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「おは、おは、おはようございます」


 第一声というのはいつも緊張するものです。『くるみの森』に入団して一週間が経ったというのに、やっぱりまだ緊張してしまいます。


「……?」


 いつもだったら、気さくな挨拶か、ゆきのんの「声が小さいわよ!」という叱咤が飛んでくるのですが、今日はなんの反応もなし。私は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。……力むと目を瞑ってしまうのも役者としてはダメですよね。


「……あれ?」


 誰もいない。今日は休みだったっけ? と考えてすぐに思い直す。だったら鍵がかかっているはずだ。


「……から……とる……よ」


 小さな声が聞こえる。でも、小声という感じではなかった。隣の部屋かな?


 私は稽古場を横切ると普段は物置として使われている部屋の扉をあけた。


「じゃあ、あれか? お前は自分たちの都合で妥協するって言うのか!?」


「そんなことは言ってない。妥協じゃなくて、現状ではそれが一番良いと言ってるんだ」


 思わず、背筋が伸びる。部屋の中には明らかに不機嫌なリュウとみっちゃん、それと二人を止めるように間に立つ和歌山の姿があった。


「あ、ごめん。あかちゃん、ちょっとそっちで待っててくれる?」


 和歌山が申し訳なさそうな顔で手を合わせる。私は躊躇しながらも頷くと扉を閉めた。


 ……ドキドキする。リュウは声を荒げてみっちゃんに詰め寄っていた。みっちゃんもみっちゃんで不機嫌さを隠そうともしない冷たい声だった。……ケンカだ。『くるみの森』のみんながケンカするなんて。……どうしよう。どうすればいいですか?


 私は扉から離れると部屋の隅に蹲った。時折部屋の中から怒鳴り声が聞こえてくる。まだ、くぼじゅんやゆきのんは来ていないみたいだった。早く、来て欲しい。ケンカ、止めて欲しい。


 寒い。そんなわけが無いのに身体が震える。心が冷たくなってくる。それが身体に伝わったのかもしれない。


「おはよー……ってなんでいきなり落ち込んでいるのよ」


 ゆきのんは眉毛を持ち上げて、私を見る。私は安心で涙が出てきてしまった。


「ちょ、ちょっと! なによ? なんで泣くの?」


「ケンカ……どうしよう」


 物置を指してどうにかそれだけ口にする。ゆきのんが視線を向けたとき、中からリュウの怒鳴り声が聞こえてくる。


「ああ、そういうこと。慣れといた方が良いわよー。本番前は大抵ああなるから」


 ゆきのんは全然動じないで私の隣に腰を下ろす。なんで? いつもあんなに仲が良いのに。しばらく私たちの間に無言が続く。扉の奥からの怖い声だけが稽古場に響いた。


「あー、そういうこと」


「?」


 私が首を傾げるとゆきのんはつまらなさそうにため息を吐いた。


「台本の改訂が必要ってリュウが言い張ってるのよ」


 え? それって台本を変えるってこと? あと一週間で本番なのに?


「まあ、お兄ちゃんも悪いとは思うんだけどね。リュウが言い続けてたのに今まで曖昧にしか答えなかったし」


「なんで、変えるの?」


 顎に手を当てゆきのんは考える。


「この前の舞台、ほら、あかちゃんが見に来てくれたやつ。あの時、あかちゃんもアンケート書いたでしょ?」


 本番終わった後に、感想や好きなキャラクターとかそういうのを確かに書いた記憶がある。


「後半は面白かったけど、前半がつまらない。まあ、そういう感じの意見が多かったのよ。だからリュウは台本の改稿を求めてるのね。でも時間ないでしょ? だからお兄ちゃんはそれに賛成してない。それで――」


 ゆきのんはクイッと顎で物置の方を指した。


「あーなるわけ。本番前ってさ。みんな焦り出すからケンカになること良くあるのよ。だから心配しない。いつものことだし。すぐに終わるわよ。今回はリュウだってわかってると思うわ。いくら何でも一週間前に台本は変えられないって」


 ――じゃあ、なんでケンカするの? そう言おうと思って私はやめた。怖かったのです。仲が良いと思ってた二人がケンカを始めてそれだけで頭がいっぱいなのに。これ以上よくわからないことを訊きたくなかった。けど、ゆきのんは私の心を読んだかのように話を続けた。


「リュウは和歌山のこと考えてるのよ。和歌山、自分では言い出さないけど、台本直したがってたみたいだし」


「……なんで和歌山が台本直すの?」


「そりゃそうでしょ。作者なんだから」


 ゆきのんがきょとんとした顔を向けてくる。……『桜の国のお姫さま』のストーリーを私は知らなかった。けど、それは私が知らないだけで、そういう物語が元々あるんだと思ってた。だって、本当に素敵で優しくて悲しいお話だったから。あんなにすごい話を自分たちで考えてたなんて、思いもしませんでした。


『まさかあの舞台見て入ってくれる子がおるとはなぁ』


 幸せそうに笑う和歌山の顔が思い浮かぶ。あれはそういう意味だったんだ。……なんかそわそわします。いや違う。イライラするんだ。和歌山に? 私に?

