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 遠くから子供の遊ぶ声が聞こえる。きっと明け放れた窓から入ってくるのだろう。だけど今はその窓も見えない。広がるのは真っ暗な闇。いやちょっと違うかも。目を瞑っていても、ちかちかと光の残り火みたいなものが広がっている。


 冷たい床に横になって目を瞑っているのだ。頭の中で何かが回る。少しふわふわとしてきた。大きく呼吸をしてゆっくり吐く。身体の力が抜けて、床の感触が邪魔になる。


「水の上をぷかぷかと漂う感じで」


 みっちゃんがゆったりした声でそうみんなに告げた。私は頑張って想像する。ここは海の上。私はただ、その上を潮の導くままに漂う。


 みんなの呼吸する音が聞こえてきた。もっともっと耳を澄ましてみると自分の心臓の音まで聞こえてくる。それに合わせて体中を血液が巡る。


――どくん、どくん。


 知らなかった。胸に耳を当てなくても心臓の音って聞こえるんだ。私はなんだか楽しくなってきて、その音にだけ、ただ耳を傾ける。


「全身の力を抜くこと。これが演劇の一番の基礎になるんだよ。声を出すにも身体を動かすのにも必要な本当に基礎の基礎。でもだから難しい……んだけど」


 みっちゃんの声が近付いてくる。


「腕、触るよ? 力は抜いたままでね」


 みっちゃんの声は近いのに、どこか遠くにも感じた。右手首の辺りをもたれる。いつもだったら声を上げて驚いてしまうかもしれないのに、なぜかあまり気にならなかった。


「へぇ……」


 肩に手を置かれ、身体を揺すられる。海面が揺れているように思えて、なんだか本当に海の上にいるかのように感じた。


「驚いた。ホントにこれ、結構難しいんだけど……ちゃんと全身脱力できてる。あかちゃん、すごいじゃん」


 褒められてる? なんで? 褒めて伸ばす方針なのかな? できれば褒められるのも恥ずかしいからやめて欲しいかもです。


「あ、ありがとうございます……。で、でもこれ、力抜くだけだし」


 みんな簡単にできることを褒められるのはとてもくすぐったいのです。


「いや、これ、本当に難しいんだって。雪乃なんて未だに触ると力はいっちゃうし」


「ちょっとお兄ちゃん! 余計なこと言わないで!」


 ……ホントに? でもゆきのんの慌て振りだと、嘘だとも思えないし……。だとすると、私、今、嫌な奴ですか? 『え? これくらい簡単だけど、できないの? ぷくくっ!』的な意味に取られちゃいましたか!? どどどどどどどうすればいいのですっ!?


「あかちゃん、力、入って来ちゃったよ? 別に雪乃に気を遣わなくて良いから」


 ぶんぶんぶんぶんぶん! 私はすぐに否定した! だけど、「お兄ちゃん!」と大きな声が隣から聞こえてくる。目を瞑ってるのにわかる隣からの視線! ゆきのんが怒っている気がします……。 


「ま、いっか。じゃあ、腹式呼吸はまた今度覚えるとして、とりあえず発声入ろうか。その方が楽しいしね。まずはハミングね。口閉じて『んー』って喉を鳴らす。はい、やってみて」


 みっちゃんの合図であちこちから聞こえてくる「んー」の声。私も真似してやってみます。


「喉が暖まったら口開けて「あー」って感じで」


 今度は「あー」の大合唱。みんなだんだん声が大きくなってきて、高い声低い声、裏声に濁声。思い思いの声で「あー」と音を奏でている。私も真似をして「あー」とちゃんと声を出していたのですが――


「あかちゃん、もっと大きな声で」


 ……言われちゃいました。確かに、普段家で喋るよりもずっと小さな声しか出ていない。……恥ずかしいです。やっぱり。


「もっと大きな声で。今出せる一番大きな声で!」


 みっちゃんに急かされ、そわそわしてしまう。「せーので一番大きな声ね」ああ! タイムリミットまで決められました! 喉の奥に何かが詰まったような異物感を感じ始める。心臓が早く走り出し、身体に力が入る。


「せーの!」


「――ぁー……」


 ……蚊の鳴くような声が喉から絞り出されました。むしろハミングだったときの方が大きかったくらいです。


「……せめて普段喋ってるぐらいの声出せないかな?」


 『話をする』というのが恥ずかしいのは知ってたけど、『声を出す』というのがこんなにも恥ずかしいなんて思わなかった。結局その後も私の声は大きくならず、発声練習は一通り終わってしまいました。


