いでいたところで、すっとみっちゃんが立ち上がった。


「じゃ、明日の小屋入り、明後日の本番を祝しましてささやかながらパーティをしたいと思います」


「「「いえーっ」」」


「あ、いえーっ」


 遅れて私も乗ってみる。みんなが私を見て、クスッと笑う。……不思議だ。注目を集めてしまったことはとても恥ずかしい、恥ずかしいんだけど、なぜか心地よく感じる。みんなが優しく笑ってくれるからなのだろうか? でもどっちにしろ劇団に入る前の私じゃ考えられなかった。


「みっちゃん、つまらん。何かしろよ」


「そうよお兄ちゃん!」


 いつかどこかで聞いたことのあるやりとりが交され、みっちゃんが渋々ながら椅子の上に立った。顔を隠して――


「僕、みっちゅあん!」


 パッと広げた手の中から満面の笑みが現れる。


「またかよ」


「飽きたー。つまんないー。お兄ちゃん、センスないわよね」


「なっ! ちがうから! 今のは改良版だし! セリフも『みっちゅあん!』に変更してあって、意外性を――」


「でも、つまらないわよ?」


 ……今の発言。ゆきのんではありません。くぼじゅんです。ニコニコとした笑顔のまま、とてもきつい一言を言い放ったのは紛れもなく、くぼじゅんなのです。みんなビックリしてくぼじゅんに注目。


「あ、あら? つ、つい本音が……。あ、いえ、ケーキ食べましょう? ケーキ!」


 ……くぼじゅん。私の中でくぼじゅんに抱いていたイメージにヒビが入った気がします。


 ピルペルポロン! ピルペルポロン!


「ん? なんの音や? 携帯か?」


 みんなの鞄が集まった一角から変わった電子音が鳴り始めた。


「誰のだ? 俺のじゃないな」


 リュウが訊ねるもみんな首を傾げてばかり。当たり前です。……私の携帯なのですから! あの音、変えたいんだけどまだやり方がよくわからなくて……。

私は立ち上がると、トトトっと鞄に駆け寄って携帯を取り出す。ディスプレイを見るとメールが一件。お母さんからだ。


『今日、ちょっと遅くなるかもしれん。腹減ったら、なんかてきとーにつくって食べて。ごめん』


 ……また、ずいぶんな内容です。私、お菓子作りは好きだけど、料理はできないのに。どうすれば……


 ピルペルポロン! ……もう一通。


『大丈夫! さくらはやればできる子!』


 まだ、返信もしてないのに先読みされましたっ! さすがお母さん!


「あら? あかちゃん、携帯持ってないって言ってなかったかしら?」


 いつの間にかくぼじゅんが私の後ろから覗き込んでいる! 私はちょっとビックリしてなぜか携帯を隠してしまう。先週みんなに訊かれた時はまだ持っていなかったのです。


「日曜日にお母さんに買ってもらって――」


「なんだぁ。早く言ってくれなきゃ! アドレス、交換しましょう?」


 アドレス交換! どどどど、どうやればいいのですか!? 赤外線!? 赤外線ですよね!? 知ってます! 


「……うぅ」


 知ってるだけで、やり方がわかりません! 私は一生懸命に携帯をいじくる。


「こうやるのよ!」


 ゆきのんが携帯を私から奪い取る。ちょいちょいっと操作して自分の携帯と向かい合わせにして


「ほら。できたわよ」


 私に投げ返した。


「あ、ゆきのんずるいわ。私が最初に言ったのよ?」


 次は私ね、と言うかわりに手を差し出してくるくぼじゅん。私はその手に携帯電話を渡そうとして――


「それじゃあ、あかちゃんがわがからんやろ」


 和歌山が奪い取り、ディスプレイを私に見せながらやり方を教えてくれる。


「メニュー押して、ツールを選んで――」


「あ、ここにあったんだ」


「じゃ、ウチとも交換やな」


 ニコッと笑う和歌山の後ろに、同じくニコッと笑うくぼじゅんの姿。……お、同じ笑顔のはずなのに、私はくぼじゅんの笑顔から目が離せません。こ、こわい……。


「和歌山? 私が最初に言いだしたんだけど? ……死にたいのかしら?」


 ……人って不思議です。知れば知るほど新しい一面が存在するのですね。くぼじゅんのイメージはもはや音を立てて崩れました。代わりに立ち上がったのは真っ赤なドレスを着た女王様のようなイメージ。


 魔王――リュウ。悪魔――ゆきのん。女王――くぼじゅん。この劇団、意外と怖い人たちでいっぱいです。最初に理由もわからずゆきのんにつれて来られた時の私の想像、実はあっていたのかもしれない。


 それから私は団員みんなとアドレス交換をして、パーティーを楽しみ、みんなが最後の稽古を頑張るのを見て、幸せな気持ちで家に帰るのでした。

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