だって、私はもっと言わなきゃいけなかった。『楽しかった』とか『感動した』とか、そんな一言で終わらせたらダメだ。アンケートにちょっと書かれたからって、へこんでいたらダメだ。和歌山はもっと自信を持っていい! あんなにすごいお話を書ける人なんて和歌山しかいないんだから!


「あ、あかちゃん? どこいくのよ!」


 胸に沸々と沸き起こってきた熱いもののやり場を求めて私は立ち上がった。歩く。伝えなきゃ。扉に手を掛ける。思い浮かぶのは和歌山の悲しそうな顔。和歌山言ってました。『大泉演劇祭』の説明してくれたとき、『桜の国のお姫さま』のことを『こんなもので』って。あれは『こんなもの』じゃない。物語を書けるだけですごいのに、それがあんなに素敵なお話なんだ! 和歌山はすごい。私にはわかる。だから――


 バンッ!


「『桜の国のお姫さま』はすごいです! 楽しかった。感動した。悲しかった。苦しかった。胸がいっぱいで、ドキドキして、ビックリして、笑って、恥ずかしくて、苦しくて、とにかくとっても素敵だった! 和歌山はすごいです! だから――」


 ……和歌山もみっちゃんもリュウも。目をまん丸にして私を見ている。私は急に頭の中が氷水でいっぱいになったみたいに熱が冷めていった。


「わ、わたし……この劇団に、入ったん、です」


 三人の顔がぼやけ始める。瞼を腕で擦ると少しだけ袖が湿った。なんで? 私泣いてるの? 怖いから? 恥ずかしいから? 


「わ、たし、あのお話、好き、です……」


 ドンドン声が小さくなる。恥ずかしい。怖い。その通りだと思う。でも涙の訳は他にある気がした。じゃなきゃ、こんなに怖いのに私が話をやめないなんてあり得ない。


「だから、お話、変えないでください。また、見たいです。『桜の国のお姫さま』」


 ああ、そうか。自分で言って、やっとわかりました。私は『桜の国のお姫さま』をやめちゃうのが嫌だったのです。……これって、ただのワガママじゃないですか。やっぱり、私、嫌な子です。


「……ごめんなさい」


 私は謝って振り返った。ゆきのんと目が合う。やっぱりまん丸な目をしていた。そりゃそうだよね。こんなワガママいきなり言いだしたら――


「リュウ、ありがとな。でももう、ええわ」


 和歌山の声に私は再び振り返る。


「例え、九人に嫌われようとも、一人にこんなに思ってもらえる作品なんてそうそうあるもんじゃないとウチは思う。あれはあのままが一番良かったんや」


 歯を見せて笑う和歌山にリュウは眼鏡を持ち上げるとため息を吐いた。


「……そうか。じゃ、この話はなかったことに」


 リュウはそのまま私の方に歩いてくる。私は首を縮めて目を瞑った。


「……通れないんだけど」


「え? あっ!」


 私は飛び退いて道を空ける。私の横を通り過ぎるとき、リュウが小さく笑った気がした。


「ま、正直、見直したわ」


 え? 見直した? 何を? リュウはそのまま稽古場から外への扉へと消えていった。


「はぁああああ、あのねぇ、あかちゃん」


 これでもかっ! というほどゆきのんが大きなため息を吐いて、私の下へと歩いてくる。


「私は改稿って言ったの。台本丸ごと取り替えるなんて言ってないわよ。ちょっとだけセリフいじったり、削ったり付け足したりして、もっと完成度を上げるって意味よ。だから改稿したとしても『桜の国のお姫さま』をやるには変わりないわ」


「え? ……そうなの?」


 私、てっきり、あのお話をやめちゃうんだと思って……あんなこと言った……。あれ? 私、言ったの?  本当に? 私、あんなこと、あんな大きな声で、みんな見てるのに、ケンカ中の場所に飛び込んで……あ、ダメです。


「あ、あかちゃん!?」


 倒れた私をとっさに支えてくれたゆきのん。


「ど、どうしたのよ」


「こ、腰が抜けました……」


「ええっ!? ちょ、ちょっとぉ!」


 というか、足に力が入らないのです。私はみっちゃんや和歌山にも手伝ってもらって稽古場の隅に寝かせてもらった。うぅ。運んでもらうの、恥ずかしいです。


「ありがとな」


 和歌山が私のすぐそばに座って私の顔を覗き込んだ。


「自信、持てたわ。あの作品で、頑張る。な?」


 同意を求められたみっちゃんが呆れたように小さくため息を吐いた。


「だから俺は言ってただろ。あの作品で大丈夫だって」


「……みっちゃんもありがとな」


 みっちゃんはそっぽを向いて小さく答えた。


「……ま、頑張ろうよ」


 私は嬉しくてクスッと笑った。同じように笑ったゆきのんと目が合う。秘密を共有したみたいな気がして、また私たちは笑った。ふわりとした暖かい気持ちが胸の辺りに漂う。いつの間にか稽古場はいつもと変わらない蒸し暑さになっていた。

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