 そして五分間の休憩。みんなはトイレに行ったり飲み物飲んだり、おしゃべりをしたり。私は壁により掛かって小さくため息を吐いていた。


「まあ、初めからうまくはいかんて」


 顔を上げれば和歌山の苦笑い。『和歌山』つまりこれがピエロさんのあだ名らしいのです。……なんで和歌山なんだろ? 本名は『西山(にしやま)(たか)(ひろ)』で全然被ってないし。さらっと紹介されただけだったから聞きそびれてしまいました。


 和歌山は私の隣に腰を下ろすと手に持っていた一リットルパックのお茶に口をつけた。私は小さく首を振る。


「でも、声が出ないんじゃ話にならない……」


「まあなぁ」


 和歌山は何が可笑しいのか小さく笑った。


「ああ、すまん。ちょっと懐かしくてな」


「……懐かしい?」


「ゆきのんもすっごい恥ずかしがり屋でな? 最初の頃は口開けても声が出てこんかったんや。似とるで、二人」


 ……ゆきのんと私が、似てる? 学校でもみんなを引っ張るぐらいのリーダーシップがあって、声も大きくて、言いたいことは全部言って、とにかく元気なあのゆきのんのことですよね?


「信じられんやろ?」


 私は正直に頷いた。


「ウチかて信じられへんもん。でもホンマのことや」


 和歌山はちょっと周りを見回した後、内緒話をするように声を潜めた。


「ゆきのんはお兄ちゃん大好きっ子やからな。みっちゃんに認めてもらおうとホンマ頑張ったんや。だから、あかちゃんも頑張ればどうにかなるて。心配する必要ない」


 人なつっこい笑顔だった。人を安心させるような。私は思わず頬が綻んで頷いた。


「はい、じゃー続き始めるよー。台本持ってー」


みっちゃんの合図でまたみんなが集合する。台本かぁ。私はまだもらってないし、ここからは見学って事で良いのかな?


「本当はもうちょっと基礎稽古していきたいけど、また本番がすぐに来るからね。はい、あかちゃん」


 みっちゃんが分厚い紙束を私に手渡した。台本だ。これは……『桜の国のお姫さま』? この前私が見たやつですよね?


「本番は二週間後。我が劇団始まって以来の大舞台だから。今回はあかちゃんは出れないけど、練習には参加してもらうよ。もちろん、その次の舞台には立ってもらうからそのつもりで」


 二週間後に本番? その次には出てもらう? え? じゃあ、一ヶ月後には私も舞台に出なきゃいけないんですか!?


「そんな怖がらんでも大丈夫や。あかちゃんが出る本番はあと二ヶ月は先やから」


 怯えが顔に出てしまっていたようで和歌山がこそっと教えてくれた。


「大舞台っていうのはな? 『大泉演劇祭』ってーのに参加するからなんや。近隣の大きな劇団がみんな参加するお祭りみたいなものなんやけど。なんと客席数四百! 毎年お客さんがめっちゃ来るんやけど……台本審査通っちゃったんだよね。ウチらもそりゃもー驚いたわ。よーあんなもんで審査通ったもんやほんま。」


 和歌山は何とも微妙な笑顔になった。


「和歌山! そんな弱気でどーするのよ! 目指すはもちろん優勝よっ!」


「ゆきのん、大会じゃないから勝ち負けはないのよ?」


 ゆきのんが張り切って、くぼじゅんがさりげなく突っ込んだ。「え? そうなの?」とゆきのんはちょっとつまらなさそうです。


「で? 練習に参加ってどうするつもりだ?」


 リュウが顎で私を指してみっちゃんに訊ねる。


「台本稽古中は雪乃についてもらう。というか、雪乃と同じ役を練習してもらって、同じように指導していく。雪乃、お前の初めての後輩だ。ちゃんと教えてあげるんだぞ」


「わかったわ!」


 どこか得意げで嬉しそうにゆきのんは答えた。みっちゃんは次に私に向き直って


「雪乃の演技はあかちゃんに合ってると思う。まずは真似で良いからよく見て技術を盗むこと。あと、雪乃にいじめられたらすぐに言うんだぞ? 俺が叱ってやるから」


「しないわよそんなこと!」


 ……ゆきのんに教えてもらうのかぁ。……正直、怖いです。できれば和歌山かくぼじゅんに教えてもらいたかったです。


「ちょっと! なに残念そうな顔してるのよ!」


「し、してないです!」


 ゆきのんに怒られて私はものすごい速さで否定した。……ゆきのんに言われると条件反射で声が出てしまいます。


「確かにええコンビかもな」


 和歌山が納得顔で頷く。……私には全然そうは思えないのですが。

劇団に連れてきてくれたゆきのん。でもそれは口封じという目的のため。果てしてゆきのんは敵か味方か。今、ついに明かされるのです!

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